Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

ついでに食べた「周氏蝦捲」(台南小吃食べ歩き2)

2007-02-28 | Asia 「圓」な旅
安平豆花を「大人買い」というか「大人食い」して満腹の Tomotubby ですが、台南の夜はまだまだ長い。決意を新たにして、台南の中心に戻り小吃を食べ歩くことにしました。(前にも言いましたが、決して「食べ歩き」だけが旅行の目的ではありませんので。念のため) 再び犬の彷徨う道、安北路をとぼとぼ戻り、安平豆花Uターン800mの看板の前を曲がるとお土産屋さんの並ぶ古堡街。そこを抜けると、往路タクシーで通った延平老街です。ここでバスかタクシーに乗ろうという考えだったんですが、待っていてもなかなか来ないので、美味しそうなお店を覗きながら、道なりに台南の中心街のある東の方向へ歩くことにしました。

すると前方に「周氏蝦捲」を発見。
(結果的には移転していて、間違っていたんですが) ホテルで「安平豆花」の場所を教えてもらったとき、他にも安平の名物を聞いておきました。ひとつは「蜜餞」という果物の砂糖漬けみたいなお菓子なのですが、これは小吃というよりお土産向け。もうひとつの「蝦捲」の方の有名店の名前をマップに書いてもらっていました。「周氏蝦捲」というのは周さんの蝦捲という意味でしょう。

お店はオープンスペースのあるファーストフード店みたいなつくりで、レジに並んで好きなものを注文して、通りに面したテーブルで食べるというスタイルです。名物の「蝦捲」と「乾麺」を食べることにしました。「蝦捲」は、蝦、豚肉、魚のすり身に葱、セロリを加えて、皮で包んで片栗粉をまぶしたものをカリカリに油で揚げたもので、おやつ感覚で食べられます。「乾麺」は、魯肉飯の肉そぼろを茹でた麺にかけて、蝦、叉焼、香菜を添えたものです。量的にも「担仔麺」の汁が無いものと言えばいいかも。「蝦捲」は初めて食べましたが、まあこんなものかな。という味で、むしろ「乾麺」の方をおかわりしたくなりました。今夜は「度小月」の本店で「担仔麺」を食べるというメインイベントが控えているので、ぐっと我慢。


蝦捲


乾麺

「周氏蝦捲」の通りを隔てた向かい側、奥まったところに、安平觀音亭という観音様を祀るお寺がありました。食後にちょっと覗いてみました。ネオンサインがド派手。ベトナムのホーチミンでお寺回りをしたときに似たようなのをみたことがあります。


安平觀音亭

ついに見つけた「同記 安平豆花」(台南小吃食べ歩き1)

2007-02-27 | Asia 「圓」な旅
暮れなずむ春の日、田んぼを突っ切って延びる道を「安平豆花」のお店を探し求めて歩いていると、前方に野良犬が二匹いてこちらを窺っていました。「安平樹屋」でも大きな犬に追いかけられて怖かったのですが、今度は両側が田んぼ、前方に立ち塞がれたりすると逃げ場がないだけに怖いのです。幸い、今回の犬たちは臆病な性質で、暫くすると逃げるように去っていきました。一難さってまた一難の台南です。しかしこの道はバスが走っていたのでバス道のようなのですが、犬が佇んでいるくらいに交通量はたいしたことがありません。こんな場所に伝説の豆花のお店があるのでしょうか?

