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社会変革の勘所 国境と民族の境界を超えて社会を捉える

『地域包括ケアから社会改革への道程』より ソーシャルワークと社会変革 新自由主義に対抗するソーシャルワークの潜在力 社会構造を「人びと」の視座から捉える--ソーシャルワークにおける社会変革の勘所

1点は、空間を超えて、より広範に社会を捉えることであり、2点目は、世代を超えて、持続可能な社会を模索することにある。双方を合わせた表現をとれば、時空を超えた広範な視点で捉えるべきだということになる。

私は、2015年10月にタイ・バンコクで開催された第23回アジア太平洋ソーシャルワーク会議に出席する機会を得た。大会のテーマは、「成長と危機-ソーシャルワークと政策対話」であり、基調講演から分科会に至るまでその基盤となる主張は、まさに新自由主義批判であり、社会構造の捉え方とその変革の重要性にあった。いくつか例を挙げるならば、まず、基調講演でオーストラリア・カーティン科学技術大学教授ジム=アイワは、次の様に新自由主義を痛烈に批判している。

 「新自由主義は、規制緩和政策を実施しているのに、人間に規制緩和政策を実施していない。新自由主義によって、私たちは自由にならないということである。新自由主義のせいで貧富の差は拡大されている。私たちは新自由主義に代わる新たな選択肢を探さなければならない。世界の開発はどれぐらいまでいけるのか、私たちはまだ分からないが、現在の状況をみると限界を超えているのではないかと私たちは思っている。重要なことは持続可能な開発である。でも、現在の状況を見るとなかなか持続可能な開発はできていない。経済的な成長は限界を超えている。どのようにすればよいのか。不平等を解消するためにどんな解決方法があるのか。探さなければならない」。

加えて、基調講演における二人目の登壇者はモンティアン=ブンタン(Monthian = Buntan)タイ・上院議員であった。元ストリートチルドレンで重度の視覚障害のある彼は、自らの経験を通じて、社会変革の重要性を強調する考えを以下のように披歴している。

 「現在のソーシャルワークの社会的活動は、現状を維持することにとどまり、その重要性が理解できていないのではないかと考える。社会変革を真剣に考えていかなければならない。現状の社会環境のままで良いのか、ここに障害者の社会的権利の保障があるのか、という問いが重要である」。

先のラジェンドラン=ムースといい、同じく新自由主義批判を標榜したイギリスの書『ソーシャルワークの復権』を記したイギリスのイアン=ファーガスン、そして、このジム=アイワとモンティアン=ブンタンなど、ソーシャルワークにおける世界の潮流の一つは、まさに新自由主義批判にあり、それに代わる新たな社会構築の模索にまで触手が伸びている。

他方で、日本のソーシャルワークはどうだろうか。上記に挙げた氏名にあたる存在が日本にどれほどいるというのか。もちろん、私は、世界中のソーシャルワークに触れ、学んだ訳ではない。また、海外の文献をあたることや、国際会議への参加を通じて、日本のソーシャルワークだけが、突出して、マクロ領域と社会変革への接近に対して後れをとっているわけではないと理解している。そのことを前提としつつも、やはり、私たちは、日本のソーシャルワークの潮流が世界の「あるべき基準」から逸脱している現実を受け入れざるを得ないだろう。先に挙げた「ソーシャルワーク(専門職)のグローバル定義」を見よ。

元来、他者への慮りと協調性に長ける日本のソーシャルワークは、それゆえに技術的知識及び技術に偏重し、社会を俯瞰視する力・批判する力・創造する力に加え、専門的価値・哲学に弱点があるのではないかと言いたくなるほど、世界の趨勢との懸隔を感じずにはいられない。であればこそ、これからの若い日本のソーシャルワーカーには、世界に出て、他国のソーシャルワークを学び、そして、日本のソーシャルワークの強みも同時に他国へ伸展してもらいたいと願わずにはいられない。こうした動きこそが、日本のソーシャルワークのみならず、世界のソーシャルワークの変革と発展に寄与していくのだと思う。

また、新自由主義は日本から端を発したものではなく、アメリカやイギリスをはじめとした経済のグローバル化と共同歩調で進捗しているものである。さらに言えば、グローバル化は、文字通りに世界化を表すものではなく、アメリカのルールを世界に敷行させる思想を内包したものであることは経済学者らによって指摘されている。そして、この思想を含意したグローバリズムというべき潮流は、世界経済に影響を与えると同時に、その両輪どもいえる教育を含む社会保障へも甚大な影響を与えていく。この様に日本の教育を含む社会保障は、このグローバリズムの時勢から自由になりえない。私たちソーシャルワーカーは、この世界的な趨勢を押さえつつ、社会構造を捉えていかなければならないのだ。であればこそ、私たちソーシャルワーカーも、この時勢に対抗すべく、世界規模のネットワークを構築する必要が認識されるであろう。

