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痛快! 『ハンチバック』

2023-09-06 | 読書

久しぶりに芥川賞受賞作品らしいものを読みました。

 

『ハンチバック』(「せむし」の意)の作者は重度障害のために自力で動くたびに壊れていくという身体の持ち主なのに、

その小説には疾走感、躍動感があって非常に小気味良い。

 

露悪的とも評されていますが、軽佻浮薄なライトノベルやエログロを笑い飛ばしているようで、ところどころ私の知らない流行語(?)や

ネット用語が出てきても、言葉の意味なんて些末なことで全く気になりませんでした。

むしろ意図的に使っていることが、作品を読んだ「父は破廉恥さに激怒しました」というコメントに表れていて、いたずらっ子のような可愛ささえ感じます。

いけしゃぁしゃぁと言うよねぇ~と。

 

芥川賞の前回は2作の内、1作は非常に読みづらい文体(そこが評価されていましたが)に閉口し読了できずに(雑誌なので)処分しました。

読まずに捨てるなんて初めて。

 

その前の受賞作は登場人物が全員シンネリ、いやらしくて読んでいて疲れました。

小さな世界を描くのは芥川賞作品の一つの傾向ではあるけれど、終始嫌な雰囲気が立ち込めて無邪気なタイトルと裏腹なストーリーで

読後感は苦く、これもすぐに処分。

この小説に出てくる誰とも友達(もちろん同僚にも)になりたくないわぁ。

 

最近の小説を理解するのが難しくなった、と芥川賞の選考委員を降りた作家が過去にいらっしゃいました。

私も同じ心境になって今後は買うことはないかもとまで思ったほどですが、一応、毎回芥川賞作品掲載号の『文藝春秋』を買ってしまうのは一種の習慣?

 

最近は「炎上」を気にするあまり、芸術全体が面白くないものになっている気がしてなりません。

エッセイでもなく架空の小説なのに、そこに地域を固有名詞で出すと記述によっては「誹謗中傷」と反発されるご時世です。

天下の村上春樹でさえ、北海道の小さな町(村?)の議会から批判されて単行本では固有名詞を消したというのは結構有名な話。

まぁ、彼の場合、「ああ、そうなんですね」とばかりに軽~く受け流して相手の言い分を淡々と受け入れたように思えましたが。

「金持ち喧嘩せず」に通じるスタンスでしょうか。

 

そんな世の中の潮流に頓着せず『ハンチバック』の作者・市川沙央さんは挑発的な文体と内容が清々しい。

 

身長1センチにつき100万円で、「弱者」と自虐しつつ主人公をも貶める男を買おうと申し出る場面はすごいブラックユーモア。

女性の身長の高低は、当人は気にすることはあっても「小柄で可愛い」とか「背が高くてモデルみたい」とさまざまな見方をされますが、

背の低い男性はどうでしょう。

それを一撃で「1億5,500万円」と査定する鮮やかさ。

負けてませんね~。

 

ご本人は文學界新人賞 → 芥川賞と、石原慎太郎と同じプロセスを辿っていることに結構ご満悦の様子で露悪的のご本尊のような慎太郎を

意識しているのならさもありなんと納得できます。

何でわざわざそういうこと言うの? と思われるようなことを堂々と述べて批判されても絶対に謝らない、たとえ謝罪しても一度

言葉にしたことは改めない、そんな傲慢不遜を隠さない表現者の系譜に連なる作家かもね。

 

露悪的なだけでなく、ラストには複雑な仕掛けが施されて純文学の要素をしっかり満たします。

 

記者会見のときの彼女の強い眼差しに圧倒された人は多いのではないでしょうか。

それは芥川賞選考委員もご同様。

何だかしどろもどろじゃないけれど、完全にけおされている……。

こんな選評、読んだことない。

選考委員たちの評を読めるのも雑誌を買う理由です。

 

選考委員の一人の「この人の辛口エッセイも読んでみたい」という評には私も同感!