道沿いに建物が固まって建つ場所まで辿り着いたとき、看板に灯が点りました。何かのお店がありそうな気配です。茶色い看板「松霖茶坊」の向こうに赤い看板を発見!! 「同記 安平豆花」です。諦めかけていただけに、喜びヒトシオです。

ヽ(・∀・)ノ ヤター


「同記 安平豆花」発見です。後で見つけたのですが、後ろの方に「黒豆花」という看板が見えます。どんなものなんだろう。

中に入ると「同記 安平豆花」のお店は、「松霖茶坊」のお店と繋がっていて、経営が同じようです。早速「豆花」をオーダー。こうなったら「原味豆花」と「紅豆豆花」と「檸檬豆花」を大人買いするぞぉ。


こんなに食べるの?と驚くおばさん


左から「檸檬豆花」「原味豆花」「紅豆豆花」

「原味豆花」が基本形で、そこに小豆の餡子をトッピングしたのが「紅豆豆花」、「檸檬豆花」は蜜がさっぱりレモン味なのです。他に黒タピオカの入った「珍珠豆花」のメニューもあります。お味の方ですが、流石に伝説的スイーツだけあって、今までに食した豆花の中では最高に美味しかったです。

まず豆花自体にいやな(古い?)豆腐の匂いがまったくなく、それでいて仄かに大豆の香りがするのです。食感は絹豆腐より少し固めのプルプル。そして蜜が、他のどの豆花とも違うのです。甘すぎず、薄すぎず。トッピングは不要かもしれません。トッピングで味を誤魔化さず、豆花本来の味と蜜だけで勝負できるのです。やはり説明は難しいですね。やはり足を運んで味わうしかないのかも。


同記 安平豆花 Anping Bean Jelly
地址: 台南市安平區安北路433號 (Map)←これがあれば迷わない
電話: (06)391-5385,5057
網址: http://www.tongji.com.tw/
http://hipage.hinet.net/anping-bean-jelly
營業時間:9:00AM ~ 11:00PM

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この記事をエントリーした後、「同記 安平豆花」のことを書かれた「うましうまもブログ!!」というブログを見つけました。そこに書いてある情報では、台南のデパート、新光三越新天地のフードコートに「同記 安平豆花」の支店があるとのことです。新光三越新天地って、よーく考えたら Tomotubby が泊まったホテルの隣にありました。「灯台下暗し」とはこのことだぁ。台南を発つ前にデパートの中をうろうろしてたんですが、こんな店があることを知っていたら、最後にもう一回食べたんだけどな...。というか、ホテルのコンシェルジュ、教えてくれよな。

あきらめず「安平豆花」を探す

2007-02-26 | Asia 「圓」な旅
なんてことでしょう。ここまで「安平豆花」への期待度があまりに大きかっただけに、その至高のスイーツを食べられなかったときの反動はあまりにも大きく、行き場のない憤懣に体が震えました。

しかしまだ日没前。閉店時間を過ぎたわけではないし、今日は定休日なのでしょうか? ノン。どうやら店は長い間営業していないように見えます。昨日まで店を開けていたとは思えない荒んだ雰囲気なのです。まさかとは思いますが、廃業したのでしょうか... あれこれ考えても豆花を食べられるわけはなく、諦めて帰ることにしました。未練がましく「同記 安平豆花」の看板を振り返って見たとき、気付きました。


うっかり見落とすところでした。看板の下のほう。


「迴轉直行 800公尺」
これって、Uターンして来た道を直進 800m戻るということじゃないかしら。しかし、ここへ来る途中、それらしき店はなかったし、800mも戻ると安平の街区から外れてしまい、一面の田んぼに突き当たります。

一縷の望みを抱いて、来た道を引き返すことにしました。道は街区が途切れても田んぼの中をまっすぐと西へ延びていました。田んぼの向こうの道沿いにいくつかの建物が見えます。店があるとすれば、あの辺りになるのでしょうか? 随分と歩いた気がしますが、まだまだ遠くです。そこだけ明るかった西の空もだんだんと暗くなり、心細くなり始めました。

「安平豆花」を探す (台南市安平區)

2007-02-26 | Asia 「圓」な旅
安平の街で偶然に見つけた「安平樹屋」は思いのほか愉しく、たいそう気に入ってしまいました。そのせいで、安平を訪れた重要な目的であった筈の「安平豆花」のことを忘れそうになっていました。しかし、この日はホテルで朝食を摂って以来、高雄駅で買って特急列車内で食べたスナック菓子とチョコと煮卵以外、胃には入っていません。辺りが暗くなり始めると、体の方が自然と「小吃」を求め始めるのでした。ひとまず、ホテルで地図にチェックしてもらった「安平豆花」のお店の場所へと急ぎました。


