Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

金泥

2005-01-31 | Weblog

そろそろ月のものが近づいているのだろうか。
早朝の電話のせいもあるのかもしれない。その後なんとなく気持ちがふさぎこんで、今日は部屋から一歩も出る事が出来なかった。昼間は温かい日差しが射していたのに、それが却って悲しく感じられたりもする。

今日は仕事でノブが近くに来ていた。隣駅まで来ていたそうだ。
無論仕事であるし、同行者がいるので会うわけにもいかないが、縁のないはずの隣駅に彼がいると思うと妙な心持がした。

彼は布団を買ったと言う。近々彼の妻が遊びにくるそうなのでその時別々に寝るためなのだそうだ。
私にはよく、分からない。筋を通すのであれば、彼女を抱くのが筋だろうと思うのだが。私が傷つくとかなんとかそんな事とは別に。いずれにしろ私の気持ちは傷つくのだから、寝てようが寝ていまいがあまり差はない。

最近彼は私の為に判子も作ったという。この辺りからどうにも怪しげな匂いが一層漂ってくるので友人にも相談した。あまりプレゼントに判子をもらった事はない。あまり、というか全く、ない。高校の卒業以来だ。(笑)カードや免許証は彼の家に行く時には持っていかないように、など心に留めている。それほどの猜疑心。自分でも苦笑いだ。

ノブは本当は彼の金本という名字をつけてフルネームの判子を作りたかった、と言う。けれどもそれでは使えないから、ねと。いずれにしても彼からもらった判子は一通り事が過ぎるまで「恐ろしくて」使えないと思う(笑)。大体そう判子を押すような収入もないのだから。(笑)

わざわざそんなことを言うくらいなら、使えなくても良いからその判子を作ってくれれば良かったのになと思う。少なくとも記念にはなる。確かにこの時間、彼と私がいたという事の。こんな関係において今更「使えるか使えないか」という利便性など追求しない。この関係は「道楽」なのだ。道楽ならば、どこまでも酔狂に振舞うのが寧ろ「粋」ではあるまいか。

すぐ隣の町でおそらくノブは同じ夕陽を見ていた。
夕方夕陽が綺麗だよ、とメールが入る。今飛んでいるこの飛行機を彼も見ているだろうか。

不思議だね、直ぐ隣にいるのに、こんなにも遠い。

私は金本というその名の判子が欲しかったなと思う。
そうしたらせめて、彼の心を信じる「振り」くらいはできたのだろう、と。



2005-01-31 | Weblog

早朝「発番通知不可」で電話が来た。
一回、一度着信音がなって切れた。それで目が覚めたので二度目にかかってきた時は取れた。
先日、以前の派遣のボスから電話がかかってきていたので彼だろうかとちょっと面倒くさい気持ちで出た。

"Hello?"

誰だろう?まだ完全には冷め切っていない頭の中で考えていた。
ぼうっとしている様子の私の声に電話の先の主は笑っている。

「ぽっちりさんですか?」
「ハイ。そうですが・・」(まだ分からん)
「明け方で、眠いかな?かけなおそうか?」

ようやく此処に至って電話の主が分かった。4年前つきあっていた元彼だ。随分と長い間じかに言葉を交わしていなかったからその声を忘れかけていた。

最近彼は身体の調子が良くなくて手術を受ける云々と言っていたので、メールでは何度かやりとりがあった。幸いにも手術の必要はなくなって、今は職場のあるベルギーに戻っているということだったので一安心していた所だった。

それはなんとも懐かしい声だ。

別れた時は忘れもしないクリスマスの翌日、イギリスでのボクシング・デーにベルギーからの電話で別れを告げられたのだった。育ってきた環境が違うので様々な面で行き違いが生じていた。根はとても温かい人だったけれど、私が持病でカンジダ症を発病しやすいこと、運悪くそれで彼が発症してしまったこと等も別れた原因の一つにあったかと思われる。こればかりは自分の努力ではどうにもできないことであるし、ソレを避けたいという相手の気持ちも分からないではないので別れ話が出た時も仕方がないなと思った。

電話で彼は元気にしている?と。アレコレ家族の事や近況を聞く。鬱になって仕事もしていないとは、せっかくの朗らかな調子を崩すので伝えられず、その辺りは適当に笑って流すにとどめておいたけれどもやや苦しかった。そういう話をしたくないから、今までの知り合いにはほとんど連絡を取っていない。

久しぶりに聞く笑い声だった。

「時差がどれほどのものか試してみようと思ってね」

私の方ばかりあれこれと聞かれて、彼の事をあまり聞く時間はなかった。そろそろ、結婚式にも招待されるかと思っていたよ。それは、ないなぁ。いつかそんな日も来るよ。どこまでもポジティブなものの見方をする人だ。そうしなければならないだけの歴史のある人だ。そんな日は多分来ないと思うけれどねぇ。(笑)悲観的になっているのではなくて、多分そういうものだろうという気がする。

男性陣とは友人としてつきあっている方が長く続けていられる。嫌いになることもなく、適度な距離と愛情を持って見つめていられる。私はどうも男と女として付き合いだすとダメなのだ。思いが深くなりすぎて、自分も苦しいし、相手にも足枷となってしまう。一度は別れながらもこうやって本当に数年ぶりにわざわざ国際電話をかけてきてくれるのは嬉しい。

彼の国がひょっとしたら日本に大使館を開くかもしれないと言っていた。そうしたらその時は仕事を紹介してくれるらしい。それはとても素敵な話だな。まぁ、私は彼の国の言葉もできないし、なかなか難しかろうとは思うけれど。(笑)


久しぶりに起き抜け一番笑えた朝だった。
彼とともに歩いたリスボンの町並み、そして共に過ごしたロンドンの生活を懐かしく思い出した。もう、随分と英語が抜けている。不自由になったものだ。咄嗟に英語が出てこなくなっている。

懐かしい思いで過ぎ去った景色を思い出した。
時が過ぎれば全てを懐かしく笑い話にできるかと思っていたけれど、やはり別れの時の痛みもぶり返した。そして彼が私の口に射精する時に頭を押さえつけられた時のあの彼の手の容赦ない力(笑)、やはり苦々しく忘れることもなく思い出す。彼が私を「モノ」として扱った瞬間。


微笑みと共に電話を切り、今は過去となった英語での生活にいつまでも思いを馳せるのだった。

予兆

2005-01-30 | Weblog

久しぶりにS氏とでぇとなのか、なんなのか分からんがまったりと時を過ごした。本来、おでかけの予定であったのに結局二人とも起きたのが昼近くで、彼の電話に「あ゛?」とか寝ぼけ声で出たら爆笑された。なんだかいっつも計画倒れに終わっているような・・・。

まー、適当にそれからだらだらと支度して、だらだらと駅前のパン屋で昼食代わりのパンを買い、彼にはおやつがてらにペーストリーを買って(食べたかった洋ナシの方を食われてしまった。くぅっ。ま、お土産だからいいんだけど)やっぱりいつものごとく彼の家に遊びに行く。呼び鈴を鳴らしてもうんともすんとも言わないのは、呼び鈴が壊れているせいだと今頃知った。

