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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

熊谷市・箱田氏館跡 装飾副葬品と人の歯が出土

2012年02月25日 | Weblog
 熊谷市は24日、同市中西の「箱田氏館跡」(熊谷総合病院北側隣接地)で、弥生時代後期~古墳時代前期(約1700年前)の墓から人の歯3本、管玉3点、ガラス小玉1点が見つかったと発表した。
 遺跡は源平時代の武将・箱田氏の館跡(約2万㎡)で、今年1月からの調査で出土した。 1辺約11mの方形周溝墓の一部が見つかり、その中から歯はすべて奥歯(臼歯)で30歳代以前の成人とみられる。 管玉(長さ1・5~2・6cm)は緑色凝灰岩と蛇紋岩製で、青色のガラス玉(直径5mm)ほかに木製品4点も見つかった。管玉などは紐を通して首飾りとして使われたもので、副葬品として一緒に埋められたとみられる。
 また、縄文時代後期後半の多量の遺物や、ミミズク土偶、耳飾りなども出土している。
 現地説明会が26日(日)午前11~午後3時に開かれる。
[参考:毎日新聞、読売新聞、熊谷市HP]

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大野城市・古野遺跡 丘陵から24基の小規模方墳と円墳(群集墳)を発掘、四禽文鏡も出土

2011年12月16日 | Weblog
 大野城市教委は15日、同市乙金2、3丁目の古野遺跡の丘陵から24基の小規模方墳と円墳(群集墳)を発掘し、1基からは県内3例目の銅鏡「四禽文鏡(しきんもんきょう)」や県内4例目の青銅製鈴などが見つかったと発表した。
 丘陵の最も高い所にある2基のみが方墳で、石棺系竪穴式石室を持つ。5世紀後半の須恵器が出土し、ここから一帯の古墳築造が始まったとみられる。
 竪穴系横口式石室をもつ6基の円墳は、方墳築造後間もなくして造られた。
 横穴式石室をもつ4基(直径4~7m)の円墳は、6世紀末前後に造られたらしい。子供用とみられる、他のものより半分程度の石室もある。
 8号墳は、東西2m、南北0・9mの竪穴系横口式石室があり、直径7cmの四禽文(しきんもん)鏡が被葬者の胸の辺りから、100点以上のガラス玉が顔の付近から見つかった。 腰付近にはまだ音が出る直径2・3cmの鈴があった。 ほかに鉄剣、鉄鏃、鉄鎌、鋤先、須恵器の壺なども埋葬されていた。 小地域を治める中小クラスの有力者の墓と考えられるという。
 付近は乙金古墳群でこれまで100基超の古墳が出土しているが、今回発掘した群集墳がその先駆けだった可能性もあるという。
 現地説明会が7日午前10時~正午、乙金天満宮先で開かれる。
[参考:西日本新聞、毎日新聞]

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大田市・庵寺古墳群 古墳時代前期の古墳が13基見つかる

2011年12月08日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターは7日、大田市仁摩町大国の庵寺古墳群(あんでらこふんぐん)から、標高60~70mの丘陵の尾根部分に約80mにわたって一列に並んだ古墳時代前期(4世紀頃)の古墳13基が見つかったと発表した。
 発見された13基のうち形の判明したものは、いずれ一辺が約5~10mの方墳。 埋葬施設は石棺5基、木棺3基、壺棺1基など多岐にわたる。 古墳からは、鉄鎌や鉄刀、刀子など各種鉄器やガラス小玉、滑石製臼玉など十数点の副葬品が出土した。 鉄器、あるいは既に同時期の1B号墳古墳から前漢時代の八禽鏡が見つかったことから、仁摩平野を治めていた首長やその一族が葬られていたと考えられると分析している。 古墳時代前期の古墳群では石見地方最大級。
 現地説明会が10日(土)午前10時から正午まで開かれる。
[参考:産経新聞、読売新聞、中国新聞、山陰中央テレビ、島根県埋蔵文化財調査センターHP]

