なあむ

やどかり和尚の考えたこと

集中講座企画委員会

2009年06月25日 22時56分26秒 | 集中講座

今日は第4回松林寺集中講座の第1回企画委員会。

豪華講師陣も揃い、今年も賑やかに楽しく開催します。

これまで3回開催して、来場者にも講師陣にも一様に驚かれることは、「どうしてこんなに大勢の若いスタッフがいるの?」「どこから集めてきたの?」という点です。

昨年スタッフとして関わってくれた人数は45名。20代から50代の男女です。

200名の来場者よりも何よりも、このスタッフが、お寺の中を活き活きと動いてくれることが何よりうれしく、これだけでこの講座を始めて良かったと喜んでいるところです。

その45名がどうして集まったかといえば、その原動力は一番最初に集まった企画委員(当初6名、現在10名)です。

住職の思いに共感してくれた中心の仲間が、それぞれ自分の仲間をスタッフとして連れてくるという方式をとりました。

更にスタッフがスタッフを連れてくるという現象が起こり45名となっています。今年更に増えるかもしれません。そんなことをしたら、スタッフばかりになるじゃないかという意見もありました。いいじゃないですか。祭は見るよりもやった方が断然おもしろい。やっている人間がおもしろくなければ見る人もおもしろくなるはずがない。

ということで、今年もいよいよ始動いたしました。特に今回の講師陣はすばらしい!超一流の方々ばかりです。是非是非楽しみにして下さい。詳しくは以下で。

「4kaiyokoku.doc」をダウンロード


地蔵大祭

2009年06月24日 17時37分27秒 | 松林寺

今日は恒例の松林寺地蔵尊例大祭。水子地蔵様と六地蔵さま、そして中の地蔵様の前でお経と御詠歌を唱えます。

昨日は梅花講のお母さんたちにお地蔵様の頭巾と前掛けを作っていただきました。

Dvc00110 新しい赤い頭巾をかぶった地蔵様は、いつもより凛々しく立派に見えました。毎年ありがとうございます。

中の地蔵様は小振りな木造ですが、なかなか年代が古いと見ていました。

古い過去帳をめくってみると、ありました。その記録が。

なんと!享保11年、今から283年前のことです。山形宮ノ内、伝燈阿闍梨沙弥恵淳と書いてあります。おそらくは、このお坊さんが作ったということでしょう。

Dvc00114 松林寺では一番古い仏像になると思います。この寺が一度焼失したのが寛保2年(1742)とありますから、この地蔵様だけは救い出されて現在の伽藍に安置されたものだと思われます。

これまで、長い間、この地の人々の悲しみ苦しみを受けとめてこられた地蔵様、これからもよろしくお願いします。

認識を新たにするいい地蔵例大祭となりました。


100万人のキャンドルナイトin河北

2009年06月23日 17時32分45秒 | 地球環境

6月21日は夏至で、恒例のキャンドルナイト・コンサート。夏至と冬至の年2回、電気を消して地球環境のことを考えようという趣旨で、河北町環境を考える会が主催している。

Dvc00102 今回の出演者は、最上町では有名な押切珠喜さんと、山形市在住の早坂実さんのギターユニット。この日のために結成された「現代農業」というユニット名が珠喜さんらしい。

以前、酒を飲みながらギターの弾き語りをしていたのを聴いていたが、こんなにギターも歌もうまいとは、改めてすごいと思った。

キャンドルも、直前に試行錯誤したわりにはうまくいって、きれいなタワーになった。

ただ、河北町の夏至の時期はさくらんぼの最盛期で、梅雨の時季でもあり、来年も続けるかどうかは検討中だ。

冬至は例年通りで、今年の冬至は、バイオリンとピアノと声楽の3人のライブに決まっている。お楽しみに。


頭の疲れと体の疲れ

2009年06月23日 17時23分12秒 | 今日のありがとう

昨晩は、長年お世話になっている関東管区教化センター統監籏本老師の退任慰労会によばれて熱海へ。純和風の温泉旅館の湯に浸かってリフレッシュできた。

今月は何かと行事が多く、体が疲れ気味。家内に言わせると、自分で用事をつくっているんだからしかたないでしょ、と。おっしゃるとおり。

しかし、体は疲れているが精神的には楽に過ごしている。

学生時代、悩んでひどい自己嫌悪に陥ってしまった経験があり、その原因は暇だからだと思いついてから、予定表がびっしり予定で埋まっていることに安心感を覚えてきた。

ぽっかりと暇な時間が生まれると、何をすればいいんだろう、こんなことをしていていいんだろうかと、強迫観念にとらわれることもある。

今でもその方法論は変わらず、忙しさに喜びを感じているが、50歳を越えてから体力との折り合いが難しいと感じ始めている。

どこかで破綻してしまわないかと不安になるときがある。

それでも、したいことは山ほどあり、一つの用事を作れば、その用事が別の用事を連れてくる。どうせ短い命なのだから、好きなことをして死ぬのは本望だと思いながら、疲れが溜まってくるとどこかでリフレッシュしたくなる。

