「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

スナダイ・クマエ孤児院施設長のメアス博子さんのこと

2015-09-08 23:46:23 | 日常の一コマ
昨日9月7日は、まぁ、ともかく歩いた一日であった。

まずはアンコールワットで日の出を見るべく5時に行動開始。
雨季にはまず望み薄と言われているが、前日、スバエク・トムの帰りの星空がきれいで、
「ひょっとしたらひょっとするかも」ということでのものだったが、狙いはドンピシャ。
おかげで、絵や絵葉書ではよく見るものだが「アンコールワットの日の出」を何枚か、写真に収めることができた。

一旦ホテルに戻り、朝食の後、再びアンコールワットへ。
今度は裏側に当たる東側からアプローチし、第三回廊、第二回廊、第一回廊と見て回る。
もちろん遺跡の大きさに比べると、たかだか2、3時間で見ることの出来る範囲など、知れたもの。
それでも、前日のスバエク・トムのおかげで、第一回廊のレリーフについては、
今までとは多少は違った見方も出来るようになった、と思う。

昼食の後はアンコールトムとタ・プロム寺院を訪問。
さすがに夕方になるとエネルギー切れであったが、まぁ、見るべきものは見ることが出来た次第。

ツアーとしての最終日の今日8日は終日フリータイム。
トンレサップ湖の水上集落訪問というオプショナルツアーもあり、
参加されたYさんご夫妻によれば、小舟で淡水ガジュマル林の中を抜ける体験が出来た、とのことであったが、
当方は、2012年の第1回スタディーツアーの時から大変お世話になっている、
スナダイ・クマエ孤児院施設長のメアス博子さんを訪問、いろいろとお話しを伺うことが出来た。

メアス博子さんの話を聞きたくて、多くの日本人がスナダイ・クマエを訪れるという。
スナダイ・クマエ孤児院訪問のスタディーツアーがあり、孤児院再訪のツアーもある。
かくいう「旅の坊主」もその一人。
聞けば、この春には、静岡の別の大学関係者も、メアス博子さんを訪ねてきたのだそうな。
その人と会ってみたい、とも思う。

2時間ほど、話をうかがうことが出来た。いつの間にか、話は、日本の若者論になっていた。
「単純に、気になる」、と。

普通のことを変な目で見る社会。
日本はもう、取り返しのつかないところまで変わってしまったのかもしれない。
特効薬はない。
それでも、海外にいる日本人の役割として、40代、40代の者の仕事(役割)として語らなくては。
そのようなことを言って下さった。

若い世代は、地球の中で、日本は優れている、と、どこかで思っているのではないか。
焦り始めてよいのに、とも言う。「旅の坊主」もまったく同感。

あの時、年長の人に声をかけられて嬉しかった。
そういう経験を持つ者は、自分がその時になったら、そういうことをしてくれるかもしれない。
だから、若い世代に声をかける。それが「大人」の責任だろう。

出来ない、ではなく、知らないだけのこと。知らないなら教えればよい。

15年、何となく一巡した。
目の前の事を処理するのに精一杯の時代から、判断力ある大人として、多少は見えるようになった。
沢山の人にいろいろなことを言うことは出来ないが、関わってくれた人には接したい。

表現し切れないが、本当に多くのことを学ばせてもらった2時間であった。
メアス博子さんがシェムリアップ生活を始めたのが2000年から、とのことであるが
「旅の坊主」の大学教員生活も、同じ2000年から始まっている。
彼女の質と量ほど大きく深いものではないにせよ、その15年という思いには、
何か、他人ごとではない何かを感じてるところ。

ほぼ一回り若い世代のメアス博子さんであるが、本当にいろいろなことを学ばせてもらっている。
彼女に会いに行くだけでも、シェムリアップに行く意味がある、とも思っている。

旅の終わりに、そのような時間を持てたことが幸いであった。

メアス博子さま。
年一度くらいしかお会い出来ませんが、いつも良い話を聞かせていただき、ありがとうございます。
スナダイ・クマエ孤児院とメアス博子さんの応援団の一人のつもりです。
何か大きなことが出来る訳ではありませんが、身の丈の範囲で、お手伝い出来ることはしていきたい、
そのように思っています。
次にお会いする時まで、ご健勝にてお過ごし下さい。
その時まで、もう少し深く大きく将来のある話を出来るよう、精進を続けていきたいと思っています。
お時間をいただき、ありがとうございました。


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