大晦日である。年を取ると時が経つのが早くなるとは、まさしくその通りだと実感する。あっという間に、特にこれと言って何もしていないのに一年が経ってしまった。体の不調が表に出た年であった。
春先に首と肩を痛めそれが完治することなく、痛みをなだめすかしながら過ごした。また、祖父が夏に亡くなり、その葬式の場で突然過呼吸の発作が起こり、なんと斎場から病院へ運ばれるという前代未聞の体たらくもあった。あぁ、救急車で運ばれるというのは、ああいうものなのだなと過ぎてみれば笑い話だが、その当時は長年祖父を介護をしてきた母に骨を拾わせてあげることができなかったことが深く悔やまれた。
しかし、楽しいこともあった。年末、インド人の友人の結婚式に参加することになり、初めてインドを、しかもほぼ一人旅で周るということができた。決して楽な旅ではなかったが、まさしく混沌というもの、人々の生きる力、善と悪の不思議な共存という世界を目にした。思い出に残る、というか価値観の幅がまたこの旅で広がったような気がする。
さて、大晦日。大晦日だというのに、先日フランスから帰国した夢子ちゃんからランチの誘いがかかっていたので、ま、いいかと思い会ってきた。3ヶ月ぶりくらいい会う彼女の髪は肩の下まで伸びていたが、表情には相変わらず生気はなく、「やつれているな」という印象であった。覚悟はしていたが、会った早々レストランへ向かうデパートのエレベーターの中で、先ごろ亡くなった母親の葬式に出たかった、どうして自分に事前に伝えてくれなかったのかというような話が出る。同乗している客が、心なしか私たちの立っている後ろを振り返る。さもありなん。エレベーターの中で話すような種類の話ではない。
もうちょっとな、と心中で苦笑する。いや、夢子に会うという事は、半ば似非カウンセラーになるようなものなので覚悟はそれなりにしてきているのだが、少しは明るい話題、というワンクッションくらいおけないものかなと思う。が、まぁ、それができないところがこの人でもあるので、致し方ない(苦笑)。
2時間半くらい話を主に聞いていたと思うが、食事を楽しむというのとはほど遠かった。話題が話題なので、それはなかなか難しい。できるだけ前向きなコメントをしたし、今更考えても仕方のないことだと諭した。そもそも自分の選んだ選択なのだから、その当然の結果は甘んじて受けるべきだろうと思っていたが、口に出すことはしなかった。
良いお年を、と言って彼女と別れ、近くのデパートで来年のスケジュール帳のレフィルを買った。文房具コーナーには思いのほか人手が多く、なんで皆わざわざ大晦日なんかに買いに来るのかと不思議に思う。自分だってその一人なのだが。
帰宅して、父が毎年大晦日に作る「ざくざく煮」という汁物を食べる。銀杏、ユリ根、シメジ、きくらげ、高野豆腐、里芋、青豆、牛蒡、ニンジン、むかご、するめ、ホタテ等が入ったとにかく具沢山の汁である。味付けもいい具合に仕上がっていて、二杯ほど食べた。食べながら、以前録画していた溝口健二の「新・平家物語」を見る。市川雷蔵は綺麗だが、声はいま一つ。今まで見た溝口作品の中で唯一のカラー作品だが、一番内容的につまらない作品であった(笑)。真剣に見ていなかったので、よしとする。
同時に年越しそばも食べる。非常にお腹がいっぱいで、はちきれんばかりである。食べ過ぎてぷっぷかぷー、とおならが出て困った。
年末の格闘技や紅白もちらちらとは見たが、どれもこれも大晦日のTV番組というのは異常につまらない。長時間枠の番組が多いが内容は薄すぎる。つまらんね、ほんとに(笑)。
いつの間にか、年を越したので友人ら数人に「おめでとう」メールを出す。が、返信はほんのわずかな人達からだけだったので、ちょっと寂しい。まぁ、大晦日だし、皆色々忙しく時間を過ごしていて、返信どころではないのだろう。
ふと思い出して、夜中過ぎから前日に放映されていた「有頂天ホテル」を見る。思いの外長い映画だった。大晦日のホテルを舞台にした作品だったので、見るなら今だろうと思ったのだ。三谷さんの脚本は最後には全てつじつまがあって、大勢の出演者がそれぞれうまく納まっていくという新年には良いような内容である。
どう考えてもこれは「グランド・ホテル」のパロディーなのだろうと思う。グランド・ホテルスタイルという同時並行で幾人もの登場人物の話が進んで行くという形式だ。だが、まぁ内容はどうということもない。一つ驚いたのは、ホテルの案内などの毛筆書きを担当する係りの冴えない男をオダギリ・ジョーが演じていたということだった。最後の最後まで分からず、キャスト・ロールで始めて知った。化けるなぁ(笑)。アクの強い役者をうまく使っており、キャスティングはなかなか面白い。が、話が冗長でバタバタが過ぎるので、もう少し整理しても良かったのではないか、などと。
そうこうしているうちに新聞が配達され、すっかり元日の朝になってしまった(笑)。新年から禁煙しようかと思っていたそばから、まぁ一服と吸ったら既に12時を過ぎていたので(笑)、もろくも崩れ去る。
