今年もあと2日。
回顧記事が出てくるでしょう。
朝日新聞
・ 災害大国に暮らす 教訓生かし、自衛する時
読売新聞
・ 地方分権改革 住民視点で全国一律を見直せ(2017年12月30日)
・ 教員不祥事処分 厳格な対応で再発を防ぎたい(2017年12月30日)
毎日新聞
・ 豊洲市場移転と小池都政 それで築地はどうなった
・ 障害者施設での虐待増加 暴力や身体拘束の根絶を
日本経済新聞
・ 角界は暴力根絶へ全力あげよ
・ 大学新入試は改革の基本構想が大事だ
産経新聞
・ 回顧2017 「異質」な指導者目離せぬ 現状変更勢力から国益守れ
中日新聞
・ 高齢期を「どう生きる」 ニッポンの大問題
※ 回顧記事っぽいのが3社です。
産経です。
「世界は今年、2人の異質な指導者に翻弄された。
米国第一主義に立ち、既存の秩序を次々と否定するトランプ大統領と、核・ミサイル開発で挑発を続ける北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長である。
不当な核開発をやめない独裁者と超大国のリーダーを同列に並べるのは本来、適切ではない。しかしながら、国際社会の対応が両氏の言動に大きく左右されてきたのは事実である。
とりわけ北朝鮮の脅威に直接、さらされる日本は、今後も2人から目を離すことができない。」
トランプと北朝鮮を並べました。
これは読まなくては・・・・。
中日を取り上げましょう。
「今年は推計で百三十四万人が亡くなりました。超高齢社会の日本は「多死社会」を迎えます。人生の最終段階にどんな医療を受けたいでしょうか。
死を考えるとは、どう生きるかを考えること。そう感じる赤裸々な告白でした。」
コマツの元社長、安藤さんの話には感動しました。
続きます。
「医療技術の進歩は別の問題を突きつけています。食べられなくなっても、意識がなくなっても生きられる時代です。選んだ医療がほんとうによかったのか、直面した人たちは悩みます。
本人はどんな医療を受けたいか、家族はどんな医療を受けさせたいか。それを決めるには、どんな生活を送りたいかを考える必要がでてきます。つまり、終末期の医療を考えれば、それは「どう生きたいか」を問われます。」
どう死を迎えたいかを、
「本人、家族、医療・介護従事者が話し合うことがひとつの解になりえます。早い段階から本人の希望、家族の思い、提供できる医療サポートなどを「共同決定」する考え方です。
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)と呼ばれます。いわば「最期までの予定表」。もちろん気持ちは変わります。予定表は書き換えることができます。その都度、思いを共有する取り組みです。」
しかし、
「厚生労働省の意識調査では、こうした考えを事前に書面にすることについて70%が賛成しているのに、実際に作成している人は3%にすぎません。本人の意思を知る重要性は理解しつつも、死へのタブー視が阻んでいるようです。」
仏教観も影響をしているのかもしれません。
まとめが素晴らしい。
「ただ、ひとつ言えることがあります。死に行く人や家族のケアを考える死生学は英語でサナトロジー、直訳では「死亡学」になります。これを日本人は「死生学」と訳しました。死はいつも生と対にあるもの、どう死ぬかはどう生きるかと同義ではないでしょうか。」
仏教は、本来「どう生きるか」の学問です。
回顧記事が出てくるでしょう。
朝日新聞
・ 災害大国に暮らす 教訓生かし、自衛する時
読売新聞
・ 地方分権改革 住民視点で全国一律を見直せ(2017年12月30日)
・ 教員不祥事処分 厳格な対応で再発を防ぎたい(2017年12月30日)
毎日新聞
・ 豊洲市場移転と小池都政 それで築地はどうなった
・ 障害者施設での虐待増加 暴力や身体拘束の根絶を
日本経済新聞
・ 角界は暴力根絶へ全力あげよ
・ 大学新入試は改革の基本構想が大事だ
産経新聞
・ 回顧2017 「異質」な指導者目離せぬ 現状変更勢力から国益守れ
中日新聞
・ 高齢期を「どう生きる」 ニッポンの大問題
※ 回顧記事っぽいのが3社です。
産経です。
「世界は今年、2人の異質な指導者に翻弄された。
米国第一主義に立ち、既存の秩序を次々と否定するトランプ大統領と、核・ミサイル開発で挑発を続ける北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長である。
不当な核開発をやめない独裁者と超大国のリーダーを同列に並べるのは本来、適切ではない。しかしながら、国際社会の対応が両氏の言動に大きく左右されてきたのは事実である。
とりわけ北朝鮮の脅威に直接、さらされる日本は、今後も2人から目を離すことができない。」
トランプと北朝鮮を並べました。
これは読まなくては・・・・。
中日を取り上げましょう。
「今年は推計で百三十四万人が亡くなりました。超高齢社会の日本は「多死社会」を迎えます。人生の最終段階にどんな医療を受けたいでしょうか。
死を考えるとは、どう生きるかを考えること。そう感じる赤裸々な告白でした。」
コマツの元社長、安藤さんの話には感動しました。
続きます。
「医療技術の進歩は別の問題を突きつけています。食べられなくなっても、意識がなくなっても生きられる時代です。選んだ医療がほんとうによかったのか、直面した人たちは悩みます。
本人はどんな医療を受けたいか、家族はどんな医療を受けさせたいか。それを決めるには、どんな生活を送りたいかを考える必要がでてきます。つまり、終末期の医療を考えれば、それは「どう生きたいか」を問われます。」
どう死を迎えたいかを、
「本人、家族、医療・介護従事者が話し合うことがひとつの解になりえます。早い段階から本人の希望、家族の思い、提供できる医療サポートなどを「共同決定」する考え方です。
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)と呼ばれます。いわば「最期までの予定表」。もちろん気持ちは変わります。予定表は書き換えることができます。その都度、思いを共有する取り組みです。」
しかし、
「厚生労働省の意識調査では、こうした考えを事前に書面にすることについて70%が賛成しているのに、実際に作成している人は3%にすぎません。本人の意思を知る重要性は理解しつつも、死へのタブー視が阻んでいるようです。」
仏教観も影響をしているのかもしれません。
まとめが素晴らしい。
「ただ、ひとつ言えることがあります。死に行く人や家族のケアを考える死生学は英語でサナトロジー、直訳では「死亡学」になります。これを日本人は「死生学」と訳しました。死はいつも生と対にあるもの、どう死ぬかはどう生きるかと同義ではないでしょうか。」
仏教は、本来「どう生きるか」の学問です。