Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

Belle de Nuit

2006-08-31 | Weblog
訳したら、「夜の美女」というところだろうか。
ある花の名前である。

夕方から花を開くのでこの名があるそうだ。
調べた所、夕方の4時頃から咲くから英語では"4 o'clock"という異名もあるそうだ。

可憐な花を想像するが、実は和名で「オシロイバナ」と呼ばれる花のことである。
そもそもこれを調べる事になったのは作業していた翻訳文献にMirabilis社という、コンピュータでインスタントメッセンジャーなどの開発を扱う(←確か。うろ覚え。)会社のことが載っていたからである。

Mirabilis社の表記が邦訳で通常どうなっているのかをネットで調べていたら、ハーブ関連のページに行き当たって、それがオシロイバナのことであるのが分かった。ミラビリス。ラテン語で不思議な、素敵なという意味だそうである。なんだか幻想的な花を想像させないか?オシロイバナというだぼっとした感じより、かなり格好いい(笑)。和名の由来はオシロイバナの種子の中のでんぷんが女性の「おしろい」のような質感を持っているからだそう。別名「夕化粧」。こちらの方が艶っぽいのに。

自宅の近くにかつて通った幼稚園があるのだが、その生垣のところにこのミラビリスが咲いている。本当に夕方咲くのだろかと、このことを調べてから気にかけていた。今日たまたま出先から夕方に戻ってくると、鮮やかに花開いていた。時間は午後6時に近かった。

本当だ♪

濃いピンク、黄色。
きゅっと空に向かって咲いている。
あちらこちらに黒い種が見える。

幼い頃、夢中になって種を摘んだ。
この花がさほど好きなわけではなかったのだが、私は花の種を摘むのがとにかく好きなのだ。結構生命力のある花と見え、夏ともなればあちらこちらに見かけるし、育てるのも難しくなさそうだ。しかもこの花、どうやら8月1日の誕生花であるらしい。・・・。わしの誕生日じゃん(笑)。ご縁があるのねぇ・・・。

ミラビリスは根を下剤、利尿剤としても使うらしい。その後に、中南米では媚薬としても使われる、と。下剤、利尿剤の効果があって、媚薬?咄嗟に思いついたのは「スカトロですか?」という一文だった(爆)。ちょっと自分でもヤバイと思った(笑)。

何はともあれ、Mirabilis、Belle de Nuit、夕化粧。
随分と、綺麗な名じゃないか。
(あ、でも中国語名はお国柄が出ていて笑える。意味はお風呂時の花、夕飯時の花。色気ねぇなぁ(笑))

色々と物知りになった。
ありがとう、論文。(←言ってみる。ちょっと前向き。)


秘め事

2006-08-31 | Weblog
向田和子の「向田邦子の恋文」を読んだ。大変薄い単行本である。

ほぼ毎年、新年に放映される向田邦子のドラマの世界がとても好きだった。大抵、小林薫や田中裕子の出演している、大事なトコロで言葉の足りないいかにも日本情緒漂うしっとりとした昭和初期頃の人間模様。父権の喪失、などという言葉からは程遠い世界がそこにはある。

その大好きなドラマの原作者が向田邦子という人だと知ったのは、そんなに昔のことではない。私はドラマから原作に入っていった口だが、それはある意味正しかったのだろう。彼女は元々脚本を手がけていた人だったのだから。

「秘め事」と呼ぶに相応しい恋の顛末。
それを「恋」と呼ぶには余りに苦く、深い。

冒頭、邦子と恋人の往復書簡がそのままの形で書き写されている。
目にした時、なにやら申し訳ない気がした。書簡というものは、本来第3者に公開されることを意図していないものだ。見ていいいのか?そんな思いがよぎった。覗き見をしているような申し訳なささが喉元までせりあがってくる。

しかし、それほど際どい事が書いてある恋文ではない。露骨には酔っていない。寧ろ淡々としている。だからこそ、怖ろしいほど多忙な仕事の合間を縫って、邦子が病身の彼を見舞う姿には舌を巻く。目玉が落ちそうなほど疲れているのにもかかわらず、病身の彼を励まし、笑いを運ぼうとしている。いじらしい。そして、いじらしければいじらしいほど、居た堪れないような哀しさが漂う。

寝る間も惜しんで、彼の為に料理を作っている邦子。夜中に彼の家を後にし、自宅に戻る。泊まっていく事は書簡を見る限りではない。一方、相手の男の手紙は非常に淡白だ。これが邦子の手紙と対になって紹介されなければ、二人が恋仲だとどうして信じられようか。つまらぬ男だと思う。その日に買ったものなどを詳細に記録している。私は当時の物価を知ることができて為になったが。そしてこの男はきゅうりやトマトを食べることが好きだと食事のメニュー記録で読み取ったりしたくらいのものだ。

