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フィリピン市民社会 NGOの活発な政治参加

『フィリピンを知るための64章』より

東南アジア諸国においては、都市中間層や社会運動体、メディアなどから構成される市民社会の諸集団が、伝統的なエリー卜に対峙する存在として注目されてきた。フィリピンも例外ではなく、キリスト教会から左派組織、社会運動体、NGO、草の根の住民組織、メディアといった多様な市民社会のアクターが、今日まで、大きく二つの役割を担ってきた。

その一つは、サービスの提供である。国家による社会福祉サービスが十分ではない開発途上国では、国内外の民間団体が、政府に代わって社会的弱者への慈善事業を展開する例が多くみられ、こうした団体の多くはいわゆる「非政府組織(NGO)」と呼ばれる。

二つ目は抗議活動などの政治的活動である。毎年2月25日のエドサ革命記念日、5月1日の労働者の日、7月最終月曜日の大統領施政方針演説の日、その他、大規模な国際会議の前後にフィリピンの各地で繰り広げられる大規模な路上デモは、この国の風物詩となっている。

他の東南アジア諸国と比べ、フィリピンでは、「NGO業界(NGO Industry/ NGO Society)」という言葉があるほどNGOの絶対数が多い。フィリピン政府はNGOに対し、政治的にも経済的にも、活動制限を課すことはほとんどない。

フィリピンで「NGO業界」が発達した背景・理由としては二つのことが挙げられる。

第一は人材である。マルコス政権下では、高等教育を受けた20~30代(当時)の若者らがフィリピン共産党を中心とする左派運動と結びついた民主化運動に共鳴し、都市スラムや農村、山岳地帯の僻地に住み込みながら大衆動員の方法論を学んだ。1986年のエドサ革命後、これらの「学生運動世代」が一斉に社会に戻った際に、彼らの受け皿となったのがNGOであった。

第二は資金である。他の東南アジア諸国に先駆けて民主化を達成した1986年以降、欧米のドナーからのフィリピンヘの資金援助は激増した。国際社会の称賛を受けながら社会復帰を果たした「元活動家」らは、洗練された英語でフィリピンの社会問題を世界に向かって発信し、さらなる資金を呼び込んだ。彼らはNGOの幹部や理事に就任し、やがてはフィリピン社会のオピニオンリーダーになった。彼らをリーダーに据え、欧米からの潤沢な資金を受け取ったNGOは、多国籍企業や国際機関での職務経験があり、先進国の大学院で学んだ有能な職員を雇用してきた。フィリピンでは、国家公務員やフィリピン大学の教員よりもNGO職員の給与のほうが高い、という話は現在でもよくきかれる。

このようにフィリピンNGOは日本よりもはるかに人材の層が厚い。それに加えて、アメリカ型大統領制のもとでの官僚制度は、フィリピンのNGOをさらにユニークなものにしている。

アメリカ同様にフィリピンでは、選挙職によって任命される(いわゆる「政治的任命職」の)高級官僚、公務員の割合が高いため、大統領や知事、市町村長の采配によって、NGO経験者が一時的に公務員として採用されるケースは少なくない。エストラーダ政権下で農地改革大臣に任命されたホラシオ・モラレス、アロヨ政権とアキノ政権下で社会福祉開発大臣に任命されたコラソン・〝ディンキー〟・ソリマン、アキノ政権下で国家貧困対策委員長に任命されたジョエル・ロカモラらはいずれもNGO幹部の経験を買われて入閣した。彼らはそれぞれ、各省庁の№2や№3である次官や次官補に腹心のNGO職員を任命する。いうなれば、市民社会の組織が政治社会に一時的に「出向」する形になる。日本では想像しがたいことであるが、これも先述の通り、NGO人材の相対的な優秀さに起因する。NGO職員が突然に閣僚や高級官僚に任命されて行政職をつかさどることができるのだから不思議である。地方自治体レペルでも、「NGO事務局」の長には、市長とかねてから懇意のNGO団体の職員が就任し、そのNGOに近い住民グループがそっくりそのまま、清掃員や警備員として臨時職員として市庁舎で雇われている例は珍しくはない。つまり、政府組織と民間との垣根が低く、6年ごとの大統領選挙、3年に二度の地方選挙のたびに、政府とNGOとの間で人材の交換が行われるのである。

