生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

「思い」と「重い宝」――道元禅師はいかに語るか?

2011年11月29日 | 「ブッダの言葉」序
 スティーブ・ジョブズの、
「心の底から思い込め。
でなければやり遂げるかいがない」
という言葉を紹介しました。

 このことは実に大事なことだと思いますが、
また一方で、「思い込み」がマイナスになることも
実に多くあるのも現実ですね。

 仏教では、
「執らわれるな」「執着しない」
あるいは、「思い込みから抜け出るのは難しい」
というような言葉が実に多くあります。
 このブログのメインテーマであるアッタカヴァッガでも、
そのような言葉は実に多くあります。

 みなさん、どう思いますか?

 ここに実に大事な点、難しい点、微妙な点があります。
 ここに言葉でアレコレ言うだけで解決の決してつかない問題
があります。(「思い込みは悪い」とか、「思い込みにもプラス面がある」
とか言葉で論じても、そういうので届かない問題。))

 私が、アッタカヴァッガというブッダの言葉を
このブログのメインテーマとしていながら、
なかなか取り上げられてないのは、私が
浅く受け取り、浅く引用すると、害のほうが大きい・・・てな
恐れが本当にあるとわかっているからです。難しい・・・

 禅も、ともすると、
「執着しない」「思い込まない」を重視して、
「今のままでいいんだよ」「これがありのまま」的な、
努力もせず、ただ何となくボンヤリ坐ってる人間に
なったりします。
あるいは、心が精彩を失って、あまり思いがなくなってきて、
別に立派でも何でもないのですが、
その状態を「悟った!」と錯覚して、
精彩は欠いているけどプライド満々な
人間になってしまう危険も実にあります。

 もう一つのブログで、「巨人の星」の主題歌の
「思い込んだら試練の道を」と「重いコンダラ」で、
少し書きました。(「重いコンダラ 試練の道を…」)

 ここでは、道元禅師の『正法眼蔵随聞記』から、
「重い宝」と「切なる思い」の個所を見ていきましょう。

 道元禅師は、「思い込み」というか「思い」をめぐって
どう語っているでしょうか?

重き宝を盗まんと思い

という譬えを、道元禅師は語っています。
「重き宝」というのは、国宝など、超高価で貴重な宝ですね。
ルパン3世のような怪盗の人が、
「重い宝を盗もう」という「思い」を起したわけですね。
 この譬えから、道元禅師は、何を語るのでしょうか?
 続く・・・

 「盗み」はもちろんダメですし、、「盗もうという思い」もいけないです。
これは、「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」といって
仏教の五戒にも入っている大事な戒律だから、
「盗もうなんていう思いを起してはいけません。――てな、
ありきたりな説教をする道元禅師ではありません。
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