またロバート=パットナムらが人びとにより分かりやすく提唱したソーシャルキャピタル(社会関係資本・神野直彦によれば「社会資本」)の理論を援用しても、限定された地域や分野のネットワーク(ボンディング)を発展させるためには、そのネットワーク間を媒介し、また、自由に往来するネットワーク(ブリッジング)の存在が同様に重要視される。ネットワークの進展は、そのネットワークが同時に越境し外にひらかれてこそ成就していくものなのである。

「多様性の尊重」を拠り所とするソーシャルワークは、国境も、民族の境界も乗り越えていく必要がある。しかし、それはただ単に活動の範囲や視点を広げるに留まらず、利己主義を利他主義へ、私益を公益へとその状況に応じて活動の目的を転換させていくことも同時に求められていくことになるだろう。数千・数万キロ離れた人びと同士の私益の共有は難しく、これほど空間的に広範な状況下では、やはり、前掲した広井良典の指摘にあるように利他性と公益性を考えていかざるを得なくなるからだ。また広範な人びとの連携が生み出すこの「利他性」や「公益性」は、以下の阿部志郎の論及に見るように、日本の社会福祉領域でも古くから言われてきたことでもあるし、これからのソーシャルワークや政策論にも大いに取り入れるべき見地であると言える。

 「現在の福祉を動かしている思想の中で、『今日は人の身、明日はわが身』『情けは人のためならず』が大きな部分を占めている。明日の善意の還元を期待して、今日、恩を与えておく、といった反対給付を想定してなされる行為は、福祉の論理からは帰結されないはずである。(中略)福祉は、『価なくして受けたのだから、価なくして与えなさい』に、根底があり、この理念を活動経験を通して実現してゆくところに、ボランティア存在の価値があると思う」。

以上のように、今を生きる世界中の全ての人びとの権利擁護と世界規模の共生社会を視野に収めた展開がこれからのソーシャルワークには特に求められることになるだろう。そして、この共生社会の構築において重要視すべきは、その共生の内実であることは言うまでもない。支配者と被支配者も、つまり、王族と奴隷も共生すること自体は可能であることを鑑みれば、全ての人びとの尊厳が保障されていることこそがこの共生の必要条件となることをここでは確認しておきたい。
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ソーシャルワークの特有性と可能性

『地域包括ケアから社会改革への道程』より ソーシャルワークと社会変革 新自由主義に対抗するソーシャルワークの潜在力

私が激しく新自由主義批判を展開することには大きな狙いがある。一つは、ソーシャルワークは、新自由主義を弥縫する道具であってはならないという警鐘を鳴らすためである。今一つは、これからのソーシャルワークを担う若い人びとに特に伝えたい事でもあるのだが、もしソーシャルワーカーが本来の社会変革の担い手たり得るのであれば、ソーシャルワークは、新自由主義に代わる新たなあるべき社会を構築する潜在的な力を有しているという可能性を示すためである。以下、少々長くなるが、本書における核心となる部分でもあるため、是非ともお付き合い頂きたい。これからの記述は、日本の社会福祉実践やソーシャルワークの領域で不思議にも熱心に議論されてこなかった論点でもある。

まずは、本書が取り扱うソーシャルワークの概念を明らかにするために、日本医療社会福祉協会と日本社会福祉士会、日本精神保健福祉士協会、日本ソーシャルワーカー協会も加入しでいる国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)による定義を確認しておきたい。以下に示す「ソーシャルワーク(専門職)のグローバル定義」は、2014年7月オーストラリアのメルボルンで、国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)及び国際ソーシャルワーク学校連盟(IASSW)において採択された直近の定義である。

 「ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい」。

末文にあるように、本定義は重層的な定義であり、このグローバルな定義を基盤として、以後、リージョナル(地域)・ナショナル(国)領域でそれぞれの定義が形成されていくことが想定されている。現在はそれぞれの地域と国でその作業が進められている最中にある。重要なのは、社会正義と権利擁護、社会の構成員としての責任に立脚しつつ、社会の変革・開発・結束、そして人びとのエンパワメントと解放を推し進めることが実践の要諦だとされている点である。とりわけ、未だかつて、「社会変革」によって定義づけられた専門領域は、私の記憶と認識において存在しない。この「社会変革」はソーシャルワークに特有のものであり、生命線であるといっても過言ではない。

私は基本的にこの定義に同意する。だが、グローバルな定義であるがゆえに、実践分野に当てはめると若干の捉えにくさがうかがえる。もちろん、今後、リージョナル、ナショナルの定義が構築されていくことによって、それぞれの地域特性が反映された定義が創出されていくという可能性はある。だが、それを踏まえても、人びとにとってより身近で、日常的な関係のある(地域バコミュニティ)をどのように捉えるかに対する言及がない点は無視できない。