「つまらない男」という私見が覆されるのは、中盤以降である。邦子の若かりし頃の写真が掲載されているのだが、この写真がべらぼうに美しい。私の知っている邦子は50代位になってからのものばかりだったから、この人はこんなに美しい人なのかと衝撃を受けた。くっきりとした眉。ぽっちゃりとした鼻。細い目。けれども凛とした光が灯っている。意志の強そうな、けれども周りをなぎ倒していくのではない、静かな強さをたたえた表情。

誰がこれらの写真を撮ったのかと思って、作中を探した。出版社の所蔵ということになっている。ところが、本を読み進むにつれて、一つの事実につきあたる。かの恋人なのだ。これらの写真を撮ったのは。

嗚呼。
こういう写真を撮れる男であるならば、邦子は彼を愛したろう。そして明らかに彼も邦子を愛していたろう。そうでなければ撮れない種類の写真なのだ、これは。

この写真を見て、私は男が「つまらない男」ではなかったのだということが分かった。彼女が魅かれるだけのものを秘めた男だったのだ。

しかし、二人の関係は哀しい顛末を辿る。この本の末尾に掲載されている漫才師の文も非常に秀逸である。この漫才師もまた柔らかな感性を持った人だとも思う。たったこれだけの書簡からこれほど奥行きのある思いを、しかも異性の、読み取れるというのはなまなかなことではない。

ただ、一点、私は彼と同意しないところがあった。
邦子に一言も告げず、恋人は去る。
漫才師はそれを、邦子という人間に対する全否定と彼女は取ったろうと解釈していた。だからこそ、邦子は貪欲にその後も生を謳歌しようとするのだ。それは彼に対する復讐のようでもある、と。

それは違うと発作的に感じた。復讐では、有り得ない。
全否定、とある時期は彼女もそう思ったかもしれない。けれども、彼女を全否定したかもしれない彼さえも、彼女はやがて包み込み愛し続けたに違いない。そうでなければ、書簡を何十年も密かに取っておくような事はしない。邦子は家族にさえ、この「秘め事」に関する恨みも辛みも一言も洩らさなかった。突然の航空機事故にて彼女が急逝し、死後十何年経って初めて妹の手によって事の顛末が明るみに出されたのだ。

恋人に関して言えば、私は彼は邦子を全否定しての事の決断ではなかったのではないかと推測する。単に何かが「抜けた」のだ。抜けてしまったのだ。多分それは、見上げた空がとてつもなく高く青かった。そんなことがきっかけではなかったのだろうかという気がうっすらとする。彼はおそらく幸せだったのだ。「幸せ」だから、あぁ、もう十分だと感じたのかもしれない。最高に幸せな時のままフリーズドライにして、止めておきたかった。なぜだか、私にはそんな気がする。

妹、和子の邦子に対する愛情も深い。邦子の人となりは彼女の作品を読み、またこの「恋文」とその背景を知れば自ずと知れることだが、ある挿話が端的に邦子と言う人を表している。まだ戦後まもなく食に事欠くような時代に、自分の好物の南京豆を一握り、妹は姉の邦子に渡す。

「おねぇちゃん、コレあげる。」

邦子は後々その時に思ったことを、妹に告げる。
「なんてあんたっていい子なんだろう、その時そう思った。それ以来、あんたのことをずっと『いい奴』って思ってるのよ。」

なんてぇ、姉だろうか。春風のようにそんなことをつらと口にする。こんなことを言われたら妹とは言え、その人柄に惚れないわけにはいかないではないか。妹が凹んでいる時に、そうやってちゃらっと何気なく褒めて心を温かくする。嗚呼、姉さんというものの本質がここにある、そう思った。

やっぱり、姉さんはいい。
年齢が上だとかそういうことではなく、気性が「姉さん」なのだ。


ほんの薄い単行本である。
けれども、邦子という人柄の奥深さ、度量の広さ、そして枯れることのない愛情に溢れた一冊であった。


是非とも、手に取られる方は、いくらか向田邦子の著作を読んでからこの本を手にして欲しいと思う。そうであって初めて、向田邦子という一人の女性が、文字に「書かなかった」思いが例えようもない重みを伴って私達の胸に響いてくる一冊である。



摘む

2006-08-30 | Weblog

二人暮しには多すぎる量のお土産を抱えて、父が帰ってきた。
中に「ひよこ」の箱がある。

ひよこ・・・?