さて、古い思いはリセットして行こう。
大晦日というのは、その為にあるようなものだ。
(写真はざくざく煮)
春先に首と肩を痛めそれが完治することなく、痛みをなだめすかしながら過ごした。また、祖父が夏に亡くなり、その葬式の場で突然過呼吸の発作が起こり、なんと斎場から病院へ運ばれるという前代未聞の体たらくもあった。あぁ、救急車で運ばれるというのは、ああいうものなのだなと過ぎてみれば笑い話だが、その当時は長年祖父を介護をしてきた母に骨を拾わせてあげることができなかったことが深く悔やまれた。
しかし、楽しいこともあった。年末、インド人の友人の結婚式に参加することになり、初めてインドを、しかもほぼ一人旅で周るということができた。決して楽な旅ではなかったが、まさしく混沌というもの、人々の生きる力、善と悪の不思議な共存という世界を目にした。思い出に残る、というか価値観の幅がまたこの旅で広がったような気がする。
さて、大晦日。大晦日だというのに、先日フランスから帰国した夢子ちゃんからランチの誘いがかかっていたので、ま、いいかと思い会ってきた。3ヶ月ぶりくらいい会う彼女の髪は肩の下まで伸びていたが、表情には相変わらず生気はなく、「やつれているな」という印象であった。覚悟はしていたが、会った早々レストランへ向かうデパートのエレベーターの中で、先ごろ亡くなった母親の葬式に出たかった、どうして自分に事前に伝えてくれなかったのかというような話が出る。同乗している客が、心なしか私たちの立っている後ろを振り返る。さもありなん。エレベーターの中で話すような種類の話ではない。
もうちょっとな、と心中で苦笑する。いや、夢子に会うという事は、半ば似非カウンセラーになるようなものなので覚悟はそれなりにしてきているのだが、少しは明るい話題、というワンクッションくらいおけないものかなと思う。が、まぁ、それができないところがこの人でもあるので、致し方ない(苦笑)。
2時間半くらい話を主に聞いていたと思うが、食事を楽しむというのとはほど遠かった。話題が話題なので、それはなかなか難しい。できるだけ前向きなコメントをしたし、今更考えても仕方のないことだと諭した。そもそも自分の選んだ選択なのだから、その当然の結果は甘んじて受けるべきだろうと思っていたが、口に出すことはしなかった。
良いお年を、と言って彼女と別れ、近くのデパートで来年のスケジュール帳のレフィルを買った。文房具コーナーには思いのほか人手が多く、なんで皆わざわざ大晦日なんかに買いに来るのかと不思議に思う。自分だってその一人なのだが。
帰宅して、父が毎年大晦日に作る「ざくざく煮」という汁物を食べる。銀杏、ユリ根、シメジ、きくらげ、高野豆腐、里芋、青豆、牛蒡、ニンジン、むかご、するめ、ホタテ等が入ったとにかく具沢山の汁である。味付けもいい具合に仕上がっていて、二杯ほど食べた。食べながら、以前録画していた溝口健二の「新・平家物語」を見る。市川雷蔵は綺麗だが、声はいま一つ。今まで見た溝口作品の中で唯一のカラー作品だが、一番内容的につまらない作品であった(笑)。真剣に見ていなかったので、よしとする。
同時に年越しそばも食べる。非常にお腹がいっぱいで、はちきれんばかりである。食べ過ぎてぷっぷかぷー、とおならが出て困った。
年末の格闘技や紅白もちらちらとは見たが、どれもこれも大晦日のTV番組というのは異常につまらない。長時間枠の番組が多いが内容は薄すぎる。つまらんね、ほんとに(笑)。
いつの間にか、年を越したので友人ら数人に「おめでとう」メールを出す。が、返信はほんのわずかな人達からだけだったので、ちょっと寂しい。まぁ、大晦日だし、皆色々忙しく時間を過ごしていて、返信どころではないのだろう。
ふと思い出して、夜中過ぎから前日に放映されていた「有頂天ホテル」を見る。思いの外長い映画だった。大晦日のホテルを舞台にした作品だったので、見るなら今だろうと思ったのだ。三谷さんの脚本は最後には全てつじつまがあって、大勢の出演者がそれぞれうまく納まっていくという新年には良いような内容である。
どう考えてもこれは「グランド・ホテル」のパロディーなのだろうと思う。グランド・ホテルスタイルという同時並行で幾人もの登場人物の話が進んで行くという形式だ。だが、まぁ内容はどうということもない。一つ驚いたのは、ホテルの案内などの毛筆書きを担当する係りの冴えない男をオダギリ・ジョーが演じていたということだった。最後の最後まで分からず、キャスト・ロールで始めて知った。化けるなぁ(笑)。アクの強い役者をうまく使っており、キャスティングはなかなか面白い。が、話が冗長でバタバタが過ぎるので、もう少し整理しても良かったのではないか、などと。
そうこうしているうちに新聞が配達され、すっかり元日の朝になってしまった(笑)。新年から禁煙しようかと思っていたそばから、まぁ一服と吸ったら既に12時を過ぎていたので(笑)、もろくも崩れ去る。
さて、古い思いはリセットして行こう。
大晦日というのは、その為にあるようなものだ。
(写真はざくざく煮)