Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

Reset and start again

2006-12-31 | Weblog
大晦日である。年を取ると時が経つのが早くなるとは、まさしくその通りだと実感する。あっという間に、特にこれと言って何もしていないのに一年が経ってしまった。体の不調が表に出た年であった。

春先に首と肩を痛めそれが完治することなく、痛みをなだめすかしながら過ごした。また、祖父が夏に亡くなり、その葬式の場で突然過呼吸の発作が起こり、なんと斎場から病院へ運ばれるという前代未聞の体たらくもあった。あぁ、救急車で運ばれるというのは、ああいうものなのだなと過ぎてみれば笑い話だが、その当時は長年祖父を介護をしてきた母に骨を拾わせてあげることができなかったことが深く悔やまれた。

しかし、楽しいこともあった。年末、インド人の友人の結婚式に参加することになり、初めてインドを、しかもほぼ一人旅で周るということができた。決して楽な旅ではなかったが、まさしく混沌というもの、人々の生きる力、善と悪の不思議な共存という世界を目にした。思い出に残る、というか価値観の幅がまたこの旅で広がったような気がする。

さて、大晦日。大晦日だというのに、先日フランスから帰国した夢子ちゃんからランチの誘いがかかっていたので、ま、いいかと思い会ってきた。3ヶ月ぶりくらいい会う彼女の髪は肩の下まで伸びていたが、表情には相変わらず生気はなく、「やつれているな」という印象であった。覚悟はしていたが、会った早々レストランへ向かうデパートのエレベーターの中で、先ごろ亡くなった母親の葬式に出たかった、どうして自分に事前に伝えてくれなかったのかというような話が出る。同乗している客が、心なしか私たちの立っている後ろを振り返る。さもありなん。エレベーターの中で話すような種類の話ではない。

もうちょっとな、と心中で苦笑する。いや、夢子に会うという事は、半ば似非カウンセラーになるようなものなので覚悟はそれなりにしてきているのだが、少しは明るい話題、というワンクッションくらいおけないものかなと思う。が、まぁ、それができないところがこの人でもあるので、致し方ない(苦笑)。

2時間半くらい話を主に聞いていたと思うが、食事を楽しむというのとはほど遠かった。話題が話題なので、それはなかなか難しい。できるだけ前向きなコメントをしたし、今更考えても仕方のないことだと諭した。そもそも自分の選んだ選択なのだから、その当然の結果は甘んじて受けるべきだろうと思っていたが、口に出すことはしなかった。

良いお年を、と言って彼女と別れ、近くのデパートで来年のスケジュール帳のレフィルを買った。文房具コーナーには思いのほか人手が多く、なんで皆わざわざ大晦日なんかに買いに来るのかと不思議に思う。自分だってその一人なのだが。

帰宅して、父が毎年大晦日に作る「ざくざく煮」という汁物を食べる。銀杏、ユリ根、シメジ、きくらげ、高野豆腐、里芋、青豆、牛蒡、ニンジン、むかご、するめ、ホタテ等が入ったとにかく具沢山の汁である。味付けもいい具合に仕上がっていて、二杯ほど食べた。食べながら、以前録画していた溝口健二の「新・平家物語」を見る。市川雷蔵は綺麗だが、声はいま一つ。今まで見た溝口作品の中で唯一のカラー作品だが、一番内容的につまらない作品であった(笑)。真剣に見ていなかったので、よしとする。

同時に年越しそばも食べる。非常にお腹がいっぱいで、はちきれんばかりである。食べ過ぎてぷっぷかぷー、とおならが出て困った。

年末の格闘技や紅白もちらちらとは見たが、どれもこれも大晦日のTV番組というのは異常につまらない。長時間枠の番組が多いが内容は薄すぎる。つまらんね、ほんとに(笑)。

いつの間にか、年を越したので友人ら数人に「おめでとう」メールを出す。が、返信はほんのわずかな人達からだけだったので、ちょっと寂しい。まぁ、大晦日だし、皆色々忙しく時間を過ごしていて、返信どころではないのだろう。

ふと思い出して、夜中過ぎから前日に放映されていた「有頂天ホテル」を見る。思いの外長い映画だった。大晦日のホテルを舞台にした作品だったので、見るなら今だろうと思ったのだ。三谷さんの脚本は最後には全てつじつまがあって、大勢の出演者がそれぞれうまく納まっていくという新年には良いような内容である。

どう考えてもこれは「グランド・ホテル」のパロディーなのだろうと思う。グランド・ホテルスタイルという同時並行で幾人もの登場人物の話が進んで行くという形式だ。だが、まぁ内容はどうということもない。一つ驚いたのは、ホテルの案内などの毛筆書きを担当する係りの冴えない男をオダギリ・ジョーが演じていたということだった。最後の最後まで分からず、キャスト・ロールで始めて知った。化けるなぁ(笑)。アクの強い役者をうまく使っており、キャスティングはなかなか面白い。が、話が冗長でバタバタが過ぎるので、もう少し整理しても良かったのではないか、などと。

そうこうしているうちに新聞が配達され、すっかり元日の朝になってしまった(笑)。新年から禁煙しようかと思っていたそばから、まぁ一服と吸ったら既に12時を過ぎていたので(笑)、もろくも崩れ去る。

さて、古い思いはリセットして行こう。
大晦日というのは、その為にあるようなものだ。

(写真はざくざく煮)


テクノロジー

2006-12-30 | Weblog
昨今のプリンターは凄いものだと感心した。先日、PCが壊れ買い換えた。同時にプリンターも買い換えたのだ。今度のプリンターは凄い。CD印刷もできるのである。

古いPCに入れていたインドの写真のデータを全てPCが壊れたときに一緒に失ってしまったものだから、今日再度カメラから取り込みなおしていた。で、タージマハルの写真があったのでそれをCDのラベル部分に使い、写真のバックアップ用にインドアルバムを製作したわけである。