懐かしい「バロン」のDVDなんぞを一緒に見て、テリー・ギリアム、美術に金かけすぎ、とか突っ込む。しかもS氏、途中でこたつで寝るし・・・。ユマ・サーマンがビーナス役で出ていたのはすっかり忘れていた。ビーナスの誕生(ボッティチェリの)のシーンは印象に残っていたのだが、あれがユマだとは。

なんか食いに行こうや、と出たのはいいがオススメの店はしまっとるし。でも直ぐ隣に親子でやっている北海道風の居酒屋というのがあり、そこに入る。最近どうも私は普通の人が普通に知っていることを知らないなーと思う。例えばビールのお酌ができない。「下手だからね」と前置いて言ってはおいたのだが「注いで3秒で分かる」と言われてしまった。なんだかとても屈辱的。ぐすん。

だって。お酌とかする環境じゃなかったんですもの、今まで。飲めないから飲み会の席とかはそもそも苦手だし、勤めていた職場では飲み会自体がそもそもなかった。会社の外以外での付き合いというのは全くなかったから。友人相手にはわざわざやらんしね、本来。手酌に慣らしておいたほうが、たまにやった時「ありがたみ」があるし(笑)。しかし、3秒でバレルというのはかなり哀しい。とほほん。いーのよ、あんた手酌好きなんだから。気楽に飲みなさい。

S氏には私は全く料理ができないと思われているらしい。実際彼の前ではなんもしないし。いや、なんか人によって「普通」の感覚って違うので料理を振舞ったりすることにはとてつもない躊躇いがあるのだ。別段自信があるわけじゃないから、尚更苦手なわけで・・。俺んちとやり方違うなーとか思われたりするのが嫌なのだ。だから、ま、どうぞ自分でやって、てな具合で。

飲みながらしみじみと「で、留学していた間どうしていたの?マジな話。」とまで聞かれる。う゛ーむ。毎日作ってたんだけどね。出来合いのモノはほぼ買わないし。でもきっとS氏は信じないだろうなぁ・・・。

いかの陶板焼きなるものを食した。いか一杯まるごと使っているかと思われる一品だが、なかなか上手い。沸騰したらネギを入れてくださいね、と女将さんが言うので湯気が立つまで待つ。

「ネギ入れるくらい出来るだろ?(笑)」

「・・・。(おい)私がやるの?」

なんなんだ、この会話わっ?いや、いんだけどね。
「鍋の蓋、熱くないかなぁ。」と土鍋の蓋をちょっとびびって触ってみようとすると、S氏に断言される。

「土鍋の蓋は熱くならないんだよ。そういうもんだ。」
無理やり手を引っ張って蓋の突起を触らせられた。確かに、うん、熱くない。
でも、うちのは熱くなっていたりしていたような。不良品なのか?(笑)

んー。なんていうか。私という人間を知れば知るほど、彼には結構愕然とされているんだろうな。今つきあっている彼の家ではおさんどんしてるよ、と言いつつ、朝食は彼が用意している事を伝えると「それじゃ、フィフティ・フィフティじゃないか。」

んー。でも私そこまで行ってあげているわけだし、掃除、洗濯、夕飯まで作ってりゃ、上等でしょうが。妻でもないんだし。←断言。

なーに?君にもそうして欲しいのか?だから、男つぅんは嫌なんだ~。すぐそういう家庭的な事を期待するし。私は家庭的な男の方がいいのだ。今まで付き合ってきた男だって、何でも自分でできて、上げ膳据え膳でご飯も喜んで用意してくれるような人が多かった。そういうの、好き♪お世話してもらうと幸せな気分になれまする。

なんだかんだ言ってS氏は色々とお世話してくれる。頼んだミニジンギスカンも取り分けてくれた。
「ま、君はそのままでいいんだ(笑)。」

なんだ、そりゃ?まぁ、アレですか。その分夜のお世話で精出せば宜しいとでも?それも自分ではあんまり上手いのか下手なのか自信はないんですけどねー。別に研究しているわけじゃないし、プロでもないので。

「で。どういうのが気持ちいいの?」と真面目に聞くと、(←至って真面目だ)S氏はおいおい・・という顔をした。

「んー。カリの辺り?」

(いや、そんなん分かるけども。もそっと具体的に。)
とは思ったけど、「友達」つぅことなんで、あんまり煽ってもいけないので(笑)ほどほどにfade out。

なんだろ?S氏はやっぱりなんとなくは好きなのか?私の事?う゛ーん。
「温泉、泊りにするか?」だって。

う゛ーん。泊って隣同士に寝て、この年齢の男女で何もないとかあるのかなぁ??
ま、どっちでもいいんだけど、この際。(涙)

今回初めて、S氏は駅まで歩いて私を送ってくれた。寒いのに。
どうしちゃったんだろう?
なんだか、微妙に、変な感じがする。


S氏のおうちのコタツにもぐって寝るのが好き。
「でかい猫だな(笑)」と言って寒がる私にジャケットをぐるっとかけてくれる。

もぐっている時、S氏の腹が覗き見える。
そんなだらだらとした空気が好き。

なんとなく、それを壊したくない。

灯台下暗し

2005-01-29 | Weblog

人と一緒に出かけたり、食事をしたりするとそのマナーにやはり育ちというのは自然に溢れ出るものだなと思う。そんな話を以前友人のE氏ともしたことがそういえばあった。

少しばかり今つきあっている男性と共に時間を過ごす時に気になることがある。
些細な事ではあるのだが、やはり「そういう」態度に不慣れな私は少々面食らう。

例えば一緒に食事に出た時、食事を「一緒に」選ぶという事がない。無論、私には好きなものを頼んでいいと言ってくれるのだが、さっさと自分の好みのものだけ先に彼は頼んでしまったりする。例えばshareして食べる、という感覚とかないのだろうかな?という感じだ。そういう場合、おそらくまず相手に注文しようとしている品が食べられるか否か聞くだろうと思う。少なくとも私ならそうすると思う。オススメのもので是非食べさせたいという場合でも、話の持って行き方はかなり大切だ。一人で注文できるものなら、一人でいる時にいくらでも食べられるのだから、複数でいる時は「二人だから楽しめる食事の仕方を」と思うのだが、良い悪いではなくて彼の場合そういう感覚がないのかもしれないな、と何度かその様子を見ていて思う。

食べ終わった後、会話を楽しんだり、少しのんびりしたり、そういう時間の使い方もあまり彼には縁がないように見える。時々ちょっとせわしなくて落ち着かない。私は食事の質とサービスを楽しみたいタイプだ。

食事の後にも彼だけがスタスタと先にキャッシャーの方へ歩いていってしまったりする。どうも狂う。(笑)

人によってはそういうのが普通なのかもしれないなと思いつつ、割とレディファーストに慣れている私としては、ドアは開けて欲しいし、準備をする時間は待っていて欲しい、コートを羽織るのを手伝ってくれてもいいくらいだ(笑)。料理の好みは当然聞いて欲しいし、譲って相手にお任せする時でもやはり形ばかりでも一度は「これでいい?」と聞いて欲しいと思う。

