SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

悲喜街から 第18話

2017-02-22 20:18:12 | 書いた話
「トニオがわたしのことをわからないのも無理はないと、初めは思ったよ。なにせ、彼が知っているわたしは“人形のホセ”だったのだからね。だが──」
 ホセ神父は、目を瞑る。
「次にわたしは言ったんだ。『アシャとミノリは、気の毒だったね』……トニオは、首を傾げて問い返してきた。『誰だね、そりゃ』。わたしは聞こえなかったのかと、もう一度言った。──答えは、同じだった。わたしは混乱して、なんとか話を続けようとした。『そうだ、ほら、きみの兄さんが作ったアーモンドのベッドが無事なんだ』……どうなったと思う。トニオは怒り出したんだ。『何をさっきから、わけのわからん話ばかりしとるんだ。邪魔するなら帰ってくれ。おれも暇じゃないんでな』……」
(泣いてる……)
 アンヘルには、ホセ神父の心のうちが、傷を抉るように伝わってきた。
「もう、退散するしかなかったよ。……いつしか足が、アパートのほうに向いてね」
 アンヘルの眼前に、また情景が浮かぶ。街は少しずつ復興に向かっていた。人々は逞しく、生きようとしていた。──ただ、あのアパートの跡地だけは、時に取り残されたように手つかずだった。アーモンドのベッドも。
 神父は重い足取りで、ベッドに近づいた。
 その顔色が、変わる。
 唄が、聴こえていた。優しい女の声で。あまりに懐かしい、異国ふうの子守唄が。
 そして、ホセ神父の目の前で。ベッドが、姿を変えはじめた。子守唄に合わせて、小さく、まるく。やがてベッドのあった場所に、すやすや眠る赤ん坊が現れた。
 黒髪に浅黒い肌をした、女の赤ん坊が。
 ホセ神父は腕をふるわせながら、その赤ん坊を抱き上げた。赤ん坊は目を覚ましたが──その瞳は神父が予想した通り黒かった──、泣きもせず、神父の胸におさまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲喜街から 第17話

2017-02-17 11:17:01 | 書いた話
 ホセ神父の目──その記憶を通して、アンヘルも視る。まるで墓標のように、そこにたたずむ小さなベッドを。黒く煤けてはいたが、壊れても焼けただれてもいなかった。
 神父は懐かしそうに、ベッドのかたわらに立った。
「ねえ……知っているかい。トニオは別の場所で、また酒を売りはじめたよ」
 季節は、どうやら冬のようだった。冷たい風が吹き抜けていく。神父は肩をすくめ、言葉を継いだ。
「……だけどね。トニオは、覚えていないのさ。この家でわたしたちと暮らしていたことも、アシャとミノリのことも」
 神父の記憶は、さらにさかのぼる。
 トニオがアパートに戻ってきたのは、夜中だった。何せ脱走兵の身の上だ。昼間は用心して、戻るのを避けていたのだろう。だから、いろいろなものが散乱したままの部屋の中で、人間になったホセが身を隠す場所には困らなかった。
 そして、アシャとミノリのなきがらを見つけたトニオの嘆きようは──
「きみも見ていたろう。魂のぬけがら、とは、まさにあのことを言うのだろうね」
 そのまま、幾日かが過ぎて。物も食べず、それこそ死んだように座り込んでいたトニオの姿は、忽然と消えていた。
「わたしは、教会の仕事をしながら、それとなく探したんだ。トニオの行方をね。──やがて、悲喜街の片隅で、酒を売っているトニオを見つけた。……ホッとしたよ。亡くしたふたりの後を追ったんじゃないかと思っていたからね」
 ホセ神父が、再び言い知れぬ表情を浮かべる。切ないような、やりきれないような。
「わたしは思いきって、声をかけてみたのさ。『元気そうだね、トニオ』と。……トニオはわたしを見て、怪訝そうに問い返したんだ。『どこかで会ったかね』──と」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲喜街から 第16話

