はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

安倍七観音2-7

2014-12-14 16:06:55 | 寺社遍路
歩行記録                                 2014-10-4(土)
歩行時間:8時間45分   休憩時間:2時間20分   延時間:11時間05分
出発時間:6時05分   到着時間:17時10分
歩  数:  42、893歩   GPS距離30.9km
行程表
 静岡駅 0:40> 竜雲寺 0:15> 愛宕神社 1:30> 平沢寺 0:55> 日本平 1:10> 鉄舟寺 2:00>
 霊山寺 
0:25> 帆立山 0:15> 梶原山 0:30> 桃林寺 0:45> 草薙駅 

 
                       鉄舟寺(宝物館)

   
                        徳川家康の位牌
 徳川家康は自分の死後について遺言で 「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行う事、
位牌は三河大樹寺に立てる事、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよ」
と遺している。
その遺言通り岡崎市の大樹寺には家康の背丈と同じ159cmの位牌があるという。
しかしこの位牌も大樹寺が安政の火災で焼失しているため、家康の十三周忌に尾張藩主が調進した
ものだそうです。
そうなるとここの位牌は何だ? 尤も位牌に偽物、本物があるかどうかは知らないが。

 両脇の仏像は日光・月光菩薩だそうです。薬師如来の脇侍の日光・月光菩薩は遠江四十九薬師で
沢山見てきたが、これだけ損傷していると私には判断できなかった。表情は穏やかで自然体で立つ
姿は良いが、余りに損傷がひどく小さな子供が見れば 「幽霊だ」と泣き出すかもしれない。

   
       高橋泥舟               勝海舟             山岡鉄舟

  「幕末の三舟」 の書が展示してある。三舟とは、幕末から明治時代初期にかけて活躍した、幕臣の
高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟の事だが、この3人の関係が面白い。
高橋泥舟は槍の自得院流開祖の山岡家の次男と生まれるが、母方の高橋家の養子となる。その後、
山岡家の長男が早世したため、山岡家に残る娘の婿養子に迎えたのが山岡鉄舟だった。故に鉄舟は
泥舟の義弟になる。
 勝海舟は当初駿府での西郷隆盛との談判を高橋泥州に依頼したが、泥舟は徳川慶喜の庇護で江戸
を離れることが出来ず、義弟の山岡鉄舟を勝に推薦して実現した経緯もある。
また泥舟は鉄舟が被害を被った相良油田の負債返済にも協力している。さらに静岡県との関係では徳川
宗家の駿府移住に伴い、藤枝田中城の最後の城主(代官)にもなっていた。

 勝海舟と静岡を結ぶ話は特に見つからなかったが、今日最初に寄った沓谷の蓮永寺には海舟の母親
と妹の墓があった。海舟の親と云えば父親の勝小吉が有名だが、小吉の墓は東京青山霊園にある。
その妻の墓が何故静岡に? 
 妹順子の墓も不思議だ。順子は幕末の思想家・佐久間象山と結婚していたが、京で象山が暗殺され
ると、子供の居なかった順子は母親と同居したのだろう。
しかし海舟が静岡に移住していたなら母親がそれに伴ったとも考えられるが、海舟は静岡に移住して
いない。それでは何故静岡に墓があるのだ。いつか蓮永寺に行ったときに寺で聞いてみよう。
マーそんな話はともかく、三舟さんは共に武術も書も優れていたようです。

 ところで薄墨の笛は何処にあるのだろう。と、探したが笛は無くこんな張り紙があった。
「源義経 牛若丸時代から愛用したとされる横笛 800年の風雪に絶えて奏者を得ればいまだにさえた
音色をおしむところがない 横笛は予約なしでは見れません」

 絶えて?耐えてじゃあないのかな? そんな事はどうでもいいが、予約なしでは見れないなんて
これは詐欺だ!
山門横の受付に戻り 「薄墨の笛を見たかったのに展示されてないかった。」 と言うと。受付の老人は
「ここに書いてあります。」 と山門外側の所にあろ貼紙を案内した。
そこには宝物館の中と同じような事が書いてあったが、こちらは“耐えて”になっていた。
受付の人に文句を言ってもしょうがないが、貼紙の場所が山門を潜ると目に付かない所なんて-----
 それより気になったのは同じ場所に山岡鉄舟の略歴が書かれていて、その中に鉄舟が駿府の西郷に
会いに行く場面が 「朝敵 徳川慶喜の家来山岡鉄太郎まかり通る」 と名乗って動ずるところが無かった
と書いてあった。そうなると前回紹介した 「薩埵峠で官軍に行く手を阻まれ、地元の料亭望嶽亭に逃げ
込んだ鉄舟は、清水次郎長に助けられ舟で清水に渡り、身なりを整えてから駿府の次郎長の知人宅に
行き、そこで西郷隆盛の会見した。」
と紹介したのは間違いだったのか。でも望岳亭には証拠の短銃も
あるというのに。
 
                       霊山寺(杉原山)

      
      言い成り地蔵尊           杉原山入口          徳富蘇峰顕彰碑
      言い成り地蔵尊の場所        杉原山の場所
 昨年遍路した駿河一国百地蔵の中で一番手入れがされ、今でも参詣者が多い 「言い成り地蔵」
お詣りに寄る。“どうか脚力が維持できますように”
お詣りをしていた女性に杉原山の話を聞くと
「わたしは杉原山から見た景色が一番だと思います。道も近所の人が歩きやすくしたので是非行って
みてください。」
と進めてくれる。それでは行かねばならぬと、円空仏と木喰仏らしき木像が安置されて
いる 「杉原山虚空蔵堂」 の手前から山道に入った。
 なるほど先ほどの女性が言ったように、色付いたミカンの横の道はコンクリの簡易舗装がされていて
歩きやすく、5分もかからず杉原山に到着した。

 
              杉原山山頂                       山頂から眺め
 杉原山山頂は顕彰碑と共に桜も植えられていた。これらも簡易舗装や案内板などを含めて、すべて
地元の人達の好意なのだが、折角の景観を桜の枝が隠し始めている。1年を通し10日程の花のため
残りの日々は眺めの邪魔をしている。どうせ桜を植えるなら眺めの反対側に植えて、視界を邪魔しない
ようにくれればと思うのは私だけだろうか。

 徳富蘇峰の顕彰碑は無知な私には読むことができなったが、ここに蘇峰の顕彰碑を建てた理由は、
蘇峰が日本平で富士山の眺めの良い場所に吟望台、鍾秀台、超然台、望嶽台と名付けたが、他にも
「徳富蘇峰が杉原山からの眺望を絶賛し、「富士見台」と名づけ望嶽. の詩碑を建立した。」(静岡市観
光基本計画概要)
とあった。
碑文の中に富士見台の文字は見当たらなかったが、多分富士山の眺めを褒めているのだろう。

  
 下山の途中から見えた景色で、薄く見える山の向う側に富士山が見えるのだろう。
前回の安倍七観音で丸山花木展望台から見た景色に比べると・・・・・・・・・・

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