加えて、「集団的責任」についても、その意味が非常に理解しづらい。もし、排除されている人びとに対してその「集団的責任」を押し付けることに用いられては本末転倒である。よって、私は、この「集団的責任」を「社会の構成員としての責任」を指すものと解釈することにしたい。更に言えば、この「集団的責任」は、「集合的責任」と訳すべきであり、そうすることで、「集合」することで生じる責任及び「集合」するかどうかを選択する責任と捉えることが可能となり、私の解釈とより近くなるであろう。

なお、この定義の「注釈」の「社会開発」の行には本書と関連のある指摘がなされている。

 「社会開発という概念は、介入のための戦略、最終的にめざす状態、および(通常の残余的および制度的枠組に加えて)政策的枠組などを意味する。それは、(持続可能な発展をめざし、ミクローマクロの区分を超えて、複数のシステムレペルおよびセクター間・専門職間の協働を統合するような)全体的、生物一心理一社会的、およびスピリチュアルなアセスメントと介入に基づいている。それは社会構造的かつ経済的な開発に優先権を与えるものであり、経済成長こそが社会開発の前提条件であるという従来の考え方には賛同しない」。

本書が、ソーシャルワークに依拠することの意義としても確認しておきたい。

以上の点を踏まえると、国際的な定義に対して、より実践を意識した解釈を加えていく必要があるだろう。加えて、あとに詳述するが、日本のソーシャルワーク(学問と実践)の実態としては、「社会変革」から乖離しているという事実がある。だからと言って、現状に即して定義の本質的解釈を変更することは許されないし、それは、ソーシャルワーカーのとるべき道でもない。難しいところだが、この「社会変革」の精神を実践領域でより広く浸透させることに目的を限定して、実践家がわかりやすい定義とした方がよいものと思われる。少なくとも日本では捨象されている「社会変革」をどのように位置づけて、その実践を強力に押し広げていくべきなのか、これこそが日本のソーシャルワークの最重要課題であり、であればこそ、本書が克服すべき中心的なテーマであると言える。

以上の論点を念頭に、本書では、ソーシャルワークを次のように定義しておく。

ソーシャルワークは、社会正義と権利擁護を価値基盤とし、次の5つの仕事を通して、全ての人間の尊厳が保障された社会環境を創出する専門性の総体をいう。

 ①暮らしに困難のある人びとに直接支援を行うこと、

 ②人びとが暮らしやすい地域社会環境を構築するよう社会的活動(ソーシャルアクション)を行うこと、

 ③人びとのニーズを中心に、人びとと地域社会環境との関係を調整すること、

 ④政策(政府・行政)に対し、人びとのニーズを代弁した社会的活動(ソーシャルアクション)を行うこと、

 ⑤人びとのニーズを中心に、②の地域社会環境と、④の政策(政府・行政)における構造との関係を調整すること。

まず、②と④、⑤は、ケアワークや医療、心理の領域では原則としてその実践が規定されていない。ここに、対人援助職におけるソーシャルワークの特有性と潜在力を確認しておきたい。また、地域包括ケアを個別支援たるケアと地域支援としてのまちづくりの有機的複合概念と捉える以上、この3つの視点がなければ、地域包括ケアは進展しないため、従来のケアワーク・医療・心理分野の知見だけでは、これらが遂行されていかないことも確認できるであろう。そして、地域包括ケアを含め、ソーシャルワークの実践領域では加えて③が重要となる。地域で暮らす多様な人びと同士の接点(対話や関わり)の機会を数多創出することこそが、地域社会に、多様性と互酬性、信頼関係を構築し、地域包摂や地域変革を志向する原動力となり得るからだ。もちろん、地域変革の集合は、社会変革へと連なっていく。本書では、この③の実践の積みかさねが、①に与える効果はもちろん、②の実効性ある展開へと繋がり、⑤への着眼と実践を誘導し、④の領域へと敷街されていくという一連の流れを描いていく。地域の中で、③の取り組みを通して、地域変革を遂げていく、ソーシャルワークの社会変革における一つの実践形態を示すことが本書の目的の一つとなる。ソーシャルワークについては、本章後半と三章、別本『実践編』の七章でさらに詳細に踏み込んで論じていくため、ここでは問題提起に留めておく。
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やることが溜まる

やることが溜まる

 やることが溜まる一方ですね。ブログも一週間前で止っている。何か、まずいですよね。自分としては。自分しかいないけど。

 やはり、スケジュールノートを使う手ですよね。次の単元は何にするのかを記す。何しろ、行く先がないんだから。自分で決められる。決めているかどうか分からないけど。


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