へぇ。凄いじゃん。
初挑戦だったので、印刷はドキドキである。

CD-Rの字の向きと逆に印刷しちゃったのは、ご愛嬌♪


さようなら、大統領

2006-12-30 | Weblog
師走だからってそれはないんじゃないの?と思う。イラクのフセイン元大統領の死刑が執行された。年末も押し迫った時期に、人々がバタバタしている時に闇にまぎれて執行しちゃえ、というようなノリを感じる。

曲がりなりにも、たとえそれがある種仕組まれた裁判であったとしても、イラクの国内法に沿って死刑が確定したのならば、それもやむを得まいと思う。どの道フセイン元大統領は、自ら犯した罪もあるし、また専制時代のシンボルとしてもスケープゴート的になんらかの処罰を受けざるを得なかっただろう。

だが、死刑判決が出てからたったの4日でさっさかさーと元大統領を始末するというのは、また随分乱暴な感じがする。かと言ってピノチェトほど野放しにしておくのもどうだろうかとは思うが。

新しい年を新しい時代の幕開けとしたいのかもしれないが、「臭いものはさっさと始末してしまえ」というイメージがある。それもイラク国民が本当にそう望んでいるのか、裏でアメリカが描いている脚本に沿っているのか判然としない。どちらかと言えば、後者の歩合が強いだろうに。

この死刑によって、一層国内では各宗派間の紛争が激化するのではないか。国内が安定化していないのに随分と乱暴な選択をしたものだなと思う。本当はかなり大きなニュースであるはずなのに、どこか世論は冷めている。イラク国内でも、国外でも。イラク市民にしてみれば、そんなことより日々のテロに巻き込まれないことや職を得て食べて生きて行くことの方が重大なのであろう。

イラクの未来は、どうやらまだまだ硝煙の中にあるように思える。
いったいどこへ行こうと言うのか、イラクよ。

異教の神よ、イラクの民を守りたまえ。

アッラーフ・アクバル。

芸術性は買うものの・・・

2006-12-30 | Films

友人のH嬢と映画を見に行った。厳密には映画を目的として出かけたのではなく、ミヤケマイさんというアーティストの個展が渋谷の文化村で行われていたので、それを見に行ったのだ。

文化村まで行くのだからついでに、ということで映画館の演目を見るとバレエ映画を上映していたからそれを見ることにした。H嬢は同じ監督のドキュメンタリー「エトワール」を以前見ていて結構良かったということだった。

が、しかし。このAuroraという映画は突っ込みどころ満載で素晴らしかった(笑)。芸術性は非常に高い。映像美という点では、文句なく美しいと思う。さすがおフランス人。また、ダンサー達の質の高さも言うには及ばず。オペラ座のダンサー達が出演しているのだから。

だが、しかし。「映画」としては、かなりダメである。いや、だめでしょう。1,800円返してくれないかな?でしょう(笑)。そもそも、この監督はドキュメンタリーを撮る人だったということである。その方が良かったのかもしれない。「エトワール」は見ていないから分からないけれど、バレエの世界は過酷な弱肉強食の世界であるし、それに映像美が加わればそこそこのものはできるだろう。が、この人のフィクションはかなりやばい。(笑)

そもそもストーリーがなめている。ストーリーなぞどこ吹く風、である。御伽噺風に、「昔々あるところに踊りを禁じられた国がありました。けれどもその国の王女様は何よりも踊ることが好きでした。」ということである。まず、なぜに踊りを禁じるのか?その根拠が弱い。弱すぎる。しかも、禁じているのにも関わらず、姫様は結構すき放題踊っているし、「お父様、ごめんなさい。」だけで済んでしまうのである。はぁ。禁じてはいないじゃん(笑)。

で、財政が逼迫して国が傾いているというので、金持ちの王子と姫様を結婚させよう、その為に「舞踏会」を開くというのである。宰相が言うには、「お金はないけど3回までなら大丈夫」なのだそうだ。意味が分からん、意味が。金がないのに、なぜ舞踏会を開くのだ?さらに、舞踏会では「メヌエットなら踊ってもいい。」おいおい・・・。メヌエットだって踊りだろう。踊り禁じられているのに何で皆そんなにうまいかな?

次々とやってくる各国王子。「では、私の国の踊りを披露致しましょう。」だから、この国は踊りを禁じているのではなかったのか??貢物ならいいんかい?(笑)なかでも、ジパンゴ王国(←ぷっ!)の中国風の衣装を着た王子様が披露させた踊りは、なんといきなり(たぶん)「山海塾」のダンスである。しぇーーーっ。まさか、「ジパンゴ王国」で山海塾が紹介されるとは思っても見なかった。もう、それもほとんどホラーに近いというような静かだけれど重いダンス、どう考えても宴席で披露するダンスじゃないだろうよ。ジパンゴ王子、頭いかれてるぜ。案の定、姫様には「あんな王子は嫌いです」と一蹴(笑))

(但し、山海塾の踊りは素晴らしい。コンテンポラリーでは、世界的に高い評価を受けている舞踏団で、私もイギリスのSadler's Wellsでの公演で初めて彼らを見たが、度肝を抜かれる質の高さである。が、好き好きは別れるだろう。静かに抉る、舞踏団である。フランスでも高い評価を受けているし、またフランス人には非常にある意味受けるのが納得できる気もする。か~な~り、アバンギャルドだろう、彼らにしてみたら(笑)。)

まーまー。いかんせん、映画の手法で、顔をアップにしてバレエを撮るということに、まず無理がある。ダンスは「足」が基本である。足をカットしてしまっては、ほとんど意味がない。雲の上でのダンスシーンという設定で足元に大量のドライアイスを流しているが、おかげでニコラ・ルリッシュの足が全く見えない。

