VOL2 わ・た・し流

おとぼけな私ですが 好きな本のことや 日常のなにげない事等 また 日々感じたことも書いていきます。

現代と「方丈記」⑫

2013-04-18 09:51:17 | 方丈記

おほかた、世を逃れ、身を捨てしより、恨みもなく、

 恐れもなし。命は天運にまかせて惜しまず、いとはず。


身は浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。

 一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり、

生涯の望みは、折々の美景に残れり。




 出家してからは、人をうらんだり、物事を恐れたり

命を惜しむこともなくなった。


 自分はまるで浮雲のように なにものにも縛られず

生きていると思えば、なにかをあてにしたり、

 現状を不満に思うこともない。

ありのままの自分を受け入れている。

 一番の楽しみは 肘を枕にうたたねをして、

自由な境涯を満喫する事である。

 生涯最後の望みは 四季折々の美しい景色を味わって

大自然に遊ぶ事である。



 長明は 人とかかわる煩わしさよりも

一人の寂しさをとった。


 それほど、環境に翻弄される都会での生活に

疲れ果てていたのだと思う。



 人間って 心があるからかえってめんどくさい部分もある。


うつ病を患う人の多さにも そういった事が表れていると思う。


 せめて 人生の終盤には 長明のような境涯になりたいものだ。


現代と「方丈記」⑪

2013-04-17 11:46:20 | 方丈記

災害の記述のあとは 長明自身の人生の来し方をのべている。


 相続がうまくいかなくて 祖母の家を出たこと。

今まで暮らしていた家の十分の一ほどの小家を造り

 移り住んだ事。

暮らしにくい世の中で、我慢を重ね、悩みながら

 いくつもの挫折を味わって生きてきた。

その中で、自分のつたない運命を思い知らされた事。


 五十歳で出家するが、自身では、悟りを得ることもなく

たんに歳月を重ねただけ  と 振り返る。


 そして、六十歳を目前にして、心機一転

さらに今までの家よりちいさな家(方丈庵)を造って

 移り住む。


豊かな自然を愛し、十歳くらいの子供と友人になって

 自由を楽しむさまが書かれている。


虚勢をはるような生き方とは無縁の庵暮らし。


 「良い所探し」が上手にできるようになり

世間のわずらわしさからはなれ 楽しむ様子も書かれている。


 「無常」を真に理解すれば、見栄をはったり、

相手の思惑を気にしたりすることもなくなる・


 でも、人間って やはりなかなかそうはいかない

「あのブドウは酸っぱい」式のあきらめを

 どう上手に自分にとりいれ、自分を説得するのか


娑婆世界とは よくいったものだと思う。


現代と「方丈記」⑩

2013-04-16 10:07:53 | 方丈記

「すべて、世の中のありにくく、わが身と栖(すみか)との

 

  はかなく、あだなるさま、また かくのごとし。いはんや

 

所により、身のほどにしたがひつつ、心を悩ますことは

 

 あげてかぞふべからず」

 

ーーーだいたい、この世を生きていく事じたい、なかなか大変なこと。

 

 人の身も住居もはかなく頼りにくいことは、これまで述べてきた災害の

 

例からもわかることだ。

 

 ましてや、住む環境や身分、立場に応じてうまれてくうる苦労の種は

 

いちいち数えあげたらきりがないほどだ。---

 

 

 この後、長明は京の町の市民生活を観察し、住環境に支配される

 

人々を細かく描写している。

 

 結論として、彼らは、隣人との身分差などのストレスに振り回され、

 

心安まらぬ日々を過ごしている。 いったいどんな環境を選んだら

 

 どんな仕事を選んだら ストレスから逃れられるのか?

 

いや、そんな土地や仕事を見つけるのは到底無理だろう。と結ぶ。

 

 なんとまあ、時代が変わろうとも

 

人の世というのは こういうものなんでしょうね・・・

 

 これが、800年前の書物・・・

 

という事は・・・「汝、こころして生きよ」といったところですかね・・


現代と「方丈記」⑨

2013-04-15 11:22:54 | 方丈記

長明が目撃した悲惨な現状として

 

「その中に、ある武者のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが

 

 築地のおほひの下に、小家を造りて、はかなげなるあどなしごとをして

 

遊び侍りしが、にはかにくづれ埋められて、跡形なく、平にうちひさがれて

 

 二つの目など一寸ばかりづつうちい出されたるを、父母かかへて、

 

声を惜しまず悲しみあいて侍りしこそ、

 

 あはれに悲しく見侍りしか。子の悲しみには、たけき者も

 

恥を忘れけりとおぼえて、いとほしく、

 

 ことわりかなとぞ見侍りし。」

 

激震のさなか、土塀のわきで 小さい家などを作って遊んでいた子が

 

 崩れてきた土塀の下敷きになったのを父母が掘り起こしたが

 

ぺしゃんこにつぶれて目玉も飛び出した変わり果てた姿となっていた。

 

 その子をかかえて 両親が大声を張り上げて泣き悲しむ現場を見てしまった。

 

勇猛と言われる武士でも 愛する子を失い、恥も外聞もなく取りみだすのを

 

 心から気の毒に思った。

 

というもの。

 

 それからも余震は不気味につづくが

 

3か月ほどもたつと ようやく落ち着いた。

 

 しかし、こんな大きな地震でも、人びとはすに忘れてしまうと述べている。

 

いわく

 

 「地震直後のしばらくは、誰もかれも、天災に対していかに人間が無力で

 

あるかを語り合い、少しは欲望や邪念と言った心のにごりも薄らいだように

 

 みえた。だが、月日が経ち、何年か過ぎてしまうと

 

震災から得た無常の体験などすっかり忘れて、

 

 話題に取り上げる人さえいなくなった。」

 

う~~んとうなりたくなるような・・・

 

 まさに 人間って・・・・です

 

こういうのを 楽天的っていうのかなぁ・・・


現代と「方丈記」⑧

2013-04-14 10:47:53 | 方丈記

元暦の大地震の記述

 

「そのすさまじさは、この世のものとは思えなかった。

 

 山崩れがおきて土砂が河を埋め、海が傾いて津波が陸に押し寄せた。

 

大地は裂けて水が噴き出し、巨岩は割れて谷底に転がり落ちた。

 

 海岸近くを漕ぐ船は打ち寄せる大波にもてあそばれ、

 

道行く馬は足場を失って棒立ちになった。

 

 都の付近では、至るところ、寺のお堂や塔も、

 

何一つとして無傷なものはない。あるものは崩れ落ち、

 

 あるものはひっくり返っている。塵や灰が立ち上り、

 

もうもうたる煙のように空を覆った。

 

 大地が鳴動し、家屋が倒壊する音は、雷鳴の轟音そのものである。

 

家の中にいれば、たちまち建物の下敷きになって圧死する危険がある。

 

 だからといって、家の外に走り出せば、地割れに落ちて死ぬ危険がある。

 

人間、羽がないので、空を飛ぶこともできない。これが竜であったなら、

 

 雲にでも乗って逃れられるだろうに、それもできない。

 

恐ろしいものの中でも、だんとつに恐ろしいのは、やはり地震だと

 

 痛感した。」

 

つい昨日も 淡路で地震があったばかり。

 

 幸い、18年前ほどの被害はでなかったのでほっとしたが

 

不気味な地震はこちらでも続いている。

 

 覚悟して一日一日を生きるバロメーターになるのは

 

皮肉といえば皮肉かも・・・