赤谷(あかだん)山日記と日々よもやま話

ダンナのおじさんが白峰に山を購入。あれよという間に山小屋が建ち、畑が出来た。

すずよなんだけど・・

2009年01月30日 | 日々あれこれ
月いちで描かせてもらっている新聞のエッセイの挿絵。一年で終わると聞いていたけどまだ続く気配。それは嬉しいんだけど、一昨日掲載された新聞を見た友達からのメールで、「水上ますよ」になってたという話。なに~?!ますよって・・。どっからそんな名前になったのか??(我が家は北國新聞とってないので確認出来ず)

犬のポーズ

2009年01月29日 | 日々あれこれ
ヨガのポーズ。以前の先生(沖ヨガ)の時は、太陽礼拝のポーズの一つだった。両手両足を伸ばし、背中をしならせ、お腹と腰を引き上げる。その時は腰幅に開いた両足のかかとが着地出来ず、ふくらはぎが痛かった。でも、今は得意なポーズになっている。私はわりと背筋力があるので、コブラのポーズなんかも得意。しかし、一昨日は張り切り過ぎて腰が痛くなった。トホホ~。ダンナは冷たく「もうヨガが出来ん年齢やな。」なんて言う。憎たらしいヤツ・・。

火鉢でお粥

2009年01月26日 | 日々あれこれ
冬のお休みの朝は、前日の残りご飯をお粥にして食べる。起きてから炭火をおこし、土鍋を置いておけばいい感じでお粥が出来上がる。私はお粥、雑炊が好きだし、土鍋の手入れにもなる。火鉢があると色々便利。炭火を見てるとほっこり出来るしね。

お仕事

2009年01月24日 | 日々あれこれ
短大の同級生のオークボくんから久しぶりにお仕事をいただき、ちょうど新しいソフトをヤフオクですんなり落札出来たので早速使ってみる。便利な機能が増えていて、あれこれ使ってプリントしてみたが、何故か色あいが超うす~い。前のソフトでは綺麗にパキーンと出ていたのに・・。で、プリンタドライバのバージョンアップをし、トラブルのQ&Aを調べまくってプリントしてみるが変わらず・・。で、購入したソフトをアップグレードし、環境を最適化し、印刷設定を変更するなどこんな私でもやれる事はやってみた。ひとりぼっちで仕事をしてると、こんな時にと~っても大変。ダンナはウィンドウズなので相談出来ないし・・。今日仕事の後で再びプリンターと格闘してみるが、それより「100の愛」に参加するイラスト描かなくちゃ~!!

火鉢復活

2009年01月21日 | 日々あれこれ
去年使わなかった火鉢。ダンナが8帖間に上敷を敷いて綺麗にしてくれたので、奥の部屋から火鉢を運び出してみた。鉄瓶でお湯を沸かしたり、三年番茶を煮出したりしている。今日は明日の準備にヒヨコ豆を煮た。炭火でほっこりいい感じ。

通勤ウォーキングの楽しみ

2009年01月20日 | 猫ねこ日和
我が家から治療院まで大体35~40分ぐらい。嵐のような日はほんとにめげるけど、傘をさしていてもずぶ濡れになって辿り着く。それ以外はよそ様のお宅のお庭の樹々や花々を眺めたり、ノラ猫達と道端で会うのが楽しみ。今日会えた白黒ブチの猫は、私と目があったら、ごろごろと寝そべって愛想らしかった。ノラ猫にしてはがっしりした体形。なでようかなと思ったら、「じゃあな!」って感じで「ニャア!」と鳴いてすたすた行ってしまった。また会いたいな~。

黒胡麻豆乳ラテ

2009年01月17日 | 日々あれこれ
久しぶりにエミちゃんとお茶。いつも行き先が決まらずウロウロするが、今日は白山市の「アットイージー」へ。メニューが豊富で二人とも悩みに悩んだ。黒胡麻豆乳ラテはあっさりとした甘味。お店の雰囲気も良かったが、マフラーを忘れてきた・・。

アトリエからの雪景色

2009年01月15日 | 日々あれこれ
今日は寒い。アトリエはもちろん寒い。でも、必ず窓を開けて借景を眺める。広い庭にはろう梅がある。(写真で確認出来るかな?)以前、友達のキャンさんがチラッと寄ってくれた時にこの庭を見て感激していた。キャンさんは樹木医を目指し、造園会社で働いていた時期があった。なので、樹を見るとつい「この枝とあっちの枝を剪定しよう。」などと思ってしまうらしい。私の母親の介護の手伝いがきっかけで、ヘルパーの資格を取り、ケアマネージャーの資格も取り、中間管理職としてバリバリ頑張っている。でも、いつかまた樹木医を目指して頑張ってほしいと思う。