「なんでひよこがあるの?」
「土産を忘れたから(後ほど宅急便で私が送りましたが)途中で買ったんだ。」

あぁ、なるへそ。
一瞬、うろたえたではないか。余りにシュールなギャグかと思った。

しかーし、父。
帰ってくるなり、あちこちチェックしてはお小言。
重箱の隅をつつくような、大変「繊細」な気のくばりようで。
へぇ、ありがたいことですなぁ・・・

そして。
私も帰ってきたばかりで、一息もついていないのに早速用事を言い付かった。

それは、枝豆。新聞紙で包まれた。

「枝豆、摘んで。」

枝になっている枝豆を見たのは久しぶりだ。ちょっと嬉しい。

扇風機の前で新聞紙を開いて、邪魔する猫を押しのけつつ床に胡坐をかいて、摘む。(←女の子は真似しちゃいけませんヨ)売り物用ではないので形は不ぞろいだが、新鮮な豆の青々しい香りがする。

ぶつっ、ぶつっ。
両手で掴みきれないような枝の束。
一つずつ、摘む。

面倒がって二つ一度に摘もうとすると、なかなかに難しい。
結構しっかりくっついているものだ。

ひたすら、豆を摘む。
笊にてんこもりの枝豆。

固めに茹でて、氷水で冷す。
茹でると部屋中に豆の香りが広がった。(青臭いとも言う(笑))
そして先日友人にもらったフランスの塩とやらをふりかける。


誠に美味なり♪


夏の名残りの香。






二時半

2006-08-30 | Weblog
明け方の二時半。
虫の声が不意に止まった。

明日は打ち合わせに出なければならないのに、眠れない。
眠れないのはいつものことだ。

焼酎の水割りを作って、居間でうつらうつらしている猫の背をなでる。
部屋に戻り、思い立って長らくつけていなかった黒いインドのピアスを取り出した。
留学先を去る際、仲の良かった友達が餞別にと送ってくれたものだった。
彼はピアスのついていた台紙に"Keep Smiling"と美しい文字で書いてくれていた。
今でもその台紙はシステム手帳のポケットに入れて大事に取ってある。
彼は当時私が笑える状況にはないことを知っていた。それでも言ったのだ。
「笑っていろよ。」と。
今年中には彼にもきっと会える。

飾りのついたピアスをつけると、段々と耳が痒くなってくる。ある時、開いた穴が膿んでしまってそれ以来、金属に被れるようになってしまったので通常はつけられない。
でも、今日は。
なんとなくつけてみたくなった。
部屋にはゼラニウムのアロマが満ちる。

また思い立って、今度はもう何年も仕舞われていたトゥ・シューズを奥の方から出してみた。爪先にいれるパッドが見つからない。アレがないと、痛くてとても履けたものではないのに。それでもむりやり我慢して履く。サテンのリボンの結び方を忘れてしまったろうか。いや、不思議なものだ。手にすれば思い出す。巻きつけて端をリボンの中にしまう。

鏡の前でトゥで立ってみる。
痛い。痛すぎる。(笑)夜中に何をやっているんだ。
初めてトゥシューズを履けた時の喜びを思い出す。
あの頃は毎週真面目に通っていた。大人になってからはじめたから決して上手くはなかったが、3年後くらいにトゥシューズを許された時の喜びといったらなかった。爪の裏に血が滲んで見るも無残になった。でも、そうやってバレリーナは皆ポワントをこなしていくのだ。

鏡の前で余りの無様さにくすくす、と苦笑する。
何事も続けなければ意味がない。
一日一時間でも、それを例えば20年続けることがどれほど困難か。
ある時、そう言った人がいた。

再びトゥ・シューズをしまい、焼酎をちびりとやる。


虫が一声長く、リィーっと鳴いた。


鱗雲

2006-08-29 | Weblog
空を見上げれば、たなびく鱗雲。
「嗚呼、夏よ、お前も往くか」
なんて気分になる。

昼間の公園にはまだ子供が遊んでいる。
天道虫型の遊戯施設の周りには、少し年長の(小学校高学年か中学生くらいか)子供たちがたむろしている。あと数日となった夏休みを満喫しているのだろうか。

まだまだ暑いとは言え、夜になれば虫の声があちらこちらから響いてくるようになった。
朝夕も随分と涼しくなる。
夏が往く。

先日あった友人がふと空を見上げて言っていた。
「今年は夏らしい雲を見なかったなぁ。積乱雲を見なかった気がする。」

いつのまにか空には鱗雲。
ベランダには去年もらったペチュニアの種が無事に花をつけ、色とりどりに咲いている。
そうそう。「咲」くという字は元々「笑」の意味だったとか。笑顔というのは花がほころぶ感じに似ている気がする。なるほどと思う。


秋の足音が、もうそこまで来ている。


ふぅ。

2006-08-29 | Weblog

ようやくとりあえず肩の荷が降りた。
お仕事終了。

いや、終わっていたけど見直しが嫌でただただ引き伸ばしていたに過ぎない。(笑)
もう、面倒臭くなったから送ってしまえ~、って感じで先ほど終了。
意味不明の日本語の羅列。

そして、静かな日々も今日で終了か。
かなしひ。

ニシノユキヒコの見当たらない冒険

2006-08-26 | Books
川上弘美の新刊をたまたま本屋で見かけたので購入した。
「ニシノユキヒコの恋と冒険」。買ったその日にさくっと一日で読んでしまった。

ニシノユキヒコは女たらしである。繊細で優しくて、「女が自分でも気づかずにそうして欲しい」と思っているようなことを自然に汲んで行動してしまう男である。けれども彼の優しさはどの女性に対してもであるので、やがて女たちは去っていく。

