誰がための「自粛」か

2016-04-18 12:11:14 | 日記

たとえばある人のことを思って自慰に耽っていたとしよう。仮にその相手が病床に就いたために自慰をしなくなったからといって、対象に何か影響があるものだろうか?と問えば、答えは間違いなく否であろう(相手の目前で自慰行為をするといった狂気の沙汰に及んでいた場合は除くが)。

 

災害時の自粛(ムード)というものはこれと大差ない。行為者は、たとえそれを止めても相手にとって何の益もないことを知るべきだし、自粛を求める者も同様である(それはただ貴方の心持の問題であって、決して他者に届きはしない)。真に相手のことを思うならば、そこで得た利益を投じるなどすべきであって、それでなければたとい何をしようとただの自己満足(これもまた広い意味での「自慰」と言えよう)にすぎないのである。

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4 コメント

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Unknown (南葛西)
2016-04-18 13:25:07
個人的な意見を言わせてもらえば、震災時の自粛というのは、それをする人の自己満足というよりは、経済合理的な判断によるものの方が強いように思われる。
テレビのバラエティ番組を例にすると、震災時にふざけていると視聴者にクレームを受ければそれに対応する手間が生じるし、スポンサーもイメージ低下となるおそれがある。非常時はおとなしくしておいた方が「身のため」、という判断なのだと思う。少なくとも道義的な判断からではないかな。

ただ、そうかと言ってこの問題の全てが(当然のことながら)経済合理性で片付けられる問題ではなく、あくまでも上記のケースに限っては、という意味で言っている。そして、このテーマは多分に難しいものを含んでいると思っている。
以下に、思考実験のために、「震災時の自粛」というテーマの周辺に位置する問いを発してみたい。

・昭和天皇崩御の際には、テレビのバラエティ番組の自粛にとどまらず国内の多くの行事や企業活動までがストップした。これをどう理解すべきか?
・「放送禁止用語」の一部は、法令違反ではなく業界内の自主規制だが、なぜそのような縛りを自らかけるのか?
・テレビで局部にモザイクをかけるのはなぜか? 刑罰の対象となるから? ならばなぜ、公衆に局部をさらす行為は刑罰の対象となるというルールとなったのか?
・部内での暴力行為が発覚した野球部が、(そのようなルールはないにもかかわらず、)甲子園出場を辞退するのはなぜか?
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「精神主義」という名の病 (カラヤン伯)
2016-04-18 16:47:31
突っ込んだコメントありがとう。

本文ではそこまで詳しく説明しなかったけど、色々と書いてくれているので少し詳しく触れることにするよ。


【批判の視座】
俺がこの記事で批判しているのは、「自主規制」のみならず、それが経済合理性を持ちうることになってしまう環境でもある(これは先日批判した不倫に対する大衆の反応とメディアの扱い方にも関連するのだが)。結局マスコミは大衆の民度を映す鏡でしかないからね(ただ、ここでは便利な言葉として「大衆」と言っているけど、これを「みんな」と置き換えるとかなり語弊があることは注意を喚起しておきたい)。

では、メディアはどのような「環境」を忖度して自主規制・自粛を行っているのか?一言で言ってしまえば、相手の利益になるかどうかという合理性ではなく、ムード(これは嫉妬であったりもする)に流される「国民性」だ。別にクソの役にも(元々)立たないバラエティやイベントを止めたところで、現地で苦境にある人間にとってはそこいらの石ころよりどうでもいいことで、問題は支援だ(二次大戦中などもそうだったが、どれだけ銃後の人間が心を痛めたところで、現地で飢えている兵士にとっては無意味であるのと同じ)。

だから、たとえば今回の震災を「天罰」であるなどと称したり、あるいはデマを流したりするような直接関係ある言行ならともかく、全く関係ない放送や催し物を批判するという態度は愚の骨頂である(まあそれをマスコミが過剰に忖度している嫌いもあるが、意味のわからない不倫批判の盛り上がりを見るとまあある程度妥当な対応に見えてしまうというのが同じく会社勤めをしている人間としては思うところ)。ましてや、それで何か「公共」的に何か大事な発言をしたと思っているのなら、救いがたいほどの無能者である。

南葛西は本文で言うところの「行為者」目線で記事を書いてくれたわけだけど、俺は「自粛を求める者」の独善性に関しても強い批判的意見を持っているわけです(繰り返しになるけど、マスコミと大衆は多分に共犯関係にある。SNSで一億総表現社会になったことで、かえってマスコミの自粛的対応がある程度合理性をもっていたことがわかったのは皮肉なことだと思う)。