2011.9.10 追記
 12月10日(土)10:00から開催予定の庵寺古墳群の現地説明会については、現地に至る通路が悪天候により危険な状態となったため、山頂部での現地公開は中止となった。
 なお、遺跡付近の駐車場プレハブにおける遺物展示会は予定どおり行うとのこと。
[参考:島根県HP]

過去の関連ニュース・情報
 2009.1.17 庵寺遺跡 1号墳 八禽鏡が出土
 2008.11.7 庵寺遺跡 横穴式石室を持つ後期古墳を確認

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久留米市・水分遺跡 2~3世紀の住居跡から水銀朱が付着した土器の鉢などが出土

2011年11月18日 | Weblog
 久留米市は17日、同市田主丸町常盤の水分遺跡(みずわけいせき)から、弥生時代後期(2~3世紀)の17棟分の竪穴式住居跡や二重環濠の一部(幅2・6m、深さ60cm)を発見したと発表した。 住居跡の一つからは、赤色顔料の水銀朱やベンガラがまとまって見つかったほか、顔料加工に用いたとみられる土器製の鉢2点やガラス製の勾玉1点、小玉238点、さらに鉄・銅・骨製の矢尻などがまとまって出土した。 住居跡17棟のうち9棟で赤色顔料を確認したという。
 赤色顔料が入った鉢などが見つかった住居跡は縦5・8m、横5m、深さ60cm。中央に炉の跡があり、周辺には大量の土器などが散在していた。
 見つかった2点の鉢(縦39cm、幅26cm)は、焼成後の甕を縦に二つ割りにした1対で、それぞれの切削面が合致する。中には水銀系の赤色顔料が入っていた。
 焼成後の甕を切削して二つの鉢として利用した例は極めて珍しいという。当時、赤色顔料は祭祀に利用されたもので、見つかった住居跡には祭祀に使う品物をまとめて保管していたらしい。 交易などの形で朱を扱う集団の集落だった可能性があるとしている。
 現地説明会が23日午前10時から開かれる。
[参考:西日本新聞、共同通信、毎日新聞]
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松江市・西川津遺跡 弥生時代前期(約2300年前)の河川跡から木製農具が出土

2011年11月11日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターが10日、松江市西川津町の西川津遺跡で、弥生時代前期(約2300年前)の河川跡(幅6m以上、深さ1・5m以上)から、鍬や斧の柄などの木製農具計15点が出土したと発表した
 また、人工の溝跡(幅2m、深さ0・8m、長さ12m)も出土した。09年度の調査で見つかった溝とつながっており、総延長は30mになるという。 環濠集落だった可能性があるとしている。
 現地説明会は13日(日)午前10時30分から開かれる。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.7.14 西川津遺跡 弥生時代の溝が見つかる、環濠の可能性も
 2010.2.24 西川津遺跡 J字形をした1800年前のガラス製勾玉が初出土
 2009.1.14 西川津遺跡 弥生時代後期から古墳時代前期の卜骨が出土
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高島市・上御殿遺跡 古墳時代前期から中期の木棺墓1基とヒスイ製勾玉が副葬品として出土

2011年10月21日 | Weblog
 滋賀県県文化財保護協会が20日、高島市安曇川町三尾里の上御殿遺跡(かみごてんいせき)で、古墳時代前期から中期(3世紀末~5世紀)とみられる木棺墓1基(縦約3m、幅約1mで、深さは約35cm)が出土し、ヒスイ製勾玉(長さ約2・4cm)1個やガラス玉82個(直径約2~4mm)などの副葬品が出土したと発表した。 木棺自体は残っていない。
 ほかに、古墳時代の竪穴住居跡、奈良時代の倉庫跡、平安時代後期の大型建物などが見つかっている。
 現地説明会が23日午後1時30分から開かれる。
[参考:産経新聞、中日新聞、滋賀県文化財保護協会HP]

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宇治市・平等院鳳凰堂 本尊「阿弥陀如来坐像」の台座から見つかったガラス片に截金技法