美しいバレエの世界が好きという監督の熱意は分かるが、映画としては評価に値しない。バレエは踊りそのものが感情であり、言葉であり、音楽である。凝縮したシンプルさの中で無限のものを表現できる芸術だ。となれば、そこにあえて言葉を重ねること、ダンサーに言葉を発せさせることの過剰さ。まるで茶室にいけられた茶花に銀のラメを振りまいているようなものである。

映画としては、完全に失敗作である。
が、ダンス好きの人ならば、ダンサーの素晴らしいポジション、技術の高さは映像からも伺えるし、あらゆる場面で突っ込みまくることができて、楽しむことはできるだろう。というか、そのような楽しみ方以外の方法があるとは、私には思えない「自称」映画である(笑)。


たかが人形、されど人形

2006-12-30 | Books
梨木香歩の「りかさん」を読了。今日は出かけるからきちんと寝なくてはと思っていたのに、読み始めたら止まらなくて、結局夜中までかけて読破してしまった。しかも、途中号泣(笑)。おかげで今日は目が腫れ上がったまま出かけることとなった。不覚である。

彼女の作品は二作目である。「家守綺譚」が非常に好きでツボにはまったので、実はその他の作品をそれ以上読む気にならなかったというところがある。彼女の作品で、これ以上好きな本が出てくるとはちょっと思えなかった。多分、それは間違っていないと思う。この作品の良さは、「軽さ」であった。薄荷飴を口に入れ、しゃくしゃくと途中から噛み潰して音を立てながら一気に飲み込んでしまった後の、あぁ、喰っちゃったよ、ふふふ♪というような清涼感である。(←どんなたとえだ?(笑))

決して内容が軽すぎるわけではないのだが、また重すぎるということもない。和風ファンタジーとして様々な知識を取り入れながら、美しい庭で草木に囲まれつつ、そよぐ風の音を聞いているというように、一貫してほのぼのとした体温が感じられる。それがどうにも心地よかった。他の作品を読もうと本屋で手にしたことはある。が、裏表紙の粗筋を読むと、やはり彼女の素地であるイギリス児童文学系の香りが感じられ、それが時に強すぎて、私は敬遠してしまった。

大学の時、私は少しだけ児童文学の講義を取ったことがある。イギリスものは、特に日本人にとっては、どうしても根底に「洋館」「庭」「少年少女の冒険、あるいは旅」「帰還=成長」というようないくつかのエッセンスがあるように思う。大抵、それらのエッセンスを踏襲している。児童文学であるから(笑)、少年少女以外が主人公になることはまずありえない。動物、というケースはあるかもしれないが、決して「大人」は主人公にならないのである。当たり前だが(笑)。(今は大人である主人公が、異世界では子供になって、ということならあるかもしれない)

そうすると、大体話の流れが読めてしまうのである。「秘密の花園」とか「ピーターパン」とか、ファンタジー的な要素が強いとすれば「指輪物語」とか「ナルニア国物語」とか。好きである。どれも大変好きである。だが、今更、日本人の書いたイギリス児童文学風の小説など読みたくないのだ。どうせ読むなら、やはりイギリス人の書いたものを読みたい。

では、梨木さんに何を求めるのか?と言えば、私はあえて「和風」ということをあげる。イギリス文化、あるいは大雑把に欧州的な要素というものを取り入れた上で、自分のルーツである日本文化というものに光を当てた作品。それが「家守綺譚」の世界だと思う。それでいて家守~は実はとても欧州的だと私は感じる。彼女の思考パターンが、日本国内でだけ育ってきた人のものではないからだ。根本的に異質な価値観のものを肌の内に取り入れる方法を、おそらくはそれなりの苦労をして習得した人であることが、文体や表現法から垣間見える。

私はこうである、と主張する。あなたにこうあって欲しいという願いを明確に(特に「言葉」で)伝えもする。けれども最終的な決断は相手の自由意志に委ね、仮に自分の意に沿わない結果となろうとも、相手には相手がそう判断するだけの正当な理由があるのだ。その理由は、どう逆立ちしても自分には完全には理解できないだろう。理解できないけれども、そうした「異質」のものが存在することを受け入れる。そういう姿勢である。大らかであり、曖昧でもある。

このような対応ができるのも、おそらく彼女の「日本人的」な資質が多分に関わっているのだと思う。多神教の背景があり、理論より感覚優先である日本人は、面と向かって争うことよりも、「取り込む」ことを好む。ごちゃまぜにして取り込むのだ。クリスマスだろうが、ハロウィンだろうが、サンジョルディの日だろうが(笑)。でも、そこには本来矛盾もあるし、並存できるはずのない理念もある。だから、深くは根付かない。根無し草のまま、水にたゆたう。それを「良し」とする。日本の「受け入れる」という姿勢は、この種のものだと思う。また、そうでしか、ありえないとも思う。

「家守綺譚」を読むと、私にはイギリス庭園が感じられる。舞台は日本で、日本家屋で、日本庭園で、日本の物の怪たちが登場するが、流れる雰囲気にはラベンダーが風にそよぎ、バラの花の芳香が漂っている。初夏の(イギリスが最も美しい時期の)イギリス庭園である。これが完全に和風の暗さ、湿度を持つのであれば、世界は「げげげの鬼太郎」の重さを持ったろう(笑)。そう、この作品には日本の湿度と陰が描かれていない。日本という形態をとりつつも、中身はイギリス児童文学の世界だ。

そこが良さであり、限界でもある。


さて、「りかさん」である。りかさん、はテレパシーの効く市松人形だ。主人公のようこちゃんは本当は「リカちゃん」人形が欲しかったのに、おばあちゃんが贈ってくれたのは黒髪をきりりと切りそろえ縮緬着物を着せられた「りかちゃん」である。

