江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

杉並を散歩

2018年09月30日 16時19分52秒 | Weblog
軽佻浮薄なおじさんが、また散歩に出かけました。

1、杉並区今川2丁目 観泉寺






今川町で分かる通り あの駿河の今川氏の 江戸時代での本拠地であり 菩提寺である。多くの人お墓の中で、今川一族の歴代の墓がひっそりと佇んでいるのは心打たれる。



この辺りは、江戸時代から地元の地蔵信仰など盛んであったのだろう痕跡が残っている。

2、井草八幡宮




今日は例大祭であったのだ。


3、善福寺




昭和17年からできたお寺の割には善福寺は何か有名な気がする。

この後善福寺公園へ行こうと思ったが、台風が近づいてきているので、雨が降ってきたので、今日はこれでおしまい。
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9月28日 6時現在の 新国立競技場

2018年09月28日 20時15分39秒 | Weblog
国立競技場が大きくなりつつある。





散歩に出かけたおじさんは、神宮外苑を歩いて
四ツ谷まで。

ここで 、以前から聞いていた、鈴伝という飲み屋に寄った 。


しかし、同じ立ち飲み屋と云っても、此処は四谷だ。やはり上品なサラリーマンの飲み屋だなとおもった。

というのも、我が輩がよく行く御徒町の立ち飲み北岡や、赤羽の立ち飲み屋 いこい などは、まず、千円札をテーブルにどんと置いて、注文する度に、店員がそこから代金を取ってお釣りをのこしてゆく。つまりその場の現金決済である。

これが労働者の立ち飲みスタイルなのだ。

我が輩も、黒いスーツにネクタイの時代には敷居が高く踏み込めなかった立ち飲み屋だが、背広を脱いだいまは、ヨーとはいっている。

四谷はやはり上品な人たちが集まっておるね。一目でわかったよ。だが、四谷の飲み屋のほうが、やはり同類の感じで、気が楽だなと思う。

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秋霖の 満たす小河内 波碧し

2018年09月27日 15時31分10秒 | Weblog


秋霖の 満たす小河内 波碧し


昨日は雨で閉塞していた。鬱々。今朝起きると、今日の天気は30%の雨、を確認。それなら無理してでも、前からの関心事であった 奥多摩湖へ行こうと。

青梅駅までは順調。 だがその後 奥多摩駅までが東京と随分違う 本当にローカル線で、 逆にその味は抜群。

都心から2時間もかかる 。新幹線で1時間も行けば日本中、あちこちの温泉へ行ける。しかし奥多摩は奥多摩の良さがあるようだ。

奥多摩からバスで 小河内神社へいきました。


ここにも 猿田彦大神 伝説がありました。猿田彦は日本の先住民の出雲族の一部と思われる。これが天照大神や神武天皇などの、天孫降臨族に押されて、信濃、越、甲斐などにも分布したと思われるが、今これを研究中。


神社の下に ドラム缶橋がひっそり浮いてました。






小河内ダムは、半分秋雨の中しっとり佇んでいました。






帰りのバスで、おばさんハイカー五人組を見つけました。 年齢60過ぎ、風体も山ガールだ。 すごいね!圧倒されちゃったヨ!







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板橋区志村3丁目に 熊野神社を見る。

2018年09月24日 21時10分30秒 | Weblog
 今日も結構暑かった。しかし3連休、散歩でもしないと、体に良くないと、都営地下鉄三田線に乗って 板橋区志村に行きました。志村という土地は、中山道が通っている昔からの要衝で、江戸時代には、一里塚(現存しているので有名)、皇女和宮の通ったところで有名だが、その前の平安・鎌倉・室町・戦国とそれぞれ時代に、武蔵の勢力の闘争があったのだ。その残っている一つがここである。

この辺りは、江戸時代260年間プラス明治時代150年間の計410年以上も昔の、戦国時代・室町時代・鎌倉時代の武蔵野の原風景が、若干感じられるところである。東京の人は江戸時代を中心にしか見ないようだが、500年以上も前の武蔵野の地に、いろんな人がいたのだ。