2011年10月09日 | Weblog
 平等院は7日、鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝)の台座から見つかったガラス製壺の蓋に、金箔などを貼り付けて模様を表す「截金(きりかね)」という特殊技法が施された平安時代後期のガラス片が見つかったと発表した。
 截金は金箔を線状や三角、四角に細かく切り、漆と膠(にかわ)で貼り付けて文様を施す技法で、中国など東アジアで広く見られ、日本には7世紀頃に大陸から伝わり、仏像や絵画に使用された。法隆寺の玉虫厨子と四天王像の截金が最古の作例として知られるが、平等院では鳳凰堂の壁画にも用いられている。 これまでガラスへの截金技法は世界で確認されておらず、極めて貴重という。 調査した井上暁子東海大大学院非常勤講師(ガラス工芸史)は「蓋そのものを、舎利を入れる容器として使うために截金装飾をした可能性がある」とみている。
 平等院によると、2004~07年の「平成の大修理」で台座を解体した際、台座内部から鳳凰堂建立(1053年)頃の遺物など約800点が見つかり、このうち93点のガラス片を発見。その中から84点のガラス片を東海大や東京芸術大などの研究グループが調査した。マイクロスコープで観察した結果、ガラス製壺の蓋の破片6点に金箔が付着し、そのうち少なくとも3点に截金装飾されていることが確認された。中でも容器の蓋とみられる深緑色のガラス片は、高さ3.2cm、直径2.5cmで、描かれた金箔の文様は花の雄しべや雌しべとみられる。
 84点のガラス容器片の大半は約0・5~4cm角で、20種以上の容器の破片とみられる。色は青と緑が多く、50~55%の酸化鉛(注1)を含んでいる。ガラス片のほとんどが、ガラスを溶解させて、竿に巻き取り、息を吹き込んで形を整える吹きガラスの容器の一部で、高度な製法で作られている。 組成や技術レベルなどから10~12世紀に宋で製造された可能性が高い。 截金装飾は日本で施したと考えられる。 舎利壺か、堂内を飾った装飾具だった可能性もあるとしている。
 截金ガラス片は8日から来年1月13日まで平等院ミュージアム鳳翔館の「浄土の瑠璃-平安の煌(きら)めき」展で公開される。
[参考:京都新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、共同通信]

(注1) 下記2010-12-26 のニュースでは、見つかったガラス玉が酸化鉛を50~55%含む「カリ鉛ガラス」としているが、同じ材料か?

過去の関連ニュース・情報
 2011.6.7 平等院 本尊「阿弥陀如来坐像」胎内の銅片、鳳凰像の尾羽と判明 創建時に境内に鋳造場の可能性も
 2011.5.26平等院 本尊・阿弥陀如来坐像の台座から金文字の写経を発見
 2011.2.25平等院鳳凰堂 明治後期に流出した天井板が見つかり、菩薩像が描かれているのを確認
 2010.12.26 平等院鳳凰堂 本尊の台座から見つかったガラス玉3個が正倉院宝物と同じ成分組成
 2010.10.6 平等院 幻の本堂の本尊「大日如来像」の一部か
 2010.5.25 平等院鳳凰堂 平安時代中期頃の地層からサルスベリの花粉を発見 通説を遡る時代に植栽?
 2010.3.25 平等院鳳凰堂 国宝壁画「仏後壁」に描かれた舞楽は延喜楽と判明
 2009.1.24 平等院鳳凰堂・仏後壁(国宝) 極楽浄土図の全容が明らかに 藤原頼通も描かれる?
 2008.12.29 平等院 浄土院地蔵菩薩半跏像 南北朝期の作と判明
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金海市・大成洞古墳群 5世紀後半の竪穴式石槨墓から山字形金銅冠が出土

2011年09月27日 | 韓国の遺跡・古墳など
 大成洞古墳博物館は26日、金海市大成洞の大成洞古墳群(김해 대성동고분군)6次発掘調査で、11基を調査して73号大型竪穴式石槨墓から山字形の金銅冠(금동관)の一部が見つかったほか、大量の遺物が出土したと発表した。

