東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 夫婦松~板碑~日向平棚田~大星山の散策

2013年02月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回は、平生の佐賀,曽根,そして大野を結ぶ山の街道を散策してみました。佐賀と平生の境にある夫婦松がスタートです。この夫婦松は江戸時代にすでに有名で、昭和の初めに天然記念物に指定されたとのことです。昭和30年代、私の母親はこの夫婦松に子供達を遠足に連れてきたことがあるそうです。

                 佐賀の夫婦松、今は枯れて巨大な幹だけが残る ※撮影2012.5.10


 夫婦松の由来は、赤松と黒松の2本がたまたま接近して育ったためのようです。ちなみに黒松は雄松と呼ばれ赤松は雌松と呼ばれています。このため、この二つがたまたま接近したまま育って接合した様が夫婦に例えられたのではないとか思います。昭和40年頃までは、夫婦松は緑いっぱいに茂っていたようです。しかし昭和40年代末に、蔓延した松食い虫にやられて枯れてしまいました。そして、枯れた夫婦松は天然記念物対象から外されました。今、枯れ残った幹の巨体は緑豊かに茂っていた当時の姿をしのばせます。その夫婦松から曽根の奥に通じる街道を進みました。

 夫婦松からすぐの平生スポーツレク公園       室町時代作の曽根の板碑
 

 夫婦松から、すぐ傍にある平生スポーツレクレーション公園に行きました。その公園から細い山の街道が始まります。スポーツレクレーション公園を左手に進んで、しばらくすると曽根の板碑の標がありました。街道から左手への分かれ道にある墓所を、どんどん下っていくとその板碑が並んでいます。室町時代の西暦1497年作の板碑です。板と言うので木製かと思っていたら石板でした。卒塔婆の原型になったらしいとのこと。曽根の奥には室町の昔から人が住んでいたようです。

              曽根の板碑付近から見下ろした平生田布施方面


 街道に戻りどんどん進むと、曽根奥の民家がありました。その民家をさらに進むと、前回散策した神護寺の入口に着きました。今回は神護寺には登りません。そのまま街道を進むと、やはり前回来た日向平の棚田に着きました。前回はここまで来て神護寺に戻りましたが、今回は日向平からさらに上にある広い棚田に行きました。どんどん登ると、次々に棚田が広がっていました。

    日向平棚田から平生方面を見て         尾根直前で道が消える、何故?
 

 この日向平の棚田、山口県の棚田20選に入っている理由が良く分かります。棚田から北西方向にある平生湾を見下ろすと、何段にも広がった棚田が絶景です。今は冬のため田んぼは枯れた色をしていますが、夏は緑の素晴らしい棚田が広がっているはずです。夏にもういちどここを散策しようと思います。
 ところで地図上では、棚田の道は般若寺と大星山を結ぶ尾根道に続いています。そして、尾根に沿って建てられている発電用風車が棚田のすぐ上に見えます。地図上では、数百m先の尾根道と合流するはずです。しかし!!


              冬枯れ色をしている棚田、それでもすばらしい風景


  地図上はこの棚田から尾根道につながっているはずです。しかし、途中から道が消えていたのです。長年使われないでいるうちに、廃道になってしまったようです。廃道であることを確認するために、地図上での尾根道側に大回りして確認することにしました。棚田を降りて大野北から尾根道に回り込んでみました。すると、確かに棚田方面に下る坂道があるのですが、竹が生い茂り道は暗く通れません。廃道であることは間違いありません。観光にも使えるような立派な棚田なのに「惜しい!」と思いました。がっかりする気持ちを抑えながら、再び大野北に戻って平生方面に下りました。

     棚田から、すぐ上に見える風車         竹が生い茂った廃道、残念
 

コメント
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