SNファンタジック日報

フラメンコと音楽をテーマにファンタジーを書きつづる新渡 春(にいど・しゅん)の、あるいはファンタジックな日々の報告。

異国の鳥 第8話

2012-05-31 15:35:11 | 書いた話
 輝きはじめた羽は、ニコラスの手におさまっていたが、やがてふわりと宙に舞った。
「おっと」
 ニコラスは、そうなるだろうことを予測していた。長い腕を差し伸べて、うまく羽の動きを制した──かにみえた。
「おっ──っと」
 その腕が、予想を超える力で引っ張られた。
「ニコ!」
「パパ」
 ベロニカとエストが、両側からニコラスを押しとどめる。
「ああ……大丈夫。驚いたね」
 ニコラスはひとつ息をついた。
 けれど、羽はまだ、鎮まってはいなかった。何かを訴えるように、ニコラスの手の中でぱたぱたと動いている。
 シルクロが、まん丸い身体を転がすように走り出ていった。戻ってくるのも、早かった。
「……紙?」
 ベロニカが目を丸くする。
 シルクロがくわえてきたものは、エストが使う画用紙だった。
 と──
 羽がニコラスの手をすいっと離れ、金の光を撒きちらしつつ、画用紙にきらきらとした文字を刻みつけていった。
 黄金の羽の、金の文字。
 3人は、固唾を呑んで羽を見つめていた。
 長い文章ではないようだった。
「どこの言葉かしら、これ……」
 ベロニカが、魅入られたように呟く。
「アルファベットでは、あるようだけど」
と、ニコラス。
「読めないね、全然」
 それは、彼らが見たこともない言葉だった。
 羽は再びニコラスの手のうちにあったが、さいぜんまでの輝きは、もうなかった。あたかも役目は果たしたといわんばかりに、美しいけれど普通の、大きな羽に戻っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異国の鳥 第7話

2012-05-25 16:16:46 | 書いた話
 小さな声の主は、ベロニカとニコラスの許可を待たずキッチンに身を滑り込ませた。
「エスト──」
 咎めるように、ベロニカ。
「何時だと思っているの」
 柔らかな色の寝間着をまとったエストは、母の叱責に小首をすくめた。ここしばらくのあいだに背がぐんと伸び、小柄な母親とあまり変わらない背丈に届こうとしていた。長身の父親に似たのかもしれなかった。だが、その表情はいまだ存分におさない。
「怖い夢でも見たのかい?」
 ニコラスが、おっとりと訊く。
「甘やかさないで、ニコ」
 ベロニカの矛先が方向を変える。エストは「いいえ」のしぐさをし、後ろ手に持っていたものを母親に差し出した。
「なあに……?」
 ベロニカは娘からそれを受け取って、きょとんとした顔つきになる。
「鳥の羽、のようだけど。本物かしら」
「ちょっと貸して」
 エストからベロニカ、ベロニカからニコラス。3人の手を渡ったそれは──
「確かに、羽だね。それにしても立派な……将軍の帽子でも飾れそうだ」
 大人の手にも余る、ふわりと美々しい羽。
「いったいどうしたの、これ」
 ベロニカが冷静に問う。エストの視線が、足許に落ちる。
「シルクロ、か」
 得心したように、ニコラスが言った。エストを護るようにそこに控えたまん丸い犬が持ってきたものなら、納得もいく気がする。
「目が覚めたら、シルクロがこれをくわえて座っていたの。何か言いたそうに」
 3人はあらためて羽を見た。堂々たる羽。
 そして──その刹那、羽は変貌を始めた。砂金にも似た淡い光を放ちながら、ゆっくり、黄金色に輝きだしたのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異国の鳥 第6話

2012-05-16 15:16:06 | 書いた話
 写真めいたものを、懐かしそうに眺めていたというティト。けれど幼いベロニカの記憶に残っているのはそこまでだった。
「ティトのものなら、きみの家のどこかにあるんじゃないの?」
「いえ……ないのよ」
 ベロニカが無念げに肩をすくめる。
「エスペランサおばあちゃんが、みんな始末しちゃったの。それも──」
「約束?」
「そ」
 葬儀が済んで、家に戻った一同は、エスペランサの振舞いに驚愕することになる。ティトのものを片端から引っ張りだしては、うず高く積み上げ、やおら火を放ったのだ。まるで祭の最後に、わら人形を燃やすように。
 止める間もなかった。
 洋服、靴、紙ばさみ、本、文房具……すべてがたちまち、時ならぬかがり火と化して燃えあがった。
「気でもふれたのか、エスペランサ」
 誰かが呻いた。エスペランサは応えず、ただ、毅然と立っていた。充分に正気であることは、澄みきった黒い瞳が物語っていた。
 さしもの炎も一刻ほどで勢いを失い、あとには灰だけが残った。ふしぎに深いいろをした灰だった。
 エスペランサは踊るような足取りで、灰に近づいた。稀代の舞踊手にふさわしい、優美な物腰で身をかがめ、灰をその手にすくい取った。熱さなどみじんも感じさせないように。
「これでいいのよね──って」
 ベロニカは、エスペランサの唇がつむいだ言葉を思い起こした。
「これでいいのよね、あなた──って、2回言ったの」
「ふたりだけの約束、か……」
 ベロニカとニコラスの思案が夜気に溶けたとき。キッチンのドアが細くあいた。
「ママ、パパ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異国の鳥 第5話

2012-05-06 15:16:21 | 書いた話
「意外だったのはね」
 ニコラスに向かって、と言うよりはまるで自分の日記をひもとくように、ベロニカは言葉を継いだ。
「おじいちゃんの親族が、誰もお葬式に来なかったことよ」
「──誰も!?」
「そう。誰ひとり」
 世に聞こえた舞踊手エスペランサの夫。それほどの人の葬儀だというのに、教会にはやけに空席が目立った。いるのは、エスペランサの家族ばかり。墓地に付き添う葬列も決して長くはなく、棺に添える花も少なめで、ベロニカは神父に促されて、3度も花を投げるようだった。
「そのときになって、わたしたちもやっと気づいたの。ティトおじいちゃんの親族のことを何も知らなかった、って」
 それだけティトとエスペランサが家を空けることが多いのも、事実ではあった。エスペランサがどこで公演を開こうと、必ず集落に連れて帰る。結婚前の占い婆との約束ごとを、ティトは律儀に守っていた。そしてつかのまの団欒を終えると、もう次の旅路が、ふたりを待ち構えていた。
「だから気にしたことがなかったんだわ、わたしたち。おじいちゃんの家族のことまでは」
「訊いてみたこともなかったのかい?」
「ないわ」
 即答したベロニカの眉根が寄る。
「いいえ──待って」
 沈黙がしだいに密度を増し、やがて。
「一度だけ、おじいちゃんが写真のようなものを見ていたわ。写真……それとも、絵葉書だったかしら」
 ベロニカはじっと考え込んだ。
「わたしもまだ小さかったし……ただ、憶えているのよ。それを見ているおじいちゃんの表情。とても懐かしそうな目をしていたわ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする