鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

中鷹地域での思い出 その2

2024年03月08日 | Weblog

中鷹地域には、同級生の家も数軒あった。公園がなかった鷹泊では、お寺の前の広場でよく遊んだ。おがくずを敷き詰めた土俵で、お祭りの子供相撲が行われたこともある。市街地の中央に構えていたお寺がなくなっているのはなんともさびしいことである。

本通り(国道)から川に向かっての道を行くと堤防の向こうにはゴミ捨て場があった。リヤカーでゴミ捨てに行ったことよりも、そこにあった池での魚釣りにいったことをよく覚えている。そのあたりには学校が遊泳を許可した第三水泳場があったので、夏休みにはよく泳ぎに行った。腰より深いところにはいかないようにしてはいたが、日によって水量が違うので、危険といえば危険であった。

写真は堤防の向こうにあるゴミ捨て場への道。写真右手から中央奥へ細い道がかろうじて残っている今は誰も通らないのではないだろうか。

写真左から右へ堤防へ向かう道が通っている。

数年前までは存在した家の前にあった花がきれいだったが、今は花を栽培していた痕跡と思われるタイヤが虚しかった。

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