川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松尾神社29柱の御祭神-松阪市立野町

2018-10-07 04:38:10 | 日記
(松尾神社本殿)


 三重県松阪市立野町に鎮座する松尾神社(岡村行通 宮司)は、約400段の階段を上った標高113mの山頂に本殿があります。明治40年、41年に松尾地内の7つの神社が合祀され、これまでの「立野神社」から「松尾神社」という社名になりました。この時それぞれの神社の29柱の祭神が松尾神社に祀られました。
 この29柱の祭神を少し調べてみました。山頂の本殿前の拝殿の上に祭神の名前が掲げられていますが、その順番で説明したいと思います。それぞれの神様の関係を説明しやすいように番号をつけました。ふりがなは松尾神社に掲示されているものです。


(松尾神社29柱の御祭神)

 
1)大山咋命(おおやまぐいのみこと) 
2)倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
3)五十猛命(いたけるのみこと)
4)伊弉那岐命(いざなぎのみこと)
5)伊弉那美命(いざなみのみこと)
6)建速須佐之男命(たてはやすさのおみこと)
7)櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
8)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
9)天穂日命(あまのほのみこと)
10)天津彦根命(あまつひこねのみこと)
11)活津彦根命(いくつひこねのみこと)
12)熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
13)多紀理姫命(たきりひめのみこと)
14)多岐津姫命(たきつひめのみこと)
15)狭依姫命(さよりひめのみこと)
16)猿田彦命(さるたひこのみこと)
17)金山彦命(かなやまひこのみこと)
18)岩長姫命(いわながひめのみこと)
19)大山津見命(おおやまつみのみこと)
20)木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
21)大帶比賣命(じんぐうこうごうみこと)
22)足仲津彦天王(ちゆうあいてんのう)
23)虚津比賣命(そらつひめのみこと)
24)彌津波能比賣命(みつはめひめのみこと)
25)品佗別天皇(おおじんてんのう)
26)仁徳天皇(にんとくてんのう)
27)物部建彦連公(もののべたけひこのむらじ)
28)菅原道真公(すがはらみちざねこう)
29)菊理姫命(きくりひめのみこと)


1)大山咋命(おおやまぐいのみこと)
 松尾神社の主祭神。大年神(おおとしがみ)と天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)の間の子。6)の建速須佐之男命の孫、19)の大山津見命の曾孫。
「咋」は「杭」と同じ意味。山に杭を打って自分の所有地を示す。この神は大きな山の所有者の神という意味。大山咋神は酒造りの神であり、五穀豊穣の神でもある。

2)倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
 「うか」は穀物・食物を表し、五穀・食物をつかさどる神。古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と表し、6)の須佐之男命と神大市比売(かみおおいちひめ)の子とされ、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表し、4)の伊弉那岐命(いざなぎのみこと)と、5)の伊弉那美命(いざなみのみこと)の子となっている。

3)五十猛命(いたけるのみこと)
 6)須佐之男命の子。高天原から追放された父神とともに日本に天降りしたときに多くの木種を持ってきて日本全国に植えたとされる。このようないわれから樹木の神、植樹の神として、林業や建築業に関わる人々の信仰集めている。また人々に漁業を教えたという故事があり、造船、航海安全、大漁の守護神としても信仰を集めている。

4)伊弉那岐命(いざなぎのみこと)
5)伊弉那美命(いざなみのみこと)
 男神の伊弉那岐命と女神の伊弉那美命は松尾神社の29の神の中では一番早く誕生した神々である。天地が創造して高天原ができたとき、最初に現れた神は独神の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)で、そのあと独神が6柱、二人神が五組十柱誕生した。この五組十柱の中で最後に現れたのが伊弉那岐命と伊弉那美命である。その後この二神は多くの神々を生んでいく。

6)建速須佐之男命(たてはやすさのおみこと)
 伊弉那岐命と伊弉那美命の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。古事記では建速須佐之男命、日本書紀では素戔嗚尊と表す。乱暴者で姉天照大神も手をやきついに天の岩戸に隠れてしまう。