面白くないはずがありませんから。

受賞後第一作が楽しみな作家です。

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「むらさきのスカートの女」を雑誌「文藝春秋」で読む

2019-10-13 | 読書

今回も芥川賞受賞作は書籍でなく、芥川賞を授与している「文藝春秋」九月号で読みました。

 

翌月の雑誌広告を新聞で見て、「しまった~、先月号はもう売ってないよねー」と買い忘れに気づき、念のため

店頭で確認すると2ヶ月分が平積みになっていました。

私のような読者を見込んで、芥川賞受賞作掲載月はたくさん刷って、月が変わっても念のため並べておくのでしょう。

 

うーむ、本が売れない時代にうまい戦術です。

それに乗せられて、即買いした私。

 

芥川賞受賞作を雑誌で読む利点は2点あります。

まず、選考委員の選評が新聞よりもはるかに詳しく、というか全文掲載されること。

 

選考委員の作家の方の書評は、一般的な文芸評論家よりかなり面白いです。

自身も心身をすり減らして作品を書いているせいか、言葉の重みというか説得力が違います。

辛辣な評価も、評論家が書くと「そんなに言うなら自分で書けば?」となりかねないところを、

職業作家が自分の信念にもとづいて発すると、訴えかける力に格段の差があるということです。

 

受賞作「むらさきのスカートの女」はほぼ全員が高評価を付けていて、これは結構珍しい。

それだけ質が高いのでしょう。

 

一方、古市憲寿氏の作品は酷評されていました。

 

新聞で見たよりも、はるかに辛辣で、しかも批判の矛先はほぼ同じ。

作家としてやってはいけない、という暗黙のルールがあるのでしょうね。

ここまで批判されると、普通の人ならちょっと立ち直れない……。

 

「むらさきの……」は、小さな世界を描いている点では「コンビニ人間」と同じですが、

芥川賞受賞作に共通する(と私が勝手に感じている)、読後のモヤモヤ感が残る小説でした。

 

異常性というと、変質者だとか犯罪者を形容するときに用いる言葉のように感じますが、

実は日常の中には害を及ぼさない異常性が散見されることに気づかされるストーリー展開が興味深い。

 

以前、妹から聞いて印象に残っている話があります。

毎日同じバスに乗り合わせる人がいて、その人は常に一番前の席に座るそうで、ある日バスがガラ空きだったにも関わらず

いつもの自分の指定席(?)に別の人が座っていたとき、迷わず隣の席に座ったとか。

他にいくらでも空いてる席があるのに、です。

 

隣に座られた人、居心地悪かっただろうねぇ~と妹が苦笑していたのが思い出されました。 

 

「むらさきの……」にも似た場面が出てきます。

そこでは、公園のベンチに座る見知らぬ男性を移動させる側の視点で描かれています。

ちゃんと、その人なりに理屈があるのです。

 

この小説を読んだ後には、罪や害のないささやかな異常性について考えさせられます。

自分のことしか見えなくなってしまうのも一種の異常性かも、と「むらさきのスカートの女」の言動を読んでいると

そう思えてくるのです。

粘着質というか、パラノイア(変質狂)的な部分は誰もが大なり小なり持っているものなのかもしれません。

 

この小説には、「黄色いカーディガンの女」が最後の方で登場します。

この女が果たして誰なのか、実在の人物か、それが選考委員の関心の的になっていました。

紫のスカートに黄色のカーディガンを羽織った同一人物という見方もできる、と。

 

 紫と黄色が補色関係なのも面白いですね。

補色は、二色の調和がとれていることを表します。

 

何となく妖しい終わり方で余韻を残す、この作品。

やはり、どなたも否定しない、ぼぼ満場一致という結果が相当だと納得できました。

 

そうそう、もう1つのメリットは、1,000円で他にもたくさんの情報が得られる割安感が挙げられます。

「玉三郎、かく語りき」なんて、すっごい得した気分♪

コラム「ヤクザとタピオカ」も新鮮な視点が面白かった~。

 

読書の秋なので、村上春樹作品ばかり読まずに(古い作品を文庫で読破中)、これからいろいろ探してみましょ。 

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連休中に『騎士団長殺し』一気読み

2019-05-06 | 読書

村上春樹の新作は、文庫化されてから読むのが私の慣例。

超繁忙期の4月に4冊まとめて購入し、全ての新入社員研修が終わってから読もうと楽しみにしていました。

 

面白かった!