しかも、りかちゃんは一週間もするとようこちゃんと意思疎通ができるようになる。そして「りかちゃん」ではなく、「りかさん」と呼んで欲しいと要求するのだ。赤毛のアン、かよ?(笑)Eを最後につけてね、ってか?(笑)古式ゆかしい大和なでしこなら、そんな要求はおそらくしない(笑)。あなたが呼ぶ名前に答えるわ、である(笑)。

そして、ようこちゃんはさまざまな人形の思念を感じ取ることができ、身の回りの奇怪な現象を、おばあさんやりかさんの助けを借りて、解決していくのである。ようこはどうにも「子供」ではない。ようこの思考というのは、随分と大人びている。非常に不自然である(笑)。

言ってみれば、ようこに限らず全てが不自然なのである。ようこは大人すぎるし、おばあちゃんのようこに対する扱いも大人びている。異質な、人形や木々の精霊というものに対しての適切な距離感も、完全にグローバルな世界を見た人のそれである。それは実は非常に不自然なもののはずである。ところが、梨木さんの描くファンタジーの世界では、それが一つの世界の前提条件として成立しているのだ。

そして、ファンタジーの世界である場合、妖精が出てくる話に「妖精なんて科学的に証明できないよ。」と言ってしまったら、そこで話は終わりである(笑)。ここには妖精が住んでいました、と作者が描いたならば、読者はその前提条件を無条件に飲まなければいけないのである。(どこまでそこにリアリティーを後から持たせるかというのは作家の力量だが。たとえば、指輪物語、などは細部に至るまでほぼ完全にトールキンの中で一つの世界観が規定されている。)それが飲めないならば、「読まない」という選択肢はいつでも読者にはある。(笑)

「りかさん」は舞台は日本で人形の思念などに絡んだ話で、主人公は少女であるが、描いている世界は決して子供向きのものではない。あくまで大人を対象とした話である。そして、彼女の人形に対する知識の豊富さにも感嘆するが、やはり「人形」という素材を選んだだけあって、どこかおどろみどろとしていて、恐ろしくもある。

人形、というものに対するある種の恐怖。それは各国でも共通の部分もあるかもしれないが、市松人形の髪が夜中に勝手に伸び、人の怨念が人形に乗り移り、形代として人の災厄を人形が肩代わりするという、日本人がある程度慣れ親しんだ日本の「人形」に対する概念、いわば「暗き部分」への言語外の理解なしには、この「りかさん」という作品の質感は捕らえられない。アフリカ人が「りかさん」を仮に読んだとしても「市松人形のりかさん」の確かな質感を捕らえるまでに、相当時間がかかるのではないか?(が、アフリカはいまだに魔女が生きているもあるし、呪術というものにも敬意を払っているので、おそらくそれなりの「受け入れ方」はするだろう。そう、ラフカディオ・ハーンがかつてそうしたように。)

「りかさん」の世界は「家守綺譚」よりも遥かに人の心に踏み込み、抉っている。家守、がどちらかというと「静かに眺める」ことに焦点を置いていたのに対して、「りかさん」は「中に入って行動」している。けれども、それは「いたこ」的な「入っている」である。人形という寄り代、ワンクッションを置いての世界だ。そうすることで作品全体の重さと軽さのバランスを取っているような気がする。

表面上の形は違えど、大人の、しかも相当にグローバルな、自立した意識を持った女たちの交わりの話と言い換えても良い。かなり現代的である。すっくと立つ女を言外に「良し」としている気配を感じる。

だからこそ梨木さんの作品は、「今」という時代、人々、おそらくは特に女性、に支持されるに違いない。海外で暮らしたことのある彼女、世界各国の良さも悪さも、日本の良さも悪さもきちんと直視した上で、「今現在生きている日本人の女である梨木香歩」という作家から紡がれる世界そのものである。この人はうまく「融合」を成功させた人だ。もしくはそうするより他、自分の立ち位置が見つからなかったからだろうとも思う。

たかが人形、されど人形。

人形と少女とおばあさん。
たったそれだけの素材で、ここまで人の心の闇を描き、昇華させたのはやはり彼女の力量であると思う。

(写真は巣鴨の市松人形館より無断転用。りかさんのイメージがなんとなく私にはこの子でした。)




いまどきの本

2006-12-29 | Books

父に本の購入を頼まれた。Amazonでは1-2冊も買えば、無料で配達してくれるので重宝して使っている。

最近本を読んでいないという父が頼んだ本は以下の通り。


* 下流喰い―消費者金融の実態
* 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来
* 国家の品格
* 論争 格差社会

父、真面目である。昔から本が好きで、勉強家な人である。藤沢周平の面白さも、この人から教わった。

それに比べて、同時に私が頼んだ本は、以下の通り。

* 七緒(VOL8) 着物からはじまる暮らし プレジデントムック 特集:コーディネート大会
* The God of Small Things

二つ目の洋書はインド人の友人に「何か面白いインドの本はない?」と聞いて薦められたものの内の一つである。インドで買ったら多分500円くらいで買えるのに、その3倍の値段を出して日本で買っているこのアホさ。(笑)なぜ現地で買ってこなかったのでせうか?(笑)インドで読むならまだしも、ねぇ。

本はいい。遠い過去の偉人とさえ、繋がることができるのだ。紀元前の人とさえ。
デジタルでは適わない、ページを繰る度に感じる紙の手触り。自分の心地よいスピードで流れて行く時間。到底、デジタルでは味わえないアナログの香り。

国家の品格、は私も読みたかったので、読み終わったら父に借りようと思う。
しかし、父の選書はどこかせちがらい感じがするのは、「今」という時代ならではなのか。(苦笑)

