猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

名古屋イタリア村

2008年01月18日 | Weblog
名古屋イタリア村がセラヴィホールディングスからオリックスに売却されるということです。
名古屋港を活性化させたのはこのイタリア村の功績だと思います。
入場者は名古屋の万博のときから半減したとのことですが、これも時代の流れで止むを得ないのです。

先日も行ってきましたが、さらに活性化させるような余地は一杯あったように感じました。
一つは規模の拡大です。
今となっては、アミューズメントとしての規模が、中途半端になってしまっているような感じを受けました。

活性化させるにはかなりの資本と政治力が必要かと思うので、オリックスグループに移管したというのは懸命な措置だったのではないのでしょうか?

それにしても、セラヴィの功績は大きいと思います。

親子の絆

2008年01月17日 | Weblog
最近、子供が親から虐待を受けて、挙句の果ては死亡事件まで起こるという、なんとも痛ましい事件が多くなってきています。

原因の一つとして、親が育った家庭に問題があるような気がしてなりません。
こういう事件を起こす多くの人たちの親は、団塊の世代かその少し後の世代が多いと思います。
実はこの世代以降の人たちから、親子の絆が途切れてきているのです。

こういう現象はかなり根が深く、ちっとやそっとの大作では解消しないところに問題があります。

明日のブログで具体的な原因と対策を述べたいと思います。

暫定税率廃止でガソリン価格を安くすることが良いのか?

2008年01月16日 | Weblog
石油が最高価格をとなったようですが、いま近所のガソリンスタンドで入れると、リッター145円~150円です。
そのガソリンを安くするために、民主党は揮発油税の暫定税率の廃止を主張しています。
税金を安くするのは良いのですが、自冶体の歳入不足とか道路の財源を何処から捻出するのか、などそう簡単な問題ではなさそうです。

この問題を長期的にみてみると、ガソリンの高騰→ガソリンの節約→排出ガスの減少というサイクルの中で、新たなエネルギー源の開発があり、結果的に温暖化の防止に繋がるはずです。

企業や一般消費者に迎合するなら、単純にガソリン価格を下げることになりますが、政治は長期的な観点から温暖化の防止を強く国民に説明すべきだと思います。

ガソリンは必ず安くなってきます。
自由経済の中では、価格は上がりっぱなしということはなく、既に下がり始めています。
一時的な人気取りの政策は、害あって益なしです。

それより、この際いかにエネルギーの使用を節減するかを訴えるべきです。
ヨーロッパでは電車や自転車の活用を奨励しています。
日本くらい野放しにしている国は珍しいのです。
一家に2台~3台のクルマを持つことがはたして先進国のあり方でしょうか?

アメリカ大統領選とイラクのアメリカ兵

2008年01月15日 | Weblog
アメリカ大統領選がスタートしました。
イラク戦争でてをこまねいている中で、サブプライムローン問題で経済が大幅に落ち込んできてしまったアメリカ。
「世界のリーダーとしてのアメリカの時代は終わりつつあるのではないか」といわれています。
そんな中での大統領選は、否が応でも注目せざるを得ません。

今日の日経新聞はこの大統領選を取り上げていましたが、その中でイラクのアメリカ兵の写真はとても象徴的な写真だと思ってみていました。

この写真から絵を描きましたが、なんともいえない恐ろしい雰囲気がある一方で、兵士の悲しさのようなものが表れているようで、暫くは見つめてしまいました。

イラク戦争開戦以来のアメリカ兵士の死者は4千人に迫っているようです。
また、この3月で丸5年になり太平洋戦争の期間をとうに過ぎて、ベトナム戦争に近づこうとしているとのことです。

群雄割拠と城

2008年01月14日 | Weblog
この絵は世界で最も美しい白といわれているドイツの「ノイシュヴァンシュタイン城」です。
ドイツは何百というお城が残っていて、ドイツ帝国として統一するまでは、実に300あまりの諸侯と帝国都市に独立国家の権利が与えられていたそうです。
まさにこの時代は群雄割拠の時代でした。

イギリスやフランスもこういう時代を経てきたのですが、こういう歴史を見るとヨーロッパの歴史は、日本に比べると実に厳しいものだと思うのです。

ヨーロッパの国々の人びとの厳しさは、こういう歴史から生まれてきたものでしょうか?