もちろん、こうした人事はしばしば、公平性の観点から批判を受けることもある。「あの大臣は自分がかつて勤務していた系列NGOばかりを優遇する」「某市のNGO事務局に出入りできる『NGO』はもっぱら市長のお抱え団体だ」--NGO業界内では、こうした噂話が日常的に交わされる。NGOが政治力をもつことが可能な社会においては、NGOの命運は、資金や組織力だけでなく、政治家や政府組織への属人的なネットワークに決定的に依拠する。これが、NGOによる政治活動に拍車をかける。選挙が近づくと、日頃の活動はそっちのけで選挙活動に邁進するNGO職員も多い。「あの政党が勝利すれば、我が団体の理事が社会福祉省の次官あたりに任命され、結果的に我が団体の提案も通りやすくなる……」と考えるのである。

こうしたNGOの政治化は、アメリカ型の官僚制度だけでなく、歴史的な左派運動とも大いに関連がある。86年の民主化後にNGOに転向した活動家らは、90年代前半の共産党の分裂を受けて派閥化した。その流れを受け、NGOもまた派閥化していった。もちろん、日本や他の国と同様にフィリピンの左派運動も70年代当時から、一枚岩としての政治的党派を築いていたわけではない。毛沢東主義に啓蒙されて農村でのゲリラ活動によって革命を目指していたグループもあれば、マルコス政権の人権弾圧に異議を唱えるグループ、貧困層に寄り添いながら国家の富の再配分の失敗やひいては社会システムの矛盾を批判するようになったカトリック教会の基礎共同体、そして後年のマルコス大統領の汚職を糾弾するグループまで、左派運動の出自はさまざまであった。そして、そのような経歴をもつNGO幹部らは、左派運動時代の大衆動員の手法をNGOの活動に転用したり、貧しい住民に対して啓蒙的な態度をとったりしがちである。実際にNGOは貧しい人びとの側から、「押しつけがましい」「中立ではない」として批判されることがある。

ここに、フィリピンNGOのジレンマがある。社会正義を標榜し、豊富な人材と人脈を駆使して政策提言を行ってきた彼らだが、政治に参画すればするほど、市民社会のエッセンスであるべき「国家からの中立」や「公正性」が侵犯されるという事態が生じるのである。

欧米の資金を基盤とした組織の絶対数の多さ、NGO業界を支える人材層の厚さ、そしてアメリカ型官僚制度に基づく政府との「人事交流」。民主化後、これらは長らくフィリピン市民社会の強みであった。しかし、フィリピンは世界の中でも東南アジアの中でも「中進国」となりつつあり、ミンダナオの紛争地域を除いては、すでにドナーも撤退しつつある。政治的不偏性や中立性、サービス受益者への説明責任という点において、フィリピンNGOは厳しい監視の目にもさらされている。

こうした政治条件は、NGO間の健全な競争に繋がるのだろうか。あるいは、政治社会と市民社会の両方で経験を蓄積した人材は、異なるセクター間の風通しの良さに貢献できるのだろうか。フィリピンのNGO業界もまた、新しい時代を迎えている。
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フィリピン アメリカ植民地期 作られた「恩恵」の物語

アメリカ植民地期はおよそ二つの潮流の結節点だった。第一には、北米大陸の東部から西への膨張である。アメリカ人はインディアンを殺戮し、土地を奪い、移住を繰り返すことにより西海岸まで領土を拡げていく。19世紀末には、ハワイ、グアム、北マリアナ諸島、さらにはサモアの一部を領有し、環太平洋帝国になっていく。その延長として、フィリピンを植民地化した。第二には、旧帝国スペインから新興帝国アメリカヘの覇権の移行である。フィリピンでは1886年8月にそれまでの植民地支配者スペインに対する独立革命が勃発し、その後は革命運動が優位に進行していた。しかし世界史の皮肉とも言えようが、革命運動が独立を勝ち取る前に、フィリピンはもう一つの帝国アメリカによって再植民地化されるのである。

フィリピン革命は、フィリピン諸地域の統合も統一国家の樹立もできなかったものの、その過程においては近代的な共和制を柱とする憲法が制定され、一部では行政改革も行われた。東・東南アジアでは先駆的に近代国家の建設が着手されていた。アメリカ軍は圧倒的な武力により革命軍を破り、数万、数十万とも言われるフィリピン人を殺し、革命を挫折させた。歴史において「もし」は答えようがないので、アメリカが介入しなければ、この革命運動がどのような国家を作りだしたのかは分からない。ところがアメリカ植民地主義は、自らの正当性を打ち立てるために、この革命運動の近代的意義を否定する。