それにしても台湾では、↑のような奇妙な建物が見つかるので油断できません。日本だと間違いなく違法建築でしょう。街歩きの際には路上観察を怠らないようにしなければなりません。そういえばあの「家庭理髪 學生頭・一般頭」の看板もこのあたりでみつけたのでした。そして目を細めると遠方に「同記 安平豆花」の看板が見えるではないですか。ズームアップ



ついに夢にまで見た豆花の聖地「安平豆花」へやってきたのです。これまで台北で食べて感激し、日本で食べ歩いて失望した数多くの「豆花」の記憶が走馬灯のように甦ります。あともう少しです。高まる期待に胸が膨らみます。



と思いきや、地図の場所にあるお店は、閉まっていたのでした。
がーん( ̄□ ̄;)!! なんてこったい!台南てこったい!

春節の垂直的獅子舞 (横濱中華街12)

2007-02-25 | 横濱・中華街
春節の夜の横浜中華街、市場通りで行われた中国獅子舞、二回目のエントリーです。Flickr に載せたら好評だったので追加することにしました。



道幅の狭い通りで行われた演技は迫力一杯。クライマックスの大技は、獅子の頭と前脚を操る演手が、後脚の演手の肩の上に乗るもので、獅子がまるで龍になったかのようなポーズを決めます。リー・リンチェイ(李連杰)が映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地争覇(黄飛鴻之三・獅王争覇)」で演じた黄飛鴻の獅子舞を思い出しました。




【勝手に引用】 「竹島の日 独島は日本地」

2007-02-25 | 好韓嫌韓・厭鮮
以下の引用は、去る2月22日、1905年の同日に竹島(独島)が島根県に編入されたのを記念して作られた「竹島の日」に、enjoy Korea の日韓掲示板に載せられていた「韓国サイド」の発言。予想通り、韓国の人たちからはボロカスに貶されていました。

引用はハングルからの自動翻訳なので意味不明な部分も多々ありますが、この dodoaaakr なる韓国人による分析は他の誰よりも当を得ているような気がします。もしこれを実名で投稿したりすると、忽ち売国奴・親日派扱いされ、韓国内では土下座させられるか社会的に抹殺されること必至。かように韓国は言論の自由のない国ですが、国民自身が言論抑圧を望んでいるようにも思える変な国だと思います。

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竹島の日 独島は日本地 | 伝統文化・工芸
No.63403 投稿者: dodoaaakr 作成日:2007-02-22 00:21:06 閲覧数:740 推薦ポイント:6 / 0

日本と係わって韓国が減らず口を使っている事案は一つ二つではないが, その中一番代表的なことが日本海を東海と主張して竹島(竹島, 韓国人独島)を韓国地だと主張する事だ. 日本海はもう長年の歳月の間国際社会で定着された表記で地理的に見ても正当な名前なのに, 韓国政府はこれを東海と言い張って世界すべての国で使われている指導で日本海を東海に変えようとする無謀な努力を続いている. こんな事は結果的に韓国に損害になるだけだ. '韓国はなんでも無理を言いながら貫徹させる国'というイメージが国際社会に定着されたら (もうそのようになったようだが) 韓国という国と韓国人たちはどこを行くが物笑い距離(通り)になるだけだ. そんな式なら黄海を西海と言い張って, 東支那海は南海と言い張ろうか?

地図を敷いておいてみれば, 日本海はソンピョン模様の孤立した内海として右側の大部分を日本列島が抱えている形態だ. 左側は南韓と北朝鮮, ロシアの沿海州が接している.南韓が日本海に接している部分は全体の 10分の 1にも及ぶ事ができなくて, 韓半島全体を見ても 3分の 1にならないのに, この海を東海に呼んでくれと言って主張することは理にかなっている事ではない.

