猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

30年前の電卓を使っています

2008年03月31日 | Weblog
我が家には2つのポケット電卓があります。
一つは1975年に発売の「オムロン小型蛍光電卓mini821」で、もう一つは2000年発売の「カシオ辞書機能付き電卓JX-N50」です。

オムロンの電卓はポケット電卓が出始めの頃のもので、蛍光管表示で不思議な温かさを持ったレトロな電卓です。
電池も単四を二本を使っていてる関係か、厚みが1.3センチもあります。
とにかく愛着があるので、いまだに現役で活躍しています。

一方のカシオの電卓は国語・英和・和英辞書機能がついていて厚さも8ミリで、実に軽い電卓です。
わからない字があった時や和訳・英訳には大変重宝しています。

40数年前、最初に勤めた会社にキャノンの電卓がありました。
価格は40万円くらいで、大きさは幅60センチで奥行き40センチくらいだったと思います。
事務所の中には一台しかなかったので、台車が付いる電卓を移動させて使ったものです。

電卓の歴史を見ても、いかにITの発達は急激なものだったのかがわかります。

痴呆症患者には温かく

2008年03月30日 | Weblog
先日、若年痴呆症のことを徳光さんの司会でテレビでやっていましたが、いろいろなことを考えさせられました。

これだけ平均寿命が長くなってくると、誰もが痴呆症になる確率は高くなってくると思います。
医学の発達によって、首から下の機能を保つことは十分可能であるが、脳細胞の変化には今の医学では対応できないのですから。

確率として痴呆症になるのが高いとなれば、自分も意図しないのにそうなる確立が高いのだから、いま痴呆症になっている方々やお年寄りにはもっと温かな目で見守ってやる必要があるのではないでしょうか?

痴呆症になっても昔の記憶とか感情はなくなっているのではないし、むしろ敏感になっているようなので、人間として無視したり異常呼ばわりしたりするのは耐え難い屈辱であると思います。

そうは言うものの、自分も他界した義母に対しては感情的になったりしていたのです。
後から、客観的にみることが出来るのですが、現実の真っ只中に入っていると気持ちの余裕がなくなるのです。

これも人間の業というものでしょうか?
そういう気持ちの反省や、傲慢な気持ちが反復して襲ってきている毎日です。

木曽川の桜 人智を超えた自然の演出

2008年03月29日 | Weblog
今日はいつもの木曽川河畔のウォーキングロードに行ってきました。
この近辺では一番大きな桜の木である「薄紅桜」はほぼ満開でした。

このウォキングロードは今から4月初めにかけて花真っ盛りの季節を迎えます。
「しだれ花桃」は道に沿って花を咲かせており、可憐で真っ赤な花がウォーキングしている人たちの目を楽しませてくれます。
真っ白な「しだれ柳」と黄色い「菜の花」の配色も、春でなければ見られない貴重な景色です。

この季節になると、「自然は人智を超えたものである」ということがよくわかります。
日頃はあまりにも狭い世界で悩んでいる人間も、この自然に入ってしまうと全ての悩みを解消してくれるようです。



木曽川のうす紅桜です。



木曽川のしだれ花桃です。



木曽川のしだれ柳です。

携帯で撮ったので霞が掛かったようですが「その半呆けがいい味を出している」と自画自賛しています?

桜の花の下で

2008年03月28日 | Weblog
今日、愛知・岩倉市の五条川の桜の様子を見ていました。
総じて6~7分咲きといったところでした。
この調子で行けば日曜から月曜あたりが一番の見頃になると思います。

桜の花の下にはいろいろな人びとが集まっては消えてゆくのですが、桜はそういうことはお構いなく、春が来ると確実に花を咲かせて散ってゆくのです。
人間は有限であるが、自然は無限であるというところに、昔から桜の花には無常観を感じるのでしょうか?

有限な命であればこそ、自分の心だけは何処までも無限の境地で生きてゆきたいものです。

桜の花を見ていると、そんな気持ちがしてくるものです。


死ぬまで好きなことをやり続ければ幸せ者だ

2008年03月26日 | Weblog
人間この歳になると、何か一つとことんやってみたくなるものです。

何をやっても上にはうえを行く人が居るものです。しかし、それでめげていてはいけません。持って生まれた才能という問題もあるから、上手い下手は別にしてとにかく死ぬまで長い間こつこつとやって行けば、嫌でも面白くなってくるのだと思います。


そういう意味では手に職を持った、職人さんは恵まれた人だといってもよいでしょう。 わき目も振らずに、夢中になってやることがあるという人は幸せものです。長生きして長い時間一つのことを面白がってやっていれば、いろいろなことが見えてきて、人間のスケールも広がるのではないでしょうか?