アメリカは、革命運動をルソン島タガログ地方の反乱と決めつけた。そしてフィリピン人だけでは民主的な近代国家を確立できないという前提の下で、アメリカによるフィリピン植民地化は近代をもたらす「恩恵」であるという物語を作りだそうとした。この物語は、アメリカ人統治者のフィリピン社会観に合致するものだった。彼らは、フィリピン社会とは農村に根ざした小規模のボスと徹底的に搾取された小作人から構成されると理解した。そして、そのような小作人に教育を与えれば、彼らを農村のボス支配から解放でき、民主的かつ近代的な社会を構築できると考えていた。

植民地の状況は、「恩恵」の物語にとって好都合な側面もあった。たとえば、植民地においてはアメリカ人による人種差別は厳然と存在したが、初期を除けば、アメリカ人の総数は極めて少なく、ほぼアメリカ人不在の植民地が成立する。マニラのような都市の外では、フィリピン人が出会うアメリカ人といえば、学校の先生くらいだった。そのため人びとを人種別に区分し、有色人種を差別するカラーラインはアメリカ本土では明確に引かれる一方、フィリピンにおいては曖昧だった。それでいて都市にあってはアメリカ化が進んだ。アイスクリーム・パーラーができ、ジャズが流行し、映画館ではアメリカ映画が上映された。一部にはアメリカの中産階級を真似た消費生活が誕生した。

さらにアメリカの植民地政策は、表面上はこの物語に当てはまるものだった。アメリカ植民地主義はフィリピン人に自治を行わせる政治体制を確立していった。1907年には植民地議会を設置し、アメリカ人が否決する権限を有したものの、一応はフィリピン人による立法を行わせた。1916年には「安定した統治が確立され次第」独立を与えるとした「ジョーンズ法」が可決される。この法に基づき、アメリカ人優位の立法・行政機関「フィリピン委員会」はフィリピン議会上院に改変され、同じ時期に植民地行政の管理職レベルにおいてもフィリピン人に権限を委譲していった。加えて、それまで軍事政府の統治下にあった少数民族が住むルソン島の山岳部やイスラーム教徒がいるミンダナオ島が、植民地政府の管轄地域に編入された。植民地フィリピンはアメリカ人の下で、国家の統一がなされ、フィリピン人が近代国家の運営を学ぶ、壮大な社会実験の場となったのである。ただし1920年代になると、実力をつけたフィリピン人政治エリートが、アメリカ人植民地総督との衝突を繰り返すようになる。

このような植民地フィリピン社会のアメリカ化をさらに推し進めたのは、各地に設けられた学校だった。英語での教育が行われ、アメリカを舞台にした説話が教えられた。歴史教育ではフィリピン革命の意義はあえて看過され、アメリカはフィリピンに近代的な組織と社会の発展をもたらした勢力として描かれた。さらには、1904年に始まった官費渡米留学生制度は、有能なフィリピン人の若者をアメリカの大学に送り込んだ。留学から戻ってくると、彼らは教育官僚をはじめ、植民地官僚制度の中核を担うようになっていった。

しかし、この「恩恵」の物語が意図するように、アメリカ植民地主義はフィリピン社会を変えていったかというと、そのようなことはなかった。アメリカ植民地政府によってトップダウンで作られた植民地教育制度の下で、教育を受ける機会を生かすことができた人びとは英語を話す中間層を形成していく。その半面、そうした教育を受けられない人びとにとっては、新たな言語を使えないことが社会上昇の障害になった。学校を介し英語を習得できた中間層と十分な教育を受けられず英語習得ができなかった大衆の間には、深い溝が作りだされた。

つまり、アメリカ植民地主義の「恩恵」は多くの大衆には十分に浸透せず、フィリピン社会の深部にまで到達することもなかった。不満は社会の通奏低音となり、革命を望む意識はくすぶり続け、それは不穏な噂や千年王国的な反乱という形で間歇的に噴出した。アメリカの価値観を広める学校も農村部には十分になく、学校があったとしても多くのフィリピン人には3年ほどの初等教育を与えるに留まった。植民地教育は、農村での人びとの意識や生活、権力関係を大きく変えるものではなかったのである。