この前朝鮮時代ではない北間島(今の満洲東と沿海州一部)が朝鮮の領土だった時代にはそれさえも東海と言い張ることができる素地がちょっとあったと言えるが, 韓半島の南側一部で領土の減った今のところは東海を主張する事は無理がある. たとえ南北韓が共同で東海を主張するとしても間島を失った今のところは話にならない話だ. 第3者の立場で地図を広げておいてみればこれはだれが見るが日本海と呼ぶのが適当な海であることだ. 韓国の主張はまるで日本が太平洋を南海と言い張ることと違いない事だ.

独島に対しては日本がこれを竹島(竹刀)という名前で島根県に属した領土で主張しているのに, 現在は韓国の実效的な占領状態に置かれているし独島周辺の海は日韓共同管理水域で指定管理されている. 韓国政府は日本が米軍政状態で何らの主権がなかった時代独島を無断占拠していまだに自分の領土と主張しているのにこれは隣国のどうこうな力がない状態で盗みを働いたのだ.

独島は韓半島と日本の本土では中間支店だが, 鬱陵島で近いから韓国の所有権主張が有利なことは事実だ. しかし日本はもう 1905年 1月28日に独島を日本の領土に編入させたし 1905年 2月22日には島根県考試40号を発表, この島を '竹島'と歌ってOki道士の所管で置くと公示した事がある. この当時には鬱陵島さえ無人島だったから大韓帝国政府は何らの公式的な抗議もしなかったし竹島は国際法の上当然日本の領土で認められたのだ. 独島に対して日本以外の他の国が所有権を宣言したことは 1952年 1月 18日に発表された大韓民国国務院考試 14号, [隣接海洋の主権に関する大統領宣言]が初めてだった.

しかしこのかく事実上原因無效だ. 当時韓国政府はこの 14号考試によって日本海の公害上にわがまま線を引いた後平和船だと呼んで, これを侵犯した日本漁船たちを皆ザブアだ釜山港に抑留するなど日本に主権がない状態を悪用して強盗をした. 李承晩の考えは日本漁夫たちをザブアだこれを人質に利用してハンイルグックギョヒョブサングでより多いお金を要求しようとするのだった. この '李承晩ライン' 事件は以後我が政府も主張を撤回した不当な措置だったから彼と一緒に宣言された独島株券宣言も説得力を失うようになったのだ.

以後日本は 1952年サンフランシスコで連合国と平和条約を締結することで株券を取り戻すようになったがこの平和条約 2兆a項は '日本は韓国の独立を認めて済州島, 巨文島, 鬱陵島を含む韓国に対するすべての権利(right), 権原(title)と請求権(claim)をあきらめる'と規定している. もちろんこの 3個の島は韓国の領土に含まれる重要な島の例として言及されたことであり, 韓国の領土にはこの 3個島と付属島嶼など 3000余個の島が皆含まれるのだ. すなわち済州島が韓国領土なのでそこに付いた馬羅島も韓国の領土として認められていることのような理だ. しかし独島は鬱陵島の付属島嶼で見るには距離(通り)があまり落ちている.

日本の立場(入場)で見る時 1905年以来独島は日本領土だったからこれはハンイルハブビョングとは関係ない無人島に対する無主物先行獲得であり, 所有権宣言以前にも主に日本漁船たちがあしか(おっとせい) 雑異意拠点で利用した地域だ. だから当然日本地というのに, これは客観的に説得力ある主張だ. 実は独島問題で韓国の方に有利な点は日本より鬱陵島でもっと近いということ一つだけだ.

それなら韓国と日本の独島紛争に対する外国の視覚はどうか.圧倒的に日本の立場(入場)が認められている実情だ. この問題と係わって中立的な立場であるアメリカの場合, 去る 1999年太平洋司令部が発刊した地図を見れば東海を日本海で表記しているし独島を日本領土で明らかに表記しておいている. また香港の経済週刊誌 [ファイストンエコノミックレビュー]が去る 1996年独島問題と係わって行った世論調査を見れば独島を韓国地だと思う私という全世界に一つもないという事実が分かる.