何だか難易度が下がった気がします。

 

相変わらずの不思議ワールドですが、読後感が非常に爽やかでいつものモヤモヤ感がなかったんですね~。

私の読解力が上がったのか、それとも作家に何か思うところがあってのことなのか。

 

主人公の画家は今後、ひとかどの芸術家として名を成しそうな予感がするし、

まりえちゃんは素敵な女性に成長すること間違いない。

 

高級車ジャガーのオーナーで白髪の魅力的な中年男性である免色氏は、生活スタイルは変わらないまでも

精神的に少し解放されるのでは?

 

まりえちゃんの叔母さんと、それなりにうまくやっていくに違いありません。

何といっても、ジャガー自体に興味津々の女性なんて、そうそういるもんじゃありません。

まりえちゃんの叔母さんってば一見楚々としていても、なかなかのクセモノと見た!

クセモノ同士、お似合いのカップルと言える。

 

そして、登場人物の中で最も男性としていいなと感じた、画家の友人でボルボを駆る雨田政彦氏はこの先も

変わらず一番まっとうな人生を送りそう。

 

妙な話ですが、この小説に出てくる車の選択が好きでした。

 

常にピカピカに磨き上げられたジャガー、古いボルボ、赤のプジョー。

何だか、分かる! 分かるって何?

少なくとも、この舞台にベンツやBMWは合わないでしょ。

 

それが親近感を覚えた理由の1つかもしれません。

どこに注目してるんだよ~、とハルキストの方から呆れられそうですが。

 

10連休も終わってみれば、あっという間の日常でした。

お茶(稽古)、お茶(茶会)、歌舞伎、お茶(稽古)、実家(チキン1羽を捌いたタイカレーのご馳走♪)、歌舞伎。

その合間に『騎士団長殺し』を一気読み。

 

夜更かしして、読書に耽る幸せ!

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カズオ・イシグロの小説に学ぶ行列マナー

2017-11-07 | 読書

いろんな本を読みたいので、再読はあまりしません。

印象的な部分だけ読み返すことはあるのですが、今年のノーベル文学賞受賞作家・カズオイシグロの

『わたしを離さないで』をもう一度読んでみようと思い立ちました。

 

この作家との出会いは、映画の原作にもなった『日の名残り』。

歌舞伎に取り付かれる以前は映画狂で、一番好きかもしれないアンソニー・ホプキンス主演の同名の映画を

リアルタイムで観て、素晴らしいストーリーに触発されて小説を手に取ったのです。

非常に読みやすい文体ながら、しみじみとした筆致で古き良き英国の一端を垣間見ることのできる素敵な作品でした。

 

一方、『わたしを離さないで』は読みやすいのは同じですが、いかにも外国文学という感じの表現で(翻訳効果?)

すべて独白で進行する、かなり実験的な近未来ストーリーです。

 

最初に読んだときは正直、少し退屈しながら何とか読了したものの、細かい描写などはほとんど残りませんでした。

今回、ノーベル文学賞を受けたのだから、もう少しきちんと読もうと本棚の奥から取り出してみたのです。

 

そこで驚きの発見が!