以前、そんな話を友人のE氏にした時も、それは習慣、慣れというものが如実に出るよとのことだった。今頃になってそうなのかもしれないなぁ、などと思う。まぁ、別にそれがないからどうだということではないのだが、なんとなく寂しかったりする。

彼は歩いている時も自分だけ先にさっさと歩いていってしまうような人である。何度かゆっくり歩いてと伝えて、その時は歩調を合わせてくれるのだがそのうちすっかり忘れて自分だけ先に行っている。最近はそれを何度も止めるのも面倒くさいので、私は私の歩調で歩く事にしている。気づいて隣にいないとなれば、待つだろう(笑)。少しは学べよ、と思うが。

正直、彼が今まで付き合ってきた女たちは何を教育していたんだろうか、と思う。重い荷物も「持とうか?」と気づかない事があったりする。「ね、ここで『俺が持つよ』ってオファーがないのってどうなの?」と冗談交じりに伝えた後でさえ、「持つよ」という言葉が出てこなかった時には正直驚いた。何しろ未だかつてそういう人にお目にかかった事がなかったから(笑)。

こりゃ、なかなか大変だ。(苦笑)
教育のしがいはあるかもしれないけど。

女は男の後を3歩下がって、などというのは太古の昔の話である。
今時、女のエスコートもスマートにできないようでは、仕事の面だってたかが知れているような気がする(笑)。要するにそれだけ気配りがなっていない、ということだ。サービス業なら尚の事、女を心地よくする術くらい「たしなみ」として覚えていて欲しい。

まぁ、仕事だと金銭がかかってくるから別になるのかとは思いつつ、それでも人というのは日頃の心がけがなっていなければやはりそういう些細な一つ一つに「出て」しまう。意外に人はそういうところを見ているものじゃないかな、と思ったりする。少なくとも、私はそういう些細な所、表立って見えないような所で(口には出さないけれども)人を判断するところがあるので、自分を振り返ってみても、気をつけなければいけないなぁと思うのだ。

自分に無理をして相手にあわせる必要はないけれど、相手を気持ちよくするために少しばかりの努力を続けることは、見える形での相手への愛情表現なのではないかな、と思う。


全くもって礼儀のなっていない彼を見るにつけ、毎回新鮮な驚きは禁じえないのだけれど。(爆)


はてさて、自分はどうであろうか?

レモンエロウ

2005-01-28 | Books
夕飯の買出しに行く途中、以前車で通った時近くに本屋を見かけたと記憶していたので、プラプラとその本屋を探しがてら散歩をした。ごく普通の住宅街の門前に、買い物用のキャリーバッグを引いたおばあちゃんがかわいらしく毛糸の帽子を被りながらちょこりんと座っていた。

三叉路の多い道で、道路に出ればすぐに本屋を見つけられるだろうと思った私は、数分辺りを歩き回ってから自分は「地図の読めない女」だったのではなかろうかとハタと気づいた。厳密には地図は読めるが、それを立体的には記憶できない(笑)。

見知らぬ高校の前などに出てしまい、もうこりゃダメだと本屋は諦めとりあえずスーパーの方面にアバウトに進んで行くと、なんと目の前に探していた本屋があった。人生是禅問答、のような世界だ。ディスカウントの本屋かと思っていたのに、ただの「普通の」本屋だった。しかし、ここまで来て一冊も買わずに出ていくわけにも行かず(いや、出てもいいんだけど、悔しいし)戦利品として一つくらいは、と物色。

高校受験の数学公式集。数学嫌いだった私としてはやり直してみようかなどという気にもなる。一次方程式ができなかったらかなりヤバイ(笑)。でも分数とかかなり怪しいかも(爆)。

法律図説。なかなか魅かれるものがあるが、今ひとつ。憲法ではなくて、刑法だったらまだイケタかな?でも「読み物」になるんだろうか、これ。

白洲正子の百人一首の解説はなかなか良さそうで少しばかり心惹かれた。司馬遼太郎のエッセイも。伊集院静単行本はカバーの彫刻が美しかった。裏面の作品解説を読んだらエロドラマチックなのでまた今度。

そうしてふと眼に留まったのが、「檸檬」であった。
梶井基次郎の。

名作の誉高い作品ではあるが、何となく名前は耳にした事はあっても実際に読んだことがある作品は少ない。ことに「古典」の範疇に含まれる作品だと一層少なくなってくる。

なぜこの作品に眼が留まったのかといえば、読み進めていた「座右のゲーテ」という新書版の本に著者の博識さが「無意識に」(笑)投影されるのか、あれやこれやと各方面の所謂「良い」とされている作品の名が登場する。この本自体は文豪ゲーテの整理術というか処世術みたいなものを学び取って、人生を豊かに生きましょう、ってなことを分かりやすく書いてある本なのだが、作品中に引用されている数々の作品に私はついつい心魅かれてしまうのである。

その中で「檸檬」がとりあげられており、さだまさしの歌にも話は及んでいた。檸檬といって思い出すのは高村光太郎のトパアズ色である。がりりと咬んでトパアズ色。そのイメージが鮮烈なせいか、なんとなく印象に残っていた。年代的には元々梶井の「檸檬」が先だと思う。


そうして私は「檸檬」をいつの間にか手にしてレジへ向かっていた。

***

さてさて、梶井。
やってくれる。

非常に短編である。
ほんの数ページの作品だ。

けれどもここに描かれている「檸檬」は千恵子抄のレモン哀歌のレモンに他ならない。
主人公は陰鬱な気持ちを抱え、不安に押しつぶされそうになって京都の街を歩く。なんとはなしに目に入った檸檬を購入する。病気がちで体温の高い主人公には檸檬の「ひんやり」とした冷たさとその重さが心地よい。

そうしてその檸檬を手にしたまま、彼は日頃入りたいものの入りづらい「丸善」へ立ち寄り、片っ端から気になる色とりどりの画本を積みあげる。気に入ったものが完成したところでふと思いついて、主人公は手にしていた「檸檬」をその画本のタワーの天辺に据え置くのだ。

そうだ、そうしよう。

彼はそのまま、檸檬タワーを丸善に残し、鼻持ちならならない丸善の高級志向など吹き飛んでしまえ、とばかりに心の中で檸檬を「爆弾」と呼ぶ。そのままウキウキして丸善を去る、という、まとめてしまうととんでもなく「おバカ」な一品なのだ。

しかし、そこに描かれる色彩は鮮やかだ。
不安気なき持ちでいた彼が、たった一つのふっくらと丸みを帯びた新鮮な檸檬を手にしたことで元気になり、引いては普段やらないようなちょっとした(彼にしたら)「冒険」までしてしまう。

私は書店に残された赤や黄色の本のタワーの天辺にある輝くばかりの檸檬の黄色を思って、笑ってしまった。小品ながら稀に見る傑作。

梶井はこの作品の中でその色を「レモンエロウ」と示す。
黄色、でもなくレモン色でもなく、ましてやレモンイエローでもなく「レモンエロウ」(笑)。
そこはかとなく香気が漂うのはこの独特の時代を感じさせる表記にもあるのかもしれない。