7)櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
 須佐之男命が出雲の国の肥の川の上流に降り立ち、上流に上っていくと、そこに泣きじゃくる老夫婦と娘がいた。この老夫婦は19)の大山津見命の子で、娘は老夫婦の子であった。須佐之男命が泣いている理由を訪ねると老夫婦は「自分たちには8人の娘がいたが、頭が8つ、尻尾が8つある恐ろしい八俣大蛇(やまたのおろち)が毎年現れ娘を1人ずつ食っていく。今年もまもなく現れ、最後の娘も食われてしまう」といった。そこで須佐之男命は「私がその大蛇を退治します。そうしたらその娘を私の妻にくれますか」といい、須佐之男命が自分の素性を明かすと老夫婦は喜んで承諾した。そして須佐之男命は大蛇を退治し、櫛稲田姫命を妻とした。

8)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
9)天穂日命(あまのほのみこと)
10)天津彦根命(あまつひこねのみこと)
11)活津彦根命(いくつひこねのみこと)
12)熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
13)多紀理姫命(たきりひめのみこと)
14)多岐津姫命(たきつひめのみこと)
15)狭依姫命(さよりひめのみこと)
 乱暴者の須佐之男命は父伊弉那岐神のいうことを聞かず、「亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)へ行きたいと」言って泣きじゃくるばかり、伊弉那岐神はたまりかね須佐之男命を葦原中つ国から追放した。須佐之男命は根の堅州国に行く前に姉天照大神に会おうと高天原に上り始めた。天照大神は武装して須佐之男命を待ち構えたが、須佐之男命は「私には反逆の心などは抱いていない」と言って、天の安河をはさんで二神は誓約の儀式を行った。この時天照大神は須佐之男命の十拳の剣(とつかのつるぎ)を三つに折り口に含んでよく噛み砕き、ぷっと霧状の息を吹きだすと13)多紀理姫命、14)多岐津姫命、15)狭依姫命の3柱の女神が生まれた。
 同じように須佐之男命は天照大神の髪に巻いている勾玉を口に含み噛み砕いて吹きだすと8)天忍穂耳命、9)天穂日命、10)天津彦根命が、手に巻いている玉の緒を噛み砕き吹き出すと11)活津彦根命、12)熊野久須毘命が次々と生まれた。

16)猿田彦命(さるたひこのみこと)
 天孫降臨で天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、荒れる地上の国・葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)を治めるため、天上の国・高天原(たかまがはら)から日向国の高千穂峰に降り立ったとき、道案内をしたのが猿田彦命といわれている。
 この猿田彦命は阿射加(阿射訶)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)という大きな貝に手を挟まれ海に引き込まれ溺れ死んだ。この時、3つの泡が浮き上がり、底度久御魂(そこどくみたま)、都夫多都御魂(つぶたつみたま)、阿和佐久御魂(あわさくみたま)という3つ神が誕生した。

17)金山彦命(かなやまひこのみこと)
 5)伊弉那美命は火の神を生んだとき陰部に大火傷を負い病の床につき、もがき苦しんだ。その時嘔吐したものから生まれたのがこの金山彦命と金山比賣命である。結局伊弉那美命その火傷がもとで死んでしまう。

18)岩長姫命(いわながひめのみこと)
 父は19)大山津見命、妹は天孫降臨で地上に降り立った瓊瓊杵尊の妻20)木花開耶姫命。父大山津見命は瓊瓊杵尊に娘の木花開耶姫を嫁がす時に石長姫も一緒に嫁がした。しかし岩長姫だけ送り返される。美しい妹の木花開耶姫とは正反対にあまりにも醜いからであった。岩長姫神は石が長い間存在するように永遠の命を象徴する神。

19)大山津見命(おおやまつみのみこと)
 古事記では「大山津見神」、日本書紀では「大山祇神」と表し、古事記では4)伊弉那岐命の子としている。松尾神社の主祭神大山咋神の祖父、須佐之男命の妻となった7)櫛稲田姫の祖父でもある。また瓊瓊杵尊の妻となった20)木花開耶姫の父でもある。
 山をつかさどる神であり、農業・鉱業・漁業・商工業などの分野まで崇敬を集める神である。

