愛しい男と、初夏の宵のデートを楽しんできた
などと書くと、何ごとかと思われるだろう。
落語である。
寄席である。
愛しの桂歌丸師匠の落語を聞きに行った。(歌丸さんを好きだというと、笑われたりするのだが~。なんだよ~、素敵だぞ~♪文句あるか~)
4chの「笑点」の司会でおなじみの歌丸さん。あの艶々と頭のてっぺんがきらめいた、ひょろっとした御仁である。それほど「笑点」をかじりついて見ていたわけではないのだが、(馬面の(笑))円楽師匠が司会をしていた頃から、歌丸さんのシニカルな答えが好きだった。円楽師匠が引退され跡の司会を歌丸さんが継いでしまったので、歌丸さんの回答がもう見れなくなってしまって残念に思っていた。
そんな折、TVでふいに歌丸さんが真面目に(笑)落語をやっているのを目にした。その佇まいといい、口調の小気味よさといい、あぁこの人は本当に良い噺家さんだなぁと感心しきり。それ以来、生で見たくて気にしていたら、ご病気で倒れるというハプニングもあり、これは急がないと死んじまう(←おい)とようやく念願かなった今回の寄席なのである。
下町の区民ホールでの寄席。
1300名ほど入るホールはほぼ満席か。年齢層はやはり高い。(笑)
平均年齢50代半ばのような感じ。私のような若い(?!)お嬢さんが一人で来ているのは珍しい。大体カップルか、家族連れ。気取りがなく、どこががさついた感じもあり、洗練されてはいないけれども、こういう気楽さが落語の持つ雰囲気なんだろうねぇ、と思う。演劇ともクラシックとも、ダンスの公演なんかとも違う空気感。開演まで、お囃子がてんてけてけてん、と流れている。下町ビート(笑)。
歌丸さんと春風亭小朝さんの二人会ということだったので、二人だけなのかしらん?と思っていたら、落語ってのはそういうもんじゃないのですね。それぞれの前座がちゃんといる。瀧川鯉斗さんという方が歌丸さんの前座だったのだが、申し訳ないが聞くに堪えない。一生懸命やっているのは分かるのだが、やはり上手い人と新人さんの違いというのは、声とか間とか、あらゆる所で出てしまうものである。マイクのせいもあるのかもしれないが、余りに声を張り上げすぎると、声がぼやけてよく聞き取れないのだ。私はもともと聴力が人の半分くらいしかないから、尚更聞こえないのだろうけれど。
だが、落語の客ってのはいいもんである。下手なんだけれども、結構笑っている。上手い人の前座で頑張ってやっていくことによって、芸人がちゃんと育っていくのだね。その過程を、落語の客というのは温かく見守っている。まぁ、年齢層が高いこともあるから、20代の男の子が一生懸命落語をやっているのを見ると、オバサマ方などは「かわいい♪」という目で見ている(笑)。ワタクシ個人としては、これに金は払いたくないぞと思うのだけれど、これが落語のあり方なんだなぁとある意味感心する。
さて、歌丸師匠。
いや、見事である。惚れ直します。生で拝見するのは初めてだが、TVより一層細く、頭ばっかりでかく、火星人みたいである。入って来たときあんまり元気がなくて、大丈夫かしら?とちょっと心配してしまったものだが、一度高座につけば、立派なもんである。
「
井戸の茶碗」というお話をやってくれたのだが、実に楽しかった♪歌丸さんの声の通りも好きであるし、話し方そのものも好きである。加えて、彼が話しながら時折、前に出されている湯のみ茶碗の蓋をそっと開け、すすっと綺麗な所作でお茶をすするのも好きである。その「すすっ」の音まで小気味良い。話している途中で暑くなって羽織を脱ぐこともあるが、羽織紐を片手で綺麗に解き、両手で一度袖をピンと張ってから、さっと一気に後ろに脱ぐ。お話の途中なのだから、客の注意がそっちにいってはいけない。あくまでも、自然な流れで。他の噺家さんだって、無論同じような所作でそうする。だが、ワタクシはなんといっても歌丸さんの所作が好きである。実に、美しい。茶道の手前を見ているような気持ちになる。