イスラエルとパレスチナ

2009年01月14日 | よもやま話
「旅カフェ」のほっし~のブログより転送

パレスチナ事情にお詳しい森沢典子さんのメールをご紹介したい。転送大歓迎。

ちなみにほっし~は今、高橋和夫の「アラブとイスラエル」を読んでいる。
「イスラエルの建国から今に至る全体の流れ」について
実はあまり詳しいことを知らないのである。

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皆さま、新しい年が明けました。
今年もよろしくお願いします。

昨年祖母を亡くし喪中だったため、新年の
ご挨拶は控えるつもりでいました。

けれども年末から始まったイスラエルによるガザへの
大規模な空爆が連日激しさを増し、辛い気持ちで
年を越し、喪に服す思いは一層強くなりました。

でも私の気持ちを暗く重くしているのは、イスラエルによる
空爆の事実だけではありません。

この一連の出来事には大きなトリックがあり
一般の報道も、政府の対応も、人々の反応も
そのトリックに陥ったままであることが、状況を
一層悲惨にしていることに心が張り裂けそうになるからです。

今回のイスラエルの空爆、そしてこのほど開始された
地上での攻撃はイスラエルの言う『戦争』でもなければ
ハマスのロケット弾阻止の大儀のためでもないことは
イスラエルのこの60年間のパレスチナへの戦略を
ほんの少し学ぼうとすれば誰にでもすぐにわかるはずです。

小学生にだって。

これは戦争でもテロ対策でもなく、あきらかな侵略行為です。

60年前に始まったイスラエルのパレスチナ地方への
侵略『NAKBA』の一環です。

ガザ側からロケット弾が打ち込まれる遥か昔から
イスラエルによるこうした攻撃は姿かたちを変え
繰り返されてきています。

そして今回のガザへの大規模な攻撃は、周到に準備された
ものでした。

2003年夏ごろから突如として始まった封鎖の硬化。

(それまでもパレスチナの人々にとっては
イスラエルによる軍事封鎖のため移動も物資の輸送も著しく
制限されていましたが、私たち外国人は交渉次第で出入りできました。
それがそのころから国連職員、NGO、ジャーナリストが次々に
ガザに入れなくなり完全に封鎖されてしまったのです。)

そして極めつけ、シャロン首相によるガザからの入植者撤退、世間に対しては
平和的な行動のようにアピールされていましたが、入植地がなくなり
いよいよ大規模な空爆を可能にし、準備を進めている気配が
イスラエルによるガザへの激しい攻撃、侵略を予測させ、私の中に
不気味な不安を掻き立てました。

この時7000人のガザの入植者を撤退するシャロン首相に
ブッシュ大統領は次のことを了解していたのです。

一、ほとんどすべてに近い西岸地区入植者の永久保存(約16万人)
二、イスラエル建国にともなうパレスチナ難民の帰還権の放棄
三、西岸に建てている隔離壁の建設
四、暗殺攻撃を含めた、パレスチナ抵抗勢力への攻撃

(このことはエリック・アザン『占領ノート』現代企画室の解説にも
詳しく触れています。上記の訳はこの著書から引用しました。)

これまでどの米国大統領もイスラエルを擁護していても
パレスチナ難民の帰還権に触れることはありませんでした。

それがブッシュ大統領は安々とその放棄を一方的に
認め、さらに入植地を初めて認めた大統領に対し呆れ果て、
その浅い判断による重い罪と、このため今後のしかかるパレスチナの
人々の恐ろしい運命に、当時私たちは本当に落胆し、恐怖を感じ
たことを覚えています。

またこの4つ目の暗殺攻撃を含めた攻撃の許可は今回の大規模な
空爆の格好のステップとなりました。

それでもアフガン攻撃、イラク攻撃と次々に失敗し、米国民からも
すっかり支持を失ったブッシュ大統領と、その大統領を支えてきた
マスコミ、国際社会は、大きな反省と成長の元、イスラエルの暴挙は
抑えられるだろうとどこかで楽観的な期待もしていました。

今回のような大規模な空爆を許さない国際社会の監視という
抑止力が働くことを信じていました。

でもそんな期待はあっという間に吹き飛ばされました。

長期間封鎖され、食事も水も電気も仕事も失われつつある
ガザの人々に対し、戦闘機、無人戦闘機(卑劣です)、戦車、
軍艦を総配備してイスラエルは容赦なく攻撃をし、それを国際社会は
止められずにいます。

