Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

雪が隠すもの、見せるもの

2017-02-11 23:02:19 | 農村環境

写っているほとんどの家の雪は掻かれていない(浪合にて

 

 3年近く前に「中峠のお堂で」を記した中峠へ、〝かにかや〟に関連して訪ねてみた。松川町でも竜東に位置する生田は、大鹿村へ向う県道の途中にあり、かつては頻繁に通ることがあったが、今は大鹿村に行くには小渋川沿いに中川村の渡場から入るのが一般的になって、生田まわりで入る人はほとんどいなくなった。とりわけ冬場ともなれば、峠の向こう側が日陰道ということもあって、より一層この道を通る人はいない。このほとんどよそからの人通りのない生田の道沿いに、かつて町が造った梅松苑という観光施設があるが、この季節にも運営しているのかどうなのか。かつて以上に寂しい雰囲気を醸し出すこの地に、荷物を置き忘れてしまったような光景は、この地域の現状を映し出している。「中峠のお堂で」の中でも触れていたのだが、観音堂のある場所に近く2軒ほど家が道端にある。寄りやすいということもあって、過去にこの直近の家に立ち寄ったことがあったが、3年前にはその家に住まう人はおらず、観音堂のことを聞こうともう1軒の家に立ち寄ったものの、その家も今は無住のよう。できれば話が聞ければと思っていたものの、思いは叶わなかった。竜東は竜西にくらべると雪が少ないといっても、ここまで奥まったところまで来ると、雪が残っている。当然のことであるが、雪が積もれば玄関先の雪は掻かれる。わずかながら残っている雪の様子で、そこにある家に人の息遣いがあるかどうかは判明してしまう。

 わたしはスキーをしないからスキー場に行くことはない。ところが仕事の都合で夏場にスキー場に立ち寄ることがある。すると「営業しているんだろうか」と思うような荒れ果てた姿を垣間見る経験が何度かあった。もちろんそうしたスキー場は夏場は閉めているスキー場。冬場のスキー場では見えなかったものが、雪の無い夏場には見えてしまうのである。冬場のスキー場しか知らない人には、その姿に愕然とするかもしれない。雪はそうした見せたくない部分を隠してくれるという利点がある。ところが雪に覆われたままになっている冬の雪には、、また違うものを見せる面がある。前述したように、人の息遣いがないことを教える。

 昨日売木村へ仕事で向かった際に、途中でいくつかの集落を回ってみた。山間ということもあるのだろうが、まさに雪によってムラの姿をあからさまにしているような現場に出くわした。たとえば旧浪合村だ。軒の連なっている中心部の家々を見たとき、とりわけ雪深い浪合では住んでいない家ははっきりとわかる。そんな家が半分近くあるのではないだろうか。きっとかつては賑わいのあったであろうマチのはずなのだが、そこに住まう人の数は激減しているようだ。中峠に点在する家々についても様子をうかがってみたが、そもそも人の息遣いを感じる家が数えるくらい。ここもかつて仕事で何度となく訪れた記憶があるが、限界集落をすでに超越している雰囲気が漂っている。そして積雪は、より一層その光景を際立たせている。

 

以前「下伊那の道祖神①」で触れた中峠の道祖神。

すでに祀る人々はいないのではないだろうか。

 

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