また他の梶井の作品にはよく画家の名前が出てくる。アングル、コンスタブル、レンブラント。これらはその絵を咄嗟に想像できるか否かで作品の持ち味がきっと異なってくるだろう。読書の楽しみはこうした不思議な何十にも重なり合う螺旋のような構造ゆえである。一つの文章に出逢うと、そこに引用されているそのほかのことも知りたくなる。本に限らず、音楽や絵画も含め。

その作品は自分が作中に述べられているものに触れた時に、初めて別の局面を見せる。そこで初めて立体になる。作品に共感できるかどうかは「自分のもの」としているネタがいかに多く被っているかによるところが大きいかもしれない。

梶井の作品に関してはレンブラントはともかく、アングルやコンスタブルが出てきたのにはやや驚いた。驚いたというと失礼きわまりないのだが、大学時代絵画史の授業を取っていたので、作品がすぐに思い浮かぶ。そうすると、「あぁ、梶井は今あの世界を思っているのだな」とどことなく親しみが湧いてにんまりとしてしまうのだ。

美しい日本語。
今ではそう眼にも耳にもしなくなった音がそこにある。
日本語は美しい。

そう素直に思えてしまう梶井基次郎の洗練された描写力、そして「檸檬」に見える一人ほくそ笑むような「大人のいたずら心」に脱帽。


一陣のレモンエロウの風、トパアズ色の香気。


Yebisuで風に吹かれる

2005-01-25 | Films

恵比寿に出向く。映画を見ようと思って。
若干早く着いてしまったので、いつもの写真美術館によって「新花論」という小さな展覧会を見てきた。
花の写真なのかと思っていたが、花の写真を題材にしたモダンアートであった。今ひとつ。

ただ、入った瞬間巨大な薔薇の写真があり、辺り一帯薔薇の香りに包まれていた。香りの演出というのはなかなか良い。その作家はロンドンに留学していた事のある人で、クラシックローズに囲まれたイギリスの生活から着想を得たようである。

そう、イギリスでは古き良きクラシックなイギリス調度かもしくは明るい色目のモダンな部屋が好まれる事が多いがいずれにしても、おそらく天候に深く関わっているに違いない。ほんの2-3年ロンドンに滞在しただけであるが、イギリスの冬は長い。冬場は晴れ間がのぞく事はほとんどなく、午後3時には北緯が高いため辺りは暗くなる。それが半年近く続くのだから、せめて調度品には華やかな「花柄」や明るい色のモダンアートで飾り付けたい気持ちは分かる。

そうでもしないと気が滅入って仕方がないのだ。(笑)

作品の紹介は日英両方で書かれていたので、英語の紹介の方も何気なく読んでみた。
同じ事を書いているのに、やはり印象が変わってくるのは面白い。

会場の外には「花」というテーマで自分の撮った写真を貼れるスペースがあった。
ぐるり一周見てみたが、あまり印象に残るモノはない。
家族の花、ということで自分の「子ども」の写真があったりもする。脱力である。
可愛くない子どもほど、親は目にいても痛くないほどにかわいがるものである。
親はそれでもいい。でも周りにまでその感覚を強制するなよ(苦笑)。ブサイクなガキは嫌いだ(笑)。

(ちなみに姪のHanaはとても可愛い顔をしているが、最近の写真では我の強さが現れてきてずいぶんと意地悪そうな顔をしている。生まれたての時の方がかわいかった。申し訳ないが、今は「かわいい」とはとても思えない。造作は整っているけれど。(笑))


別の階で開催されていた「HEIAN」という展示もなかなか良さそうだった。時間がなかったので今回は見逃したが。和風とモダンアートの融合という感じ。モダンの妙に白くてスペース間がある、ありすぎる空間はとても苦手なのだが(例えばコジャレタお洋服やさんみたいな。)「和」の感覚でまとめると、不思議と苦痛にならない。侘び寂びの基本が削ぎ落とす、シンプルさゆえだろうか。

ショップで荒木経惟の写真集を少し見た。奥さんの「死」の前後を写したとても私的な写真集。
奥さんの亡くなった日の朝咲いたというこぶしの花をとったモノクローム写真がある。それがとても気にいっていたので欲しかったのだが、無駄遣いはイカン、と思い諦めた。若かりし頃の奥さんといかにも「旅館」然とした場所でおそらくはセックスの最中の彼女の顔を撮ったものもある。

本来表に出ないような写真だろうが、それがとてもいい。愛する相手が撮っている写真だからきっと彼女はこれほどに隠微で美しく写っているのだろう。

知らなかったのだが荒木はうちの実にご近所の大学出身であった。工学部出身なんだね、あの人。
それで電通→写真家。不思議なキャリアだな。


***

さて、当初の目的の映画館へ。
あれ?分かんないよ。どこにあるか。

しばらくウロウロして探してしまった。
ここの作りはすごく不親切かもしれない。

「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」

正しく、いい時期にいい映画に出逢ったという感じだ。

Omar Sharifがいい。ドクトルジバゴとか、アラビアのロレンスなんかに出ている髭面の濃い兄さんだが、なんとまぁ老けたものだ。しかし、その老け方がいい。実に味があっていい。ドクトルジバゴの時などはうっとおしかったくらいだが、いい具合に枯れてきてたまらなくOmarが魅力的だ。この人何人だ?ところで。

Momoという母からも、やがて父からも捨てられるユダヤ人の少年とトルコ人商人のイブラヒム。
イブラヒムの愛情でMomoは自分の居場所を見つけていく。
厳格で自分のやり方しか通さない父とMomoの間の心の溝が、私には手に取るように分かった。あの息苦しさは堪らないだろう。

むしゃくしゃしているMomoにイブラヒムはコーランの教えに基づいた生きる知恵を授ける。コーランの厳格な戒律ではない所がいい。せっかく仲良くなった恋人にMomoが裏切られた時でも、自分の愛を裏切るなとイブラヒムは教える。不覚にも涙。 だから、時期的に痛いんだって(笑)。

こうやって書いてしまうとどうってことない映画なのだが、オマー・シャリフとモモ役の少年が実にいい。少年はとてもハンサムなのだが、ハンサムなだけではなくこの役にあった「空気」がある。

その分ラストで現れる成長した「モモ」にげんなりしてしまった。
少年時と繋がらない。(笑)いっそのこと、成長したモモの姿は映さなくても良かったのではないか。
「成長した」モモだと言葉で説明しなければ、見ているものに分からないのではいささか・・。
カメラをモモの視点として撮っても良かったかも、と少し思う。体の一部が見えるだけで成長した事は分かったろうし、イブラヒムの商店を継いだことも店内を映せば分かったと思う。

ラストがやや残念だが、それ以外は実に堪能できた。懐かしいトルコの景色も、ヨーロッパに多い中近東系、インド系の人々が経営する小さな雑貨屋の様子も、匂いまで漂ってくるような気にさせられた。

モモをとりまく娼婦達も魅力的でいい。
彼女達の「母性」にも似た愛情も小気味良かった。
なかなかの良作。


***


蛇足にて。
次回公開のBefore Sunset。

これもちょっと見てみたい。
10年前に撮られた映画、そのままのキャストでのある一夜の恋の「その後」の話なのだ。
老けたイーサンホークがどう成長しているのか(笑)。
機会があったら見てみたい。