実際、今日だって話も楽しみにしていたのだが、お茶をすするのが見たいのと、羽織を脱ぐところが見たかったのである(笑)。嗚呼、期待通り。嬉しい♪(←どんだけフェチやねん?)あの細く綺麗な指で、湯飲みに手を伸ばす優雅さ。湯飲み茶碗になりたい♪(←ばか)
演目は知らなかったのだが、歌丸さんがやってくれたのが「井戸の茶碗」ということで、これは茶道の名器が絡む話である。偶然だけど。歌丸さんを見ていると、茶道の所作をつい思い浮かべてしまう。この人は茶道をやってもきっとお上手だろうなぁ。お話も可愛らしい、ふふふ♪と笑みがこぼれてしまうような話。
小朝さんの前座は林屋木久蔵さん。(お父さんの木久扇さんが笑点に出てますね。黄色い着物の人。まだ木久扇さんが木久蔵さんだった頃のサインが家にはなぜかある(笑)景品で当った(爆))
木久蔵さんも声はでかいけど、通りが悪く、まだだなぁという感じである。頑張ってはいるけれど。焦ると人は急いでしゃべっちゃうもんである。でも「間」って大事なんだよねぇ。それも客の呼吸を捕らえた「間」でないと。
さて、トリは小朝さん。離婚騒ぎで大変だったけれど、ねぇ、頑張ってますねぇ。小朝さんもお上手だが、彼の場合、とっても「モダン」という印象がある。演目は「牡丹燈籠」。いやね、最初知らなくてね。落語の演目なんて知らないものだから、聞いていたらどうもお化け話だし、なんだか「牡丹燈籠」に似ているなぁなんて思っていたのである。しっかり、牡丹燈籠でした(爆)。
ちょうどお札を剥がすまでの段のお話で。しかし、下男がお金を幽霊からもらって、新三郎の家のお札を剥がす手伝いをしちゃうって、ひどいなー(笑)。金で主人を売っている。死んじゃうのに。小朝さんは演技派なので、一人何役もの男女を、うまいこと演じ分けていた。幽霊のおつゆさんの駒下駄の「からん、ころん~」なんて音を、絶妙に声でエコーかけて演じていて、なかなかであった。
そうか、もう夏なんだなぁなどと、このお話を聞いて思わせられた。こうした季節の移ろいへの配慮が、いかにも和風で心地良い。
落語というのは、実に面白いものである。以前に一度落語好きな知人に連れられて行ったことがあり、その時は人情物でホロリとさせられた。それくらいから、ちょっと落語を見直したというところだろうか。落語のことはよく知らないから、今よりも前の噺家さんの芸は全く知らない。が、今のところ歌さんに惚れこんでいる♪この人はもともと横浜の置屋さんの息子であるから、幼少の頃から婀娜な姐さんたちを肌で知っているのだろう。なんとも艶っぽいその所作は、一朝一夕でできるものではない。歌さんの話芸、醸しだす雰囲気。好きですねぇ…。
そして、しみじみ思うにつけ、落語ってのは難しいものでもある。落語というのは、何も舞台にない。高座に座布団一つ。身一つ。小道具はせいぜいが扇子と手ぬぐい。これだけで、一人何役も演じ分けなければならない。特に動くわけでもないし、上半身だけで演じ分ける。扇子と手ぬぐいだけで、戸を叩いてみたり、蕎麦を食ってみたり。新人さんがやると、この舞台に広がりがなかなか出ない。演じ分ける「間」も微妙にまずかったりする。ところが、上手い人がこれをやると、ふわぁっとそこに空間の広い舞台が出来上がる。女将さんと手代だったり、お侍様とどこぞの姫様だったり、話によってそれぞれだけれども、ちゃんと映画を見ているかのように情景が眼前に映ってくる。見事なものだなぁと感心。この情景が立ち上ってこないようでは、やはりいっぱしの噺家とは言えないのだろうなぁ。
話の筋が仮に分かっていても。
上手い噺家さんなら、絶対に笑えるし、泣けるだろう。何度でも。
歌丸さんは、実に素敵な噺家さんだった。ご高齢だけれども出来る限り(無理はしないで欲しいけれど)高座に上がって欲しいし、そんな彼の姿を出来るだけ生で見たいものである。
落語ってのは、見事な芸事だね。
感服。