雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

室町ふたたび 11(加筆)

2007-08-29 01:10:19 | 文学
日本を覗く窓と副題のついたJapan Times の、しかも8月15日にこんな記事

元記事は「ダカーポ」らしいが、とにかく日本の退廃ぶりがほぼ全部書かれている気がする。ここまで並べられると、「退廃」という言葉では不十分で、Chaos、いや「室町」だといいたくなる。

こういうとき、昔はよかった的なものが出てくる。かつて「品格」がどうとかいう本が出たが、以前もかいたが、あれを読んだり、著者がテレビで話すのをみて、こういう輩は戦国だったら真っ先にやられるだろうと思った。

その証拠に「品格」という本があったことなどみな忘れている。「絵に描いた餅」でしかないからだ。そんな古ぼけたイデオロギーで秩序がつくれれば神も仏もいらない。

とは思うが一方で城山三郎が語る「品格」には同意したい自分がいる。彼にかかればあらゆる歴史は前向きになる。

昨日NHKの『人物なんとか』でやってたが、『指揮官たちの特攻』でひとりの女性が救われたそうな。物語は、敗戦の玉音放送のあと特攻を命じられて死んだ青年についてだが、彼は最後アメリカ軍に特攻せず、アメリカ軍基地をさけて頓死した。

少なくとも彼が死んだとき三ヶ月だった娘にとっては「頓死」だった。しかし城山さんは大尉でもあった彼が特攻で標的を間違うはずがない、理由がほかにあるとして探り、ひとつの結論に達した。

敗戦が決まったあとなのにアメリカ軍に突っ込めば、真珠湾と並び、日本の恥さらしになる。だから上官の命令を無視し、岩場かなんかに突っ込んだ。

娘さんは同作品を読んではじめて父の「頓死」に意味を見出せた、という。

こういう品格は確かにいい。だれぞの「品格」とは違う。自分が置かれた時と場所の座標軸の一点で、いかに「正しく」(直接的に)、衝突できるか、である。

石田礼助について書いた『粗にして野だが卑ではない』なんてまさしく城山が好きな言葉だったと思うが、自分が持っているものだけで、現状と真っ向からぶつかる気概がただ愛おしいと考えれば、僕は最後にズタズタになってただ頓死する男を描く方がいい。

だから城山の描く品格さえ拒絶したい。そんな意味で井上靖の描く脇役(『天平の甍』とか『敦煌』の)の時代に埋没していく様が好きだ。

そういう人物を主人公にするのがフォークナー。

追伸:これまでの「室町ふたたび」12345678910


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