茶髪村上、乳をまさぐる。

2005-01-25 | Weblog
1月の初め、乳癌の検診に行った。

此処の所、胸が急激に苦しくなることがあって、時々息ができないような状態になってしまうこともあったものだから、昨年末には心臓の検査にも行った。24h心電図をつけてロボコン状態になっていたわけだが、少々の不整脈がある他は特に大事無いとの結果であった。

それでも胸の辺りが痛いし、ひょっとすると乳腺の方かもしれないとのことで乳腺検査も後に行ったのである。初めて超音波エコーとマンモグラフィーというレントゲンを撮った。エコーの時、左胸を長く行っていたのでやばいかなという気がしていた。主に痛みがあったのも左であったから。マンモグラフィーは結構強烈な体験であった。

板に胸を挟んでぶにゅー、と潰すのである。
「挟むほどないですよ。」

真面目に私は答えたものである。

先生の答えもなかなかで、
「女性で挟めない人は滅多にいませんよ。」

もし挟めなかったらどうしようと、とマジで心配した(笑)。

生まれてこの方、あれほど自分の乳房が変形した姿を見た事はなかった。(笑)
板に乳を挟まれている図は、第3者面して想像すると内容が真面目なだけ余計滑稽に思える。
大体。丸みを帯びた物を平面で挟む、って無理があるじゃないか。
もそっと被験者が楽なマシン作んなさいよ。技術屋、日本、医療機器メーカーよ(怒)。

ま、アレだ。
ちょっとしたSMチックなプレイを楽しんでいると思えば良いのかもしれない(爆)。

そんな感じで検査は終わったわけだが、その結果報告が本日であった。
朝一の予約であったので、ああこれでマズイ結果であったらなかなか一日過ごすのが嫌だろうなぁと思いながらも、逆に午後遅くにしたところで気になって仕方がないだろう。

以前ノブと話していた時、彼が奇妙な夢を見た。
私の右胸を探して、彼が町を彷徨っているというものだった。
痛いのは左であったから、それが「左」であったら余地夢かと確信したかもしれない。いずれにしても余りいい気持ちはしなかった。その辺りからなんとなくは覚悟をしていた。

結果の報告ということだったのに、上半身裸になり先生に再度診察してもらうことになっていた。
あぁ、これはマズイのかなぁ・・と更に疑いの色が濃くなってきていたのだが、そんなことよりも以前の先生は女性だったのに、今回は結構長髪だけど、多分男性の先生が腰掛けている様子がカーテン越しに見えたので、なんとなく嫌であった。

医師であるのだから仕事だとは分かっていても、婦人科や乳癌の検診など、やはり女性である方が安心する。見ず知らずの男になぜ乳を触られなければならんのか?しかも金まで払って。←趣旨が違う(笑)。

如かして先生である。ちょっと茶髪がかったやたら色黒のこの先生は村上龍のような風貌であった。サーファーか?しかもいきなりタメ口である。

「前に(乳腺を)見てもらったことある?」

誰やねん、お前?知らんぞ?
友達やあらへんぞ?

レントゲンを見る限り特に問題はないそうだったが、一応触診。
胸張って両手を頭の後ろに回した体勢で、先生が胸をパタパタ。
結構それだけでも痛い。

生理前は張ったりするから痛いことはあるが、まだこないはずだしなぁ・・・。

結局茶髪村上は、さらりと「心配ないから」と。
はぁ。最悪の事態を覚悟してきていただけに気が抜ける。

生理前だとそういうことあるし、普通だから。
30歳前半ならあと20年は生理あるしね。

「めんどくさいですね。」

思わず本音が出てしまった。
フレンドリーにしようと結構おちゃらけていたのに、うんともすんとも表情を変えない、茶髪村上。

つまらんぞ、お前。

まぁ、そんなわけで何事もなく検査は終了したのでした。

いや、しかし、ほんと良かった。
たとえ余命を縮めても切除をしない選択の可能性の方が高かったので。
余命が限られるという覚悟をして医者に行くのはこれで2度目だが、いつも命拾いしたような気持ちになる。

しかし、ほっとすると同時にどこか寂しいような気持ちにもなるのである。時間が限られれば、色々なしがらみから解かれてもっと有効に自分の生きたい様に生きられただろうに、と。贅沢な失望には違いないが。

君の名は・・・

2005-01-25 | Weblog

君の名は PS-1。
経口投与抗癌剤。

Play Stationじゃないのね(笑)。

私用のシャンプー、リンスを用意するとノブは言う。
私用の歯ブラシも。

それでいて奥さんがやってくる時にはそれらは「隠される」そうだ(笑)。
そのまま残しておいたら「挑戦状」だろう、と。

その程度の気構えもなくて。
愛人なぞ作るなよ(笑)。

あのさ、知ってる?
洗面台のシンクの下に、君には必要ない「ドライヤー」が置いてあるんだよ(笑)。
君には言っていないけどね。

いやいや「言い忘れた」だけだから。

人間だから「言い忘れる」こともあるんだよ。うん。


自分で楽しみにしていると言った逢瀬の日を、君は「仕事の都合」で変えるのだね。
一体どんな仕事なのやら。


ま、頑張れ♪
お手並み拝見といこう。(爆)


もういいかい?

まぁだだよ。

もういいかい?


すれ違い

2005-01-25 | Weblog

なんとも寂しい。
私の敬愛する通称「ホームの人」が日曜にほんの目と鼻の先にいらしていた事を知った。

彼は友人として大切な言葉を下さった後、連絡を断ってしまわれたので知る由もなかったのだが、
本当に彼は眼と鼻の先の道を通っていたらしい。

とても、残念だなと思う。
もう少し違う展開であれば、彼と近くでお目にかかりお茶をする事も可能であったかもしれないのに。

とは言え、その日私はお茶会に行っていたのでいずれにしても無理か。

すれ違い。
縁のない人々は、たとえ目の前にお互いいたとしてもすれ違う。

電車から外の風景を見ていたりすると、そんな事をよく思う。
自転車で通り過ぎる人、コンビニに立ち寄る人、はたまた電車にたまたま乗り合わせた人、道でただすれ違う人。確かに同じ瞬間にそこに存在するのに、一生言葉を交わすこともなく終わって行く互いの人生もある。

そのくせ、たとえ地球の裏側にいる人であっても、あるタイミングで人と人は出逢う。
「ホームの人」はオリエンタリズムで知られるエドワード・サイードなども好きなようだが、そんな事をふと目にして笑ってしまった。サイードが没する前に私は生のサイードの講演を聞いている。たまたま当時所属していた大学院の系列で彼の講演の聴講が可能だったからだ。

私はサイードの事はよく知らなかったし、著書も残念ながら読んだ事はない。友人に連れられていったようなものだ。講演の最後、会場は拍手喝さいで総立ちに近かった。私はしらけてそれを見ていた。

言っている事はとても美しい概念だったように記憶しているが、あまりに美しすぎて私にはどうにも「青臭く」響いた。一回りほども若い生徒達の共感を得るのにはなんとなく納得するものがあった。理想に燃えている大学生の心であるならば、震える事もあるだろう。