今日のスケッチは「オオアラセイトウとラッパ水仙」です。

液晶絵画展 三重県立美術館

2008年03月26日 | Weblog

桜の蕾がぼつぼつ開けかけているようです。今週の土日は桜が見頃だと思います。

最近は午後6時になっても明るいので、脳細胞も活性化してきており、お陰で美術館などにも積極的に出掛けています。

いま三重県立美術館で開催している「液晶絵画展」は今まで見たこともない液晶による動く絵画展です。
未来の絵画の姿を暗示させるような展覧会です。

 

 今日の絵は道に出来た「木の影」です。


名古屋鉄道の名古屋弁での乗車マナー広告

2008年03月24日 | Weblog
これは名古屋鉄道の乗車マナーの吊り広告です。
横に荷物を置いて二人分の席を取っている人に向かっていっているのです。
「もう少し詰めていただけますか?」と言っています。

このシリーズは確か4本あると思います。
詳しくはこのブログの2月17日を見てください。

本当の名古屋弁は愛嬌があって柔らかで、とてもいい感じです。
名古屋人は外へ出ると名古屋弁が出ない場合が多いのですが、大阪弁のように大いに使って普及させるといいと思っています。

運慶作 大日如来像が帰ってくる

2008年03月23日 | Weblog
先日、ニューヨークのオークションで、運慶作の大日如来像を12億円で三越が落札したと聞きました。

写真ではとてもいいお顔をしておられるので、是非ともお会いしたいものだと思っています。
とにかく仏像が日本に帰ってきたのは、本当に良かったと思います。

この仏像は自分が最も素晴らしいと感じている室生寺の十一面観音です。
平安時代の9世紀末から10世紀の初めにかけての作のようです。

びっくり!日本史って必修科目ではなかったの?

2008年03月21日 | Weblog
「日本史を必修科目にしようとしている神奈川教育委員会が注目されている」というニュースを見て驚きました。

経済がこれだけグローバル化してきているなかで、日本の歴史を知らずして若者が社会に出てビジネスをやっているのだから、世界の国々からは「日本人は主張もなく孤立している」と思われるのも当たり前のような気がします。

世界史は必修で日本史はそうではないと言うことは、どうも受験勉強には必要ないからだと思います。
世界史と日本史はどう見ても切り離すことが出来ないのに、なぜ日本史だけが選択科目なんでしょうか?
どういう経緯でこういう学習指導要領が出されているのでしょうか?
不思議でなりません。
受験中心の教育に迎合しているとしか思われません。

国の教育方針に見られるように、何事も国としてのポリシーがないので、外交でも他国からいいようにやられてしまうのだと思います。
先日来の「毒入りギョーザ問題」での中国の外交は見事なものでした。

「はっきりものを言わない日本」は先ずは教育から見直すべきです。
若者に日本史と世界史を学ばせて「日本の役割」考えさすべきです。

それから世界史も日本史も教育方法は暗記方式ではだめです。
ストーリーとして覚えさせなければいけません。
そのためにはポリシーが必要です。


ストレスは血液を汚す 木曽川の桜の下を歩いて解消

2008年03月20日 | Weblog
朝から雨でしたが、11時頃には雨も上がって空が明るくなってきました。
木曽川河畔のウォーキングロードの桜は一杯芽をつけてきており、なんとなくピンク色めいてきていました。

休みの日には4キロの道を一時間ばかり歩いていますが、体調も良くなってきている感じがします。

今日、NHK第一放送を聴いていたら、料理研究科の木村さん(キムタクのお母さん)が「食に感謝する」という話の中で、「牛が場に”悪血”つまり恐怖で血が汚れるらしい」、そのくらいに嫌がって死んでゆく牛を食するのだから、人間は食に対して感謝すべきである、という話でした。

この話を聴いていて人間のストレスもかなり血液を汚しているのだな、と思いました。強度のストレスによってたちまち体調が悪くなってしまうというのも理解できました。

河の瀬音や小鳥の鳴き声(そういえば鶯が鳴いていました)を聴きながら歩くというのはなんと贅沢なことかと思いました。