20)木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
 松阪市飯南町粥見の粥見神社で春と秋に行われる「てんてん」という祭は天孫降臨を題材とした祭りである。天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上の国「葦原の中つ国」の乱れを鎮めるため高天原から降臨する。この時道案内をしたのが16)猿田彦命。地上に降り立った瓊瓊杵尊は海辺で美しい木花開耶姫命に出会い、結婚する。てんてんでは天狗が猿田彦を表し、猿田彦の手招きで天上の国から降り立つ雄獅子が瓊瓊杵尊を、雌獅子が木花開耶姫命を表す。
 全国にある富士山信仰の浅間神社のほとんどは木花開耶姫命を主祭神する。かぐや姫も富士山に関係が深く、かぐや姫のモデルなったのが木花開耶姫ではないかともいわれている。

21)大帶比賣命(じんぐうこうごうのみこと)
 神功皇后(じんぐうこうごう)は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后。古事記では大帯比売命(おおたらしひめのみこと)日本書紀では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)と表す。

22)足仲津彦天王(ちゆうあいてんのう)
 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の和風諡号(しごう)は足仲津彦天王(たらしなかつひこてんのう)といい、古事記、日本書紀には第14代天皇と記されている。父は日本武尊(やまとたけるのみこと)、母は両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)、皇后は21)の神功皇后、子には25)品佗別天皇(おおじんてんのう)のほかに3皇子がいる。

23)虚津比賣命(そらつひめのみこと)
 2世紀頃の日本皇族である息長宿禰王(おきながのすくねのみこと)の二女、21)大帶比賣命(神功皇后)妹。

24)彌津波能比賣命(みつはめひめのみこと)
 5)の伊弉那美命が最後に生んだ神。古事記では彌津波能比賣命、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)、神社の祭神としては水波能売命などと表記される。
 伊弉那美命は火の神を生んだとき陰部に大火傷を負いもがき苦しんだ。その時漏らした尿から生まれたのがこの彌津波能比賣命。日本における代表的な水の神(水神)。

25)品佗別天皇(おおじんてんのう)
 品佗別天皇は「応神天皇(おおじんてんのう)」とも表される第15代天皇。父親が22)仲哀天皇、母親が21)神功皇后。26)仁徳天皇はこの応神天皇の第4皇子

26)仁徳天皇(にんとくてんのう)
 日本の第16代天皇。父親は25)応神天皇、母親は仲姫命(なかつひめのみこと)。仁徳天皇が高台から庶民の生活を眺めていると、食事の支度をする時間だというのに、かまどからの煙が上がっていないことに気付いた。日照りや水害で民の暮らしが困窮していることを知った天皇は3年間租税を免除した。
 大阪府堺市にある仁徳天皇陵(大山陵古墳)はエジプトのピラミッド、中国の始皇帝陵とならび世界三大墳墓とされている。

27)物部建彦連公(もののべたけひこのむらじ)
 この祭神についてはよく分かりません。

28)菅原道真公(すがはらみちざねこう)
 菅原道真公(845~903)は平安時代前期の貴族、学者、漢詩人、政治家。宇多天皇・醍醐天皇に仕えた。醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、醍醐天皇を廃そうとしているとあらぬ疑いをかけられ、官位を下げられ太宰府(今の福岡県)に左遷される。そしてその疑いが晴れぬまま太宰府で没する。道真が死して2年後には、朝廷でその疑いが晴れ、故人であるが太政大臣に昇進した。現在は学問の神として親しまれている。

29)菊理姫命(きくりひめのみこと)
 4)伊弉那岐命と5)伊弉那美命が夫婦喧嘩したときに仲裁したと、日本書紀の一箇所のみに登場する神で、古事記、日本書紀の本文には登場しない。白山比咩神と同一とされ、全国に2700社以上ある白山神社の主祭神であるが、謎の多い女神

参考文献
 ✦「よく分かる古事記 神々の時代の日本の姿」島崎 晋 著
 ✦「『古事記』の世界」武光 誠 著

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