猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

ボケる人ボケない人

2007年12月23日 | Weblog
「ボケる人ボケない人」などという本があるが、確かに人の行動パターンを見ていると、ボケる人とボケない人の区分は出来ると思います。

これは自分の勝手な考え方であるが、「脳細胞をたくさん使っている人はボケない」といえるのではないかと思います。
既成概念が強くて、物事を決め付けて受け止めるような人はボケると思います。
というのは、物事を同じパターンで考えている(決め付けて考えている)ので、使う脳細胞は同じものばかりであり、結果的には使っていない脳細胞が死んでしまうのだと思います。

名誉欲とか金銭欲に囚われているような人は、権威とかお金を金科玉条としているので、考え方というか価値観がワンパターンなのです。
頭の使い方が硬直的なので、脳細胞の使い方が少ないのです。

反対に既成概念が少ない人は、常に白紙で臨むので脳細胞の使い方が幅広くて弾力性があるのです。
こういう人はたくさんの脳細胞を使っているので、ボケることは少ないのです。

煎じ詰めて言えば、「ボケるボケない」はその人の価値観とか生き方によって決まってしまうようです。

人相はその人の考え方や経験があらわれる

2007年12月20日 | Weblog
「人相」はその人の考え方とか経験とか性格などで形成されているので、大変よくあたるといわれています。

例えば猜疑心の強い人は上目遣いで見るということや、笑顔を絶やさない人は円満な人だとよく言われます。
そういうような顔つきになるのは根拠があるのです。

例えば上目遣いにみる人は、相手の言葉をすぐには信用しない性格なので、一歩引いて受け止めるため、どうしても眼つきも真正面から見るのではなく斜めに構えてみるという癖があるのです。
笑顔を絶やさない人は、家や職場の環境がなに言うことなく円満なので、顔つきも緩んでくるのです。
注意しなければいけないのは、一見にこやかな人でも、瞬間的にくら~い顔になる人は、笑顔で過ごそうとする気持ちがあっても、深刻な悩みを抱えているので腹の底から笑えない人です。

そういう生活習慣を続けると、恐ろしいことに顔の筋肉とか眼つきが固まってきます。
要は生き方や環境で人相が変わるということです。

今まで多くの人との出会いがありましたが、最初に出合うと瞬間的にその人の性格が判断できる場合が多かったです。
暫く話していると話しっぷりとかで、自信のなさとか頭の良さなどがおおよそわかる例が多かったようです。

しかし、人相から本人の性格や経験が判断できないことがまれにありました。

恐ろしいことには、顔つき・動作・話しっぷり・姿勢・声等はその人の人柄とか性格そして生活状況が表れてしまうようです。
そういうことから言えば、人相は自分で作りあげることも出来るのです。
まさに「顔つきは自分の責任」であるということではないでしょうか?

19年一緒に暮らした猫のサンボの死

2007年12月19日 | Weblog
19年飼っていた家猫が、今日老衰で死にました。
名前をサンボという黒の雌猫でした。
生まれたばかりの子猫が捨てられていたのを、娘が拾ってきたのです。
これまで病気など一つもせず、本当に世話の掛からない猫でした。

長いこと一緒に暮らしていると、情が移って家族同様な存在でした。
彼女くらい猫らしい猫は居ないといってよいくらい、威厳があって気品があり、ちっとやそっとではなついてくることはありませんでした。

そういう彼女の最後は、食事も出来ず身体が動かなくなっても、決められた場所で用をたそうとしていたのか、寝ている場所からトイレに移動する途中で、倒れ息が途絶えていました。

女性としてのプライドを持ち続けた素晴らしい猫でした。
もう家の中にばかり居なくていいから、自由に飛び回って遊んできてください。

お年寄りは明るい服装で街に出よう!

2007年12月18日 | Weblog
今年も残りあと二週間となってしまいました。

昨日は自分の誕生日だったのですが、すっかり忘れていていました。
この歳になると感動も薄れるものです。
しかし、何人かの方々にお祝いを言われて、ありがたく思うとともによくぞ無事にここまで生きてこられたという、気持ちが湧いてきて改めて感謝しました。

今日は栄で用事があったので、夕方出かけました。
自分が高齢者の仲間なので、ついつい目に入るのですが、お年寄りの方はもっと服装を楽しんでいいのではないかと思いました。

ダークとか茶系のくすんだ色の服装が多いのが気になりました。
若い者はそれでもいいのですが、お年寄りは明るい色を選ぶと気持ちも明るくなって、自然とファッションを楽しめるようになると思います。

欲を言えば、顔もニコニコしていると、その場の雰囲気が明るくなってきます。
街を明るくするのもお年寄りの態度一つで大きく変わってくるようです。

取りあえず、先ず服装を明るいものに変えてみようではないですか?