それにもかかわらず、フィリピンの政治的独立はアメリカ植民地主義の「恩恵」の物語を改めて強調することになった。1930年代前半にはフィリピン人政治エリートはワシントンDCに交渉団を送り、フィリピン独立を求めた。アメリカ連邦議会議員や高級官僚との交渉で、双方が納得できる独立の条件を調整していった。その結果、1934年5月に「独立法」がフィリピン議会で承認され発効し、1935年11月には独立準備政府「コモンウェルス」が発足する。外交・軍事関係はアメリカが引き続き権限を持つものの、内政においてはフィリピン人が統治する政体が出来上がる。そして「独立法」に従い、コモンウェルス成立から約10年、日本のフィリピン侵略を経た後の1946年7月にフィリピンは共和国として独立する。つまり、合意と調整の上でなされた独立は、フィリピン人の成長とそれを可能にしたアメリカ植民地主義の「恩恵」という物語に回収されていくのである。

20世紀史の中でのフィリピンの経験は、植民地の「近代」が侵略者の苛烈な暴力と共に生じ、一度もたらされてしまった近代に抗うことがいかに困難であるかを示している。また東・東南アジア史においては、19世紀末から20世紀初頭のフィリピンの経験は先駆的なものだった。対スペイン独立運動は、アジアでもっとも早く革命運動にまで発展した脱植民地化ナショナリズムだったし、中国の辛亥革命(1911年)より前に共和主義を標榜していた。さらにフィリピン植民地化は、軍事介入と「民主化」という、21世紀に至るアメリカの世界戦略の源流に位置している。フィリピンは沖縄・日本・韓国に先んじてアメリカに占拠され、アメリカの軍事基地が築かれた社会でもある。その意味において、アメリカ植民地期のフィリピンは、近隣アジア諸社会を尻目に半歩先を行く歴史の先導者だったのである。
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知的自由と図書館の自由

『新しい時代の図書館情報学』より 「知的自由」(図書館の自由)概念の構造 ⇒ 総務省による図書館クラウド

市民と公権力

 ここで図書館の世界における固有の理念である「図書館の自由」、つまり(アメリカにおける)知的自由の概念について、図式化して考えることにしたい。一般にアメリカの連邦憲法修正1条や日本国憲法21条が保障している表現の自由と、表現の自由を行使するための前提となる知る権利は、図12-1のように市民に対峙する国家権力に対して、出版や報道などの事前検閲や公表差止め、出版物の押収や廃棄を含む事後の制裁、公的情報の秘匿などが国民主権の国家では許されないことを明らかにしている。表現の自由、知る権利は、一般に腐敗もしくは機能不全の統治権力に対抗するための基本的人権で、市民←→公権力の二面関係のなかで論じられ、透明度の高い政治行政過程を確保し、政府の説明責任を果たさせる仕掛けといえる。

市民の図書館利用にかかわる公的権利

 一方、「知的自由」(図書館の自由)という概念は、一定の反社会的事件をめぐって、誰からも干渉されない自由な読書を享受すべき市民である図書館利用者と、社会防衛を掲げて刑事捜査にあたる公権力との間」に介在する図書館のあり方を規律するものである。すなわち、市民(=図書館利用者)←→図書館←→公権力という直列三者関係の文脈において機能する。図書館利用者である市民は、知る権利を行使し、「公の施設」「教育機関」である図書館を平等に、かつ平穏に利用する法的権利をもっている。図書館は、利用者の知る権利に応えて、ありとあらゆる事柄に関する情報資料、対立するものの見方や考え方があるときにはそのいずれの立場の見解にもアクセスする自由をも尊重し、利用者市民の「知的自由」を確保しなければならない責務を負う。限られた資料費のなかで、これまでの人類社会の知的資産の箱庭を造成しなければならない。利用者が求める情報資料を所蔵していない場合には、図書館協力により、その欠を埋める。