しかし、私は途中で席を立ちたいほどであった。
余りに美しすぎて反吐が出そうだった。
美しい概念だけで人が救えるならば、いい。

現実はもっと醜い。
理論や概念の価値を認めないわけではないが、現実に根付かなければ意味がない。
実現されなければ、意味がない。

根っからニヒリストなのだと思う。私は。


なんということもない、ふとしたすれ違い。


まるで私たちの関係そのものを象徴しているかのようだ。


それもいい。
私が行き来している道をおそらくあなたは額に汗して走ったのだろう。
心の中にたくさんのものを抱えて。



私は、知らない。

2005-01-24 | Weblog
ノブは「死神」だなと思う。
甘言で人を篭絡する。

遠くにいる人達には生きる勇気や一時の癒しを与えるのかもしれない。
死神の言葉は耳に甘い。
けれども、死神のエネルギーは近くにいる者の精気を吸い取ってのことなのかもしれない。

ノブは優しい表情の裏に、決して笑うことのない眼を持った
寂しい死神だ。

死神を救う方法を、私は知らない。
死神に生まれついた不幸を、私は知らない。

渦巻く孤独を目の前にしても、私にはどうすることもできない。
なぜならそれは全ての人間が一様に背負っているもので、皆それと密かに向き合って生きているものなのだから。

確かにノブの環境はかなり苛酷なものであるかもしれないが、だからと言ってノブの際限ないエゴがどこまでも許されるというものでもない。

ノブの前に人はない。
あたかも心から大切にしているかのように見えて、その実彼は自分以外の全てを踏みつけにしている。
その傲慢さには、虫唾が走る。

たとえどんな状況でも、死神の跡継ぎとなる事を選んだのは彼自身の選択で、
死神になった彼が自分の「不幸」を売りにする事は滑稽ですらある。あざとい。


私は彼の跡をついで「心優しき死神」になることはできない。

美しい皮膚の下に隠された、黒い蛆虫に蝕まれ腐食した身体。
多くの人々はそれを知らずに死神に恋をする。
しかし、私には死神の本体が見える。
その醜い精神、身体に号泣する死神の姿が見える。


私になにができるというのだろう。
そんな彼の姿を知って尚、愛しいと思っているからと言って、何が出来るだろう?
彼が、彼を救わない。
ひとは自分で自分を救う他はなく、死神であることを選んだ彼にしてあげられる事は、
多分何もない。

彼の腕の中で私が息絶えれば、彼は一角の安息を得る事が出来るのだろうか?
それとも私が光り輝き、いつまもで彼の視線の先にいる事が彼の幸せに繋がるのだろうか?


死神を救う方法を、私は知らない。


私は、知らない。

先生の後姿

2005-01-24 | Weblog
本日は晴天なり、とはいかず、寒空の下今年初めての茶事、初釜を行った。

いやはや着物は好きだが、一日中着ているとやはり疲れる。(笑)
色黒の私には似合わない上等なピンクの訪問着は亡き伯母の形見である。この日、着物を着せてもらう為に訪れていた祖父母の家では私が出かけた後、家族総出で亡き叔父、伯母の墓参りをし、我が母は墓前にて「姉さんの着物を貸してもらってぽっちりちゃんはお茶会に行っているのよ」と報告したそうである。

小柄な伯母に合わせて誂えたものなので私には身丈、桁丈共に短く(笑)、おはしょりが充分に出ない程である。しかし、上質な物を好んだ伯母の好みなので、質のいい訪問着だ。当然、私は「着られて」いる。華やかな金糸銀糸を織り込んだ袋帯で「ふくら雀」を祖母は締めてくれた。高齢で、歩く事もままならない彼女に帯を締める作業は辛い。それでもその一時、祖母、母、私が一緒になって着付けをしているのだから、そういうのも悪くない。ちなみに年齢に合った具合の「ふくらみ」を持ったその帯型は茶席でもお褒めいただいた。(ふくら雀は誰かに着付けてもらわないとできない種類の型だ。(笑))


茶花道から離れて久しい。
おそらく通算5-6年は習っていたのではないだろうか。ひょっとするともっとか?素晴らしい先生に出逢い、「道」の精神というものを身を持って教えてくださった先生である。早いもので、彼女が急逝されてほぼ3年。

毎年、同じ茶懐石で同じ場所で行われる初釜。
今でもふと彼女が襖の陰から顔を覗かせるような気がしてしまう。
けれども、先生は絶対に、もうそこには「いない」のだ。

名前は存じ上げないけれども、お会いした事のある面々、そして全く新しいカルチャーセンターの生徒さん。時の移ろいを感じ、知った顔が少なくなる事が寂しく感じられた。少しずつ薄れて行く先生の「気配」が、たとえそれが健全な変化であるにしてもやはり私には少し切なく響く。

現在は亡き先生の義娘さんが茶道の師として教えているのだが、この方はなんとも「さっぱり」した「イキ」のいいお手前をされる方である。それでも随分と今年は円みを帯びてきたなと感ぜられたが、やはり大先生のお手前とは全く違う。彼女が淡々とこなしてしまう所作の一つ一つが、先生のそれにはもう少したおやかさがあった。

私は高弟子さん達のお手前を拝見しながら、亡き先生の面影をそのお手前に探していた。随分と茶を点てなくなってから経つのに、お手前の流れを見ていると先生の仰っていた事の一つ一つが蘇るから不思議だ。先生の教えの「ソレ」とほんの一瞬ずれている時、私は先生の不在を知る。先生の年老いたその手で点てられるお茶は今まで飲んだどのお茶よりも美味しかった。膝を痛めて正座ができなくなっても、初釜のこの日だけ先生の点てたお茶をいただく事が出来た。

どんなに美味しいお茶でも、先生の点てるお茶には敵わない。たとえ家元の点てるお茶でも、きっと私は亡き先生の味を好むだろう。先生にそんな事を言ったら、きっと彼女は困ったように苦笑いをするに違いない。

美しい手前、というものがある。それが「何か」というととても言葉で表現するのは難しいのだが、基本に限りなく忠実である事であり、その作法の奥に流れている精神を汲み取ってその所作は行われている事、そして客にもその心遣いを「読み取れる」ある一定の知識があること、さらに同じ型の中であっても、その人らしさ、独特の「間」、呼吸などがあることなどであろうか。

正直に言うと、お嫁さんの事は人としてはとてもサバけていて好きなのだが、彼女のお手前にはどうにも私は惹かれない。ちょっと「雑」な感じを受けるのだ。寧ろ高弟子さんのうちの一人のお手前を好む。技術もさることながら、これはもう好き好きの問題になるのかもしれない。私の好きな方のお手前には一切の無駄がなく、それでいてとても美しい軌跡を描く。優美であり、丁寧であり、それでいて過剰な緊張感を漲らせる事もなく、かといって「手順」だけ正しくやっているだけの淡白さもない。その人の「艶」というか、「色気」というか。そういったものが絶対に必要なのである。それはその人でなければできないお手前である。

歌舞伎の俳優などもそうだろう。型は同じで伝統を踏襲していも、演じ手が異なれば印象は違う。好みの俳優というものはひとぞれぞれであり、見栄の切り方にも個々の独特の味がある。