街の中は高齢化社会

2007年12月17日 | Weblog
ようやく冬らしくなってきました。
夕方広小路を通ったのですが、ジングルベルの中を買い物客や通勤客が忙しく歩いていました。
夜の街は昔と変わらない歳末風景ですが、昼の街中は老人の街と化します。

名古屋市内の地下鉄や地下街、栄周辺は老人のグループで一杯です。
65歳以上の名古屋市民は年間5千円出せば、一年間の地下鉄の無料パスをもらえるのですから、街中に繰り出すわけです。
もっとも、そういう政策が老人の活性化に繋がり、経済効果も大きいわけですから
大変いい傾向だと思います。

そういう中で遅れているのが、百貨店や商店です。
老人用の洋服やカバン・靴などの小売店、そして老人達がゆっくりとくつろげるようなレストランや喫茶店があまりにも少なすぎるのです。
そして、日本の商店街は何か気ぜわしくてゆったりしていないのです。
たとえば、名駅のJRビルの高島屋のようにゆったりしていて休憩するところが多ければ老人も若者も集まってきます。
広小路に川を作って散歩道にするという計画がありますが、大いに賛成です。
長期的な観点から見たら、必ず人は集まります。

文化面では、名古屋市の文化の殿堂である芸術文化センターは、65歳以上は料金を安くすべきです。
昨日行ってきた、ロートレック展などは1200円の入場料であるが、これでは映画館に客を奪われてしまいます。
そして、10階のガーデンレストランはいい場所にある割には、中身がもう一つであります。だから、いい展覧会の時でなければ人は入らないのです。
今の老人は口が肥えているので、いい加減の料理では納得はしません。

名古屋市交通局は高齢化社会を先取りしているのに、美術館や商店・百貨店がこれに対応していかなければ、街は寂れ老人や若者は郊外にいってしまうでしょう。

ロートレック展 

2007年12月16日 | Weblog
愛知県美術館で開催している「ロートレック展」を観てきました。

ロートレックは好きな画家の一人です。
今度の展覧会は、残念ながらリトグラフが多くて、肉筆の油彩が少なかったことです。
特に見慣れたポスター類が多すぎて新鮮味に欠けていました。

人間の深層部を捉えた的確なデッサンによる作品は素晴らしいものがあります。
素描とか油彩やグァッシュやパステルを使って描い作品が観たかったのですが、本当に僅かなものでした。

そういう作品の特徴は、透けて見えるような筆致の線描画です。
恐ろしいほど人間の内面を捉えています。

キスリング展を観たときに思ったのですが、後世に名が残るような画家は今までにないような、まったく新しい「作者独自の描き方」をしているのです。
ロートレックもそうです。
薄塗り・筆致の面白さ・線描・油、グァッシュ、パステルなどを混合画といった特徴があります。

愛知県美術館の立派な会場を使ったのですが、ポスターばかりが目だって、肝心の肉筆画が少ないために、ロートレックの持ち味が出せなかったのは残念でした。

最上の指導者とは:老子のタオ(道)の思想

2007年12月15日 | Weblog
いま「タオ・老子」加島祥造著(ちくま文庫)を読んでいます。

タオとは老子が説く道の思想ですが、実感として一番納得できる思想なので、前から気になっていたところでした。

加島さんは93年から老子のタオに関する本を書かれています。
最近では「老子と暮らす」(光文社知恵の森文庫)を読んで実に穏やかな気持ちにさせられました。

最近NHKでも「タオ・老子の思想」を連続で放映したようですが、確かに今くらい老子の(タオ)思想が必要とされているときはないのではないかと思います。

その中の一つを紹介しましょう。

<最上の指導者(リーダー)とは>

道{タオ)と指導者(リーダー)のことを話そうか。
いちばん上等なリーダーってのは
自分の働きを人びとに知らさなかった。
その次のリーダーは
人びとに親しみ、褒めたたえられ、
愛された。
ところが次の代になると、
人びとに侮(あなど)られる人間がリーダーになった。
ちょうど今の政治家みたいにね。

人の頭に立つ人間は、
下の者たちを信じなくなると、
言葉や規則ばかり作って、それで
ゴリ押しするようになる。

最上のリーダーはね
治めることに成功したら、あとは
退いて静かにしている。
すると下の人たちは、自分達のハッピーな暮らしを
「俺達が自分で作りあげたんだ」と思う。
これがタオの働きにもとづく政治なんだーー
これは会社でも家庭でも
同じように通じることなんだよ。
{訳 加島祥造)

森光子さんは何故現役で居られるのか

2007年12月14日 | Weblog
今、日経新聞の「私の履歴書」は森光子さんが書いています。
87歳で第一線の現役女優であり、舞台の放浪記は45年間経ってもいまだに続いているというから驚きます。

彼女が何故こんなにも長い間現役であり続けられるか、いつも不思議に思っていました。
「私の履歴書」を読んでいると、先ずは「実に素直なお人柄」であるということが印象に残りました。
もちろん彼女の努力や健康もあるのでしょうが、純粋で天真爛漫な性格が運を呼んでいるということだと思います。
言い換えれば、周りの人たちが助けざるを得ないような雰囲気を持っているといってもいいと思います。

先日ブログに書いた「いい星の下に生まれた人」の一人です。
男性で言えば長嶋茂雄さんのような人なんでしょうか。

彼女はこれまで、人を蹴落としたり恨んだりするようなことのない人だと思います。
つまり「欲がなかった」のではないのでしょうか?

われわれも65歳定年なんていってはいられません。
性格は生まれつきではあるが、素直さは努力しだいですから、いつまでも現役で居ることは決して夢ではないようです。

まんざらでもない、近頃の若者

2007年12月13日 | Weblog
先日、朝出勤するときに最寄の駅で、中学生が赤い羽根の街頭募金をやっていました。
赤い羽根の募金のお金が何処に行くのかは知りませんが、中学生達の純粋な気持ちに感動させられて思わず募金をしてしまいました。

先日も電車の中で、若い女性が座っていましたが、前に来たお年寄りに席を譲っていました。
その譲り方が自然で実に感じが良かったのです。

清清しいいい風景に出会えて、いい気分でした。

「最近の若い者は・・・」とよく聴く話ですが、いやいやまんざらでもないです。
但し、態度の格差があまりにも大きいのです。

悪貨は良貨を駆逐するでは困ります。
良貨は悪貨を駆逐するにならなければいけません。

65歳までは貯めなさい、70歳からは残らず使いなさい

2007年12月12日 | Weblog
先日、証券会社に行ったら、年寄りの皆さんの多いのには驚きました。
70歳を過ぎているであろう人たちが多いのです。
70歳を過ぎてからお金の運用の心配をしなくてはならないかと思うと、暗澹たる思いでした。

65歳から70歳くらいまでは、将来の生活のための財産形成の人生だとすれば、70歳以降は今までの蓄財を使って大いに楽しんで行く人生だと思います。
70歳を過ぎてから、今更貯め込んでいってどうしようとするのでしょうか?
株の相場や円の動きなどで、ストレスが溜まり不安の一生を送ることになりかねません。

ユトリのあるセカンドライフを送るには、月37万円必要だといわれています。
年金の受給平均額が夫婦合せて27万円だとすると、不足の10万円は今までに貯め込んできた貯蓄で補うことになります。
従って、必要貯蓄額は年間で120万円となり、90歳まで生きたとしたら120万円×20年=2400万円となります。

団塊の世代のサラリーマンであれば、退職金とボーナスでをあてれば決して無理な金額ではないと思います。

但し、子供には一切遺産を残さないことです。
子供は親の財産を無意識のうちに当てにしているので、親は「遺産は残さない」ことを早くから明言しておく必要があります。
そうしないと、子供は自立が出来ないようになってしまいます。

そして病気に対する不安は持たないことです。
良く健康のことばかり話している方が居ますが、ストレスを好んでいるようでいただけません。
どうしても不安なら、医療保険でも入って置いたらどうでしょうか?
病気の原因はストレスです。
病気になると思って生きてゆけば、ストレスが溜まって病気にもなるでしょう。

70歳以降は蓄財のことは考えないで、人生を楽しむためにお金ををどう使うかということばかりを考えて暮らしてください。
夢のある楽しい人生が送れるはずです。