江戸後期の様式の建物があるということで、豊島区南長崎まで
足を伸ばした。そこは「岩崎家」の門構えで、とても重量感のあ
る風格を現していた。
江戸と清瀬北方の清戸地区を結ぶ清戸道が通っており、その道
沿いに古風な建物があった。岩崎家は古くからの豪農で、明治の
頃は肥料問屋であった。あの三菱財閥の岩崎家とは関係ない。
横に長い建物は、江戸末期の様式で、1918年に解体されるが、
その後同じように再建されている。広大な敷地内には武蔵野のケ
ヤキ林が残っていた。
(豊島区南長崎4丁目23番地11号)
足を伸ばした。そこは「岩崎家」の門構えで、とても重量感のあ
る風格を現していた。
江戸と清瀬北方の清戸地区を結ぶ清戸道が通っており、その道
沿いに古風な建物があった。岩崎家は古くからの豪農で、明治の
頃は肥料問屋であった。あの三菱財閥の岩崎家とは関係ない。
横に長い建物は、江戸末期の様式で、1918年に解体されるが、
その後同じように再建されている。広大な敷地内には武蔵野のケ
ヤキ林が残っていた。
(豊島区南長崎4丁目23番地11号)