主な出土品
73号竪穴式石槨墓
 大成洞古墳群南側に位置する竪穴式石槨墓(全長8.2m)で、5世紀後半の王陵と推定。
 山字形の金銅板で作った台輪と立飾の一部、耳環、甲冑と小さい小札を縫って作った鎧の札甲、鉄鏃群、轡、多数の土器類が出土した。

84号石蓋木棺墓
 紀元前4~5世紀の支石墓で、韓半島で最も古いガラス製の小型環玉(환옥)と首飾を初めとし、直径1.5~3.0㎜の藍色と淡い青緑色ガラス製環玉約600点が出土した。
 これまで、無文土器時代遺構で環玉が発掘された事例がなく、韓半島で最も早い時期の環玉という。
[参考:聨合ニュース、中央日報]

過去の関連ニュース・情報
 2011.8.25 大成洞古墳群 第6次発掘現場を一般市民に公開
 2011.4.14 大成洞68号墳 100年を遡る4世紀中葉の銀製品(鞍金具用銀製環2点)が出土
 2009.11.12 大成洞古墳群 4世紀後半の伽耶時代箭筒が出土
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福岡市・元岡古墳群G6号墳 「庚寅」年(570)と日付の銘が入った象嵌大刀出土

2011年09月21日 | Weblog
 福岡市教育委員会は21日、同市西区の「元岡古墳群G6号墳」(直径約18mの円墳、7世紀中頃)の横穴式石室から8月末に、19文字の銘文が入った鉄製の象眼大刀(長さ75cm)が出土したと発表した。 銘文入りの刀剣出土は全国7例目となる。 大刀には日付も刻まれており、わが国での暦使用を示す最古の文字資料としている。 朝鮮半島の百済から暦を導入したとする日本書紀の記述を裏付けるもの。
 大刀は表面が錆びているが、X線撮影で背の部分に19文字が、1文字5~6mm四方の大きさで約12cmにわたって刻まれていることが分かった。 表面を細い溝で刻み、中に金か銀を埋め込む象嵌技法により文字を作っていた。 日本製の可能性が高いとみられる。
 刻まれた文字は、「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果■」(■は「練」の可能性)。
 年号の干支を示す最初の「庚寅」年のうち、「正月六日」が庚寅の日なのは、古墳時代では570年のみ。
 意味は、「570年1月6日に刀を作った。およそ12回鍛錬した」と読める。
 日本書紀には、
□ 欽明天皇十四年(553)六月 遣内臣〈闕名。〉使於百濟。仍賜良馬二疋。同船二隻。弓五十張。箭五十具。勅云。所請軍者。隨王所須。別勅醫博士。易博士。暦博士等。宜依番上下。今上件色人正當相代年月。宜付還使相代。又卜書。暦本種種藥物可付送。
□ 欽明天皇十五年(554)二月 百濟遣下部杆率將軍三貴。上部奈率物部烏等乞救兵。仍貢徳率東城子莫古。代前番奈率東城子言。五經博士王柳貴代固徳馬丁安。僧曇惠等九人代僧道深等七人。別奉勅貢易博士施徳王道良。暦博士固徳王保孫。醫博士奈率王有悛陀。採藥師施徳潘量豊。固徳丁有陀。樂人施徳三斤。季徳己麻次。季徳進奴。對徳進陀。皆依請代之。
 と、記されている。
 すなわち、553年に百済に暦博士の派遣を要請、翌554年に、暦博士・固徳王保孫が来日する。 この時にもたらされた暦は、中国・南北朝時代の宋で作られた元嘉暦(げんかれき)」とみられる。
 元嘉暦は、5世紀の雄略天皇の時代から既に使われていた可能性も指摘されている。 今回の大刀に書かれた「庚寅正月六日庚寅」のうち、570年と1月6日の干支が「庚寅」というのは、いずれも元嘉暦と一致する。
 暦博士の来日後、十数年にして元嘉暦が普及したことを確実に示す極めて貴重な資料という。
 横穴式石室から大刀のほかに、水晶やガラスの玉類、金銅製の耳環なども見つかった。
 ほかに6号墳では、古墳時代では国内最大級の銅鈴(全長12cm)や鉄矛も見つかった。
 市民向け現地説明会が23日(金)午前10時~午後1時に開かれる。
 大刀は9月28日~10月9日、福岡市博多区の市埋蔵文化財センターでも展示される。
[参考:共同通信、時事通信、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、聨合ニュース、福岡市HP]

