今日は町の総合計画審議委員会でした。
最初は退屈な会議でしたが、このところ、とても熱い論戦が交わされています。
建前で進むかと思われたこの委員会も、最終段階に入って、いよいよ、町の将来像を具体的に表す表記を巡って、各自の思いが垣間見られるようになりました。
自然を慈しみ、山や田畑のある景観を守りたい・・・それが大方の委員の共通認識です。
ただ、それだけでは町民が減り、高齢化で財政的にも苦しくなるばかりの町の将来を考えることにはなりません。
行政としては財政的な手段を沿道整備をして、企業の誘致も視野に入れています。
景観を壊さないために、十分配慮した総合計画を策定しても、実際どれほどの効果があるのか分かりません。
「大阪府から許可をもらった」とお墨付きを振りかざして、景観にそぐわない建物や企業が立ち並ぶこともあるそうです。
それなら、もっと情報を共有して、事前に阻止できるような手を打たねばなりませんし、法的な整備も必要かと思います。
そのあたりの危機意識が田舎の役場から感じられないので、委員たちは不安になります。
委員がシニアや障害者の福祉に関連して、遊休の田畑を活用する方法を模索するなどを総合計画書に書き加えられないものだろうかと提案しました。
しかし、それは「現実的には無理です」という反論に合いました。
(やってみよう)という発想自体が希薄なのです。
町の職員たちは、町民から働きかけてほしいと言うばかりですし、もし、役場に持ちかけても、この「無理でしょう」に阻まれてきたのではないでしょうか。
山林にしても、放置されていることに危機感を持つなら、ボランティアを総動員しても、徐々に所有者を説得するなり、手入れを促すなり、方法があるはず。
最初は素人だから、スムーズに動くはずもありませんが。
どこかに眠っている熟練者を探し出し、その人たちの指導の下に、山が整備され、田畑に稲や野菜が実り、町全体に明るさが満ちてくるような、そんな未来を育てたいものです。
行政と住民の間を取り持つコーディネイターが現れないと、前に進まないと感じました。
最初は退屈な会議でしたが、このところ、とても熱い論戦が交わされています。
建前で進むかと思われたこの委員会も、最終段階に入って、いよいよ、町の将来像を具体的に表す表記を巡って、各自の思いが垣間見られるようになりました。
自然を慈しみ、山や田畑のある景観を守りたい・・・それが大方の委員の共通認識です。
ただ、それだけでは町民が減り、高齢化で財政的にも苦しくなるばかりの町の将来を考えることにはなりません。
行政としては財政的な手段を沿道整備をして、企業の誘致も視野に入れています。
景観を壊さないために、十分配慮した総合計画を策定しても、実際どれほどの効果があるのか分かりません。
「大阪府から許可をもらった」とお墨付きを振りかざして、景観にそぐわない建物や企業が立ち並ぶこともあるそうです。
それなら、もっと情報を共有して、事前に阻止できるような手を打たねばなりませんし、法的な整備も必要かと思います。
そのあたりの危機意識が田舎の役場から感じられないので、委員たちは不安になります。
委員がシニアや障害者の福祉に関連して、遊休の田畑を活用する方法を模索するなどを総合計画書に書き加えられないものだろうかと提案しました。
しかし、それは「現実的には無理です」という反論に合いました。
(やってみよう)という発想自体が希薄なのです。
町の職員たちは、町民から働きかけてほしいと言うばかりですし、もし、役場に持ちかけても、この「無理でしょう」に阻まれてきたのではないでしょうか。
山林にしても、放置されていることに危機感を持つなら、ボランティアを総動員しても、徐々に所有者を説得するなり、手入れを促すなり、方法があるはず。
最初は素人だから、スムーズに動くはずもありませんが。
どこかに眠っている熟練者を探し出し、その人たちの指導の下に、山が整備され、田畑に稲や野菜が実り、町全体に明るさが満ちてくるような、そんな未来を育てたいものです。
行政と住民の間を取り持つコーディネイターが現れないと、前に進まないと感じました。