ニシノユキヒコの人生の様々な時間を共有した10人の女性の視点から、彼を描いた作品。相変わらず、川上テイストである。それぞれ、呼び名が西野君であったり、ニシノであったり、幸彦であったり、ユキヒコであったり。なるほどなぁ、と思う。

本屋でPOPを見かけたところ、そこにはこんなことが書いてあった。
「ニシノ君は危険です。気をつけないと好きになってしまう。」

読み終わって。そうかぁ?と私は思った。女性が惹かれるのはなんとなく分かる。確かにツボを捉えている男であるからして。しかし、どちらかというと私は最も嫌いな、容認できない資質を持っている男だなぁと思った。何しろこういう男と私は付き合ったことがかつてある。こういうどうしようもない男ほど、女心には長けているんだよなぁ(苦笑)。だからこそ、この手の男に二度も時間を費やすほど暇じゃない。

ニシノ君は真面目に
「どうして僕はきちんと女の人を愛せないのかなぁ。」と付き合っている女に問いかけてしまうような男だ。

一生、悩んでろよ!(←実際彼は一生悩んだ)
それでも、どの女たちも母性のごとき愛情でこの男を、根のところでは許している。そこにアグラをかいているから、私はこのニシノという男がどうしても好きになれないのだ。去っていく女たちが見切りをつける過程は尤もであり、それは別れるしかないだろうと思わせるに十分なニシノ君の性質なのだ。

しかも、彼はいやらしいことに自分から別れ話をしかけたりはしない。自らは変わらず、(或いは変わり方を知らず)女が少しずつ諦めて、距離を置き、離れるしかないと決意するまで捨てられた子犬のような瞳をして見守り続ける。挙句の果てに「彼女達は皆僕から去ってしまう。僕はいつも振られるんだ。」脱力である。少しは頭を使えよ。生きているうちにっ。ではなぜ彼女達はそうするのか?そうせねばらないだけの理由を「彼が」作っていることも別れる一因だからだ。しかし、ニシノ君の中ではこれ以上には考えは発展しない。彼は決して自ら「一歩」を踏み出すというリスクは負わない。糞憎らしい小男である。ガキかよ、お前は。


そろそろ川上弘美にも飽きてきたのかなと思う。彼女の良さは異世界と境界なくふらっと行き来する点であり、また人間、その他の生物の境なく気持ちがすっとシフトできる摩訶不思議さゆえである。独特の文体、擬音、体言止め。

ただ、私は少し食傷気味になってきたかなと思う。実際、いくつか読んでいるはずなのに、「先生の鞄」と「蛇を踏む」以外は話が余り記憶に残っていないのだ。どの作品を読んでも、大体同じような印象を受ける。

「ニシノユキヒコの恋と冒険」というタイトルも、なんだかおざなりな感じがした。恋はまだ分かるが、冒険がどこにあったんだ?ニシノ君が自ら「冒険」したことが果たしてあったろうか。しなかったからこそ、ニシノ君はニシノ君のままで終わり、結局誰も傍には残らなかった。

いい年こいても、自分を客観的に見られない人間っているものだ。
「どうしてなんだろう」とつぶやいてばかりで人に甘えているより、そう思うなら自分を変える努力をすれば良かったのに、と思う。

まぁ、でも多分。
ニシノ君みたいな人はこの世にたくさんいるだろう。
最近の男は皆こんな感じかもしれないとも思う。

そりゃ、出生率も下がるわけだよ(笑)。


堪能、エビフライ!

2006-08-25 | Weblog
余りの解放感に引き続き書いてしまう私。
相当抑圧されているのね、普段(笑)。

何しろ物凄い量の食材が冷蔵庫にあるので、あるもので当分は生きられそうだ。
父は貧乏だった頃の「刷り込み」が激しいのか、なんでもストックを多量に買ってしまう人である。ボディーシャンプーだって常時10種類くらいあるし、歯磨き粉も4-5本常にある。(どこへ旅に行くんだ?それとも核シェルターにでもこもるつもりか?)

冷蔵庫を覗くと冷凍エビがあった。
ふむ。今日はエビフライにしよう♪小ぶりのエビであるが、10匹ほどある。パック丸々エビフライにしてしまった。しいたけも見つけたので、一緒に揚げてみる。

しいたけは失敗であった。フライ自体は問題なかったが、しいたけがあんまりうまくないしいたけであった。ざんねん。新鮮なしいたけってグリルして醤油かけて食べると美味しいんだよなぁ。

結構しいたけ嫌いって人は多いけど。好き嫌いはあまりない。特に野菜に関しては食べられないものってない。つぅか、野菜好きやし。肉の方が苦手だ。あまり、肉を食べようという気持ちが最近は起きない。(年ってことね(笑))

山盛りの千切りとエビフライ、プチトマトをちょっと添えて。
またまたビールを開けて、(別にビール好きじゃないのだけど)一人で10匹食べてしまった。揚げたてだと美味しいね~~♪満足、満足♪+赤出汁のお味噌汁。これは面倒くさかったのでインスタントで済ませてしまった。

久しぶりの料理を超enjoy。好きなものを作れるのって嬉しい。食べたい時間に、そんな気分になったら作るのが好きだ。明日は何作ろう~?