2017-02-13 15:43:27 | 書いた話
「ホアキン・ミラ──ええ、きいたことがあります。すごく頑固な職人だったとか」
「そうさ。その辺りは、トニオによく似ていたな。意に添わなければ、王の注文だろうが引き受けない。そんな彼が、ただひとりの姪のために祝いの品を作ったのさ。戦時下に友人から手に入れたアーモンドを使ってね」
  神父の顔に、懐かしさとも何とも言いようのない表情が宿る。
「あれは不思議なベッドだったよ、アンヘル。人形のわたしには、いつも聴こえていたんだ。ベッドがミノリに、子守唄をうたってやっているのがね」
「子守唄を……」
「ああ。落ち着いた、いい声だったな。アシャの唄う異国ふうの子守唄をいつのまにか覚えて、ミノリにうたってやっていた。あの爆撃の前の晩まで」
 そのときのことを思い出したのか、神父の表情がかき曇る。いくばくかの時間が流れる。やがて、
「……あの爆撃で、ミノリが逝き、アシャも逝ってしまった。だが、ベッドは燃え残ったのさ。アーモンドは、頑丈だからね。それにさすがはホアキン・ミラの作だけあって、しっかりと造られていたから。そして、ベッドは叶えたんだ。アシャの、祈りを」
 不意に。
 まるで、映画を観るように。
 アンヘルの前に、情景がひらけた。
 廃墟のようになった部屋の一角に、僧服の男が立っている。泣きそうな顔をして。
(神父さまだ……)
 アンヘルは思う。つまりこれは、ホセ神父の記憶。どういう力を使ってか、かつて同じ人形同士であったアンヘルに、記憶の中の景色を伝えてきているのだろう。
 ホセ神父は、茫然としながら歩を進める。そして立ち止まる。突如、安堵したように。
「ああ……無事だったんだね」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲喜街から 第15話

2017-02-09 13:47:10 | 書いた話
 ホセ神父は、首元に提げたロケットを、軽やかな音を立ててひらいて見せた。覗き込んだアンヘルを、美しい幼い少女が見返す。繊細な金の髪、思慮深げな茶の瞳。
「これが、ミノリだ。ミノリは本当は、父親似だったんだ。晩年のトニオからは想像もできんだろうが、若いころのトニオは、こんなふうに涼しげな風情の男だったよ」
「……うん、想像できないな」
 釣り込まれるようにアンヘルが微笑い、ふたりの間の空気がつかのまゆるんだ。
「……でも……この女の子がミノリなら、今いるミノリはいったい……」
「……もう一度きみの質問に戻っていいかね、アンヘル」
「はい」
「きみと私は、誰かの強い願いに惹かれて人間になったのだと思わないか。きみはミノリ──今のミノリの声に呼ばれて。わたしは、元のミノリの想いに呼ばれて。……ミノリの腕の中で、彼女の声を聞いた気がするんだ。『ホセ、あたしの分も生きて』とね」
「……」
 ホセ神父は大事そうに、ロケットを僧服の内側にしまった。
「さて、本題はここからだ。きみとわたしはそうして人間になった。でも、もうひとり──いや正確には、もうひとつ、人の最期の声を聞いた物があったんだ」
「……物、ですか」
「そう。それは、母から娘への想いを託した物──ベビーベッドだよ」
「ベビーベッド……」
「と言っても、なかなかの大きさだったから、きゃしゃなミノリはまだそこで寝られていたよ。五歳だったんだからね、あの子は。……それをこしらえて一家に贈ったのは、トニオの兄だ。きみも名前は聞いたことがあるだろう。ギター造りとして有名だった、ホアキン・ミラという男だよ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲喜街から 第14話

2017-02-04 11:42:54 | 書いた話
 人形とはいえ、ミノリと最期まで一緒だったという神父の告白は、アンヘルをことのほか動揺させていた。けれど、続きを聞きたい思いが勝った。
「──聞かせてください」
「きみはさっき、わたしに尋ねたね。自分のほかに、人間になった人形を知っているのではないかと」
 アンヘルは頷いた。
「それがこのわたしで、トニオとミノリの家にいたことは話したね」
「……ええ」
「同じなんだよ、アンヘル。わたしもきみと」
「え?」
「冷たくなっていくミノリの腕の中で、人形のわたしは、炎が迫ってくるのをただ見ているしかなかった。……けれど、やがて変化が起きたんだ。ふと、わたしは気づいた。自分の手が動くことに。手の次は、足だった。それから頭、胴……きみと同様、背も伸びて、たちまちミノリを追い越してしまった。急いでそばにあったテーブルクロスを身にまとったよ。立ち上がることもできた。……ミノリが本当に逝ってしまったこともわかった。彼女を抱き起こしたけれど──」
 神父の言葉が、少しのあいだ途切れる。
「呼んでみても、揺すってみても、……何も言ってくれないんだ、アンヘル。そう……今度は、あの子が人形になったようだった。確かにわたしなどより、よほど人形のようだったよ、ミノリは。金の髪に、茶の瞳……」
「ちょっと待ってください」
 話を止めることになるとわかっていても、アンヘルは思わず口をはさまずにはいられなかった。
「誰の話をしているんです?」
「……ミノリさ」
「でも、いま、金の髪に茶の瞳って……」
「そうだよ」
 神父は、僧服の首元に手をやった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする