江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

9月晦日の日比谷公園

2016年09月30日 16時17分40秒 | Weblog

今日で9月尽。長月であったが、明日から神無月に入る。

この2週間、台風の影響等で くづぐづの長雨。なんかうっとしい期間であったが、きょう9月30日は珍しく湿度の低い過ごしやすい天気であった。この恵まれた日に、吾輩の大学時代の友人たちはゴルフ大会を楽しんでいる。吾輩は貧乏人だからゴルフはやらないと宣言して、テニスをやっているが、ちょうど今日30日の金曜に、日比谷公園で2週間ブリのテニスと相成りました。何しろ我が家から自転車で20分はありがたい。地下鉄より早い。それで13時スタートの1時間早く行って、日比谷を探検。日比谷公園は奥が深い。本多静六博士の設計は本当に素晴らしい。

まず、鹿鳴館の跡地を訪問。記念の銘板がありました。跡地にはいま大きなビルだが、スタバコヒーが我が物顔。

これは、帝国ホテルの西側の壁にある。これ以外は何もない。

隣はスタバが我が物顔。明治は遠くなりにけりだ。

昼飯時は近所のサラリーマンが銘々ベンチに座って弁当を食べたり休憩したりしている。金曜コンサートをやっていた。もちろん無料。案内のおじさんに水曜じゃあないのか変更したの?と尋ねると、水曜は警視庁、金曜は消防庁の吹奏楽コンサートをやるのだって。なんか妙に納得。

日比谷公園はいろいろな顔がある。

 

 

 おばさんのテニスは元気だ。吾輩は老人村に追いやられつつある。それを甘受するのが大人の態度というものか。

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長瀞の 流れに淀み 出来の秋

2016年09月29日 20時31分13秒 | フォット俳句

長瀞の 流れに淀み 出来の秋

     長瀞は荒川の上流の渓谷に沿って、灰緑色の結晶片岩の板状節理が水の流れに浸食されて奇岩の連なる名勝である。昔から瀞遊び、岩畳、舟下りで有名な観光地であるが、確かにその景観は一見の価値がある。春や秋の観光シーズンには水しぶきを楽しむ多くの見物客でにぎわう。

 

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貧乏神神社

2016年09月24日 16時52分33秒 | Weblog

文京区春日に 牛天神 という神社がある。

天神というから祭るのは菅原道真だが、この神社は源頼朝がこの神社の先に当時入り江があった今の神田川の大曲あたりに船をつないで、上陸したときに対平家戦勝を祝って寄進した由。

牛天神は場所柄、住宅地の真ん中に小さく収まっておられる。

牛天神の境内の隣に接して、太田神社というのがある。そのいわれはわからないが、室町時代の太田道灌や太田一族に関係があるのかどうかわからないが、

この神社には江戸時代、近くに住む 旗本か御家人の某氏 〈名前もわからない〉 が貧乏していたが、まじめに暮らしていた。ある年の暮れ、

「貧乏神様、今年も貧しいながら 息災でした。ありがとうございました」と祈ったという。

これに感じて、貧乏神が、自らその人の家から出て行ってくれた。お陰でこの旗本か御家人は、貧乏から脱した という伝説がある。

 

こういう話を何かの本で読んだので、吾輩も 同じ退屈御家人で貧乏だから、もしこの話にあやかることができればHappyと、雨模様の中、飯田橋から大曲を十て安藤坂から行ってきました。

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9月11日、曼殊沙華 をみる

2016年09月11日 21時30分11秒 | Weblog

秋の彼岸頃に咲くのが曼殊沙華である。今年は、9月22日が秋のお彼岸である。

15年前の9月11日はNYで同時テロでビルが崩壊。5年1時代とすると、あれから時代が3回ぐらい変化したといえようか。

5年半前の3月11日には東日本大震災があった。

彼岸花はなにか妖しげで、死人花とか、幽霊花、とか言われ、日本人のハートににいろいろ訴え考えさせる花である。

今日9月11日の日曜日も、、節操もなく、台風の影響和考えながら、荒川区南千住の汐入公園のテニスコートに行きました。5人で2時間がちょうどいいね。

さすが今日は少し涼しく、この2カ月の最適温度でありました。水は500ccでOK。有難いね。いつまで好条件が続くや、すぐ夏の暑さがぶり返すであろうが、着実に秋が近付いているのが感じましたね。

昨土曜日の句会は絶不調、兼題は、花野 と 秋扇 。吾輩の句はどなたも採ってくださらない。私、泣いていましたよ。句才がないのか、なかなか進歩がないのが悲しい。厳しい世界だね。アフターの宴席は拒否。

今日は、頭や感性でなく体力鍛錬。荒川区は南千住の汐入公園まで行きましたよ。

ここにはいろいろな草花を育ているようで、訪問するたびに季節の変化が感じられる。吟行をしているようで、ありがたい。

コスモスも負けずに咲いていましたよ。

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葵祭の斎王・・・・昔の写真がでてきたよ

2016年09月09日 22時20分16秒 | Weblog

 

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日本山岳写真協会展

2016年09月01日 21時48分17秒 | Weblog

今日1日は、日本山岳写真協会展に招待され、上野の東京都美術館に見学に行きました。

ちょっと早めに着いたから、同じ美術館で「ポンピドー・センター傑作展」をやっていたから、ここを見学しました。昨年秋のパリ旅行では、オルセーもルーブルもオランジュリーも美術館巡りをパスしたから、今回東京でポンピドーもいいじゃん、という発想。

ポンピドー大統領の名を冠した美術館は後発の美術館として、1900年代以降の近代・現代の作品のうち、ピカソやマテイスやその後の現代アートが納められているとか。ポンピド―自術館は現代アートであり、美術館自体が奇抜なデザインであるのが売りとか。今回の東京展では、1906年から1977年までの、1年作家、1作品で展示されている。

美術館の性格上、写真で映せないのが残念だが、

パンフにあるように、1935年のピカソのミューズ、1917年のシャガールの「ワイングラスを掲げる2人の肖像」、1948年のマテイスの「大きな赤い室内」の3点は傑作だ。それ以外にも、50年のビュッフェの「室内」があった。ちなみに、吾輩はビュッフェの48年代のリトグラフを所有し、もう50年来楽しんでいるよ。

皆様も話のタネに、一度見に行ってくださいね。

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そのあと、友人が出品している日本山岳協会展に移動。同じ美術館なのだから有難い。でも大きすぎて迷いそう。東京は進んでいる。

山岳写真の傑作集だ。

これは山岳写真協会発行の翌年カレンダー。

ここも内部展示の撮影は御遠慮くださいだから、会員の皆様の力作を紹介できないのは残念だが、いずれがアヤメ・カキツバタの力作ぞろい。御努力のほどがしのばれる。

新聞紙大の全紙サイズを写真で拡大表示するには、まず解像力の大きなカメラへの事前投資が必要。安くはない。

次に、被写体の山に出くわすためには、大変な装備を持っての冬山登山等が必要。時間・体力・金が必要

さらに美的センスの涵養には大変な努力。これは難しい。プロになるには1万時間の修養と言われるが。

こういう条件をクリヤ―した歴戦の勇士たちの山岳写真展だから、迫力が凄い。

特別出品の皇太子さまの作品もあったが、不敬ながら、ここではまあまあの感じだな。他の人の作品が凄いから。

わが友人の作品は美しい花と遠くの山並みを雲が浮かんでいるというように、すばらしい作品で人格を表してる、、感嘆の限り。

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作品鑑賞後、お土産に標記の来年度カレンダーをいただき、上野駅の飲み屋で激しくお祝い宴会。happy   happy

 

 

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