と言うお母さんがいました。
私が社会を教え,他の人が国語を教えていました。
中学の入試問題をやっていた時。
母と子の,気持ちのふれあいが主題の物語文。子供が母を思いやる記述の問題。
ところが,その国語の先生の記述の答えは,「豚カツが食べたかったから」。
お母さんは,J大学卒。その家庭教師はC大学卒。
そのお母さんが私に言った言葉は,タイトルのようになりました。第1志望の学校。その問題を間違うと,続けて3問間違えることになってしまう,鍵となる問題。
お母さんも必死。生徒も,なぜ自分の答えが違うのか分からない。。。。。
その先生も,自分の間違いは分かっていたはずです。しかし,成り行き上,自分の答えを通すしかない精神状態に追い込まれてしまったのでしょう。
お母さんの大学より偏差値が高い大学を出ていると,素直に,自分の間違いを認めることができる,と思います。
講師の学歴は,素直に間違いを認める,生徒により正解に近い答えをちゅうちょすることなく示すことが出来る,という点で,大事かな,と思います。
私が社会を教え,他の人が国語を教えていました。
中学の入試問題をやっていた時。
母と子の,気持ちのふれあいが主題の物語文。子供が母を思いやる記述の問題。
ところが,その国語の先生の記述の答えは,「豚カツが食べたかったから」。
お母さんは,J大学卒。その家庭教師はC大学卒。
そのお母さんが私に言った言葉は,タイトルのようになりました。第1志望の学校。その問題を間違うと,続けて3問間違えることになってしまう,鍵となる問題。
お母さんも必死。生徒も,なぜ自分の答えが違うのか分からない。。。。。
その先生も,自分の間違いは分かっていたはずです。しかし,成り行き上,自分の答えを通すしかない精神状態に追い込まれてしまったのでしょう。
お母さんの大学より偏差値が高い大学を出ていると,素直に,自分の間違いを認めることができる,と思います。
講師の学歴は,素直に間違いを認める,生徒により正解に近い答えをちゅうちょすることなく示すことが出来る,という点で,大事かな,と思います。
単純な知識は「点」にしかなりませんが,論理関係を理解すると「面」になります。
例えば。社会では,漁港ごとに水揚げ量の割合が良くテストに出ます。単純に,「さば」「いわし」などと覚えても,すぐに忘れます。
しかし。
暖流魚と寒流魚を踏まえて,千島海流の魚はこれで,日本海流の魚はこれ。漁港はここだから。。。と覚えると,忘れません。
理科も。裸子植物ではどのような不都合が合ったから,被子植物へと発展した。その不都合なこととは。。。植物の構造を踏まえて理解すると,暗記も容易です。
私は,時々,理科も教えます(^^ゞ
大学受験は物理で受験しましたし,生物も好き。生物の構造を,進化論に沿って教えると,なかなか面白いです。
人の目は白い部分もあるけど,犬の目は,(見えているところは)黒い目ばかりだよね。
なぜ?
単発知識の「点」は,すぐに生徒は忘れます。「面」で理解した知識は,推理も出来,なかなか忘れません。
例えば。社会では,漁港ごとに水揚げ量の割合が良くテストに出ます。単純に,「さば」「いわし」などと覚えても,すぐに忘れます。
しかし。
暖流魚と寒流魚を踏まえて,千島海流の魚はこれで,日本海流の魚はこれ。漁港はここだから。。。と覚えると,忘れません。
理科も。裸子植物ではどのような不都合が合ったから,被子植物へと発展した。その不都合なこととは。。。植物の構造を踏まえて理解すると,暗記も容易です。
私は,時々,理科も教えます(^^ゞ
大学受験は物理で受験しましたし,生物も好き。生物の構造を,進化論に沿って教えると,なかなか面白いです。
人の目は白い部分もあるけど,犬の目は,(見えているところは)黒い目ばかりだよね。
なぜ?
単発知識の「点」は,すぐに生徒は忘れます。「面」で理解した知識は,推理も出来,なかなか忘れません。
まず,私の大学受験の数学の話をします。
勉強が進んでくると,解き方が確立され,問題集の解説を読むのが苦痛になってきました。自分の解き方と違うとき方で解説されても,その解き方を理解するのに,時間と知力を使うのがもったいなかったからです。解けて,点になれば,どんな解き方でもいいんだろう,と思っていました。
さて。
中学受験の国語の記述についてです。
解き方=パターン・フレームが確立されていないと,記述の問題を何問解いても,はっきり言って,無駄です。たまたま出来た,たまたま出来なかったというのでは,非常に不安定です。
自分と違うパターンで記述の解答が書いてあっても,自分の解答が正解かどうか判断できません。
普通のテキストは,記述について一貫した解き方で書いてないので,テキストに頼りきることは不可能です。
やはり,実績があり信頼の出来る講師・父兄に見てもらうしかないと思います。
テキストに頼りきる,という勉強方法が良い,と書いてあるブログがあったので,国語の記述は,その勉強方法では失敗するよ,という意味で書いてみました。
事実,その生徒は中学に落ちていますが,そのブログから判断すると,記述で落ちたのでは?と思いました。模擬テストやテキストの解答を絶対視しては,いけません。
勉強が進んでくると,解き方が確立され,問題集の解説を読むのが苦痛になってきました。自分の解き方と違うとき方で解説されても,その解き方を理解するのに,時間と知力を使うのがもったいなかったからです。解けて,点になれば,どんな解き方でもいいんだろう,と思っていました。
さて。
中学受験の国語の記述についてです。
解き方=パターン・フレームが確立されていないと,記述の問題を何問解いても,はっきり言って,無駄です。たまたま出来た,たまたま出来なかったというのでは,非常に不安定です。
自分と違うパターンで記述の解答が書いてあっても,自分の解答が正解かどうか判断できません。
普通のテキストは,記述について一貫した解き方で書いてないので,テキストに頼りきることは不可能です。
やはり,実績があり信頼の出来る講師・父兄に見てもらうしかないと思います。
テキストに頼りきる,という勉強方法が良い,と書いてあるブログがあったので,国語の記述は,その勉強方法では失敗するよ,という意味で書いてみました。
事実,その生徒は中学に落ちていますが,そのブログから判断すると,記述で落ちたのでは?と思いました。模擬テストやテキストの解答を絶対視しては,いけません。