皆様、お正月も素敵な本を読みませう♪



冬の味

2006-12-29 | Weblog
TVを何気なく見ていたら、俳優さんが「ここのモツ煮がおいしいんだよ」と言って、上野の高架線沿のある屋台でロケをしていた。

その店は、私が何度も何度も足を運んだ店だった。当時の彼に連れられて。

その彼とつきあうまでは、私は屋台で食事をしたこともなかったし、「ホルモン」というものを食べたこともなかった。そう話すと彼は驚いていたが、私たちのデートは大抵いつも上野で、その店でモツ煮を最初に頼み、それからホルモン焼きをいくつか頼むのが定番だった。どれがどの部位なのかも私にはさっぱり分からなかった。何度も足を運んだのに、結局私はそれらの名前を全く覚えなかった。

彼はいつも焼酎を頼み、私はマッコルリを頼んだ。大して美味しくないマッコルリ。彼から本当のマッコルリの味を学んだ後では、屋台のマッコルリはコクが足りなくてさほど美味しいとは感じられなかった。そんな知識を身につけたのも、ひとえに彼のおかげであるといって良い。

彼と別れて以来、その店には足を運んでいない。
上野にも足が向くことも、なくなった。

つましくも幸せな時間を、私はその場所で過ごした。
屋台で安い焼酎でホルモンを食べている時が、彼が最も幸せそうな顔をする時だった。

懐かしい店の風景を見ながら、いつかまた、彼のためにあの馬肉のモツ煮を頼んで、一人でちびりちびりやるのも悪くないかと、そう思った。



癒された地

2006-12-27 | Films
録画していた「癒された地」というベトナム・日本合作映画を観た。

文句なしに、良い映画である。

いや、これじゃ簡単過ぎか(笑)。この映画を撮った監督はもともとドキュメンタリーなども撮っていた人なのだそうで、映画の作りが大変丁寧でストーリー展開にも無理がない。ま、正月に観る映画でもないと思うんだけどね。かなりヘビーで、シリアスなネタだし。

ベトナム戦争後、共産主義になってからの人々の暮らしを追った作品である。主人公のタイは北側についた人間だったので、今の社会では「裏切り者」として扱われている。そして、戦争が終わってから実家からさほど離れてもいない町で、二人目の妻と子供と暮らしている。しかし、ある日タイの重婚が共産党幹部の知られるところとなり、元の妻子の下へ帰るように進められる。二つの家庭を行ったり来たりしながらその生活費を捻出する為、米軍基地跡からくず鉄を集めたり、危険な地雷撤去作業をしたりしていくことになる。

印象的であるのは、正妻の常に凛とした佇まいである。二人目の妻を勝手に持ち戦後も家に帰ってこなかった夫を、なじるでもなく受け入れる。夜、夫とベッドに寝転がりながら

「あなたの服から、あちらのこどものうんちの匂いがしたわ。」

とつぶやくのだ。淡々と。暮らし向きが苦しいのだろうからと、別宅へ持って行くように夫に米袋を用意もする。この妻が、感情を表立って表さないだけに、その怒りの強さも、悔しさも、悲しさも、諦めも深く観る者の胸に迫ってくる。戦争というものの爪痕を、静かにこの複雑になった家族関係からも描き出している。

この映画で何が怖いかと言えば、実は平凡に人が歩いているシーンなのである。緑の大地に人が歩いている。シーンの端にかすかに映る鉄条網。突然、爆音が響き、煙が立ち上る。地雷を踏んだのだ、誰かが。

そうした、日常の中に地雷が至る所にあるという暮らしぶりを端折ることなく映画は伝える。爆発のある日常の映像が繰り返される度に、何のことはないただ大地で人が歩いているシーンが次第に恐ろしくなってくるのだ。ハラハラ、ドキドキと。次は、ここで爆発が起こるのではないか。牛が吹っ飛ぶのではないか。娘が吹っ飛ばされるのではないか。はたまたタイが処理に失敗して、吹っ飛ぶのではないか。それこそ、監督が描きたかったものなのかもしれない。そういう所で、生きている人々があるということ。

タイは地雷で人が亡くなる度に、処理済の地雷のケースに線香を立て、仏壇をしつらえて亡き人を弔う。地雷を撤去し、少しずつその土地を畑に耕して行く。畑の中央に亡き友人のサンダルと、地雷の線香立てを並べた仏壇のようなものがある。初めの頃は土地は2m四方くらいの広さである。ところが、映画の終盤に差し掛かって、区画整理された広大な野菜が植えられた畑を目にする。そして畑の中央には、ぽつんと例の仏壇が置いてある。

この畑の緑は、全てタイがその命の危険を冒して勝ち取った土地である。植えられた畑の緑のなんと美しいことか。その広さのなんと切ないことか。

タイは人間としてもさほど立派な男であるわけでもない。人としての弱さも当然持っているし、二人の妻を同時に妊娠させ、妻たちに辛い思いをさせてもいる。それでもどうにか二つの家族を養い、家族に安全な土地を与えるために日々地雷処理をしながら、生きて行くのだ。これからも。

そういう男を描いた映画である。


冬の嵐

2006-12-27 | Weblog
こんな季節に台風なみの暴風雨である。外では、ただいま激しく雨が降り注いで、雷が鳴っている。かなり、近い。雨の音が、ザーッと部屋の中にいても聞こえてくるほどだ。

父は「春雷?」とつぶやく。

・・・。春じゃないですから、明らかに。冬至過ぎたばっかですって。

底冷えのする寒さである。今日は一日、雨降りでしんしんと冷え込む日であった。

***

早朝、長年処分に困っていたPCをリサイクルショップで無料回収してもらう。多分、開発途上国なんかに持って行かれるのだろうなぁ。データを完全に消去できていないと思うので、やや不安も残るが、まー、そーなったらそうなったで。しゃぁないやんけ。