 ここは例によってマンションや住宅地に囲まれているが、周辺を見下ろす低い台地上で、戦国以前の武士の館の造りにもってこいの土地だと思われる。この山の上に現在、熊野神社がありました。熊野神社は志村氏などが、熊野から招請したもので、一族の根拠地の跡に、神社として残したものであろう。



 これが熊野神社の本殿である。

「いざ鎌倉」と言う言葉があるように、鎌倉幕府に非常事態が生じたときは、諸国の武士勢力が、手勢を率いて鎌倉に駆けつけるということである。

 幕府のほうも心得ていて、駆けつけた武者たちに対して「着到状」という文章を手渡し、いわば出勤証明書ですな、これを提出して緊密な主従関係を確認・表明した。中世武士は、飯の種だからこの賞状を大事に保存し、例えば 観応元年1350年、志村親義着到状 というのが残っているそうである。これは、武蔵の国 志村の 七郎太郎親義が足利尊氏について、古河公方を攻めるべく古河に出陣したとの証明書である。

こういった歴史のある志村の土地が、地下鉄のそばであると言うので野次馬が見に行った次第であります。


 

この後にある志村小学校が 志村城の本丸の跡であり、この熊野神社は二の丸の跡であると言われている。そしてこの両者の間に 空堀りの跡がわずかに残っている。空堀が中世以前の特徴なのだ。





 関東もこの辺になると歴史が残っているようである。ちなみに志村氏は、桓武平氏の1つである豊島氏から分かれたもので、平安末期・鎌倉・室町と武蔵の国でいろいろ地方の武士が勢力を張ったところであるが、結果的には、後北条氏など大きな勢力に滅ぼされ、歴史に消えてしまい、ただ、そのその氏名が現在の地名に残っている。例えば 豊島 葛西 滝野川 板橋そして志村等々である。

 そして、熊野神社信仰は、熊野三山(本宮・新宮・那智)の南、黒潮な流れる紀伊半島南端に極楽浄土を思い描く信仰として、平安末から鎌倉時代に大いに栄えたとか。

 北区王子の王子神社は豊島氏が熊野の若一王子を勧請したとか。対岸の飛鳥山に祀られているのが飛鳥権現で、やはり熊野からの勧請である。(王子神社は以前、狐の嫁入り道中を見に行った覚えがある…俺も暇だね)

こうして3連休の最終日には足の向くまま気の向くまま、遠い昔の武蔵の国の名残りををいろいろ尋ねてみたと言うことであります。
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9月22日後楽園で イグノーベル賞展示会 を見学。

2018年09月22日 21時08分10秒 | Weblog
1、イグノーベル賞とは1991年創設で、人を笑わせ そして考えさせる研究に与えられるノーベル賞のパロディー版であります。ここには日本人の受章者が多いこともあり、新しい、ビジネスのタネとして、展覧会をやったと思います。ちなみに入場料は1400円で、同種のも野に較べれば、4割高い感じです。でも、面白いです。




















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築地市場センチメンタルジャーニー

2018年09月18日 13時35分27秒 | Weblog
もうすぐ築地市場は豊洲に移転します。だから今のうちに見ておきたいと思ってきました。









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深沈の 心の淵に 曼珠沙華

2018年09月17日 17時03分25秒 | Weblog
秋の彼岸花が咲きはじめた。

毎年春と秋に着実に咲く彼岸花には独特の思いがある。




深沈の 心の淵に 曼珠沙華
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お彼岸前に 林大学頭の墓地に参る

2018年09月16日 14時15分41秒 | Weblog
新宿区市ヶ谷山伏町に江戸時代の林大学の頭の1族の墓地がある。

これが説明分である。



林羅山が徳川家の儒官となって以来、江戸幕府の官学儒学の学校の先生の1族である。当初は上野の忍ケ丘に学寮と屋敷を持っていたらしいが、その後幕府によって現在の地の新宿に牛込にうつされたもののようである。



 ペリー来航時に、幕府の役人として外交交渉をやった人も、この優秀な一族の一人である。

ここは寺でもなく、林家の下屋敷であったところで、ここに歴代林家の人たちが埋葬されている。なんでも儒教の関係者は、土葬されるようであり、現在まで450年も続いていることになる。
現在は衛生法の諸法規の関係もあり、新宿区所管の文化財となっている。



