おはようございます。
一週間の始まりですね。
そして今日も福島・南会津よりブログアップとなります。
22日・23日と行われた会津田島祇園祭も今日24日をもって終了となります。
今日は田出宇賀神社と熊野神社で行われる太々御神楽などのイベントがありますが、町内の主だった行事は昨日で終了となります。
昨日の段階で福島県の報道サイトでは会津田島祇園祭の記事が掲載されていましたね。
日本一の花嫁行列 会津田島祇園祭で4年ぶりの七行器行列<福島・南会津町>(福島テレビ)
壮大な歴史絵巻「子供歌舞伎」上演 会津田島祇園祭が開幕(福島民友)
この他、自分が見た限りではNHKなども取材に訪れており、4年振りの通常開催となった会津田島祇園祭を取材されていました。
自分も長らく訪問していますが、今年の祇園祭の人手は地元・外部からの観光客と合わせても一番ではないでしょうか。
AM8時にスタートする,上記報道記事にもある
「七行器」,日本一の花嫁行列と称される行事から2日目が開催されます。
今年の花嫁さんについては南会津町のホームページにて”花嫁募集”として広告を出しており、参加する際は行列の練習などに南会津へ事前に練習に訪れる際の費用を負担されたとか。
歴史と伝統がある祭りを維持するため、南会津町として並々ならぬ努力をされています。
お党屋本陣からスタートした花嫁行列は約1時間近くかけて田出宇賀神社・熊野神社へ入ります。
その後本殿での神事・儀式を執り行ったのち、AM10時過ぎに終了となります。儀式を執り行うにあたりAM2時過ぎから準備をされますので、恐らく睡魔はこの時点で最高レベルに達しているのではないかと思いますw。
終了後は本殿より花嫁さんが出られ、神社の鳥居前で集合写真を撮られた後に解散となります。
花嫁さんは多くの方々より写真撮影を依頼されるタイミングであり、ある意味一番大変な時間帯ではないかと思います。
昨日の午前中の段階で30℃近くまでありましたので、重ねて切る花嫁衣裳を早く脱がせてあげれば良いのに・・と毎回思ってしまいますね。
午前中の神事が終わった後、夕方から夜に行われる”大屋台運行”まで時間があるため、街中の露店や知人宅を訪問してお酒・お酒・お酒と。
毎年祇園祭に合わせて作られるどぶろく(濁酒)を5杯ほど頂いただけでお腹が膨れてしまいましたw。
その後夕方になり南会津”恒例”である通り雨がありました。
丁度大屋台がスタートする直前での雨という事で、路面が濡れて滑りやすくなる(数年前は雨で滑って怪我しました;)一方、一時的に気温が下がるため屋台の押し手の方々にとっては恵みの雨ですね。
そんな運行を横目に
CAFE JI*MAMAさんでパキスタンカレーを頂きました♪
昔よく訪れていた時はこんなオシャレなお店は無かったんですけどねw。
残念なことに昔よく使っていた
まりちゃんラーメンが同じく福島・七日町へ移転,
御食事処 まりとして新たにオープンしていたことでしょうか。
数件お店に行った後の深夜1時頃に訪問,その時間からラーメンとソースカツ丼を何度食べたのが懐かしいですね😭😭
そして夜となって大屋台運行のボルテージは最高潮に達します。
各社報道は午前中から午後にかけての内容を流すことが多く、夜の大屋台運行を撮影している事はほぼ無いでしょうか(昔NHKがドキュメンタリーを作った時くらいかな??)。
大屋台運行で恒例・そしてクライマックスとなる中町・上町大屋台による超接近運行。
互いの大屋台間際でストップさせるのですが、これが失敗して激突でもすると互いの町間でリアル大喧嘩が開幕されますw。
今は福島県警の方々が大屋台運行を常時
監視見守っていますので、すぐ止めに入りますが、それだけ皆さんガチにやってます。
昔のgooブログなら直接動画がアップできたんですけどねぇ。
YouTube経由だと面倒なのでイヤです・・w
大屋台運行も23時前には全て終了し、それに合わせるが如く露店の皆様も続々とクローズとなり、二日間の熱い会津田島祇園祭が終わりを迎えます。
今年の会津田島祇園祭は4年振り通常開催ということもあり、前日の4屋台並びといった今までの常識を変えるような出来事がありました。
当然中国武漢ウィルス禍から抜け出した”復活の年”というのもありますが、今から12年前に発生した3.11の時も会津田島祇園祭は通常開催を行い、一部のエリアを使って被災された地域の特産品などを販売するコーナーを設ける事を行いました。
時代の中で大きな事象が発生した年はプラス要素を加えての開催ではありましたが、前回の通常開催(2019年)頃からボランティアと思われる方々が、所々に設置したゴミ箱を定期的に回収する他、町内放送を使って参加者や見学に来られている方々への連絡などを行うようになりました。
地元の青年団や実行委員会の方々の代替わりがあり、より良い会津田島祇園祭にしていこうという活動の一環ではないかと思っています。
併せて屋台運行される各町の世話人の方々も同様に代替わり・若返りが出来れば、今までできなかった事,やりたかった事が出来るような時代が来るのかも知れません。
時代と共に祭りの形も変えていく事も時には重要です。
来年以降も徐々に形を変えていってくれるのではないかと、個人的に希望と期待をしたいと思います。
さて、これから帰り支度です。
こちらも昔と違って会津田島から浅草へ向かう列車の本数が減ってしまったため、一本逃すと次は約3時間先になります・・。
ここも何とか復活してくれませんかねぇ?w>東武鉄道さん
それでは今週一週間,がんばっていきましょうb