英国流(?)行列マナーを初めて知って、心から納得・感心した次第。

 

先日、「文化の日」に市民のための気軽な茶会があったので行ってきました。

昨年、出かけた社中の人から「結構早く行ったのに定員になって入れなかったのよ~」と聞いていたので、

10時開始、9時半受付でしたが、受付時間より少し早めに行こうと同行者と示し合わせました。

 

意外に早く到着し、9:18(ラインでやり取りするから分かりやすい~)。

9:08に「もう着いた」と同行者からラインが届き、二人で楽勝と思いきや、すでに結構並んでました。

 

彼女と私の間には10人足らずの高齢者たち。

「こちらにおいで」と手招きされて、「後ろの人から文句言われたら朝っぱらから気分悪いんで、ここで並ぶ。

可能なら2枚茶券を貰って。ダメなら自分で買う」とラインで返すと、

「え~、私の前にも遅れて3人入ったよ。大丈夫だよ~」と再返信。

 

私のお茶の先生はこれまでたびたび釜をかけ、そこで私は受付を何回もやった経験から、いろいろ知っているのよね。

割り込みが横行している、茶席に入れない、と怒鳴り込んでくる方もいらして、受付としてはひと苦労。

ご本人に直接言っている場合もあるでしょうし、結構トラブルが多いのです。

なんだか、茶人の末端に引っかかっている者としては恥ずかしい話……。

 

「文化の日お茶会」には結局、私の順番でも入れたのですが、早めに行った人に二人分取ってもらえて、

無事に同じ席に入れて何の問題もなし。

事情を話すと、「確かに、おばあさんが受付で文句言ってた。早く来たのに! と怒ってた」と納得したようです。

 

そんなことがあった日、就寝前に本を開くと寄宿舎の食堂での行列シーン!

後から来た人が前に並んでいる人と合流したいときは、前の人が後ろに下がるのがマナーだと書いてあるのです。

うん、確かにこれなら早く来たのに、後から来た人が自分の前に割り込むなんて! というクレームにはなりませんね。

 

実に当たり前のことが書かれているのですが、今まで考えたこともありませんでした。

割り込むか、そのまま離れているかの二者択一しかないとの思い込み。

 

だって、前にいた人が後ろに並び直す光景なんて見たことないし。

 

やはり、英国式マナーの世界では、エチケットがしっかり子供(前半は少年少女が暮らす寄宿舎が舞台)にも

浸透しているのね~と感動さえ覚えた私。

 

あのさー、そういうところで立ち止まってどうすんだよ?! と彼のファンから怒られそう。

いえいえ、再読の利点は大筋が頭に入っているため細部に注目できるってことですから、この先もじっくり読みますわよ。

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村上春樹はノーベル賞を獲りたいのか?

2017-02-23 | 読書

NHK 「クロ現」、キャスターの国谷さんが降板して以来、何となく遠ざかっていたのですが、

今夜は村上春樹の新刊がテーマだったので、見てみました。


番組の最後に知らないコメンテーターの男性が「村上春樹はノーベル賞を獲りたいでしょうが、まぁ、

あまり、そこに引きずられずに……」と喋っていたことに素朴な疑問を抱きました。

 

えっ? そうなのかな、どうなのかな??

少なくとも私はそんなふうに感じてたなかったので、「へぇ~」と目を丸くした次第。

 

「来るものは拒まず、去るものは追わず」って淡々としているのでは? と勝手に想像しています。

だって、ノーベル文学賞ってのとはちょっと作風が違うような気がするので。

 

私はハルキストではないけれど、代表作は大体読んでます。

学生時代に、「自分が理解できないものをくだらないと切り捨てるのは不遜」「読みたい本と読むべき本とは違う」

と教師が話していたのが印象的で、ベストセラーはとりあえず読んでおこうというスタンス。

ベストセラーってことは、それだけ多くの人の今の気持ちが反映されてる証しですから。

 

明日零時に販売される『騎士団長殺し』も大ベストセラー間違いなしか?

だって今どき、初版重版で130万部を刷る、ものすごく強気な出版社の販売戦略!

 

私はいつも騒動が収まって文庫化されてから購入してます。

そうして手に入れた、前作の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は面白かったです。

 

私の仕事と照らし合わせ、ちょっと考えさせられる描写が興味深かったなぁ。

「新入社員研修でこんな話をしたら、大騒動になって二度と再び仕事、来ないよ」と苦笑しつつ、一気読みしました。

 

さてさて、私が『騎士団長殺し』を読むのは1年後くらいでしょうかねぇ。

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