そうだ、と思い立って、お風呂もキャンドルライトで入ってみる。
入浴剤を入れて、ぬるめのお湯でのんびり。
昔、好きな人とキャンドルライトで入ったお風呂を少し思い出してしまった元気にしてるのだろうかなぁ、あの人は。


夏ももう終わり。
外ではリィリィと虫が鳴いている。

静かにゆったりと一人の時間が過ぎていく。
嗚呼、満喫。(あまりにenjoyしているので、かえって日頃相当なストレスなんだなぁと自覚した一日(笑))

P.S.最近「結婚できない男」というドラマが好きだ。なんとなく、気持ちが分かるような気も。一人って実に楽なんだよなぁ(苦笑)。



鬼のいぬまに、洗濯

2006-08-25 | Weblog
実に、爽快。
体の芯から開放感を味わっている。

父が田舎に帰省した。いっそのこと、一年でも半年でも行っていてくれたらいいのに(笑)(←かなり本気)お世話になってパラサイトの身なので、それは感謝している。感謝しているから一切文句を言わずに彼のやり方にしたがって生活をしている。ここは彼の家であって、私の家ではないから。

その分、いなくなると実に快適だ。
数年ぶりに心の底から息がつけるような気がしてくる。

彼は道が混むのは嫌だと早朝に出発した。ベッドの中から「気をつけて行ってらっしゃい」とだけ声をかけて、再び眠る。

5時くらいに一度起きてみると、すっかりもぬけの空なのに、電気だけ消し忘れている。親父ィ。最近ボケが始まっているなぁ・・・。

7時半位に電話が鳴る。なんだよ(怒)。出てみるとやはり途中のSAからかけてきた父であった。

「お土産、倉庫に忘れちゃった。宅急便で送ってくれる?」

オイ・・・。そう。昨日バイクに乗った時にカバーなんかを仕舞う為に倉庫を開けたら、なぜかお土産のお菓子が中にあった。はて?と思い後で聞いてみると、どうせ翌日車に積んでいくのだから、持って上がるのが面倒くさいから倉庫に置いておくのだということだった。大丈夫かぁ?と思ったが、そのままにしておいたら、案の定、朝忘れて出かけたのだそうである。

多分羊羹か何かである。ずしりと重い。
階下から持って上がって(重いんだよ)箱に詰め、集荷を手配する。小一時間ほどでやってきた宅急便のお兄さんがちらりと玄関口で私の胸の辺りを見る。

ん?あとで気付けば、乳首が出てました(爆)。
胸の丁度上にレースの切り替えがあって肌が透けて見える。友人から以前にもらったものだが、サイズが大きすぎて時々乳首まで見えてしまうのだ。あぁ、なるほど(笑)。まぁ、見るわなぁ・・。ま、いっか。減るもんでもないし(爆)。

宅急便を手配して、一段落。久しぶりに洗濯をする。我が家の洗濯機には「風呂水ポンプ」がついているのだが、これの使い方が一向に分からない。以前も何度か諦めて水道水で洗ってしまったが、癪なのでこの度は説明書を取り出してくる。適当にスイッチを弄ってもきちんと作動しないのだ。どうにか風呂水ポンプの使い方をマスターして、ルンルン♪と洗濯をする。

いいなぁ。一人でいるってなんて快適なんだろうか。うふっ♪好きな時に食べ、好きなようにダラダラする。翻訳の仕事は大体終わっていて、締め切りが月末なのでギリギリまで提出は伸ばすつもりだし。

猫の耳掃除までしてやって。少し本を読む。

そうだ、と思い立ってビールを持ち出してきて、エシャロットに味噌をつけて食べる。枝豆も。の~んびりと夏の午後を過ごす。暑いけど、時折風も吹く。すっと涼しい。

あぁ、快適。
このままずっと一人で暮したいとしみじみ思う。

父上、どうぞどうぞ心行くまで長く行っててください。
一生帰ってこなくても、全然構いません、私。



Unintentionally following a man

2006-08-25 | Weblog

真夏の一番暑い午後の時間帯にバイクを引っ張り出した。倒れそうである。メットを被っただけで、ふらぁ~・・。あぁ、死ぬかもとちょっと思った(笑)。フラフラとしながらそれでもバイクに乗ってそこら辺を適当に走る。

なんか、力ないのはやっぱり弱っているバッテリーのせいでしょうか(笑)それともプラグ被っているのでしょうか、カーブで車体を倒した後起きてこないんじゃないかと思うくらいかなり不安な力のなさです(笑)。