 反社会的事件の捜査や公安・政治警察活動に従事する行政機関は、事案解決・予防のために必要な手がかりとなる情報を執念深く追及しなければならない。その過程においては、その活動により得られる社会防衛という公益に比例する範囲内で、また関係者の基本的人権など相互に抵触する諸利益との慎重な比較衡量をしつつ、捜査活動が展開されることが期待される。一般にその蓋然性は高いとはいえないが、関係する反社会的行為、反体制的活動をする者、またはしようとする者は、それらの行為、活動に必要な情報・知識、スキルを調達しなければならず、その大きな部分は文献情報を通じて獲得される。関係する文献情報およびデジタル情報は、図書館を通じて得られることが少なくない。公安・捜査機関の活動が図書館を射程に入れるのにはそれなりの合理性がある。

 しかし、殺人事件を素材とする推理小説を楽しむ者の多くは自らの手で他人を殺めることはしないし、銃器や刀剣、兵器に関する資料を読む者の多くがそれらを現実に使用しようとするわけではない。反体制派の思想に親近感をもつ人たちの大半もまたその思想を行動に移そうとすることもない。市民に安心して図書館を利用してもらうためには、図書館は公安捜査機関の相手を定めぬ闇夜の射撃のような行為を許し、無事の良民を拘束させることは断じて避けなければならない。違法不当な公権力の公安捜査活動に対抗する根拠となる理念が「知的自由」(図書館の自由)なのである。

図書館の主体性・独立性

 「知的自由」(図書館の自由)の理念を確立しようとすれば、図書館の主体性・独立性が必須不可欠である。ここでは、『アメリカ図書館法』(レイデンソン、1988)を参照しつつ、アメリカの公共図書館の法制度的構造を確認しておきたい。日本の図書館行政にとっても示唆するところは小さくないと考える。

 アメリカでは一般に、制度として、地域の名望家や図書館専門職の経験のある人たち数名のメンバーからなる図書館委員会(libraryboard ; 日本の関係書では「理事会」と訳されることが少なくないが、いわゆる独立行政委員会のひとっであり、図書館委員会と訳すべきものと考える)という合議制行政庁を構成する。徴税事務は地方公共団体に委任していても、この図書館委員会は独自の目的税を課し、図書館を管理しているため、図書館は組織外の圧力から一定程度遮断され、一応の独立性が確保されているとされる。日本の場合には、公立図書館は一般に教育委員会の内部の一部局にすぎず、教育委員会は事務局長である教育長の人事を通じて首長部局とつながるだけでなく財政的にも従属しており、法的に認められるとされる合議制行政庁としての独立性は形骸化していると見ざるをえない。教育委員会の公的審議は公開されているが、その議事録から教育委員たちの白熱する丁々発止の議論のようすをうかがえるとは言いがたい。

 公立図書館の設置主体である地方公共団体は少なからず財政危機の状態にあり、公財政の立て直し策のメニューのなかから公立図書館の運営に関して、部分的に業務委託されるだけでなく、なじまないとされている図書館経営への指定管理者制度の導入に踏み切る地方公共団体も後を絶たない状況にある。公設民営の実質をもつ指定管理者が運営する図書館のなかには、個人情報の蓄積・利用を本業とする企業が経営する図書館も登場するありさまで、「図書館の自由」という日本の図書館界で育てられた理念が緊張感を失い、希薄化しているような印象はぬぐいがたい。

レコメンドエンジンと「図書館の自由」

 図書館が所蔵している膨大な資料を的確に検索するために用いられるのは、かつては辞書体もしくはカード目録、現在ではOPACである。しかし、この図書館利用に不可欠なOPACであるが、現在のOPACの仕様ではいささか時代遅れだと感じる人たちが少なくない。1文字間違って入力するとヒットしない不便さは論外で、情報検索についても高度情報通信ネットワーク社会の今日にふさわしい図書館サービスを期待する人たちも多い。アマゾン(Amazon)に限らず、「この本にアクセスした人の多くはこの本にもアクセスしています」「この本と同じジャンルの本にはこんなものもあります」という付加的サービスを提供するレコメンドエンジンを搭載したサイトはインターネット上では珍しくない。これは図書館のすべての蔵書をデータペース化し、発注から貸出・返却、廃棄までの図書館業務の自動化を実現している図書館としては技術的には困難なことではない。障害になるのは、「図書館の自由」の理念である。とくに利用者の個人情報、アメリカの図書館でいわれるところのライブラリープライバシーが問題となる。図書館利用をめぐって図書館のコンピュータ、設置するサーバに蓄積されたデジタルデータの取扱いに関しての方針がそれぞれの図書館で、もしくは図書館界で確立されなければならない。図書館とはそういう場所、そういう人たちが集まる職場なのである。