備考
 この大刀が作られた570年前後の百済・金石文として、2点を参考に記す。
① 韓国・陵山里寺址から出土した「百済昌王銘石造舎利龕」には、「百済昌王十三季太歳在丁亥妹兄公主供養舎利」と刻まれている。 百済昌王(威徳王)13年(567年)の時に作られたことがわかる。 改元は立年称元でなく、踰年称元をとっている。
② 韓国・王興寺址から出土した、青銅舍利箱本体には、「丁酉年二月十五日百済王昌為亡王子立刹本舍利二枚葬時神化為三」と銘が刻まれていた。 丁酉年は577年に当たる。

過去の関連ニュース・情報
 2010.7.3 元岡古墳群で7世紀初頭の装飾付圭頭大刀など出土
  この時は、G1号墳(方墳)から7世紀初頭の製作とみられる装飾付きの大刀が出土した。

追記
2011.10.6 聨合ニュースが指摘、「三寅(さんいん)剣(삼인검)」
 (注) 「三寅剣」は、中国では、古代思想に言う人間に害をする三寅(虎・豹・狸(猫))、を収める力を持つ剣、という意味があり、すなわち魔よけの剣のことである。
 韓国では、年・月・日あるいは月・日・刻の3つがすべて寅の時に作られる大刀を意味する。 また、年・月・日・刻すべてが寅の時に作られる大刀は「四寅剣」という。 特に新年最初の寅の日に効果が最も効果が高いらしい。 ただし、「三寅剣」「四寅剣」とも朝鮮時代に盛んに作られたものであり、570年頃に当てはまるかどうかはわからない。

2011.12.9 X線CTスキャナーで立体化した画像を公開
 象嵌大刀をX線CTスキャナーで立体化した画像が公開された。
 文字を立体的に見ることで、彫った字にどの順番で金属を流し込んだかが分かる。 刃と柄の形も分かった。
 画像データを基に、石膏製の復元レプリカ(全長73cm、幅2・5cm、厚さ7mm)を作製した。
 CT画像とレプリカは、同市埋蔵文化財センター(同市博多区)で12月10日~来年4月1日まで公開する。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]



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熊本市・冨重写真所 国内最古級、開業145周年を迎える

2011年09月08日 | 小泉八雲
 江戸時代末期に開業し、営業を続ける写真館としては国内最古級とされる熊本市新町の「冨重写真所」が今年で開業145周年を迎える。
 冨重写真所は、国内初の写真家(写真師)として知られる上野彦馬(1838-1904)に師事した福岡県柳川市出身の冨重利平(1837-1922)が、1866年に地元で開業し、1871年、明治政府からの招きを受けて熊本に移転(注1)した。
 西南戦争(1877年)で焼失する前の熊本城の天守閣を撮影(注2)しており、熊本市が1960年に熊本城を再建する際に参考資料とした。 西南戦争で写真所は焼失したが、写真機材、ガラス原板を持ち出し、貴重な機材や記録はその後も代々大切に引き継がれてきた。 焼失した年に再建された木造2階建ての建物は、現在も店舗として使われており、2006年に国の登録有形文化財に指定された。
 保管している写真には、89年の第五高等中学校(現在の熊本大)の正門、また、同中学校を前身とする旧制五高で教壇に立った小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(注3)や夏目漱石(注4)、日露戦争の第三軍司令官・乃木希典将軍(1849-1912)ら数々の肖像写真も残されている。
 開業145周年の記念展が9月9日(金)より熊本県伝統工芸館(熊本市)で開かれる。10月2日まで。
[参考:読売新聞、熊本県伝統工芸館HP]