したがって韓国は独島を日本に返して交渉を通じて日本の経済水域に含まれた地域の漁業権を獲得するとかする実益を取るのが望ましいだろう. 東海(日本海)の日本側水域はパラウ制度で始まった黒潮乱流が北上している途中北太平洋から下る寒流と交差する地点として, 各種ゴギテが追われる黄金漁場だ. 過去領海が 12海里だった時にも韓国漁船たちは日本の方にぐっと付いて魚を捕っている途中この領海を侵犯する場合が多かった. ところで最近 200海里(360キロメートル)が独占経済水域と認められ始めた今のところ韓国漁船たちは日本近海の黄金漁場を皆喪失するようになった状態だ.

200海里が独占水域と認められるようになることで日本は世界で 5番目に広い海洋領土を保有した資源強国になった.太平洋に点点と散らばっている日本領無人島たちによって北太平洋の相当部分が日本の領土になったからだ. この 200海里経済水域というのは, 大きい海で岩島一つだけ持っていればおおよそ 35万平方キロメートル, 日本列島ほどの広さにあたる海を独占する権利を与えるというのだ. それで今世界各国は海に掛かっている障害物周辺におびただしい石を降り注いで島で作った後所有権を主張する作業に夢中になっている. 太平洋に無人島一つ持っていることができなかった私たちとしてはまことに切ない事態に違いない. しかし 我が地ではない竹島は日本に返すのが正しい事だ.

Mr.ピーナッツの背後に見えるWTC

2007-02-24 | RUGlad2BInAmerica?

Erró のチャイニーズ・ペインティングにはニューヨークを舞台にしたものもあります。紅衛兵(の予備軍?)たちが摩天楼を見物している左の絵なんかも可愛くていいですね。背景にはこの街の象徴だったエンパイア・ステート・ビルが聳えていますが、その向こうには、WTCのツインタワーはまだ見えません。Erró がチャイニーズ・ペインティングを始めた頃、1972~73年にちょうどWTCが完成しているのです。




一方、Vincent Trasov がバンクーバー市長選に Mr.ピーナッツ に扮して出馬したのが1974年、その前に彼は市長選の前に遊説キャンペーンに(何故か)ニューヨークを訪れています。恐らく「自由の女神」を観るためにフェリーに乗ったのでしょう。マンハッタンを背景に写した写真が残されています。これを見ると、WTCのツインタワーはまだ完成しておらず、てっぺんの部分が建設中であることが判ります。


帽子を取ると「バスケットケース」の怪物みたいで、ちとキモいな。


二枚目の写真は The Morris/Trasov Archive にあった写真ですが、何故か裏焼きされていたので反転させて載せてみました。

下の写真は、NYに行った際に撮ったものです。ツインタワーがなくなったことで、ありきたりなスカイラインになってしまい少し寂しかったです。ということで、遅々として進まないNY旅行記はリバティ島に立つ「自由の女神」に向かうことになります。


ヴェネチアの Chairman Mao

2007-02-23 | Europe ところどころ
今月の初めに、毛沢東の図像が絵画や彫刻のモチーフとして使われるようになったのは70年代のアンディ・ウォーホルが走りだった。と書きましたが、もうひとりエロを忘れていました。Ero ではなくて Gudmundur Erró。1932年アイスランド生まれの画家です。ウォーホルが1928年生まれだからほぼ同世代。今ではポップ・アーティストとして語られていますが、もともと米国の60年代ポップ・アートを皮肉ったというか、パロディのような絵を描いていた人です。70年代には毛沢東、チェ・ゲバラ、スターリンなど共産主義国のリーダーを描くようになります。