事前にPCに詳しいわけでもないのに分解して、あれこれと模索してみたが、いまひとつ良く分からず(笑)。コンピューターの中を見るのは初めてなので、まさしく「電脳」というような世界におののいた。すげぇな、こんなちっこくてごちゃごちゃしている世界から、私たちはネットを利用したり、文章を書いたりしているわけだ。理解していない技術を使っているというのは、ひどく危ういものだと思う。

一つはデスクトップのWin95 が入っているという代物で、最初に買ったものだから10年くらい経っていると思われる。一台は先日ぶっ壊れたノート型。これはHDDをとりあえず抜き出したんだけれど、それでどうにかなるんだろうか?(笑)多分、メモリーだと思われるカードも取り出したが、ぶっ壊してみると金糸のようなものが巧みに中に配線してあって、面白い。仕組みが分かれば、PCいじるのも多分たいしたことではないんだろうにね。大して興味がないからそれ以上どうにもならない(笑)。

そんなここ10年使ったPC2台を廃棄。家の玄関前に出しておいたら勝手に早朝やってきて回収していったようである。階段をトントンと歩く業者の足音を聞きながら、どこか思い出が持って行かれるようで寂しい気持ちもした。が、古いものが処分できて肩の荷が少し下りたのも確かである。

***

ベトナム旅行で知り合った瀬名君からクリスマスカードが届いた。律儀な人だ。年賀状代わりなのかな?Unicefの鳩のカードで、なんだかいかにも瀬名君が好みそうなデザインであるような気もした。

一層、雨が強く降ってくる。明け方の3時くらいまでにピークを迎え、通り過ぎて行くだろう。春雷ならぬ冬雷である。

あぁ、今、近くに落ちた。



窒素が地上に還元される。





Merry X'mas

2006-12-26 | Weblog
私は、本日仕事の打ち合わせに行ったのである。本来、「打ち合わせ」のはずだったのである。

メールのやりとりで職場で落ち合うことと思っていたのでそのつもりでいたら、急遽場所が「霞ヶ関」に変更になった。途中駅でボスからの留守電に気づいて電話をしたが、ここからどうやって行くんだっけ?(笑)

「そのまま、日比谷線で一本ですよ。」

あ、そうか。そうでしたか。いつも通り過ぎちゃうから知りませんでした(笑)。

フレンチのお店でランチを食べる。共通の友人よしこちゃんもいた。今日よしこちゃんとランチつぅのは、流れたと思っていたんですけど・・。(笑)余り時間がないのでガツガツ食べる。フレンチなのにランチはパスタ。はて?(笑)ちょこっとだけギャルソン相手に朧なフランス語を試してみる。(言ったのはMerciだけですが(笑))通じてフランス語で返してくれたのがちょっと嬉しい♪(けど、それ以上は切り返さないでね?答えられないから(笑))

「打ち合わせ」のはずが打ち合わせはバスで移動中に終わってしまって、ボスはいきなり会議があるのを忘れていたとかでいなくなっちゃうし、他のスタッフからは「実は困っていて~」ということで、急遽急ぎの翻訳を一件その場で片付けることになった。

い、いいけどさぁ・・。モニターもHDDも接続してないで、接続から私がやるのかよぅ??(笑)しかも、古いIDで適当にログインしようとしたらログインできちゃったし。い、いいかげんだなぁ・・・。(笑)いいのか、それで??security?

2時間位で仕事を片付け(バイト料これ、くれるんでしょうね??)さっさかさーと逃げる。仕事納めで打ち上げやるから出たら?とお誘いをいただいたが、今日はお家でクリスマスなのだ。昨日なんもせんかったし。お買いものせねばならん。

通りがかったボスが「今日はクリスマスですから。ぽっちりさんも色々ご予定があるでしょうし、お引止めしては悪いですよ。」

ぼ、ぼす、そんなとこで話を振らなくていいからっ

デパ地下に寄り、スパークリングワインを物色。販促してるおばさんに本当のシャンペンを勧められるが、5000円は高いよぅ。試飲だけして半額くらいのものを買う。

隣のお客さんは辛口が余り好みではないようで「これは大人の味ね。」と仰る。思わず「大人じゃないですか」と突っ込んでしまった。「あぁ、そうね。私、大人よね。いえ、おばさんだから。」照れたように答える。「素敵なマダムですよ♪」
って、私ぁ、ホストかよ?しかもなんで私が販促しとるねん??(笑)

販促のおばさんは甘めのワインを彼女に勧める。彼女は「フルーツの香りがして、おいしい」と言うが、販促のおばさんは「でも、私はこれ甘くてベタベタしてて好きじゃないのよぅ~♪」(おばさん、おもろいけど、それじゃ売れません(笑))私も試飲してみたが、確かにちょっと甘すぎる。「飲み口はいいですよねぇ」(なぜ、私がフォローしているんだ?)本当は高いシャンペンを買ってほしいという販促のおばさんに「庶民なので、スパークリングワインにします♪」と言って、辛口のものを買った。

いやはや。こういうとこですぐ話しちゃうようになるのは「おばさん」だよなぁと思っていたが、最近自分もすっかり「おばさん」で平気で会話に加われるのが怖い。

もも肉のローストとアンリ・シャルパンティエのケーキ、ついでに森八の花びら餅まで購入して、帰宅。父は、「こんな豪勢なクリスマスは何年ぶりかなぁ。」・・・おっさん、おっさん、去年もやりましたって(笑)。ほとんど全く同じメニューで。忘れとるな?