ついでに言っておくと、自粛も為政者レベルについては(自粛すべきだという意見も含めて)ある程度妥当性があると思う。なぜなら、そもそも彼・彼女らは災害に伴って様々な緊急の業務が生じるであろうし、ゆえに元々の緊急性の低いイベントを自粛(キャンセル)することには合理性があると思うからだ。


【提示された思考実験について】
すでに長文になっているので提示された問いに対しての答えは別で書きたいと思うけど、今の文脈で言うと4つの問いについては、時代錯誤の前近代性を大衆も持っているから=日本の近代化いまだならず、で大体説明がつくと思っている。ただ、ここには様々な問題も絡んでいる。たとえば、国家が管理するのであれば「善」という国家側のスタンス(このような考え方はギャンブル・風俗・エロコンテンツ様々なものに見られるし、自由度が高いように見えて実は政府と業界の天下りなどでお目こぼしされているだけであって、実は政府の胸先三寸で何とでもなる)なども多分に影響しているだろう。あるいは甲子園出場辞退は大戦中の連帯責任ケツバットの延長線上のものであるように思えるし、モザイク云々についてはおそらく南葛西が想定しているであろう「公序良俗」の件とかろくでなし子の訴訟の件とか様々扱わねばならないだろうからね。という具合に様々論じるべきことがあると思うので、機を改めたい。


【問題提起の理由】
ちなみに今回故郷である熊本大震災にちなんで自粛を批判したのは、死刑制度に関連して「被害者の権利」をやたら訴える人間の欺瞞を論じようと思ったところにつながると考えたからでもある(被害者の感情的回復を本気で気にかけているならグリーフケアのあり方も同時に問題とすべきなのに、なぜか死刑=復讐の権利に偏って主張されているように思える。この認識が正しいとすれば、結局は自分が凶悪犯罪者を許せないという気持ちを、被害者感情に仮託して感情を表出しているだけにすぎない。被害者のことを思っているようでその実被害者不在であるところに今回の自粛ムードと同じものを俺は感じるんだよね)。

というか、東日本大震災でも一度こういう問題が大きく取りざたされたはずなんだけど、なんで学習しようとしないのか不思議でしょうがない・・・という意味では第二次大戦とも繋がる大きなテーマ(丸山真男的に「宿痾」とまで呼んでいいものかはともかく)だとも考えている。
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Unknown (南葛西)
2016-04-20 23:00:32
震災時に震災を受けていない人が変に自粛するべきではないという主張は、粉飾決算ゼンカーマンやミランの彼とかも言っていることだが、これはもう当り前を通り越してもはや幼稚なレベルの主張だと思っている。
自粛を求める側というのは、その大半、というか半ば確信をもって言えばほぼ全てが怒り・義憤とか悲しみとか悔しさとかそういった真っ直ぐな感情からの発露からではなく、単に目立っている人や企業の足を引っ張りたいだけ、そして相対的に優越感に浸りたいだけという愚劣な感情からのものでしかない。

もちろん仰るとおり自粛する側の動機というのも、巨視的な視点から見れば下衆なものだよ。だけど、その企業個人の経済合理性にのみフォーカスを当てれば、非合理であるとは言えない。言ってみればそこが企業の強かさなのだな。

残念ながら、これを日本が近代化できていないとするカラヤン伯の主張に与することはできない。おそらくこの「近代化」というタームの前提には西洋個人主義的な発想があると見ており(違ったらゴメンなさいだが)、必ずしもそれが善なる姿ではないと思うので、この主張を推し進めていったとしてこの国は決して幸せにはならないと思うからだ。

それよりもこれら(思考実験のための問題含む)問題からは、あわよくば(経済的に)秀でている者の足を引っ張りことや、「世間」の価値観に合わない者を排除することに執着する大衆の姿が炙り出されてくると思われる。ただ、その実個々人は、あわよくば自分は他人を出し抜いて特別な存在になりたいと願っているわけだが。

このテーマについて当方は結論を持ち合わせはいないが、大衆とは何かを研究するにあたり、日本人ほど格好の対象はないだろうと思うな。
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Unknown (カラヤン伯)
2016-04-29 23:56:52
返信遅れてスンマソン。

概ね同意見ではあるが、きちんとした形で返信したいのでGW明けにちゃんとコメントしますわ。

ただ、これに関して一つ言えることがあるとすれば、この自粛ムードに関しては簑田胸喜らによる天皇機関説の攻撃などとも共通する部分があるように感じられ(まだちゃんと分析はできていないが)、重要なテーマだと思うんだよ(そういやこないだ平泉澄の本を読んでいたね。これについても機会があれば話したいところ)。

というフリだけして今回は終わりにしときます。出羽股。
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