はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

初歩き:湖北五山初詣6

2017-01-24 11:39:13 | 寺社遍路
歩行記録   H29-1-6(金)
歩行時間:6時間40分   休憩時間:2時間15分   延時間:8時間55分
出発時刻:7時10分     到着時刻:16時05分
歩  数: 40、707歩(推定距離28.9km)    GPS距離29.4km
行程表
 天浜線金指駅 0:15> 初山(しょさん)宝林寺 0:25> 実相寺 0:30> 井伊家発祥の井戸 0:04> 龍潭寺(りょうたんじ) 0:01>
 井伊谷(いいのや)宮 0:10> 妙雲寺 0:04> 渭伊(いい)神社 0:01> 天白磐座遺跡 0:30> 竜ヶ岩(りゅうがし)洞入口 1:00>
 奥山方広寺入口 1:20> 風越峠 0:45> 三ケ日人骨出土の地 0:25> ミカンの里資料館 0:15> 大福寺 0:25> 摩訶耶寺
 (まかやじ) 0:15> 初生衣(うぶぎぬ)神社 0:05> 浜名惣社 0:10> 三ケ日駅

                                     湖北五山概略図


                 
                              大福寺からから摩訶耶寺への地図
◎道案内14
 ・大福寺から仁王門に戻り、そのまま直進して東名の横の県道を南下する。
 ・東名高速が右側に近寄り、県道が東名のガードに入る所で県道と別れ、左に曲り東に進む。
 ・川を渡った先が摩訶耶寺だが、入口は合流した道を右折し、更に左に曲がると山門がある。

                           
                      時計台                          秋葉神社の常夜灯の鞘堂

 この時計台は昭和5年に 「修養団暁鐘會」 が建てた物のようで、色々格言が書いてあったが面倒なので読まなかった。
時刻は私の持つ電波時計と余り変わらず、90年余も経っていながら正確な時を指している。 「seiko」 の文字が見えるが流石だ。

 西部地方には多い秋葉神社の鞘堂だが中は覗かなかった。土台の石は例のチャートのようだった。

 
              摩訶耶寺本堂                                近藤用行公夫婦御廟

 山門前の案内板を見るとこの寺も元は富幕山にあったのを移転してきたようです。そのため大福寺と同じ真言宗でした。
本堂は一見普通の寺に見えるが、中々どうして国の重要文化財に指定された不動明王像や千手観音像が祀られています。
また庭園は平安末期に築造され、京都西芳寺(苔寺)の庭園に次ぐ古さで、日本屈指の名庭となっています。
ですが何故か国指定ではなく県指定でした。

 塚の上に建った二基の五輪塔は今日2番目に寄った実相寺でも見ていた。同じような物があるものだと案内板を読んでみると
 「近藤用行公夫婦御廟 武田軍による兵火により、摩訶耶寺諸堂は消失してしまった。江戸時代になり三ケ日地方の領主と
なった近藤用行の力添えにより再建成就する。 この五輪塔は用行夫婦の供養塔で、長子用高が建立した。」


何々ここも “近藤家” の供養塔で、しかも実相寺と同じように名前に 「用」 の文字を使っている。
ならきっと井伊谷藩の藩主になった近藤家の子孫であろうと調べてみた。
 今回龍潭寺の編で私は 「実相寺に祀られている近藤秀用が、徳川幕府の初期に 「井伊谷藩」 の1万7千国の藩主、つまり
大名になっていた。しかし秀用は子供たちに所領を分割して与えたため、格々が1万石を割り込んでしまい、大名でなく旗本に
なってしまった。そのため井伊谷藩は消滅して旗本の直轄地になっていた。」
と書いている。
その分割した直轄地とは金指、気賀、井伊谷で、それぞれ金指近藤家、気賀大谷近藤家、井伊谷近藤家として発展していきます。
塚の主の近藤用行は気賀近藤家を継いだものの、庶子のため家督を弟に譲り、大谷で大谷近藤家の初代となったそうです。

 こんな話を聞いていくと井伊家より近藤家の方に興味が湧いてきますよね。
ところでまたもや疑問が再燃してしまった。例の井の国とは何処を指すのかという疑問です。
近藤秀用が藩主となった 「井伊谷藩」 の領地は、金指と気賀と井伊谷であり、井の国=井伊谷藩とするなら、現在の引佐、細江、
三ケ日となってくる。ならば私の想定通りなのだがなぁ。

 
                 くりからの滝                                西国三十三観音像

 あまり広いとは言えない境内に鬱蒼とした谷間があり水が流れている。一般参拝者は登りそうもない細い道を10mも登ると
何だぁー 樋で水を流した滝だった。しかしその谷間は短いとはいえ大岩がゴロゴロしして中々な物だ。
ところでひらがなで書かれた “くりからの滝” だが、多分倶利伽羅の滝なのだろう。だとするともっと上には不動明王が祀ってあり
そうだと上を見ると、すぐ上には “南無不動明王” の赤い幟とお堂が見えていた。

         
                                      石仏群

 ここの石仏も中々感じの良い物が揃っています。
実は石仏の事を知りたくて “歴史散歩便利帳” とか “石仏探訪必携” なる本も購入したのですが、重さと時間が邪魔をして、持って
歩いてはいません。実物を見ながら納得すれば覚えも早いのでしょうがねぇ。

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