暑い。暑いぞ。頭の中死んでる。
汗だく。
よく無事だったなぁ、わし。

カフェで一休みしていると、向かい側にあるベンチに腰かけているお兄さんが目に入った。赤い帽子、白いタンクトップ、黒い半ズボン。こんな昼日中、暑いだろうに太陽の下、煙草を吹かして時々缶ジュースを飲んでいる。

随分と長い間、彼はそこに座っていた。
私はカフェの中で涼んでいたから楽だったけれど。彼はipodか何かを聞きながら。
やがて、携帯灰皿の中身を持っていた灰皿に開けた。

気になっていたのだ。
あの灰皿はどこから持ってきたものだろうと。立ち上がって、カフェの中に入ってくる。カフェのものを勝手に借用していたのだな。なるほど。

彼が消えてから私もカフェを後にして、そうだ、本でも買って帰ろうと思って上の階にある本屋に寄った。すると例の赤い帽子の彼が本屋の入り口で立ち読みをしている。何を読んでいるのかとちらと覗いたら、なんと細木数子の占星術の本だった。

私が本を購入して、再び出口付近に戻ってきた時も彼はひたすらその占星術の本を読んでいた。顎にヤギ髭があって、結構かわいい面してる。ハンサムなのになぁ・・・。

なんか悩んでるのか?(笑)
占いなんてなぁ、真面目に信じるんじゃないぞ。

自分の人生を変えるのは、自分の力だけだぞ(笑)。
ま。それがきっかけになるのなら、それもいいんだろうがね。

じゃ。姐さんは行くぞ。
わたしゃ、占い本買うくらいなら、小説を買うよ。

バイクのイグニッション音を響かせ、顔から噴出すほど汗かきながら真夏の午後を走りすぎた。(つぅほど格好よく乗れてないけど(爆))



青いグラス

2006-08-24 | Weblog
読んでいた短編集の一遍から、ふいに佐原さんのことを思い出した。

佐原さんは20年程前になるだろうか、当時母と付き合っていた人だった。父は留守がちで母は夜遊びの楽しみを知り、朝帰りが頻繁となり、私の学校が始まる時間になっても家にいないことが多くなった。夕食の用意などは大抵してくれていたけれど、もともと料理が好きではなかった彼女は段々と食事に手を抜くようになっていった。しかし、私は取り立てて何も言わなかった。その頃から必然的に食事の用意を自分ですることも多くなった。

それよりも時折夜に父からかかってくる電話で「お母さんは?」と尋ねられる度に、どうやってごまかそうかと考える方が大変で、大抵「ゴミ捨てに行ってるよ。」であった。そうそういつもゴミ捨てにタイミングよく行っているわけないだろう、と突っ込みたくなるものだったが、父はその時はそれ以上突き詰めなかった。

母が別の男性と付き合っていることを別に歓迎はしていなかったけれど、何分そういうものだと思っていた。それでも、彼女が「家の外」で好きにする分には仕方ないと感じていた所もある。離婚されるよりは形だけでも残っていた方がいいだろうという思いもあった。

そんなある日のこと。学校から帰ってきて自宅の鍵を開けようとした瞬間、扉が中から開いた。出てきたのは佐原さんと母だった。さすがに面食らった。名前は母から聞いていたような気がするが、初めて見るその人はとりたててハンサムというわけでもなく、どちらかといえばかなりブサイクな部類に入る男性であった。歯が少し出っ歯気味で、疲れた中年男性というそれ以上のインパクトは受けなかった。母も悪趣味だなと心の中でつぶやいた。

母はなかなか強心臓の持ち主で、玄関口で佐原さんに私を紹介した。
「こんにちは。ふつつかな母がいつもお世話になっております。」

10代前半の少女にしては、結構できた応対だったのではないかと思う。私は若干「ふつつかな」の所を強調して口にしたかもしれない。

彼はおそらく気まずかったことだろう。バツの悪そうな笑みを見せ、軽く挨拶をしてから、母と佐原さんは出かけていった。その後、無性に腹が立った。外で彼女がどう遊ぼうと構わない。構わなくはないが、彼女の決めたことだから仕方がない。その後、ばれればどうなるかくらいは想定して動いているのだろう。(少なくともそうであって欲しい)

しかし、家の中に入れるのは反則じゃないか?
「ここ」は「私」の生活の場所だ。彼の存在をここにまで持ち込んで欲しくない。

「糞ババァ。」
部屋で一人、つぶやいた。

それからしばらくしてのことだったろうか。母が佐原さんと旅行に出かけて、お土産を買ってきた。

「これ、佐原さんからぽっちりちゃんへって。」
嬉しそうに包みを手渡す。

「そう。ありがとう。」
微笑んで、包みを受け取る。けれども、母を見つめる私の眼は、あざ笑うかのように冷たい光を含んでいるはずだ。しかし、母はそういうことに気付く人ではない。自分が恋をしている時には。