 なお話は変わるが、この大久保通の近くに市谷甲良屋敷と言う場所があり、現在は新宿区市谷柳町となっているが、江戸末期には近藤勇を師範とする天然理心流の道場がありました。

 ここから、近藤勇や土方歳三・沖田総司などのちの新選組になる面々が、浪士隊に応募して、京に上った。そして京都の治安を守るべく新選組を結成し活躍し、負けたのであります。

しかし試衛館を記念する標識等一切何もなかったです。 往時茫々。
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大人の休日倶楽部第二弾

2018年09月12日 07時35分26秒 | Weblog
東京新潟日本海フェリー小樽札幌東京。

















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大人の休日倶楽部でJR只見線を乗る

2018年09月08日 22時35分04秒 | Weblog
去年の暮れに会津若松からJR只見線の冬の旅をやろうとした。しかし当日になって大雪が降りその結果JRは中止、このため雪の只見線の旅は中止を余儀なくされました。
この敗者復活戦を計画した。しかし
今年は猛烈に暑くさらに大型台風のほか北海道では大きな地震があり交通機関等がストップしている状況。しかし今はやらないといつやるのだ、後悔が残るばかりだ、万難を配して実行すべきであると^_^

こうして今日9月8日土曜日に俳句の会を休んで只見線の旅を実践しました。

東京から高崎まで新幹線。高崎から水上経由信越線で小出まで行きました。ここで只見線に乗り換えて会津若松まで13時から17時までのローカル線の1日旅でありました。その間の写真をお見せします。 最後は新幹線で郡山から古川駅まで行きホテルで何とか晩飯を食べてるところです。

明日は磐越西線で鳴子温泉まで行くつもりです。










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エキュピリアンの気分を味わう

2018年09月06日 18時54分11秒 | Weblog
今日9月6日は北海道で震度6強の大地震があった。昨日は関西を中心に台風21号の強風の影響でその被害がたくさん出た。特に関西空港は1番打撃を受けたところであろう。そんな中で突然、北海道で大地震。日本はつくづく災害を受ける国であると悲しくなるね。


今日は大学の同期生たちとの集まりの日であり、たまたま、午後2時に日本山岳写真協会に加入している友人が、年に回の写真作品展覧会をやるご招待された。この山岳写真会は、皇太子殿下がご自身の作品展示されており、その他各界各方面のいろんな人たちがメンバーになっていろんな山岳写真が展示されている。我々同期生も10人ばかりが集まって見せてもらった。

 



この後、本来の同期会の会合をちょっと休憩し、今日は、エキュピリアンをするぞと、御徒町の「吉池」で ①焼き牡蠣 ②赤貝 ③ウナギの巻物 ④サンマ を買って、家でいかに料理するか考えました。

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巣鴨とげぬき地蔵散策

2018年09月01日 16時48分57秒 | Weblog
今日9月1日は防災の日。近い将来大地震等の災害
が来るのは地球の年代紀からいって確実です。ただそれがいつ来るかを予見できないこれが現代科学の現実である。

ケインズの言葉のように、長期的に見るとわれわれは皆死んでしまう。だからいつ死ぬかわからない我々だけど、生きてるうちにいろいろ野次馬根性を発揮してあちこち見てやろうと、暑い今日も出かけました。


巣鴨のとげぬき地蔵商店街。ここは昔の中山道であります。今は中山道のバイパスが国道17号線として隣を走っています。しかしこの部分は旧中山道がそのまま六間の幅で使われています。


とげぬき地蔵と言えば、おばあさんの原宿であります。その原宿らしいお土産におばさん用の赤いパンティーが売っていました。ちなみにおじさん用のものはなかったです。
赤いパンツは還暦の印なのですかネ?





巣鴨のとげぬき地蔵さんと水洗い観音さまです。本来これらが信仰の対象なのであります。

中山道をもう少し先に進むと庚申塚があります。そこでその近くの新庚申塚と言う都電のちんちん電車の駅から飛鳥山、十条まで行きました。その時のちんちん電車の中から見える東京下町の雰囲気です。
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