中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

碑-211  奥原晴湖画室 繍水草堂

2021-08-31 05:55:23 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20201102 古河  紅葉・見学
茨城県古河市中央町3丁目
奥原晴湖画室 繍水草堂
   南画家奥原晴湖は、慶応元年(1865)以来、活動の場としていた東京上野の摩利支天横町の「墨吐烟雲楼」が、明治24年(1891)、鉄道用地となってしまい、旧古河藩領でもあった埼玉県熊谷へ新たな活動拠点をつくります。これが繍水草堂。はじめ繍仏草堂、のち寸馬豆人楼とも称した画室です。この移転については、西欧文化の興隆の一方で、南画をはじめ東洋文化をかえりみない風潮を思ってとの諸説があります。いずれにしても晴湖は中央画壇とは距離をとって、自らの画の道を志したのでしょう。
 大正2年(1913)に晴湖は没し、画室は主を失います。そこで、晴湖のおいにあたる池田多喜雄氏によって昭和4年、誕生地である池田家の屋敷地内に移されました。平成20年、故奥原ミチ子氏の遺志により、奥原晴湖画室の寄附申し入れがあり、歴史博物館南側に移築いたしました。 昭和4年に古河へ移築されたのは、熊谷にあった画室の一部ですが、今回の移築工事にあたっては、すべてではありませんが、熊谷にあった当初のかたちをなるべく再現いたしました。庭石の一部に、古河城の礎石が再利用されています。 蔵では奥原晴湖と画室についてパネルで紹介しています。また、座敷はお茶会等に貸し出しをしています。hpより     

 

碑-210 調神社

碑-209 調(つき)公園

碑-208 戸賀崎氏練武遺跡 

碑-207 久喜本町 千勝神社 

碑-206  久喜 光明寺 

碑-205  常楽寺 大日堂 

碑-204  電電神社 (田宮) 

碑-203  浅間神社 (幸手市北) 

碑-202  正福寺 後世に善行を讃え伝える碑

碑-201  宝昌寺 「母性愛」

碑-200  杉戸宿標・南側用水の碑

碑-198 熊谷聖天宮(勧喜天)

碑-197 建国記念文庫

碑-196 湯島天満宮

碑-195 洋紙発祥の地

碑-194 大鳥神社 櫛塚

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碑-210 調神社

2021-08-30 06:17:34 | 

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20201005 浦和 史跡・碑・像
埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目
              調神社
 「調宮縁起」によると、今からおよそ2,000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建。伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)の初穂を納めた倉庫群の中に造営されたため、貢物搬出入の妨げになる鳥居がないと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、武藏國四十四座のうちの一社と記載されています。
 また、調(つき)の名が、月と同じ読みであるところから、月の動物と云われた兎が神の使いとされ、中世の月待信仰(月のもつ神秘に畏敬をなし、月の出を待って祈る信仰)の広がりと結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようです。今も兎の石像や社殿に飾られた兎の彫物、兎の絵馬など所々に兎が配されています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埼玉-1226 調神社

埼玉-591 調公園

 

碑-209 調(つき)公園

碑-208 戸賀崎氏練武遺跡 

碑-207 久喜本町 千勝神社 

碑-206  久喜 光明寺 

碑-205  常楽寺 大日堂 

碑-204  電電神社 (田宮) 

碑-203  浅間神社 (幸手市北) 

碑-202  正福寺 後世に善行を讃え伝える碑

碑-201  宝昌寺 「母性愛」

碑-200  杉戸宿標・南側用水の碑

碑-198 熊谷聖天宮(勧喜天)

碑-197 建国記念文庫

碑-196 湯島天満宮

碑-195 洋紙発祥の地

碑-194 大鳥神社 櫛塚

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碑-209 調(つき)公園

2021-08-29 06:39:41 | 

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20201005 浦和  碑・シンボル
埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目
      調(つき)公園
 武蔵浦和駅というよりは、浦和駅が最寄駅となります。浦和駅西口をまっすぐ17号に向かって進みます。浦和西口交差点を左折し直進すると、左手に見えて来る調神社の隣にあります。
 地元では「つきのみや様」と呼ばれている調神社の境内にある公園です。公園自体はそこまで大きくはないのですが、古い神社の為、大木が多くとても落ち着いた雰囲気です。公園の中央には平和の灯があります。浦和市時代に平和事業として建立されたものです。ペンペン草問題や老朽化などが問題になりましたが、今尚ここに建っています。
 世界の恒久平和は全人類の最大の願いである 浦和市はこの悲願の達成を祈念し 昭和六十二年六月 平和宣言を行い 全市民が心を合わせて努力することを誓った ここに そのモニュメントとして 平和の灯 を建立し 崇高なる 目標を照らすとともに 精進し継承する光にしようとするものである 