中を見ると、ビードロのような柄のついた青いガラスのワイングラスが出てきた。中学生なんですけど。酒飲めないんですけどね・・・。割ってしまいたいような気持ちに駆られたが、思い止まった。割る事はいつでもできる。佐原さんのグラスは食器棚に並べられ、時折私は使った。グラスなのだから、グラスとしての機能を果たした方がいい。時には、帰ってきた父の前でそのグラスを使ったこともあり、どこか鼻の奥でせせら笑うような気持ちでいた。私は母にも父にもさほど心を許していなかったから、いつも家族内で何が起こっても、どこか遠くから映画のように家族の壊れ行く風景を眺めている所があった。

佐原さんのグラスは案外長生きしている。
未だに食器棚に並べられている。一人でワインを飲むような時にも普通に使っているのだ。

やがて母は家から消え、佐原さんも消えた。
両親はその後離婚したが、結局母は佐原さんと再婚もしなかった。

今でも佐原さんは駅向こうに住んでいるらしい。たまに私が母と会うことがあって話を聞くと、母は彼の車が駐車場に置いてあるかどうか見て「あぁ、今日は居るんだな。」などと思うらしい。そんな話を聞く度に青いグラスを思う。母に「アレ、まだ使ってるよ。」と話すと、母はそんなグラスの存在さえ半ば忘れている。


いつ割れてもいいと思って使っているのに、なぜか佐原さんのグラスは割れない。



つぶやきシロー

2006-08-24 | Weblog
あー。もう。ちくそー。
翻訳見直ししているけど、分かんないぞー。自分で書いた日本語がかなり意味不明だぞー。がびーん

もう、かなりやりたくありません。
相当サボっていたので、そろそろ本腰入れないと〆切りに間に合わんのですが、か~な~りやりたくありません。

日本語ってなんて難しいの。というより、英語と日本語の構造ってなんでこうも違うの(笑)(←そりゃ思考回路が違うからだよ)嘘だよなぁと思う。翻訳によって大意は伝えられるけど、やっぱり嘘だよなぁと思う。

また硬い日本語にするから余計分からないのよねー。
うぃ~っす。
もうめんどくさい。

酒盛りだ~~♪(←そうやって日数ばかり過ぎて行く)



ついでに。
昔の元彼がなんだかどうでもいいようなジョークのURLとか、わけわかんないサイトのURLとか載せてメールを送ってきやがる。

気まずいんだろ。話題を真面目に振ると大抵けんかになるから、無難なジョークに逃げるんだろ、それは分かる。

でもさ、どうでもいいんだって。見たくないって、そんなしょーもないジョークのURLとか。内容のあるメール送れよ、せめて。返事の書きようがないじゃんか。South Gate Parkのうんこ飛び回ってるアニメとか送られてもさ。大概にせぃっ、あほんだらっ。

You, fucking silly boy!


夏ももう終わりだねぇ・・・しみじみ。
ふうっ。


桃、結果報告

2006-08-23 | Weblog

アボカド風に二つに割って、種をくりぬき、八等分して皮だけあとで剥いて食べる。という桃の食べ方を試してみた。

まず。
二つに割るのが結構難しい。固い桃だからどうにかできたけど、くるっと回しづらい。

次に。
種出すのが尚大変。果肉にちゃんと引っ付いているから。ま、でもどうにかクリア。

最後に。
綺麗に八等分はできるけれど、そうたやすくは皮が剥けてくれなくて、結局手がベタベタ。

結論。
労力の割には、大して気持ちよく食えない。
これならいっそ齧った方が、気持ち的に楽。
よって、別に大してオススメするほどのものでもないと見た。
要は、なんだっていいのよー。

って、こんな風に論文を書いちゃったら、何についても論じられない。(笑)
だって、何事もどうでもいいといえば、どうでもいい。例外はいつでもあるものだし。

そだ。桃食べてこようっっと♪(←もしもし?仕事は?)


敵前逃亡

2006-08-23 | Weblog

暇なんで、いや暇じゃないけど、やるべき目前の仕事から逃亡したくて。
男脳女脳診断なんてやっちまいました。

***

あなたは、極端な考え方をせず中性的な考え方を持っており、融通が利くため、問題解決の時とても役に立ちます。冷静で論理的に物事を考える男性的な部分と、感情豊かにコミニュケーションをとれる女性的な部分を、両方持っており、また、考え方が理解できるため、異性、同姓を問わず、たくさんの友達ができます。ただし、恋愛に関してはポリシーをもって友達で終わらないように注意しましょう。


中性かよ。ちっ。
恋愛に関しては、友達で終わりですか(笑)。えぇ、まぁ。過去の事例とかみるとそんな気も・・・(笑)

恋愛ねー、恋愛。
ちかれたぶー(笑)。


憧れの君へ

2006-08-22 | Weblog
たまたまつけたTV番組で、久しぶりにあなたの姿を拝見しました。
少し髪に白いものも混じるようになったでしょうか。相変わらずお元気そうで何よりです。今はアメリカにいらっしゃるのですね。出世コースですね。