(注1) 1870年熊本県玉名市で開業、同年熊本市新堀町で開業の後、翌1871年現在の熊本市新町で開業した。
(注2) 1871年(明治4年)にエドワード・モースが撮影したものも残っている。
(注3) 小泉八雲(1850-1904)は1891年(明治24年)11月、熊本市の旧制五高の英語教師として赴任し、1894年(明治27年)10月までの3年の間熊本に住んだ。 1891年1月にセツ夫人と結婚し、よく本の中に使用されているセツ夫人と揃って撮った写真が残っている。(1892年の撮影となっている。)
(注4) 夏目漱石(1867-1916)は1896年(明治29年)4月、熊本市の旧制五高の英語教師として赴任し、1900年(明治33年)5月、文部省より英語研究のため英国留学(10月から)を命ぜられ、7月に帰京するまでの、4年3ヶ月の間熊本に住んだ。
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南あわじ市・里丸山古墳群 古墳時代後期の古墳9基を新たに確認

2011年08月26日 | Weblog
 南あわじ市教委は25日、湊地区を見渡す丘陵地に位置する里丸山古墳群(さとまるやまこふんぐん、同市湊里)から古墳時代後期(6世紀末~7世紀後半)の横穴式石室などを持つ古墳9基を新たに確認したと発表した。昨年度の発掘調査で古墳2基(1、2号墳)が見つかっており、計11基が確認された。
 
 9基の古墳の規模は直径4、5m~11m。 古墳の形状は、開墾などで地表部が削られており、3号墳(直径6mの円墳)以外、判別できなかった。
 時代が最も新しいのは6号墳で、この古墳だけ竪穴式石室(幅50~60cm、長さ90~95cm)が2つ残っていた。 被葬者の遺骨だけを埋葬した可能性が高いという。 他の8基は石を積み上げて「コの字形」の壁をつくる横穴式石室だった。
 中でも、最大の7号墳(直径11m)は長さ3・5m、幅1・2mの横穴式石室を持ち、唯一、床面に石が敷き詰められていた。石室から銅製の耳環やガラス玉、鉄器、須恵器などの副葬品が出土した。土器の形状から6世紀末に築造した後、7世紀中ごろと同後半に追葬したとみられる。
現地説明会が27日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:毎日新聞、朝日新聞、読売新聞]
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高松市・萩前・一本木遺跡 古墳時代から奈良時代にかけての大規模集落跡が見つかる

2011年08月19日 | Weblog
 香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)町の萩前・一本木遺跡(はぎのまえ・いっぽんぎいせき)の発掘調査で、古墳時代から奈良時代にかけての大規模な集落が見つかった。
 市教委は2008年度に試掘調査を実施し、これまでに竪穴建物12棟、掘立柱建物7棟、数百点の遺物を確認した。多くが古墳時代後期~飛鳥時代(510~610年頃)の建物という。
 中には、奈良時代のものと思われる縦70cm横60cmほどの柱穴の大型掘立柱建物跡が見つかったり、当時都で流行した器などを似せて作った土器やガラス玉なども出土した。 古代道・旧南海道跡に近いことを合わせて考慮すると、付近に郡衙などの公的施設が存在した可能性があるとみている。
 現地説明会は、20日(土) 午前8時半、9時、9時半からの3回開かれる。
[参考:四国新聞、読売新聞、毎日新聞]

2011.8.21追記
 現地説明会に300人が訪れた。[参考:毎日新聞]

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桜井市・談山神社 第2次世界大戦の空襲でご神像を守った防空壕跡が見つかる