ビッグデータと図書館サービスの向上 VS. 利用者の秘密

 紙の本の売上げを電子書籍の購読料金が上回っているアメリカのような先進者国に比較すれば、既存のビジネスモデルをなかなか更新できない日本はまだまだの感があるが、国際的な産業のつながりに想到すれば、このギャップもいつかは劇的な形で埋められるように思われる。

 アメリカではほとんどすべての図書館で電子書籍・電子ジャーナル提供サービスが実施されている。電子書籍の‘本体’は図書館ではなく契約した提供業者のサーバのなかにあり、図書館利用者は図書館ポータルを経由してこの業者のデータペースにアクセスしているのである。図書館と業者との契約が介在するが、利用者が今どの電子書籍(ファイル)のどこをどれくらいのスピードで読んでいるか、サーバの管理者には筒抜けである。クッキーが利用者の端末に送り込まれることもある。そこでログとして残される利用記録情報は、ビッグデータとして、業者がシステムの、そして図書館がサービスの向上のために利用しうる余地がある。
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図書館に期待されている役割

『新しい時代の図書館情報学』より ⇒ 図書館に求められているのは、シェア社会の先駆け

民衆の大学としての図書館

 市民が図書館に対して期待している社会的役割について考えてみよう。 2006 (平成18)年の暮れに物議を醸しながら成立した改正教育基本法に新設された3条は、「生涯学習の理念」という見出しを掲げ、「国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」と定めている。そして、続く同法4条1項は「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」としている。

 しかし、この国の学校教育の現状は就職難、いじめ問題などの寒風が吹きすさぶだけでなく、正規教育を補完するダブルスクール、塾教育も含め、一定の資力と財産がなければ、現実には一定水準の学校教育サービスは受けられない。これは日本だけでなく、学校教育を無償としている一部の国を除き、ある程度は世界の国々に共通する学校教育の壁である。

 無産市民とその家庭に生まれた人々は、学校教育に頼らず自分の力で一人前の教養と学識を身にっけなければならない。現代社会において、自分で自分を育てるところが図書館である。近代公共図書館の無料原則は、日本の図書館法17条にも「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」と定められており、生活上の必要と主体的な知的好奇心を満たす利用に対して、授業料を払わなくてもよい‘民衆の大学’が図書館である。

教育的役割

 図書館は、すべての人にとって、生涯にわたり、身近な場所に存在し、その気になればいつでも利用できる学習センターである。教壇に立つ教師ではなく、手に取った資料の著者を師として、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習ができる。図書館が果たす第1の役割は、教育的役割である。アメリカのような移民の国では、図書館は学齢を超えた人々に対して公用語である英語に関する識字教育だけでなく、公民権取得に向けての支援も行う。

情報提供の役割

 教育機関であると同時にコミュニティの拠点施設でもある図書館は、市民に対して衣食住を含む生活に必要な情報提供をするとともに、旅行者や観光客など非日常的な訪問者に対しても、風光明媚な景観スポット、歴史的遺産や無形文化財などの固有のコミュニティ資源についての情報を提供する。イギリスでは、コミュニティライブラリアンという地域情報に精通した専門的職員を置いているところがある。図書館の第2の役割は、インターネットや電話で照会してくる人たち、および図書館を訪れ利用する人たちに対して、各種の情報を提供する機能である。

 ひるがえって、利用者の求めに応じて文献情報を提供したり、生活や職業、観光やレクリエーションに関する情報を提供するだけであれば、それらの情報をデータペースに格納した電子図書館でもよさそうなものである。確かに21世紀の図書館は着実にデジタルライブラリーの方向に進んでいる。しかし、インターネット上に各種の有用なデータベース、電子図書館やデジタルライブラリーと称したり、実際そのような役割を担うサイトが少なからず存在しているが、街のシンボル的施設でもある建造物としての図書館は、依然として市民に親しまれている。

場を提供する役割

 図書館のなかには市民生活のオアシスでもある都市公園のなかに設置されているものも少なくない。そのような場合には都市公園と一体的空間を構成する図書館という場所を楽しむ人たちもいるであろうし、図書館の敷地、館内を待ち合わせの場所として利用する人たちもいる。