全体的な印象として、茶事は「雑」になった感がある。カジュアルさも大事である。敷居ばかりが高くてもしょうがない。ただ、どこか和気藹々としたなかにもかつてあった「凛」とした佇まいは年々薄れてきているような印象を受ける。全体としての質は多分下がってきている。

また花入れの花や、掛け軸、道具類もやや華美になった感がある。むろん、新しい先生なのだから変化は当然なのだが、やはり私はどこかで大先生の面影を残しておいて欲しかったという思いもある。全てを残す必要はないが、「どこか」で、亡き大先生を知る人が彼女を偲べるようなそんな気遣いが感じられたらもっと趣き深いものとなった気がする。

新しい生徒さんはカルチャーセンターの生徒さんがほとんどで亡き大先生を全く知らない。私と友人のH嬢は先生が亡くなってからすっかりその世界から離れてしまったので、本当にこの年に一度の初釜の時だけ皆さんにお会いするような状況である。新しい生徒さんと隣り合わせになってたまたま言葉を交わしても、先生を知らない。その事実にそれは決して彼女のせいなどではないのに、私はもどかしく感じる。

少しずつ年老いていくかつての稽古仲間の皆さんの姿を久しぶりに見ると、どことなく切なくなる。私たちがご挨拶に行くと皆一様に「お久しぶりです」と喜んでくださる。水屋の手伝いが出来るほどの知識はないので(茶花道ともになんちゃって『免許皆伝』(爆)ではあるが。)「お手伝いしないのが何よりものお手伝い」と自負しているので「気持ちサポート」状態である(笑)。

いないはずの先生の姿を、私の眼は水屋の中に探している。
いないはずの先生が、そこで微笑んでいる。

先生との様々な思い出が蘇る。
茶事で使ったお茶は小山園の「彩雲」。
これが非常に上等なお茶であることを知ったのは茶道を習い始めてから随分経ってからだった。それを先生は普段のお稽古にもふんだんに使わせてくださっていた。お茶とお花あわせて一万円をきるお月謝では有り得ない待遇である。毎回美味しいお菓子もふんだんに用意してくださっていた。友人と私の舌はここで肥え、生半可な和菓子など食べられない身体になってしまった。全ては先生のせいである。(爆)

お嫁さんの点てた濃茶は大変美味しかった。
けれどもそれでも、先生の濃茶を超える味を私は知らない。」


茶事の途中、お顔はなんとなく覚えている生徒さんの一人から「お花辞められてしまったの?以前は研究会にもでていらっしゃったわよねぇ?」と声をかけられた。エェ。辞めてしまったんです。てか日本にいなかったからなんですけどね。(笑)

当時、月一度の研究会というお花を生ける発表会のようなものがあり、当日の花材(つまり枝振りとかそういったものは全く予測できないと言う意味で)を使って制限時間内にお花を生けるという、まぁ、なんだ、テストのようなことをするのである。私、実は「意外に」成績良かったんですよね(爆)。よく勢い余って枝とか折ったりしてましたが。ラブリー、セロテープ♪

嬉しいものだなと思った。そんな風に声をかけられることは。私は彼女が研究会の会場にいた事は余り覚えていないのだが、意外に人は見られているのね?(笑)辞めて随分経つのにそんな風に覚えていてくださる方がいらっしゃることはとても嬉しい。

そうですね、またやりたいです。
でもやっぱり、「先生」に教えて欲しいのです。
「先生」だから、続けることができたのです。


「いつ死んじゃうか分からないから、今のうちに教えておきたいのよ。」


先生、すみません。
大切な事をたくさん教えていただいたのに、私は先生の御厚意に露ほどのお返しもできていません。


***

帰国して丁度一年が経った。
今になって気がついた。

月命日だ。
嗚呼、そうであったか。
それで初釜はいつもこの日になっているのだ。

先生はやはり皆の心の中にいるのですね。
誰も口には出さないけれど。


そしてもう一つ、あることに気づいた。
あと数ヶ月でやってくる先生の祥月命日こそ、正しくノブの誕生日であった。


今年はどんな思いでその日を迎えるのだろうか。


素朴な疑問

2005-01-22 | Weblog

なんで日本って一気にぱーっとあるものが流行って、廃れて行くんでしょう?
広告に踊らされる、つぅか・・・。

今なぜか「ロールケーキ」なんでせう??
いや、ロールケーキ、悪かないけど。

昔からあったし、取り立てて大騒ぎするほどのものでも。
ま、各地、ご当地素材を使ったりして頑張っていたりするようだけど。
北海道のイカ墨ロールケーキ、つぅのにはびっくらこいた。そこまでしなくちゃダメなのか?

あと数年もすりゃ生産中止になるんじゃないのかぁ??

ティラミス、とかナタデココとかカヌレとかエッグタルトとか・・・わらわらわら。
なんか一杯あったよなぁ。

皆、どこに行ってしまったのでしょうねぇ。
飽食の時代だね。
物がありすぎるから、飽きるのも早い。

あぁ、なんか贅沢な悩み。(笑)

ロールケーキは、太古の昔お料理嫌いなうちの母が焼いてくれた安物苺ジャムのロールケーキが一番上手かったと思うです。

手作りには勝てない。

あ。そうそう。
昨夜、ノブの夜食用におにぎりを作って彼のアパートを出てきました。
新幹線の中で食べたらしいけど、「今まで食べたどんなおにぎりよりも上手い」そうで・・。(笑)

おまっ。おにぎりも作ってくれる人いなかったのかぁ?
そんなことないだろうによ(苦笑)。
(言っておきますが、レンジでチンのお米で作った、ごく『普通』の梅干おにぎり+沢庵っす。)

ということで次回の具はひじきと納豆キムチ(ノブ談:人の食いもんじゃねぇ。⇔私、両方とも好きです。おにぎりの具にしたことはないですが。イケルと思うけどな。)

ああ。ロールケーキから脱線してしまった。
あのふわふわ感。

中途半端に庶民的で宜しいのか?
ロールケーキつぅとこが「時代」かもな。高くても一本1000-2000円くらいでしょ?
せちがらい、ねぇ。(笑)

ヒロシよ・・・

2005-01-22 | Weblog

元ホストのヒロシネタをうっかり?(笑)目にした。

「引き篭もるお金がありません」

ほんと。その通りだなぁ。
私の場合、今まで働いた分の貯金で食いつないでいるけれども、案外これがネックだったりする(笑)

生活に困っていたら、背に腹は変えられないもんなぁ。
一人暮らしと引越して、お金使うべきかな?
そうすりゃ、嫌でも働く(笑)。

ノブ曰く
「俺にパラサイトしろよ。」

それも、ねぇ・・・。
後々奥さんと裁判沙汰になったりするのも、ねぇ・・・。(苦笑)

何しろ本人いない可能性が高いし。←妙に女は現実的。 

ヒリヒリ?