2011年08月11日 | Weblog

写真左は談山神社本殿(拝殿より写す)  写真右は左に本殿、右に拝殿

 桜井市の談山神社と同市教委は10日、先の大戦が終結する昭和20年、空襲に備えて鎌足公御神像を納めたとされる防空壕と木箱が見つかったと発表した。
 防空壕は本殿床下から見つかり、東西2・2m、南北2・1m、深さ1・8mの大きさで、内部に東西1・2m、南北1・7m、深さ1・7mの木箱(コウヤマキ製)が埋まっていた。 蓋は外して床下にあった。
 同神社の記録には、20年8月1日に仮の施設(防空壕)が完成、翌2日に神像を移し、終戦後の9月16日に本殿に戻されたことが記されている。
 発掘調査では、古代の創建を考古学的に初めて明らかにする平安時代初期の瓦片や室町時代や江戸時代に本殿を建て直した際、土地の神を鎮める儀式に使われたと見られる仏具や鏡、それにガラス玉なども出土した。
 出土品は、同神社拝殿で9月30日まで展示される。
[参考:産経新聞、共同通信、MBS毎日放送、NHK]

2011.9.1追記
 2011.8.10のニュースでは、鎌足公御神像を納めたとされる防空壕と木箱が見つかった本殿床下から、古代(奈良から平安時代初め)から近世までの瓦や地鎮具などの遺物が出土した、と報じられていた。
 65年前に防空壕を掘った際、銅鏡や五鈷杵(ごこしょう)などが発見されており、それが室町時代のものと判明したとしている。
 また、今回、出土したのは、江戸時代の密教法具「輪法」、ガラス玉、奈良~平安時代の瓦、銅製の釘や玉など。
[参考:毎日新聞、広報「わかざくら」平成23年9月号・桜井市発行]
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奈良市・興福寺 南大門跡から一昨年出土した壺の鎮壇具が「筬目」のある薄い絹織物で幾重にも覆われていた

2011年06月21日 | Weblog
 奈良文化財研究所の調査で、興福寺南大門跡で2009年11月に出土した奈良時代(8世紀前半)の地鎮に使う須恵器の壺(口径18.7cm、高さ15.5cm)に入れられた「鎮壇具」が、非常に薄い絹織物で、古墳時代に副葬品の鏡などを包んだ「筬目(おさめ)」がある織り方で幾重にも覆われていたことが分かった。
 同研究所が慎重に中を調べたところ、絹織物の破片7点(いずれも数mm程度の大きさ)を確認。1枚ずつ和同開珎やガラス玉を覆っていた。
[参考:奈良新聞]

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 2010.6.15興福寺 南大門跡から出土した鎮壇具の壺から魚の骨が見つかる
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平等院 本尊「阿弥陀如来坐像」胎内の銅片、鳳凰像の尾羽と判明 創建時に境内に鋳造場の可能性も

2011年06月07日 | Weblog
 平等院(京都府宇治市)は6日、本尊・阿弥陀如来像(国宝)の胎内にあった銅の塊(最大長約5cm)と、銅の板片(同約10.6cm)の金属組成の分析結果を発表した。
 蛍光X線分析装置を使って分析したところ、塊と板片は組成は別であるが、ともにヒ素を含んでおり、銅とヒ素の分離精錬が始まる慶長年間(1596~1615)以前の鋳造という。
 銅の破片は、細長い銅板3枚を錨留めしたもので、1954年代に坐像修理時に胎内から見つかり、包んであった紙の記述から、江戸時代前期、寛文年間(1661~73)の修理の際に収められたとされる。 屋根を飾る北側の鳳凰像(国宝、高さ約98cm、幅約34cm)の尾羽の一部で、創建時のものではとみている。 鳳凰像は1053年完成の鳳凰堂の屋根に南北一対で据えられていた。現在のものは複製。
 塊は鋳造時の残留物とみられ、創建時に境内に鋳造場を置いた可能性があるとしている。
 銅の塊と板片は8日~7月24日、サントリー美術館(東京都港区)で始まる「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」展で展示される。
[参考:共同通信、京都新聞、朝日新聞、毎日新聞]

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