雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

気の持ちよう 8

2008-09-22 23:58:30 | 宗教
メラミン混入を業界点検 中国の牛乳汚染、日本に波及(朝日新聞) - goo ニュース

検疫の盲点に驚き 厚労省 汚染牛乳問題(産経新聞) - goo ニュース

メラミン、やっぱり出てきたね。

この手の問題をみると思い出すことはふたつ。

よくそこまで政府を、人間を信じきれる credulity と、食の軽視。

食の軽視については単に僕が重視しすぎといわれそうだが、仲間はいる。中東さんである。

とにかく喰いものを何だと思ってるんだろう。何のために食べてんだろう。例えば中国から輸入した野菜は農薬がどうのこうのいう以前に収穫されてから何日経ったものですか?

野菜は収穫したらどんどんエネルギーが抜けていく。気功やってないとわからないかもしれないけど、収穫1日めの野菜がどれだけ chi を持っているか知ってますか?

食べた瞬間に胸に集まってくる火のようなものの力は、ちょっとした稲妻ですよ。

しかし3日後のものになると、ほとんどそうした力は消滅します(少なくとも僕の感知力では収穫後4日の野菜からは何も感じません)。

それをあなた、中国ほかから運ぶなんて何日経った野菜を食べるんですかっ!

完全な亡骸に喰らいついていることになります。

仏教では、特に密教では、すべてのものが和合している状態を完全とみなします。

生きるものは他の生を喰らい、また自分も誰かの生に資していく流れのなかにいます。

そのようななかで料理とは何か。美味しさを追求するというのはどういうことなんだろうと考えることがこれまでしばしありました。ただの贅沢なんだろうか、と。

しかし湯斗で食事をしてその答えがわかったように思いました。

料理とは、他者の生を自分のなかに取り込む手助けのようなものだ、と。

確かに食材の本来の生は失われていますが、山菜にしてもお魚にしても、食べた瞬間に彼らの生が息吹として感じられ、僕の身体に資していくのが感じられました。

これが美味しく食べる、ということだと思います。

食べることを軽視するひとは他者の命を軽視することだと思います。

追伸1:Credulity に触れる時間がなくなりました。

追伸2:今回の一部は湯斗のホームページの掲示板に書いたものです。

追伸3:これまでの「気のもちよう」1234567


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