父は空きっ腹でワインを飲んでしまい、今日は色々作業をしていて疲れていたせいか、すぐに酔っ払って「気持ち悪い」という始末。最後にはまともに歩けないくらい具合が悪くなってしまった。小さなシャンパングラスに三杯程度よ?あらまぁ、年喰ったねぇ。(2500円分のアルコール度数は本物だったようである。貧乏人の悲しい性か(笑)飲みつけないものを飲むと酔う。)

布団もしけないほど具合が悪くなってしまい、横でぐたぐたしている父を尻目にしょーがないので、布団をしいて寝かせた。8時前っす。子供か?(笑)

すっかり寝込んでいる父を脇目に、ターシャ・テューダーの庭造りのTVを見つつ、皿洗いをして私のクリスマスは無事に幕を閉じたのである。そうそう、思いがけず今日はサンタさんからの贈り物も届いた。いい子にしていると、いいことあるんだなぁ♪

ケーキの写真を撮ろうかと思ったら、箱の中でコケテました。ありゃりゃん。


所詮、男だもの

2006-12-24 | Weblog
彼に限って、と思っていたわけではないのだが、「男」としての認識が薄いせいかどうも彼が「男」としてどう振舞うのか全く想像もしていなかった部分がある。友人のT君である。長いと言えば、まぁまぁ長い付き合いでもあり、朝まで何度過ごしたことか、と言えばそれは決して嘘にはならない。

大学院の寮で、朝の9時や10時ごろまで夜通し話し続けたこともある。主に、彼が聞いていたのかもしれないけど(笑)。仲のいい男には私はおしゃべりであり、さほど知らない相手には、いたって寡黙な人間である。

T君はいい奴である。心底そう思う。けれども今回の彼の対応は、なんだか「がっくり」なのである。インド旅行中、彼はタイ人の女の子といい仲になった。一晩一緒に過ごしたりもしていたのである。そのことについては、大人同士だし別に私もあれこれ言うつもりもない。

だが、そのせいで彼女は彼に今夢中であるということのようなのだ。メールがひっきりなしにきて、電話も来て困っているとT君は言うのである。何かの折に電話してきてそんな話になったものだから、「はっきり断ってあげなよ。」と私は助言した。

一晩、関係があったことは事実だ。その後、期待してしまったのは彼女の経験のなさというか。メールで結婚話持ち出したりしたら男は引くだろうよ(笑)。でも、その気がないのに、はっきりと断らないT君もどうなんだか、と思う。

女と言うものは明確な返事がない限り、善意的に男の行動を解釈する生き物である(惚れている場合は、ね)。冷静に考えたら分かりそうなものなのだが、T君が期待するように「電話もメールも出ないから、察してくれないかな」というのは甘い。その気がないならないで、はっきり口にして断れよ、と思う。一晩の遊びで寝ただけで、それ以上の気持ちはない、と。

それが言えない男の気持ちというのが、分からない。自分には続けるつもりが少しもないのに、ほのかに相手に期待を持たせる方がよほどひどいのじゃないか。よほど冷酷なのじゃないかと私は思う。アドバイスはしたが、おそらくT君は自分から何か行動を取ったりはしないだろう。タイ人の彼女から今日電話があって、「間違えて」出てしまったそうだ。

「で、はっきり伝えたの?」
「いや、伝えられませんでした。彼女の話を聞いていました。」

はぁ。何だよ、情けないな、T君。もうちょっとあなた、骨のある男かと思ったのに。思わず、口を突いて出てしまった。

「私さ、T君だけは違うと思っていたんだけどな。なんだか、がっかりよ~。あなたも『ただの男』ねぇ(笑)。」

「僕は『ただの男』ですよ(苦笑)。」

所詮、男なんてこんなもんなんだよなぁ。面倒くさいことには、立ち向かえないのだ。適当にごまかされて、流れていってくれないかなぁとひそかに期待する。それが男って生き物なのである。

つくづく。
私はなぜレズビアンじゃないんだろうと悲しくなる。
男などという生き物に、何も期待してはいけない。
うん。


007/Casino Royal

2006-12-24 | Films
先日、インドでなぜだか見ちゃった「カジノ・ロワイヤル」ついでなので感想を書いて置こうかと(笑)。

う~んと。意外にいいです。娯楽大作としては。

今までのジェームズ・ボンドってなんというかスマートで品が良くて、アクションも小奇麗で、ハイテクで、という感じだったのだけれど、このD.クレイグのジェームズボンドは、かなり「ダーティ」なんですね。ハイ。こんなにジェームズボンドが「ぎらぎら」してていいのかよ?というくらいで、あくどく、ワイルドで超人間的な体力と身体能力を持っているというか。

正直言うと、この手の顔は私は別に好みじゃないんですよ。ダークスキンな人の方が割とすきなんでね?いかにも「白人」ってのはつまんなくて、あんまり好きじゃないんです。

でも、不思議と観終わったら、何気に惚れてましたね。何が良いのかと言うと、今までのボンドにはなかったような、人間的な弱さが所々描かれている。「完璧」なボンドではないのです。そこがいい。そこが人間性を感じさせる。

ま、何より体が結構鍛えてあって綺麗だつぅのもありますけども(笑)。ま、綺麗なねぇちゃんでてきて、目の保養とか、まぁそこらへんはお約束(笑)。ストーリーはちゃっちぃです。ありがちです。使い古されたような展開で、恋する女も、まぁ、なんじゃそりゃ的なところもありますが。

全体的にはそこそこ楽しめます。アクション好きな男と行くなら、特にいいでしょうって感じ。007が誕生するまでの若き日のボンドの話なわけだから、少しくらい青臭くてもいいわけです。

いやしかし、このD・クレイグって俳優さん、なかなかいいんでないかい?つまんないボンドをこれくらい魅せれるっつうのは彼によるところが大きいでしょう、今回。

ついでに。血の涙を流すMr. Chiffreという男がいるんだが、この手のタイプも結構好きですねぇ。腐ってて。なんでいちいち血の涙流すんだよ?とか、えらそうにしているのに喘息もちかよ、とか。突っ込みどころ満載で好きです。こういうキャラ。

とく、とく。

2006-12-24 | Films

”Temptating Heart”という映画を観る。香港(ひょっとしたら日本合作?)映画で、原題は「心動」というようなタイトルではなかったかと記憶している。

金城武出演。主に広東語だが、日本語のシーンでは彼は巧みな日本語を披露している。つくづくこの人は日本語は話すけれど、広東語とかマンダリンとか話している方が自然だよなと思う。

ノスタルジックな映画だ。高校生の時に知り合った男女。すれ違いすれ違い、長い時間をかけても完全に離れることはできず、かと言って青春時代のように好きだというだけでは一緒にいられないほどの責任もお互い持つようになった頃、再び出会う。一時交わって、やがて振り子が離れていくように、現実世界では彼らは離れていく。けれども、心の奥底では、決して他の誰も立ち入ることのできない領域を二人は持っている。

少し切ない、大人のラブストーリーである。

しみじみ、すれ違いと言うのは痛いことだなと思った。お互い思いあっていても、タイミングがずれてしまうと上手くいくはずのものもいかなくなる。お互いが素直に気持ちを伝えていたならば、もう少し別の表現方法を取っていたのならば、まったく別のストーリーが展開する可能性もいつだってあったのである。人生とは、そういうことの連続だ。

片方からは、もう片方が抱く裏側のストーリーは見えていない。もし彼女に、彼のストーリーが、もし彼に彼女のストーリーが見えていたならば、二人は結ばれていたのだろうか。どうなのだろう?それでもやっぱり結ばれないからこそ、結ばれないままなのかもしれない。

主人公の女の子を愛する、レズビアンの親友が非常に良かった。主人公の少女が彼に恋し、それに嫉妬しているのかと思っていたら実はそうではなかったのだ。彼女を親友は愛していた。そして彼女を愛する余り、手に入れられないからこそ、彼女の愛する男を夫として繋がりを持つことを望んだ。

運命の皮肉というか。けれども、私はこのレズビアンの親友が一番自分の気持ちに対して素直で、正直に行動を起こしていたように思う。とても好感が持てた。脇役としてさらりと語られるだけの彼女の人生だけれど、この親友の存在がなければこの映画、つまらなかったろうなと思う。

年を取った金城武は、別の俳優さんに代わってしまうけれど、どうにも別人の感じがして違和感がある。

ラストシーン。過ぎ去った恋への胸のときめき。
機上から黄金色の雲を見つめ、胸をはやらせる。

とく、とく。




大体、その馬鹿っぽいタイトルはなんだろうか。

2006-12-23 | Films
「私の頭の中の消しゴム」という韓国映画を見た。う~む。
韓国映画というのは、どうしてこう何か特別に「不幸な」ドラマティックな設定がないと話が進まないのであろうか。

お金持ちのお嬢様としがない工事現場の現場主任の男が恋に落ちる。身分の違いも乗り越えて、ラブラブ~~♪

ところが幸せの絶頂で、彼女が若年性認知症に冒されていることが分かり、不幸のどん底へ、という展開である。

意外に主人公の声をやった谷原章介さんがなかなか良かった。私、実はこの俳優さん、結構好きなんである。いぢわるそうなエリートの役とか割りに多いみたいなのだけれど、最近は中国語会話の番組まで出ていたりして意外に守備範囲が広い。そして、彼料理が結構好きみたいなんですね。

こういうどこか女らしい男は私はとても好きなので、声優としてどれほどのものかと思ってみてみたが、これが意外に筋がいい。違和感なく、一通り見ることができた。

前半はそれでもラブラブな恋愛ものとして、(あまりに)ベタだけれどそれなりに楽しめる。ただ、彼女の病気が分かってからが、無理があるなぁ。結末に向かってなんだかどうでも良くなってきてる感じが(笑)。

聞きたいのは、恋愛を描くのにそんなにドラマティックな設定が必要なのか、ということ。丁寧に描けばごく普通の日常にだって、十分ドラマはある。若年性認知性、というものを本当に扱いたかったのだとしたら、掘り下げ方があまりに甘いと思う、この映画は。

愛するものの記憶が無くなっていく。夫である自分を判別することもできない。
下の処理もしなくてはいけない。そんな中でハンサムなこの旦那は泣いてばかりいる。泣ける余裕があるかつぅのよ。本当に看護してたら(笑)。

映画の中で、彼は一度も彼女に八つ当たりもしない。怒鳴ることもない。
余りにきれいごと過ぎて、嘘くさいのだ。病気というものを、そんな簡単に扱ってくれるなよと言いたい。

この映画には認知症、という要素はさほど必要でなかった。これ以外のネタでも十分撮ることができたはずである。

美しい男女が出ていて、その恋の様子は可愛らしいけれど、映画としては駄作。
谷原章ちゃんの声を聞こうと思って、見てしまった映画(笑)。


冬至

2006-12-23 | Weblog

父に「今日は冬至だよ。」と言われる。
カレンダーを見ると、天皇誕生日と書いてあるだけである。

・・・。
間違えて、23日見てました。
はい。今日は冬至ですね(笑)。

南瓜も食べ、柚子湯にも入った。
ここのところ、柚子はなんだかんだ言ってスライスしたりしたものを鍋に入れたり、雑炊に入れたりしているので食べている。

柚子の香りって独特なのよねぇ。
大好き♪

海外にいた頃、これが恋しくて仕方がなかった。柑橘系のものは探せるけれど、この香りはなかなか見当たらない。

柚子湯に入って、冬なんだなぁと実感する。
今日は日中が一番短い日。言い換えれば、夜が最も長い日。

私の夜は、まだまだ長い。