Young Mao at San Marco 青年毛澤東在圣馬克广場

その Erró の毛沢東を描いた一枚「サンマルコの毛沢東」が、先日、このブログで企画力に欠けると貶した「異邦人たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」に来ていました。1973年に始まる「チャイニーズ・ペインティング」に属する「マオ・イン・ヴェネチア」のシリーズからの一枚です。最近、このシリーズのリトグラフが作られたようで、北京現在画廊で行われた「走社会主義道路展」に出展されています。革命に燃える毛沢東や中国共産党の一群がサンマルコ広場などヴェネチア名所を背景に描かれていて、デペイズマンというか、そのミスマッチ感がこのシリーズの奇妙な魅力?となっています。絵を見ていると、地盤沈下によって、潮位が上がると水浸しになるサンマルコ広場も、またいいものだなぁ。と思えてきました。


La Giudecca 圭卡島


La gardienne de nuit 守夜女人


Il Canal grande 威尼期的大运河


Mao and his wife 毛澤東和他的愛人


In front of la salute 在薩路特教堂前


Avante popolo 人民向前進


The lamb 小羊羔


The bell tower 鐘楼


The workers 工人


Saint-John and Saint-Paul 圣約翰和圣保羅


Four warriors 四位武士

実写版 Mr.ピーナッツ

2007-02-22 | RUGlad2BInAmerica?
以前、美術書専門の古書店で中原祐介が翻訳した「パフォーマンス」に関した評論の本を繰っていたら、「Mr.ピーナッツの格好をした人」の写真が載っていました。その「実写版 Mr.ピーナッツ」は、山高帽をかぶりステッキを片手に、立派そうな?建物の前の階段を降りています。

本は高かったので買いませんでしたが、こっそり携帯電話で写真を撮っておきました。それが左の写真。パフォーマンスをしているアーティストの名前の部分も撮っておいたのですが、後で見たところピンボケで判読不可能でした。しばらくしてから同じ書店を再訪して本を探してみたんですが、残念なことに売れてしまっていました。それ以来、この「実写版 Mr.ピーナッツ」については頭の片隅に引っかかっていました。昨年末、大竹伸朗がらみで Mr.ピーナッツをこのブログで取り上げたこともあり、今回ネットでテッテテキに調べてみることにしましたが、テッテテキに調べるほどもなくいろいろ判明しました。

まず写真の載っていた本は、ローズリー・ゴールドバーグ著・中原祐介訳「パフォーマンス」(アール・ヴィヴァン選書)であることは簡単に判りました。ところがこの本を買わない限り、ここから「実写版 Mr.ピーナッツ」に辿り着くことはないので、パフォーマンスと掛け合わせて調べていくと、Vincent Trasov というカナダの芸術家が捜査線上に浮かび上がりました。しかし画像が見つからなくて確証が得られません。虱潰しに当たっていくと、昨年末の新しい記事 "I would like to take this opportunity to endorse the candidacy of Mr. Peanut for mayor of Vancouver." を発見しました。

これによるとカナダのアーティスト Vincent Trasov は 1969年に Mr.ピーナッツのコスプレでパフォーマンスを始め、5年後の1974年にバンクーバー市長選に Mr.ピーナッツ として出馬、候補者による討論の際にはタップ・ダンスを踊り、3.4%の得票を獲得したようです。

この記事は The Morris/Trasov Archive にリンクされていて、そこには市長選遊説キャンペーンのときの写真が公開されています。Performance の "My Five Years in a nutshell and Mr. Peanut for mayor campaign" のところです。



次のMr. Peanuts関係の記事

大統領の刺客「11人いる!」

2007-02-20 | 漫画... 「デスノート」と「ジョジョ」など
本日発売「ウルトラジャンプ」最新号に掲載の「スティール・ボール・ラン」で、ジャイロとジョニィのコンビを襲う大統領の刺客が全部で11人いるのは、「11人いる!」を描いた萩尾望都へのオマージュではないのかな。ふと、そんな気がしました。もう一人多ければ「12人の怒れる男たち」なんですけど。