 館内での待ち合わせについては、新聞・雑誌・CD・DVDなどを利用していれば、駅の改札口やシンボル的建物の前、喫茶店で待ち合わせる場合などと比較すれば、待たされるイライラ感は少ないように感じられる。それだけではない。日本の図書館の世界では喜ばない人たちが少なくないが、受験勉強をする場所を提供したり、サラリーマンの週末の仕事場、ルールを守ってさえいれば、働く女性が児童室を託児所代わりに利用するのも悪くない。

 図書館には、地域の文化的活動に活用してもらうべく、集会室も必ず設置されている。公設無料貸本屋としての図書館にの機能はすぐれて大切なものである)は、子ども連れの買い物帰りの主婦が楽しみにしている小説と子どものための絵本を借りて、すぐに出ていくところにとどまらず、近年では、時間をかけて研究調査や学習、調べ物をする滞在型の施設としての性格をよりいっそう濃厚にしつつある。‘うさぎ小屋’と拓楡される日本の住宅事情も手伝い、図書館のもつ「場」の提供という役割も看過できないものとなっている。図書館は、自宅や職場・学校とは異なる、居心地のよい‘第三の場所' (third place)のひとつでもある。

 したがって、飲食禁止を絶対としてきた日本の図書館でも、最近では、利用者はジュースの自動販売機では満足せず、館内にコーヒーが飲め、軽食が可能なコーナーが設置されるようになってきた。多数の市民の交流の場として機能する図書館は、入り口に近いところで小規模ながら地域の農家の生産物や地元商工業者の製造した商品を販売するところもある。ちなみに、世界の図書館では、博物館に必ずショップがあるように、図書館にライブラリーショップを設置しているところも少なくない。
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ひめたんは先から今を見る視点が欠けている

数学と本・図書館と車の未来

 数学と本・図書館と車の未来が見えてきた。そして、その先にある教育・仕事・家庭のあり方も。それらは歴史そのものです。

 未唯空間7層のジャンルの内、2.数学、5.仕事、7.生活の関連です。3.社会と4.歴史は総合面です。入っていないのは、1.自分編だけです。自分編は他者の世界ではなく、私の世界の観点だから、別のモノです。

 28歳の時から考えてきた7つのジャンルがつながったことになります。

 キーワードは分化と統合。今あるものから分化して、新しいカタチに統合されていく。それでもって、人類(他者)は生き延びていく世界を提示します

 数学でトポロジーで先のカタチになっている。図書館の存在そのものは次のカタチの先行事例になりつつあることに気づいた。

デジタル化で個人の武器を作る

 本と放送はデジタル化して、バラバラにすることが可能になった。それを個人レベルで統合する動きが見えてきた。未唯空間もその例です。それによって、個人は武器を作り上げることができ、覚醒する。それに絡んできます。

クルマの未来

 一番分かりやすいターゲットは車です。1%しか使われていない道具。クルマの未来はスタイルとか性能ではなく、交通、または移動すること変えていくから生まれる。それが社会を変革させるためのヒントになり得る。

ひめたんの精神分析

 ひめたんのことで言うと、12月の成人の5人の集いの時に、生ちゃんから言われた言葉「あんた、目標を持たなきゃダメですよ」。それと自ら発した「中間管理職」という言葉からの推察。

 生ちゃんとかすぅちゃんが輝いているのを目のあたりにしている。自分が一番発揮できる握手会とらじらーを体調不良で欠席したこと。これらがマイナスにつながっている。元々、マイナスの感情に支配されやすい体質でブログもモバメも発信できない状態が続いている。

 ひめたんを救えるのは、トリガーとなった生ちゃんと妹のすぅちゃん、そしてオリラジだけだが、そのままでは、今が限界と思っているひめたんに通じない。生ちゃんにひめたんを慰めることは出来ない。自分の生き方を見せるだけです。すぅちゃんも同じでしょう。全てはひめたんに掛っている。視点を変えるしか救われない。

先から見る視点

 生ちゃんのように先からの視点で今を見ることができない。

 過去を振り返ってもしょうがない。なぜなら、過去は変えられないから。今を過去だと思うことが出来れば、大きな可能性があります。今は変られるから。

 生ちゃんは15歳の時に、ピアノとアイドルの両挟みになって、動けなくなった時に、アンジェラの歌「15歳の君へ」で、先から見る視点に変えられて、笑顔になったと述べている。