そしてパレスチナ側からの抵抗は一切認めようとしません。

イスラエルはロケット弾の発射区は攻撃せずに残しています。

イスラエルの情報量、最新技術では、ピンポイントで
人一人に絞って爆殺出来ますし、これまで何度も
それを行ってきています。

でも、2006年のレバノンの時と同じ、核心は残し、
ガザの歴史的建造物であるモスクや大学、マンションなど
多くのものを攻撃し破壊し人々を犠牲にし続け、
『パレスチナは人道危機にはない』と言い続けています。

いったいガザをどうするつもりなのでしょう。

先日知人が苛立ちながら私に質問してきました。

『どうしてハマスはロケット弾を撃ち込めば攻撃されることをわかっていて
撃ち続けるんだ。』

その方は、イスラエルの攻撃は許されない、だけどハマスが
攻撃を止めれば納まるのに・・・と心配していたようです。

でもその言葉は私を深く傷つけました。

困ったことに、こうした質問に答える的確な答えを
探しても見つけることが出来ない自分がいました。

パレスチナの状況は勘のいい人ならすぐに理解できるかもしれませんが
ほとんどの人は中に行って、パレスチナ側から世界を見てみないと
理解するのは難しい。想像を絶する状況があります。

そして理解されない・・・ということが、本当に辛く孤立感や絶望感を
生んでいます。

私も以前は抵抗するパレスチナ側を批判していました。

何故?と詰め寄ったこともありました。

でも闘わなくてどう生きたらいいのでしょう。
私たちが食べないと生きていけないと同じくらいに、
生きるために闘うしかなかったら。

そんな状況をどうやって私たちは想像できるのでしょうか。


パレスチナで聴いた言葉が今でも心に焼き付いています。

『信じてください。世界というものは、弱い人々の言葉を聞かないものです。』

食糧支援、教育支援、医療支援、金銭的支援
それらを命がけでやってもやっても人々が殺され続け、政治部門
軍事部門と立ち上げ、それでも結局何をしても変わることの無かった
パレスチナの状況を憂いながら、ハマスの幹部イスマイル・アブ・シャナブさんが
涙をためて私に言った言葉です。

シャナブさんは2003年当時、イスラエルと闘っても軍事的にはかなわないことを
私にはっきり言いました。

『共存しか道は無いのです。そのためにもまずはパレスチナ自治区内の
イスラエルの軍事的政治的占領をやめてもらうことです。そして共存のための
話し合いのテーブルにつくつもりです。』

シャナブさんは政治部門のトップで、インタビューをお願いするたびに
繰り返し共存について発言しました。

ラジオでも、日本のテレビ局向けにも発言していました。

でもそれは大々的には報道されず、シャナブさんは2006年夏、
乗っていた車に対する戦闘機からのピンポイント空爆で
爆殺されてしまいました。

ハマスはイスラエルとの停戦に合意し、攻撃を
止めている真っ最中でした。

その時私はイスラエル政府が望んでいることは共存でも
占領の終結でもないことを知りました。
停戦も和平など望んでいないことを。

それまでも、もしかしてそううかな?と思う節があっても、
いや、まさか・・・と信じたい気持ちでいました。

でもこの時知ったのです。

そしてシャナブさんの死を受けて、ハマスの残された人々は
怒りに震え、停戦破棄を宣言しました。

『ハマス停戦破棄』は各紙大々的に報道され、ハマス側から停戦が
破られた印象が世間を走りました。

その後私もガザに入れることは無く、今のハマスの状況も、パレスチナの状況も
本当には把握し切れていません。

でもなぜ、新聞も報道のたびに「ガザを支配するハマス」と
枕詞のようにつけるのか疑問は消えません。

ハマスは、パレスチナの人々の選挙で勝ったアラファトを認めようとしない
イスラエルと米国、国際社会の圧力により、国際監視団のもと
正当な選挙で選ばれたパレスチナの第一党です。

