久しぶりに芥川賞受賞作品らしいものを読みました。
『ハンチバック』(「せむし」の意)の作者は重度障害のために自力で動くたびに壊れていくという身体の持ち主なのに、
その小説には疾走感、躍動感があって非常に小気味良い。
露悪的とも評されていますが、軽佻浮薄なライトノベルやエログロを笑い飛ばしているようで、ところどころ私の知らない流行語(?)や
ネット用語が出てきても、言葉の意味なんて些末なことで全く気になりませんでした。
むしろ意図的に使っていることが、作品を読んだ「父は破廉恥さに激怒しました」というコメントに表れていて、いたずらっ子のような可愛ささえ感じます。
いけしゃぁしゃぁと言うよねぇ~と。
芥川賞の前回は2作の内、1作は非常に読みづらい文体(そこが評価されていましたが)に閉口し読了できずに(雑誌なので)処分しました。
読まずに捨てるなんて初めて。
その前の受賞作は登場人物が全員シンネリ、いやらしくて読んでいて疲れました。
小さな世界を描くのは芥川賞作品の一つの傾向ではあるけれど、終始嫌な雰囲気が立ち込めて無邪気なタイトルと裏腹なストーリーで
読後感は苦く、これもすぐに処分。
この小説に出てくる誰とも友達(もちろん同僚にも)になりたくないわぁ。
最近の小説を理解するのが難しくなった、と芥川賞の選考委員を降りた作家が過去にいらっしゃいました。
私も同じ心境になって今後は買うことはないかもとまで思ったほどですが、一応、毎回芥川賞作品掲載号の『文藝春秋』を買ってしまうのは一種の習慣?
最近は「炎上」を気にするあまり、芸術全体が面白くないものになっている気がしてなりません。
エッセイでもなく架空の小説なのに、そこに地域を固有名詞で出すと記述によっては「誹謗中傷」と反発されるご時世です。
天下の村上春樹でさえ、北海道の小さな町(村?)の議会から批判されて単行本では固有名詞を消したというのは結構有名な話。
まぁ、彼の場合、「ああ、そうなんですね」とばかりに軽~く受け流して相手の言い分を淡々と受け入れたように思えましたが。
「金持ち喧嘩せず」に通じるスタンスでしょうか。
そんな世の中の潮流に頓着せず『ハンチバック』の作者・市川沙央さんは挑発的な文体と内容が清々しい。
身長1センチにつき100万円で、「弱者」と自虐しつつ主人公をも貶める男を買おうと申し出る場面はすごいブラックユーモア。
女性の身長の高低は、当人は気にすることはあっても「小柄で可愛い」とか「背が高くてモデルみたい」とさまざまな見方をされますが、
背の低い男性はどうでしょう。
それを一撃で「1億5,500万円」と査定する鮮やかさ。
負けてませんね~。
ご本人は文學界新人賞 → 芥川賞と、石原慎太郎と同じプロセスを辿っていることに結構ご満悦の様子で露悪的のご本尊のような慎太郎を
意識しているのならさもありなんと納得できます。
何でわざわざそういうこと言うの? と思われるようなことを堂々と述べて批判されても絶対に謝らない、たとえ謝罪しても一度
言葉にしたことは改めない、そんな傲慢不遜を隠さない表現者の系譜に連なる作家かもね。
露悪的なだけでなく、ラストには複雑な仕掛けが施されて純文学の要素をしっかり満たします。
記者会見のときの彼女の強い眼差しに圧倒された人は多いのではないでしょうか。
それは芥川賞選考委員もご同様。
何だかしどろもどろじゃないけれど、完全にけおされている……。
こんな選評、読んだことない。
選考委員たちの評を読めるのも雑誌を買う理由です。
選考委員の一人の「この人の辛口エッセイも読んでみたい」という評には私も同感!
面白くないはずがありませんから。
受賞後第一作が楽しみな作家です。