はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国81番龍蔵寺

2015-12-22 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-31(月)
歩行時間:6時間45分   休憩時間:1時間25分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時45分     到着時刻:16時55分
歩  数: 38、240歩(推定距離28.7km)    GPS距離29.2km
行程表
 常滑駅 1:00> 66番 0:15> 67番 0:10> 68番 0:05> 69番 0:10> 70番 0:15> 71番 1:00> 72番 0:25>
  77番 0:05> 73番 0:05> 75番 0:05  74番 0:05> 76番 0:30> 78番 0:10> 79番 0:00> 開山 0:20>
  80番 0:10> 81番 0:40> 82番 0:15> 太田川駅

                               81番龍蔵寺(秋葉神社)

 
          龍蔵寺山門                                   無縁仏

 栖光院の仁王門から出る道が手持ちの地図と違ったため、車道に出てから方向感覚を失ってしまった。こんな時は闇雲の歩くと
余計現在地が分からなくなるので、まず地図に載っている目印を探すのだが、その “西平井公会堂” 見当たらない。
人に聞きたくても民家は道筋に連なっているが歩行者も家の外に出ている人もいなかった。
仕方なく線路がありそうな方向に向かうと “奉納 薬師如来” の幟旗が目についた。そこが地図の道だった。
後で思えば何でもないことだが、その時は結構焦るんのです。特に時間が気になっているときは。
踏切を渡り国道155号に合流したら、あとは道なりに400mも行った最初の信号機のある交差点を左折すれば81番龍蔵寺
(りゅうぞうじ)はある。
 その交差点に着くと左を差して 「龍蔵寺P」 の案内板はあったが、さらに国道を20mも行った所に幟旗が見えている。
多分あちらが山門のある正規の入り口だと行ってみると、ピンポン当たりでした。
民家に挟まれた狭い路地の少し奥に山門というのも憚るような小振りな門が建っていた。幟旗が無ければまず見落としてしまうだろう。
フ~これで連続2回幟旗に助けられた。

 境内に入ると無縁仏の石塔や石仏がピラミッド状に積み上げられている塚が目に入ってきた。

 
                 龍蔵寺本堂                               本堂の前

 その昔、龍蔵寺辺り一帯に眼病がはやり村人たちは困り果てていた。そんなとき京の公卿が当地を通りかかり、公卿が一心に
地蔵菩薩にお祈りしたところ悪病はたちまちにして治まり、村は再び平穏無事な日々を迎えることが出来たという。
喜んだ村人たちはこの恩に報いるためお堂を建て霊験あらたかなこの地蔵様を奉安したのが当寺の始まりだと伝えられている。

 須弥壇の上中央に祀られ半紙を巻いた細長いものが見えるが、これが地蔵菩薩なのだろうか? チュッと違う気がする。

 
                 弘法堂                                   弘法堂内陣

 弘法堂の柱に大きな草鞋が奉納されていた。これは何だろう?謂れが書いてないので分からないが、眼病の流行を沈めてくれた
京の公卿が無事都に戻れますようにと奉納をしたのかな。まず違うだろう。
 お堂の前に置かれた台の上は、あたかも物置台状だった。木魚が二つ、リンが三つあるがここで複数の参拝者が同時にお参り
しろということか。

      
                 秋葉神社三尺坊威徳大権現                              オガタマノキ

 秋葉神社の三尺坊は馴染みのある名前だが 「威徳大権現」 の名前は初めて聞く。調べてみると面白いことが分かった。
まず “威徳大権現” とは三尺坊の別名で、三尺坊の飛行自在の神通力を驚き恐れた衆徒が “威徳大権現” と崇め奉ったという。
この話があったのは新潟県長岡市の秋葉神社で、そこの話が面白いので紹介します。
 「平安時代、岩野蔵王堂は本宮をはじめ十二坊が立ち並ぶ、北陸きっての一大霊場を形成していました。その十二坊の一つに
三尺坊と呼ばれ住職がおりました。
三尺坊は不動明王三昧の秘法という難行に挑み、みごと大願を成就。飛行自在の神通力を得、「もし我名を呼べば、その声に
従い火災盗難を除く」
と叫び、現われた白狐にまたがって飛び立ちました。
驚き恐れた衆徒は三尺坊を「威徳大権現」と崇め奉り、社殿を建てて祀りました。
 三尺坊は白狐にまたがり栃尾を飛び立ったのち、遠州秋葉山に舞い降りて、そこを安住の地としました。この遠州の秋葉山を
中心に、秋葉信仰が広まったことから、三尺坊は秋葉三尺坊と呼ばれ、遠州秋葉山は大本山(霊山)とされてきました。
 近世に入ると、秋葉三尺坊は火伏せに効験あらたかであるということから、秋葉三尺坊の勧請を希望する寺院が方々から出て
きました。しかし、遠州の秋葉寺は全て断っていました。そこで越後栃尾の秋葉神社に勧請を依頼したところ、許可の印証を頂き
ました。怒った遠州の秋葉寺は栃尾の秋葉神社を寺社奉行に訴えたのであります。
 結果、栃尾の三尺坊は行法成就の地で 「古来の根元」、遠州の秋葉寺は布教広風の地で 「今の根元」 と裁定、いずれも本山で
あるという裁きとなったのであります。こうして栃尾の秋葉神社は 「日本二社(総本廟)秋葉大権現」 として一躍有名となり、
近郷近在から多くの参詣者が訪れ、隆盛を迎えたのであります。」


 へ~知らなかったなぁ。秋葉さんは遠州秋葉神社の他に秋葉寺や袋井の可睡斎、清水の本坊峰本院があり、いずれも本家本元を
争っていたことは知っていた。だがそれより以前の三尺坊の故郷の信州ともそんな問題があったとは。しかも「日本二社秋葉大権現」
だったとは。そこでこの言葉で調べてみたが、見つけられたのは栃尾の秋葉神社のものだけだった。それにしても 「古来の根元」 とか
「今の根元」 とは上手いことを言ったものだ。
それはともかく、ここ龍蔵寺の秋葉さんは遠州の秋葉神社の出ではなく、信州栃尾の秋葉神社の下社なのだろうか。
これが参拝の時分かっていたら龍蔵寺で確認できたものを。残念なことをした。

 その秋葉神社に覆い被さるようにあるのは知多市の保存樹に指定された 「オガタマノキ」 とイブキの木だった。
しかし写してきた写真ではイブキ以外の木の名前が分からず、ネットで龍蔵寺を検索していくと、幹に 大ガタマ 春のお彼岸頃に白い
花が咲き、秋のお彼岸の頃にサンゴ色の実をつける。」
と書かれた札のある写真を見つけた。
しかし “大ガタマ” は聞いたことがないのでネットで検索したがヒットするものは無い。
で、“オガタマ” や “オオガタマ” でやってもダメ。そして何気なく “オガタマ” とやってみたら「オガタマノキ」 という項目が現れた。
読んでみるとどうやらこの木のようだ。
 「神話の里の高千穂のご神木、オガタマノキ(招霊の木)。木の名は、神霊を招きよせる意味の招霊(おぎたま)の木が転じたものと
いわれている。天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、アメノウズメノミコト(天鈿女命)が天岩戸の前でオガタマノキの
枝を持って踊ったとも、実を振りながら踊ったともいわれています。榊の自生しない地域を中心に、神前に供える玉串として古くから
代用されたり、神木とされて神社の神域などに植栽されている例がみられる。」

多分この木に間違いなさそうだが違っていたらごめんなさい。と同時に木に付いていた札が、今もそのままあるかどうか分かりません。

                           80番栖光院から81番龍蔵寺への道 

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