東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 第6回史跡探訪 地方史研究会(2/2)

2017年12月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 のんびらんどうましまのロッジで休憩を兼ねて昼食にしました。馬島に運んだお弁当とお茶をみなさんに配りました。お弁当とお茶、ロッジを管理するNさんに運んでいただきました。ありがとうございました。お弁当、美味しく量もちょうど良かったように思います。お弁当を頼んだ私が言うのも変ですが、喜んでいただいて良かったです。昼食が終わると、馬島に関わる紙芝居の始まりです。お題は「ゆき姫物語」でした。

    ロッジ内で昼食休憩       馬島に関わる紙芝居「ゆき姫物語」の上演
 

 紙芝居が終わると、のんびらんどうましまから刎島に向かいました。50年ぶりの海水浴場の湾を横切るようにして向かいました。私の記憶では、昔の方が砂浜が広かったように思います。この砂浜を歩いていると、子供の頃にこの湾で遭遇したある魚を思い出しました。普通の魚は人が近づくとスッと泳ぎ去ってしまいます。その魚はずんぐりとマルマルとしており、手で触れるほど泳ぎが鈍かったのです。家に帰って図鑑を調べ、その魚の正体を知りました。フグでした。

        子供の頃、初めてフグに遭遇した馬島の海水浴場の湾


 湾を過ぎてしばらく歩くと、刎島が正面に見えました。刎島に渡ることができるのは、大潮の干潮時だけだそうです。そのため、この日の史跡探訪は大潮の干潮に合わせて計画されました。この日の午後、潮が引いて刎島と馬島の間に細長い干潟が続いていました。その干潟を歩いて刎島に渡りました。干潟は砂地のため歩くとサクサク音がしました。

         馬島から刎島に続く細長い干潟を渡る


 刎島に渡ると島の反対側に行きました。そして、スネークロックを見ました。曲がりくねった白い岩の地層が白蛇のように見えました。ちなみにスネークロックの南側対岸は佐合島です。佐合島の墓地が小さく見えました。潮がいつ戻って来るか分からないため、スネークロックを見終わるとすぐに馬島に引き返しました。

白蛇模様のスネークロック   刎島から振り返った馬島    養殖場の横を通る
  

 馬島に戻ると、かつてのクルマエビ養殖場の横を通って渡船場に戻りました。この養殖場、今はアサリを養殖しているそうです。今年になり、魚を捕る時に網に引っ掛かったカブトガニを1部の池に放流しているとか。そのカブトガニ、医療に欠かせない薬に応用の道があるそうです。その時代に合わせて用途を変えてきた養殖場です。

   かつて盛んだった瓦屋の跡        渡船場に戻りましま丸に乗船
 

 広大な養殖場の横を通って渡船場に戻りました。途中、かつて馬島で盛んだった瓦作り跡を見ました。今ではその跡は草に埋もれてよく見えませんが、往時を偲ばせるように道端に当時作られた瓦が重ねて置いてありました。なお、私が子供の頃麻郷八海でも瓦が作られていました。馬島渡船場に着くと、しばらくしてましま丸が来ました。乗船した後、麻里府渡船場で下船しました。その後、バスで中央公民館に向かい、中央公民館玄関前で解散しました。参加された方々、お疲れ様でした。

          史跡探訪した田布施町馬島のコース


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