今のところリフレッシュのいい方法は、思考の似た人と酒を酌み交わしながら話をすることだ。頭が軽くなる。でもやっぱり体力は使うんだな。


境界線上の言葉 13

2009年06月19日 20時40分07秒 | 境界線上のことば

先日の境界線上のおばさん方から出た言葉。

「ポケットとかぐす」

171118542491624454a これはかなり椅子の上ではないかと思われます。私もほとんど忘れてました。

あるいは一部の地域の言葉だったかもしれません。

また

「帽子をチャップ」と言っていました。これは当然「キャップ」からきたものがなまったのでしょう。

Big 意外とこれは今でも使われるケースがあるので、椅子と同じような時代かと言えます。

時代とともに変化していったものとして

「ズボン→スラックス→パンツ」

があります。ただ「パンツ」はファッション用語という感じではないでしょうか。作業ズボンとか下ズボンとか、ズボンも種類によっては現役に使われる言葉です。


老師と北海道へ

2009年06月17日 09時31分35秒 | 家族模様

最近の動きをまとめて。

13日(土)松林寺大般若会、前大本山永平寺布教部長遠藤長悦老師に法話をお願いした。

14日(日)遠藤老師と北海道へ。二人とも以前布教巡回でお世話になったお寺の奥様のお参りに。思い出の場所である然別温泉の宿にも泊めていただいた。

Dvc00085 今から10年ほど前、遠藤老師と私は期せずして相前後してこの地区を布教巡回したことがあった。東根市関山から集団で開墾に移住した現在の新得町のお寺に泊めていただき、奥様に心のこもったご接待をいただいたことが心に残っていた。その奥様が42歳の若さで他界されたという噂を聞いてから、いつかお参りをと遠藤老師と話をしていたが、ようやくこの度実現できた。

方丈様もまことに堅い方で、5時間正座のまま御酒を召し上がるような、実直が衣を着ているような方。4年前に、いずれ北海道の文化財になるような立派な本堂を再建された。

遠藤老師は、私の次女「霧衣」の名付け親でもあるが、この度新たな事実を耳にした。ちょうど次女がお腹の中にいたときに遠藤老師が宿用院に来られ、その時に、もし生まれたのが男の子であったら命名して欲しいとお願いしていた。

生まれたのは女の子だったが、だからとも言えず、命名していただいた。因みに男の子だったらどんな名前を考えておられたのですかとお尋ねすると、「現成」とのことだった。

すごい名前だなと家族で話題になったが、実はもう一つ考えておられたことがこの度判明。その名は「大悲」。多くの人々の苦しみを受け止め救っていく慈悲心のことをさすが、当時の親がこの名前を受け止められたかどうかは微妙。

道元禅師の教えに由来する「霧衣」には心から喜んでいる。

いずれにせよ、いささか疲れてパソコンを開く力もなかった。


境界線上の言葉 12

2009年06月14日 04時46分43秒 | 境界線上のことば

昨日は松林寺の大般若祈祷会。約200名の参詣者で本堂がいっぱいでした。

後片づけも終わって、手伝いのお母さん方とお茶を飲みながら境界線上の話題となりました。

さすが境界線上の年代の方々。懐かしい言葉がぼろぼろ出てきました。

「傘とこうもり」

01001369854_l 当地では、発音を正確に表記すると「こんもり」にjなるようで、「こんもり傘」という言い方もします。和傘と区別した言葉だったのでしょう。

また、体の部分の名称は古い言葉が多いようです。「でんび(額)」「おどがい(あご)」「ひじゃかぶ(膝)」「あぐど(かかと)」「べろ(舌)」「ずずこ(おっぱい)」など。

今考えてみると、「ズズコ」もアイヌ語と地名のコーナーで前回取り上げた言葉「スズ」同様、アイヌ語の泉からの転用かもしれません。湧きだしてきますからね。だとすると、他の体の名称も、アイヌ語との関連が気になってきました。調べてみましょう。

他にも色々出ましたが、もったいないので次回以降に譲ります。


猫の飼い主

2009年06月10日 22時34分32秒 | 家族模様

息子から手紙が来た。先日永平寺で会えてうれしかったこと、親に会って帰りたくなったというようなことはないから安心して、というようなことが書いてあった。どうも家内が心配して手紙を書いたようだ。

猫の写真を送って欲しいということも書いてあり、元々の飼い主であるから当然かなと思った。写真だけでも癒されることがあるのだろう。

猫など何の役にも立たないように見えるが、その存在そのものが人を癒している。十分に価値のある存在だ。人間の赤ん坊だって、手がかかるだけで、何の役にも立たないといえる。何かの役に立つなどということは、あまり考えない方がいいのかもしれない。

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再々新治師匠

2009年06月10日 22時21分13秒 | 宿用院

宿用院での露の師匠の口演を聞いた河北町婦人会の方が、この秋、婦人会で師匠をお招きしたいということで、問い合わせしたところ、師匠から快くお引き受けいただきました。

婦人会の行動も早いですが、即答いただける師匠にも感謝です。

期日は、11月20日(金)午後6時になると思います。婦人会の情報を先に流して済みませんが、仲立ちした特権で紹介させていただきます。

オープンの講演会になるようですので、また11月お目にかかれます。お楽しみにしてください。


境界線上の言葉 11

2009年06月09日 07時15分05秒 | 境界線上のことば

このコーナーにいつも投稿してくれるshunさんから、またまたいただきました。

「かき氷と氷水(こおりすい)」

4675580 そう言えばそんな言い方ありましたね。おばあちゃんが言っていたような気がします。意外と古いかもしれません。椅子の上かどうかは微妙ですね。やはりフォッサマグナ地帯でしょう。

私からも一つ。

「美容室とパーマ屋」

E383aae383a8e382b3e7be8ee5aeb9e5aea これはわりと新しいでしょう。私なども若い頃に行ったのは「パーマ屋」だという感覚があります。そう、パーマ屋でアイパーかけてました。でもおそらく消えていく言葉でしょうね。

同じように「理容室と床屋」がありますが、「床屋」は今も充分使われているし、これからもしばらくは残るのではないでしょうか。