 

 

 

 

 

埼玉-591 調公園

 

碑-208 戸賀崎氏練武遺跡 

碑-207 久喜本町 千勝神社 

碑-206  久喜 光明寺 

碑-205  常楽寺 大日堂 

碑-204  電電神社 (田宮) 

碑-203  浅間神社 (幸手市北) 

碑-202  正福寺 後世に善行を讃え伝える碑

碑-201  宝昌寺 「母性愛」

碑-200  杉戸宿標・南側用水の碑

碑-198 熊谷聖天宮(勧喜天)

碑-197 建国記念文庫

碑-196 湯島天満宮

碑-195 洋紙発祥の地

碑-194 大鳥神社 櫛塚

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碑-208 戸賀崎氏練武遺跡 

2021-08-28 04:28:40 | 

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20201003 久喜 彼岸花・碑
埼玉県久喜市上清久
戸賀崎氏練武遺跡
  神道無念流は、下野(栃木県)の福井兵右衛門嘉平がその流祖ですが、明和元(1764)年、戸賀崎熊太郎暉芳(知道軒)が嘉平より免許皆伝を許され、戸賀崎家が宗家となり、安永7(1778)年江戸裏二番町に道場を開くと、門弟3,000人を数えるほど栄えました。中でも岡田十松(羽生市)、大川平兵衛(坂戸市)、斉藤弥九郎(富山県氷見市)など名剣士の出現により、天下にその名を広めました。
 戸賀崎家は、新田義貞から9世戸賀崎蔵人三郎が武州戸賀崎(久喜市菖蒲町)に居城していましたが、後に戸賀崎隼人義氏が天正年間(1573~1593)に当地に来て農民となり、義氏から8代目が初代熊太郎暉芳であると伝えられます。2代胤芳(有道軒)、3代芳栄(喜道軒)、4代芳武(尚道軒)と続き、5代保之進(好道軒)の時に道場が廃されました。
 旧跡には、「福翁府君神道之碑」(流祖福井翁)「知道軒戸賀崎先生衣□(注記)之蔵」(初代、2代)「戸賀崎先生碑」(3代~5代)「戸賀崎氏練武遺跡」が建ち並んでいます。 久喜市hpより 

 

 

 

 

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碑-207 久喜本町 千勝神社 

2021-08-27 05:07:24 | 

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20201003 久喜 彼岸花・碑
埼玉県久喜市本町
  久喜本町 千勝神社
 千勝神社はかつて埼玉郡久喜本町(古くには久喜本村、明治合併以後は大字久喜本)の村社であった。本来は本町一丁目9-65に鎮座されていたが、六万部久喜停車場線の新道建設の折にその大部分が道路用地となってしまったため、1999年(平成11年)5月に現在地の本町六丁目6-3-5に遷座された。移転前の境内地面積は328坪であり、北隣に御嶽神社が所在し、市道を挟んだ東側の斜向に光明寺の薬師堂が所在していた。(御嶽神社並びに薬師堂は道路用地に当たらなかったため、遷座せずに現存している。)
  この千勝神社では1909年(明治42年)7月23日に愛宕神社・天神社・八幡神社・稲荷神社・熊野神社・三島神社が合祀されている。このうち愛宕神社は字道合(どうあい)に、八幡神社は字馬場(ばんば)に所在していた。境内社として三島神社・稲荷神社・天神社・愛宕神社の石碑が本殿の東側に所在している。

 

 

 

 

 

 

碑-206  久喜 光明寺 

碑-205  常楽寺 大日堂 

碑-204  電電神社 (田宮) 

碑-203  浅間神社 (幸手市北) 

碑-202  正福寺 後世に善行を讃え伝える碑

碑-201  宝昌寺 「母性愛」

碑-200  杉戸宿標・南側用水の碑

碑-198 熊谷聖天宮(勧喜天)

碑-197 建国記念文庫

碑-196 湯島天満宮

碑-195 洋紙発祥の地

碑-194 大鳥神社 櫛塚

 

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