先週後半数日間娘が熱感を帯び続けた(Blogを更新しなかった空白の期間)。
といって病気という感じでもなかった。
気功で探ってもどこにも滞りはなく、咳も出ず、元気溌剌だった(ただし風邪の場合は滞りはみられないのが普通)。
ただ時々火がついたように熱くなって、38度台に達した。
ネットや子育ての先輩に訊いてみると「知恵熱」を指摘されたが、これも調べてみると昨今ではきちんと原因が特定されるため、「知恵熱」の可能性は著しく低く、8割が突発性の感染症で、少なくとも赤ん坊が元気であればそれほど心配はない、とのことだった。
が、娘に関しては、それで終わりにできるほど楽観的ではいられなかった。
発熱の原因と状況についてひとつひとつ吟味していくと、奇妙な事実に気づいた。
僕といるときは熱が下がるが、そうでないときに上がる。結論からいうと、僕がいない寂しさあるいは不安から発熱するという仮説が最有力となった!
そういえばその数日前くらいから、僕が不在のときはいつも僕を探し、僕がいつもいるはずの場所に、「パパっ!」と叫びながら完全にやってきていないとわかると、身体全体で引っくり返って大泣きするようになっていた。
その発見と同時に僕が出かけるときは必ず挨拶をして、出勤前あるいは後に一緒に散歩する約束をすることにした。
途端に熱はひき出なくなった。
もちろん僕が不在時の泣きも軽減された。
一応万が一のために、僕のプロモーション・ビデオを撮って、妻の携帯に保存し、いつでも僕をみられるようにした(最初にビデオをみたときは16回のリクエストがあったそうな)。
よく子供を持つ親たちの間で母親が働くべきか否かが問題になる。
母親が子供のために働き、育児施設に預けるときの一部始終は話すも涙聞くも涙で、これほど「切ない」という言葉がぴったりくる情景もないが、その話題に母親しかないのは差別である。
また、僕はよく子育てによく参加しますね、といわれるが、これほど楽しい仕事を妻が独占する慣行の方が僕にはよっぽど差別である。
しかし今日仕事場でいわれた、どんなにかわいがっても父親は娘に嫌われるというよりは忌避され、疎んじられるというよりは蔑まれるようになる、と。それまでせいぜい楽しんだほうがいい、と。
追伸:これまでの「気のもちよう」1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11。
といって病気という感じでもなかった。
気功で探ってもどこにも滞りはなく、咳も出ず、元気溌剌だった(ただし風邪の場合は滞りはみられないのが普通)。
ただ時々火がついたように熱くなって、38度台に達した。
ネットや子育ての先輩に訊いてみると「知恵熱」を指摘されたが、これも調べてみると昨今ではきちんと原因が特定されるため、「知恵熱」の可能性は著しく低く、8割が突発性の感染症で、少なくとも赤ん坊が元気であればそれほど心配はない、とのことだった。
が、娘に関しては、それで終わりにできるほど楽観的ではいられなかった。
発熱の原因と状況についてひとつひとつ吟味していくと、奇妙な事実に気づいた。
僕といるときは熱が下がるが、そうでないときに上がる。結論からいうと、僕がいない寂しさあるいは不安から発熱するという仮説が最有力となった!
そういえばその数日前くらいから、僕が不在のときはいつも僕を探し、僕がいつもいるはずの場所に、「パパっ!」と叫びながら完全にやってきていないとわかると、身体全体で引っくり返って大泣きするようになっていた。
その発見と同時に僕が出かけるときは必ず挨拶をして、出勤前あるいは後に一緒に散歩する約束をすることにした。
途端に熱はひき出なくなった。
もちろん僕が不在時の泣きも軽減された。
一応万が一のために、僕のプロモーション・ビデオを撮って、妻の携帯に保存し、いつでも僕をみられるようにした(最初にビデオをみたときは16回のリクエストがあったそうな)。
よく子供を持つ親たちの間で母親が働くべきか否かが問題になる。
母親が子供のために働き、育児施設に預けるときの一部始終は話すも涙聞くも涙で、これほど「切ない」という言葉がぴったりくる情景もないが、その話題に母親しかないのは差別である。
また、僕はよく子育てによく参加しますね、といわれるが、これほど楽しい仕事を妻が独占する慣行の方が僕にはよっぽど差別である。
しかし今日仕事場でいわれた、どんなにかわいがっても父親は娘に嫌われるというよりは忌避され、疎んじられるというよりは蔑まれるようになる、と。それまでせいぜい楽しんだほうがいい、と。
追伸:これまでの「気のもちよう」1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11。