なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ99

2017年03月18日 06時46分22秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

3月19日日曜日。彼岸です。

昨日は仙台市若林区のお寺に招かれてお話をさせていただきました。
実は、こちらのお寺さんからは震災の年にも呼ばれていてお邪魔する予定でしたが、その8日前に震災が起きてキャンセルとなったのでした。
テレビの報道を見て、当然そうだろうなと思っていましたが、何と、寺の総代さんから丁寧なお断りの葉書をいただき、いたく恐縮したことを思い出します。
津波は本堂の腰高まで浸水し、お檀家さんも10名亡くなっています。
あれから6年、七回忌となりました。
「大震災と私」というテーマをいただきお話させていただきました。


先日15日には、久しぶりに南相馬市小高区を訪ねました。
昨年の7月に避難解除となり、故郷に住むことができるようになりましたが、帰還したのはまだ一割程度です。
区内を車でグルグル回って、改修工事をしているお宅があったり、新築をしている家もあったり、庭先に車があったりするのを見ると、少ないとは言え人の気配が感じられ、以前お邪魔したときの廃墟のイメージとは違っていました。
モノクロームの街に色が戻ったような感じです。
この4月には、小学校、中学校、高校も再開されます。
ただし、小学校は4校が統合され、ぞれでも生徒数は70名ほどです。
しかも、避難先からスクールバスで通ってくる子どもがほとんどのようで、学校が再開されれば子どもたちの姿と声がよみがえり、街がにぎやかになるだろうと期待していた住民には少し残念な状況であるようです。
スクールバスの通学までして小高の学校に通うのはどうしてかと疑問に思いました。
子どもたちのつながりかと思いましたが、既に6年が経っていて、震災前に小高の小学校に通っていた子どもはもういません。
ではなぜ。地元の人の話では、親が通わせたいという思いが強いようでした。
また、兄弟が中学校や高校に通う場合もあるかもしれません。

いずれにせよ、この地区の帰還は緒に就いたばかりという印象です。
放射能という見えない汚染により、故郷を追われた人々。
線量の高いところ低いところで色分けされた地区。
賠償金の額で心が分断された人々。
この国が始まって以来、全く経験したことのなかったことがここで起こっています。
安全を誰が保証してくれるのか。誰を信じればいいのか。放射能のように見えません。
それでも帰りたいと思う人がいます。
困難を承知で、それでも故郷、自分の家に帰りたい、その気持ちは痛いほど分かります。
なので私たちは、戻った人々の傍に寄り添い、どう生きていけばいいのか、共に考えたいと思っています。
手を引っ張るのではありません。立ち上がろうとする時に支えになる手すりや台にでもなれればと思っているのです。

仙台若林区も、南相馬市小高区も、まだまだ被災の真っただ中です。3.11だけが震災ではありません。
7回忌を区切りにしようとするのは、被災地の外の人々の勝手な判断です。
また、ふつふつと怒りが腹の底にたまってきます。