いま日本では考えられないような文化が当たり前のように横行しているのです。
身近なことを言えば、マナーの悪さです。

聴くところによると、ドイツの女性は公衆の前での化粧はとても恥ずかしくて考えられないということです。
それにひかえ、わが国ではどうでしょうか?
厳しい時代を経てきたヨーロッパの人たちの、文化の違いでしょうか?

演劇や音楽の原点を考える 投げ銭の思想

2008年01月13日 | Weblog
演劇でも音楽でも、歴史をさかのぼると、もともとは野外で演じるものであったようです。

行きずりの人たちの中で演じていると、魅力のあるものには人が寄ってきて、「ありがとう」という思いで投げ銭をくれるのです。

演ずるとは本来はそういうものだったのです。
だから演者はかなり厳しい目で見られて、その中で生きてゆくには並大抵ではなかったようです。

ヨーロッパに行くと、街頭のあちこちに音楽を演奏している人たちに出会います。
彼らの演奏は実にレベルが高いので、聴き惚れてつい足を止めてしまうのです。
聴いてる方は、いい音楽を聴かせてくれたということで、幾ばくかのお金を入れてきます。
特に旅行者の場合は、それが忘れられない思い出になっているようです。

歌舞伎でも河原歌舞伎とわれるように、野外で演じていたのが始まりです。
18代目の中村勘三郎さんがニューヨークでテント張り小屋で演じたりしていますが、こういうやり方が歌舞伎の原点だと思います。

このように音楽や演劇は「見て聴いて面白かったら、料金を払ってください」というのが原点であるとしたら、今の時代の役者や演奏家達は大いに考えなければならないと思うのですが、皆さんはいかがなものでしょうか?

つまり先に入場料という料金をもらっている以上は、見たり聴いたりしたものが料金以上のものだった、ということでなければならないのです。

クルマやバイクのデザイン ホンダ シャドウ750

2008年01月12日 | Weblog
今日の日経新聞に、ホンダの大型バイク「シャドウ750」発売の記事がありました。
写真をみて、そのゆったり感とフォルムの美しさに見とれてしまいました。
記事によると米ハーレーダビドソンに対抗する製品だと書いてありましたが、なるほどなと思いました。

自分はバイクを乗るわけではないので、バイクの記事が目に入ったというのは珍しいことです。
その理由は、デザインにあると思います。
このバイクはゆったりした感じで、見ているだけで癒されるような人間味あるデザインではないでしょうか?
確かに記事にも「ゆったりした感覚で乗れる」と書いてありました。

車でも日本車と外車ではなぜかデザインが違うのですが、何処がどうといわれると説明に困ります。
それは、感覚的なものだからだと思います。

例えば、日本車がどうしてもヨーロッパのクルマのようなデザインと違うのは、国民性とか風土の違いにあるのではないのでしょうか?

日本のクルマは、どこか機能的で「ほっと」するような温かさを感じるデザインではないように思えます。
これに対してフランスやイタリアのクルマは、人間の気持ちをくすぐるような温かさを感じるのです。
しかし、日本車は世界各国で使われているので、大分変化してきています。
でも、不思議なことに外車と日本車の区別は、いまだにデザインではっきりわかるということは変わりありません。

この絵は新聞で見た写真があまり素敵なので、描いてみました。
つまり絵にしたくなるようなバイクでした。

新風舎は最初から騙すようにやっていたのか?