そうなったとたん、それを認めず、秩序を著しく乱しているのは
イスラエル、アメリカ、そして私たちです。

マスコミに勤めている方たちにお願いがあります。

私たちの平和を望み、今の状況をペンの力で打開したいと
思って記者になったのでしたら、マスコミにはその力があります。

でも記者のかたたちがいくらエルサレムに駐在したって
占領地のことはわかりません。

西岸やガザにもっと入ろうとして、ご自身の目で確かめてから
記事にしてください。

こんな時はガザに近寄り、どうしても中に入れない状況くらい
自分でリポートしてみて欲しいと思います。

それからブッシュ大統領に声を届けることの出来る方に
お願いがあります。

英雄になりたくてイラクもアフガンも経済もことごとく失敗してしまった
ブッシュ大統領に、あと一つだけ英雄になる方法が残されていることを誰か
伝えてください。

残すところ後僅かな任期中にイスラエルの攻撃を今すぐ
ストップさせることです。
米国大統領の力において。

ブッシュ大統領にはそれが出来ます。

数々の失敗の後でも
世界から尊敬され後世名を残す立派な大統領として
幕を閉じることが出来るでしょう。

皆さんにお願いがあります。

私たちが今回の攻撃について正しく理解するためには
少しでもいいので、イスラエルの建国から今に至る全体の
流れを知ってください。

1月8日の試写会、ぜひいらしてください。


また1月10日には子どもキャンペーンやアムネスティ、JVCなど
日本を代表するNGOとともに、今回のガザへの攻撃に対して
出来ることを模索し、イベントを企画中です。

何か良い案がありましたらお知らせください。
パレスチナのことに関心が無かったり、あまり良く知らない方たちも
巻き込んで出来る何かいい方法を探しています。

詳細が決まりましたらまたお伝えします。

乱文、お許しください。

                              森沢典子

ほむこちゃんの歯

2009年01月13日 | がんばらない介護
土曜日に母親のグループホームへ行くと、職員さんから「ほむちゃん歯が抜けたんです。」と聞く。大分前から右下でグラグラしてるのが気になっていた。でも、症状が進み、口も簡単に開けなくなっているし、歯ブラシもすぐに咬み、歯磨きするのも一苦労なので、歯医者さんに診てもらうのは諦めていた。(なので入れ歯じゃないんです)「飲み込まなくてよかった~。」と職員さんが言ってくれた。母親が歯磨きした後にくちゃくちゃと何かを咬んでいるので、おかしいと思って口の中を見ると、虫歯の処置をしたブリッジと歯が見つかったという事だった。わざわざその歯をとっておいてくれたので、見てみるとちょっとずさんな処置の仕方で、大昔の技術だからか、歯医者本人の問題なのか・・。歯は大事にしなくちゃね。(カラダもココロもね)

りんごジャム出来上がり

2009年01月09日 | 日々あれこれ
今日は久しぶりに「tane」でベーグル(クリームチーズ入り)を買い、りんごジャムを挟んで食べた。ジャムはちょっと酸味が足りなかったのが残念。休憩時間にアトリエでことこと煮込み料理が出来るのは幸せな気分。今度はヒヨコ豆の下茹でをしよう。でも、そろそろ仕事以外のイラスト1点描かなくちゃね。久しぶりにソフトパステルにするか、切り絵にしてみるか悩む日々。

りんごジャム

2009年01月08日 | 日々あれこれ
丸二日、治療院の青色申告の準備で疲れた~。昨日は晩ご飯の後、横になってごろごろしていたら両手が痺れてきたので、ダンナに訴えると、「入力頑張り過ぎたしや~。」と、半分夢の中状態で言われた・・。で、今日の休憩時間に治療してもらい、元気が出てきたので、アトリエでりんごのジャムを作る。休憩時間内に瓶詰めまでは出来なかったので、一晩アトリエで寝かせる事にした。明日は美味しいパンとジャムのランチにするかな。

仕事始め

2009年01月05日 | 日々あれこれ
今日5日から泉が丘鍼灸接骨院は世間同様に仕事始め。午前中は予約がいっぱいだったので、ちょっと休みボケであたふたしがち。でも、患者さん達と「今年もよろしくお願いします!」と挨拶し合うのはうれしい。今年もうちのセンセイが一人でも多くの人を治してあげられますように・・。

襖貼り

2009年01月04日 | 日々あれこれ
正月休み最終日。ダンナは昨日、8帖の居間の畳に上敷を敷いて、細々したものを全部奥の部屋にしまいスッキリ!(奥の部屋の片付けはボチボチ・・)それに味をしめ、今日は襖を6枚、一気に貼った。時間が経つにつれ、ピーンと締まり、上出来!

お粥

2009年01月03日 | 日々あれこれ
30日にガレタッソで飲みすぎて(弱いのに)、すっかり調子悪くなってしまい、同じく忘年会からおかしいダンナと一緒に、1日飲み物だけの半絶食。でも私はダンナの目を盗んで、お粥を食べていた。でも、ダイエット出来るかも?(甘いけど)