 先から今を見る視点を作ってきたから、いつも陽気でいるし、言い切ることが出来る。

 ひめたんにはそういうものがない。三期生も入ってきて、若さと才能を見せつけられる。選抜のこともあり、ファンを裏切ることになることに思い悩む。

 アイドルを目標とすることは難しい。先が見えない。ミュージカルとか舞台は大きな世界から見ることが出来る。若い頃からあこがれ手があれば、さらに今、やっていることの意味が分かる。

分化し、覚醒し、伝播する過程

 これが個人が分化して、覚醒して、近傍を作って行く伝播する。それが、全体を考えて、先を見ていくことの意味です。これらのロジックを集約したのが、未唯宇宙です。私の他者へのメッセージであり、提案です。

ロジックを渡す相手

 これを渡す相手はいない。他者という思いが出来た時から、いなくなった。片思いの相手に渡すしかない。ネットの空間にばらまくのも一つの手です。今は居ない人に渡していく。これはロマン以外の何物でも無い。ガロアとかウィトゲンシュタインにしても、そういうカタチで渡そうとした。当時は小さなメモの端だったけど。

死から考える強さ

 先から考えるということは、当然、死から考えることになる。逆に言うと、死を考えたくないから、先から考えることをしない。

 死が生ちゃんの原点になる。自分の死以外は怖れるものはないし、今に賭けることが出来る。

 答えがないものについて、皆に聞いて、感想を求める。これは正解です。調べて分かるものは少ない。私が全てを知りたくて、本を処理しているのは、聞く相手、聞いてくれる相手が居ないからです。自分の中で、自分の内なる世界で答えを作り上げていくしかない。

 これが本当の哲学です。先から考える。自分が生まれてきた理由に反映させていく。

ガラスを割る行為

 反トランプ活動でワシントンのスタバのウィンドウガラスが割られた。アテネでの反米活動でもスタバは襲撃された。ナチ時代の11/9のクリスタルナハト〈水晶の夜)を想起させる。

 次はレクサスのお店で、それは行なわれる。割り甲斐がありそう。

内なる世界と外なる世界

 内なる世界と外なる世界を変えます。内なる世界は私の世界で、外なる世界は他者の世界。私の世界は他者の世界と比較するものではない。

 今、考えているのは、他者の世界をどうするのかが中心です。本来、関与していない部分です。私の世界をどうしていくかを本格的に見ていかないといけない。

 未唯空間はあくまでも内なる世界です。外から持ち込んでいます。ドンドン内に入っていく増す。そこで起きていることを位置づけて、全体の構成の中で何が重要なのか、人類はどうあるべきか、クルマの未来の姿などをそこに示します。

 ベースには、私の全てを知りたいと言う願望がある。そこには他者も含まれている。前提としては、他者が居て、その関係で全て終わるのではない。それを全てを知りたいに関係させます。

自分の定義

 最初から他者の世界との間にいる自分という定義をしようとすると、そちらに引っ張られてしまう。自分の覚醒が起こりません。他者に対する関心も起こりません。自分の内から入っていきます。

 全体を見たり、先から見たりします。自分を考えることで自分をなくすこと。

今なら、中国に勝てるという米国の認識

 米国が中国に勝つということは、1億人を殺すということ。毛沢東以来の中京の戦略です。1億人の殺戮に米国の世論が耐えられるはずがない。絶対に日和る。ホーチーミンの戦略も根本は同じ。

OCR化した本の感想

 『新しい時代の図書館情報学』

 図書館に期待されている役割が限定されている。

  民衆の大学としての図書館

  教育的役割

  情報提供の役割

  場を提供する役割

 公共図書館は物理的な本を皆でシェアできるモノで、大量の読書には欠かせない。年間、1千冊を購入すると200万円必要だし、保管する場所と取り出すシステムを個人が持たないといけない。

 今後の電子書籍に至っては、図書館クラウドから自由に取り出せ、自分が重要である部分を逆流させて、大量情報処理が可能になる。

 『フィリピンを知るための64章』

 アメリカ占領期間はかなりの圧政を敷いたが、日本ほどに目立っていない。日本占領期と同様にアメリカのうまさを感じる。

 現時点でのNPOとかNGOの状況を見ると、フィリピンの方が日本より多くに可能性を持っているように思える。開放的とクローズの差が出てきている。

 『経済大変動』

 「情報技術によって実現したシェアリングエコノミー」だけが気になった。
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