もう10年も前のことになりますが、今でも覚えていますよ。夜勤明けの朝食にはブルガリア・ヨーグルトのプレーンがお好きでしたね。「朝食持ってきて。」と頼まれて社食からあなたの分の朝ごはんを持って帰るのは、実は密かな楽しみでした。あなたの宿直と私の早朝シフトが合う日を心待ちにしていました。そのおかげであの辛いシフトを乗り越えられたのかもしれませんね。あなたが宿直用の簡易ベッドに寝ている時ちらっと足がでているのを見て、足の裏が汚いなぁと思ったのを覚えています。でも、そういうことがそんなに気にはなりませんでした。寧ろ、愛しかったです。

一度、私が早朝勤務に入っている日の前日、飲み会があって途中までタクシーで一緒に帰ったことがありましたね。あの日、どこかに寄ってしまうのも良かったかと実は思っていました。いつもはアップにしていた髪形をその日は下ろしていたら、
「お前、案外いい女だったんだなぁ。」
と言われたこと、嬉しかったです。(でも、案外ってなんだよ、と思いつつ(笑))

あなたが海外赴任する時、便名も知らないのに、成田まで送りに行ったのですよ。あなたは知らないだろうけど。奥様と一緒に歩いてきて、搭乗口にあなたは消えていきました。結構気合の入った格好をしていっていたけど、一言もかけられず、見送りをしました。

きれいな奥様でしたね。実を言うと、その後彼女がトイレに入って行ったので、一緒に入ったんですよ。トイレで涙を拭いていらっしゃいました。当時私が勤めていた会社のTさんに似ている感じの美人でした。どうりで、時々いらっしゃるTさんと仲良く話をしていらっしゃったわけですね。ああいうタイプが好みなんだとその時分かりました。

赴任されてから、何度か国際電話で話しましたね。かけ直して下さいましたが、あれは社費で降りるんだから全くもって横領ですよ(笑)。その後、東京に戻ったばかりのHさんと私が不倫の関係になって、あなたは溜息をついていらっしゃいましたね。「あんな奴にやられるくらいなら、あの時ホテルに誘えば良かった]と。今更、言われてもねぇ、です(笑)。でも、同じ時にそう思っていてくれたのだと分かって、ちょっと嬉しかったですね。友情を優先したあなたに敬服致します。

Hさんとはなかなか最悪でしたね。(笑)あの人はただ愛人が欲しくてしょうがなかったから。当時は羽振りは良かったですが、あんなにタチが悪くて、ペニスが小さい人は見たことがありませんでした。未だに私の記憶の中では「一寸法師」として鮮明です。私の男歴の中でも、彼は唯一迷うことなく、「汚点」ですね(笑)。アレでも子供が何人かは作れるんだから、人間の身体って不思議ですね(笑)。

「遊びに来たら、泊まりにおいで。」と言われながら、結局行かず仕舞いでした。砂漠の風を感じたかったですね。中東料理で一番おいしいのはレバノン料理だと教えてくれたのもあなたでした。そのレバノンも今は復興の最中です。中東のパリと呼ばれていたのに。

私も年をとりました。あれから10年ですもの。

そうそう、先日そういえば10年ぶりにHさんとたまたま道端でお会いしたのですよ。なにか彼はしでかしたのでしょうね。どうやら左遷されたようでした。ぶっちゃけ、胸がすぅーっとしましたね。散々面倒かけられましたから、彼には。名詞までもらいましたが、即捨ててしまいましたよ。くくくっ。

その時、会えたのがあなただったら良かったのにな、と思いました。どうせ会うならあなたに会いたかった。でも、今私は会えるような活躍はしておりませんので、会えなくてほっとしているところもあります。あの頃、あなたはJazzが好きだと仰っていましたね。若かった私にはその良さが分かりませんでしたが、最近私もJazzが好きになりましたよ。今ならBlue Noteくらい一緒に行けそうなのにね、残念です。

お子さんはお元気でしょうか。
奥様は社会事情よりも未だに「きゅうりの値段」を気にしているのでしょうか。
まぁ、あれですよ。「きゅうりの値段」を気にしている奥様が家を守ってくれるから、あなたは世界中を飛び回って仕事できるのでしょう。

本当に。久しぶりにお姿を拝見できて良かったです。
もう、あなたは私の事はお忘れになっているかもしれませんが、今でもあなたは私の憧れの人です。あなたのような仕事っぷりをいつか身につけたいと切に願います。いつか、私が納得の行く仕事についたら、どこかでまたお目にかかれるといいですね。その時は大人の付き合いをしましょう。

くれぐれも身体にはお気をつけて。
陰ながら、益々のご活躍をお祈りいたします。

P.S. あなたがかつて身包みはがされたインドへ、多分私年末には行くと思います。(笑)吉とでるか凶とでるか。楽しみです♪