2005-01-21 | Weblog
・・・バカである。

朝食のトーストを食べたその手で、ノブは私の大事なトコロを弄んでいた。
ほぼ、朝の日課となっている。

ところが、その直後あらぬ刺激がその例のトコロに感じられるのだ。

「・・・・?!」

一瞬あらぬ刺激に押し黙った後、まさか、と思った。

・・・ノブはチーズトーストにタバスコをかけて食べるのが好きなのだ。 

「ノブ、タバスコ手に付いてた?」

その質問で私の置かれている状況を悟ったノブは大笑いして言う。

「舐めてあげる♪

「余計ヒリヒリするよっ!(←そういう問題なのか?)」

「甘いヨーグルト食べたから、大丈夫♪(←違うと思う)」


結局舐めてもらったが(爆)、微妙にヒリヒリ。 

あっちの口でタバスコを味わったのは、初めてでした。

それはさておき。
きゃつは毎回ちゃんと手を洗ってから出かけているんだろうか・・・?
甚だ、疑問。(ヤダ。そんな上司。

From sunset to sunset

2005-01-21 | Weblog
ノブとの一件で気持ちが随分と凹んでいた。浮き上がってはまた沈み、浮き上がってはまた沈みの繰り返しだ。沈む度合いは徐々に浅くなっているのだろうか?自分では分からないけれど、やはり慣れというのはあるのだろう。少しずつ、「諦観」に近づいてきているのかもしれない。何より、戻るところは自分の気持ちしかないわけで。

いつだって自分で選べる。
嫌ならやめればいいのだ。
誰も強制しているわけではないのだから。

選んでいる以上、泣き言を言わず進むしかない。
自分がもうこれでいいと思える所まで。

***

以前ひょんなことからとても柔らかく瑞々しい文章を書く方に出会った。とても穏やかで、自然体のまま日々の中に美しい物を見つける事に秀でた方であるように見受けられた。彼の置かれている環境がそうさせているのかもしれない。

此処の所、堂々巡りをしている私を心配してくださってその方、(仮にM氏とする)がメールをくださった。
ある男の話、ということで随分と突っ込んだご自分のお話をしてくださった。そこに書かれている彼は、普段のHPからはうかがい知る事が出来ない姿を持っていた。しかし、不思議とイメージが崩れたと落胆したり、ショックを受けたりということはなかった。どこか、あぁ、やっぱりなと寧ろ思ったのかもしれない。

人の痛みを我が痛みのように分かる人間というものは、得てして自分の人生においてそれなりの苦い思いをしているものである。そして、その痛みを真正面から見据えて目を逸らす事をしなかった人間だと思う。おそらく最初からそうできていたわけではないだろう。幾度か繰り返され、自分なりに道を模索してたどり着いた自分の「真実」だから、そこに一つ「揺るがない自分」を見出す事ができたのだと思う。

彼はなぜ自分がそんな事を私に書いているのか分からないと言い、読んだ私もさて、どういう感想を持てばよいものやら分からなかった(笑)。ただ、お会いしたこともないけれど、M氏は私の日々の日記を読んで堪えられないほどに辛い思いをされていたのだろうな、と思う。面目ない。(苦笑)

以前馴染みの柚子姫にもちらと言われた事があるのだが、どうやら私は書く事で自分の痛みをより鮮明にしてしまうらしい。読む方は堪ったものではないかもしれない。(「痛い」と思う人、無理して読み続けないでね?身体に悪いから。(笑))

それでも私はここに吐き出すのだ。
書いて少しなりとも自分の中で感情を消化させる。
本当にただ自分の為だけに書いている。

不思議と、M氏の持つ優しさは知り合った頃のノブのそれと似通っている。だから、分かるのだ。
M氏は遠くから優しい言葉をかけてくださるが、例えばこの出会いをノブの時のように実生活にまで発展させてしまったら、おそらく私はM氏の最も醜い部分も知る事になるのだろう。ある一定の距離があるからこそ、どこまでも清く、優しい関係であることができる。つまり。ネットと言う「実生活」のない場だから、必要な時に必要なだけ優しくなれるのだ。

M氏の優しさ、温かさに触れて思った。
私もノブと実際に対面しなかったら、ただただ美しいイメージのままで(現にそうしている女性がいるように)ノブに恋し続けることができたのだろう。

ただM氏とノブには大きな違いがある。M氏はご自分のかなりprivateな事情を聞かれずとも自発的に話して下さったということである。私の知人、友人の男性達は大抵ある程度知り合ってくるとおのずとそういう話をしてくれる。私はそこに誠意を見る。それがノブにはなかった点だ。聞かなかった私もまずいが、彼は最後の最後まで(嘘はつかなかったが)全てを語ることはなかった。それは今でもそうである。新たな事実が露呈しても「またか」と思うくらいかもしれない。この点に関しては私がノブと付き合いだした当初、男友達のE氏が冷静に指摘してくれた点だ。

スペインの諺にある。
「全てを話さぬ者も、また嘘つきだ。」

しかし、強制されたわけではなく、私は敢て対面する事を選んだ。男女の関係を持つことも選んだ。
彼が背負っているものも、出会う前から知っていた。
私が、選んだのだ。

「生」の部分は実に醜い。醜いがそれが現実で、それがリアルに生きるという事だ。
ネットはきっかけとしてはいいかもしれないが、表情も、体温も、湿度も、匂いも感じない。
いや、感じる事はあるかもしれないが、それはあくまで一方通行の感じ方のような気がする。
やはり人間は「会って」お互いを知り合っていって初めて「生」の交流が可能になるのだと思う。
見ないままの交流もある。が、それは「見えていない部分がある」ということを実生活以上に意識しておかなければならないのかもしれない。とかく錯覚してしまいがちだから。

目に見えようが、見えまいが、私が欲しいのは「現実」だけだ。
ノブの為ではない。ノブの行動の全てがそうであるように。
ノブも私もお互い「自分の為」に動いてる。エゴイストだが、エゴイストでない人間などいない。程度の差こそあるのかもしれないが。エゴイストだと知っているだけ、ノブも私もマシだろう。

お礼のメールをM氏に送った。
丁度その時、やはり夕陽だった。電車に揺られていたのだが、茜色の夕陽を見て訳もなく泣き出したいような気持ちになっていた。

なんと言っていいか分からない。文体も口調も全く異なるのだが、私はM氏の中にノブを見た。ノブが多くの女性に声をかけずにいられないのは、おそらくはM氏と同じような動機なのだろうと分かるのだ。何を望んでいるわけではなくて、ただ励ましたい、と。その気持ちが間違っているなどということはないし、現にある程度の効果はある。ただ、そこからまかり間違っても恋してはいけない(笑)。
それが今回一つ学んだ事だろうか?(笑)

自分の基準と他人の基準は似て非なるものだから、自分の基準をそのまま相手にあてはめるわけにもいかない。「私」は「励まし」においてはある一定の距離を保ちつつ行うが、中にはそうではない人もいるのだろう。



夕陽を眺め、泣きそうになりながらそれでもノブに逢いに電車に揺られていた。
M氏が言う。
「楽しんでおいで。」と。



夕陽から夕陽へ旅をする。
M氏との交流はまるで既に失われた「ノブ」との交信のようだった。



それでも私はノブのメルトモの女性達の気持ちを否定することはできない。
なぜなら、私はやはりM氏に「ありがとう」という穏やかな気持ちを抱く他、できないのだから。


ありがとう。
泣きたいほど、嬉しかったです。


あの日もまた、夕陽の中に富士山の影がそれは見事に映っていたのですよ。