2008年01月11日 | Weblog
自主出版の大手の新風舎が倒産したというニュースをみました。
この出版社は名古屋のテレビ等の近くにも店があるので、たまに寄ったことがあります。
店は迷路のようになっていてなかなかいい雰囲気でした。
自主出版の書籍がずらっと並べてあるので、ついその気になって「自分の本を作ってみたい」気になってしまいます。

自主出版の分野をターゲットにした事や自主出版専門の店頭を構えたことなどは、経営手法としてはなかなか魅力あると思ってみていました。
そういう経営手法も良いですが、どうも一般書店の書棚に並べるという条件で、本を出してみたいという人たちから数百万のお金を集めていたが、一般の書店には並べられることがなかったので訴えられていたようです。
報道によれば、最初から勧誘の仕方が騙すことを前提でお金を集めていたという、詐欺まがいの商売をしていたようです。

自主出版には関心があったので、数年前にパンフレットをもらおうとしたら、住所・氏名など細かいことを書かせられたので、「おかしいな」とはおもいました。
その後頻繁にパンフレットを送ってきましたが、金額があまりにも高すぎるということや、一般書店に流通するということに疑問を抱いたので、注文はしませんでした。

一般書店の店頭に出すということは、そう簡単に出来るものではないと思います。
先ずは自分で出版して、それを出版社に売り込み出版社が「売れる」と判断しなければ流通するわけがありません。
新風舎の自分の店には置いても、一日に何万冊出版される中で、一般の書店に置くのは余程採算が合わなければやりません。

新風舎は自主出版に徹して商売していればこんなことにはならなかったと思います。
一般書店に流通させるということは約束しないで、ほんの価値判定と売り込みの指導とかノウハウの伝授に止めておくべきでした。

日常から離れる

2008年01月09日 | Weblog
人間はどうしても、毎日のことに翻弄され拘ってしまう傾向にあります。
仕事のことや家庭のことなどが頭から離れないので、どうしても視野が狭くなってしまいがちです。

時には自分を日常から離れ一人になってみることが大切です。
一番手っ取り早いのが、物理的にそういう状態を作ることです。
具体的には、旅行に出かけることです。
特に海外旅行は、常に緊張していなくてはならないということで、日常の仕事とか家庭のことなどからすぐに離れられます。
そして誰も助けてはくれない、まったくの一人になれます。

どうでもいいことにくよくよしないで、物事を巨視的に見るようになってきて、自分の人生観が大きく変わり、生きがいが出てくること間違いありません。

ただし、海外旅行と言っても、ツアー旅行ではそういう効果は少ないです。
個人旅行に限ります。

自分は過ってベトナムで危険な目に会ったり、親切な目にあったりしましたが、この経験が身体に染み付いて離れません。
そういうことを体験すると考え方も大きく変わってくると思います。

とにかく日常にどっぷり浸かっていると、考え方が小さくなる一方だと思います。
日常からいかに離れるかということは以外に大切なことです。

公共の場での携帯電話はやめよう!

2008年01月08日 | Weblog
携帯電話やメールというものがこれだけ普及しているのは、確かに便利で利用価値は大きいからではないのでしょうか?

しかし、電車の中やプラットホームそして街中などでやっているのは、いかにもみっともないと思ってみています。
若い女性が電車の中で化粧をしたり、ものを食べたりするのと似たところがあります。
何故みっともないかといえば、電話での私語や化粧や食べることは公の場では人様に迷惑を掛けるので、やらないのが常識ということではないのでしょうか?
どう見ても「かっこ悪い」姿だと思います。

日本はいつの間にか、こういうことを平気でやるようになってきています。
「自分さえ良ければ」という精神が蔓延しているようです。

自分がいつも乗る電車の車内放送は、「携帯電話を使わないでください」と何回も放送しています。
しかし、馬耳東風でまったく無視されています。

放送は「携帯電話はペースメーカーに影響するから」と言っていますが、「マナー違反で、その姿はかっこ悪い」とでも訴えた方が良いのではないでしょうか?

ここまで言わせるのか?と思うのですが、化粧は回りに匂いをまき散らすし、食べ物は食べかすで汚れることがマナー違反なんです。

そういう自分も「人のふりみて・・・」ということで、時々みっともないことをやっているので、大いに反省しています。


名鉄電車の吊り広告にあるように名古屋弁で「かっこ悪いで、いかんわ」と言ってやりたいくらいです。