なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災76 最上の風

2011年07月31日 15時41分13秒 | 東日本大震災

821まけない!タオルが思わぬ広がりを見せ、最上町あげてのイベントとなりました。

NPO法人やまなみが主体となって実行委員会を組織し、「東日本大震災復興・被災者支援コンサート」が開催されます。

最上町在住の池田敏美さんのヴァイオリン演奏、その息子さんの弦さん率いる少年合唱団、最上町のコーラス隊が「まけないタオル」を合唱します。

早坂文明、やなせなな、三部義道が対談して、まけない!タオル誕生にまつわる話をします。

もちろん、やなせななさんの歌もあります。

という盛りだくさんの企画です。

このコンサートには、最上町に避難してきている方々、石巻の被災者の皆さん100名も招待されます。

一般入場料1000円です。

是非多くの方にご参加いただき、みんなで「まけないタオル」を歌って、被災地に届けたいと思います。

最上町から、支援の風が吹き続けますように。


大震災75 まけないCD完成

2011年07月31日 14時02分14秒 | 東日本大震災

お待たせしました。まけない!タオルのCD完成しました。

早坂文明作詞、やなせなな作曲の『千年眠れ』とのカップリングです。

この歌詞は、早坂さんが震災直後に作詞しあたためてこられたもので、今回まけないタオルとのご縁で、こちらもやなせさんに作曲を依頼して完成したものです。

とてもいい曲です。

「まけないタオル」は、バンドバージョンで明るいテンポになっています。

「千年眠れ」は、ピアノ伴奏だけのしっとりした歌です。

是非お聞きください。

タオルとともに、こちらも販売していきたいと思います。

販売価格、1000円

下の写真は、気仙沼市の幼稚園でタオル配布とライブをしたときの写真です。

誰も何も言わないのに、ずっとタオルを掲げてくれた男の子がいました。

しかも上下が逆のまま、あまりかわいいので載せました。

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大震災74 漁師のハンモック

2011年07月29日 22時00分54秒 | 東日本大震災

昨日、今日と気仙沼でした。

1,台湾佛教慈済基金会の見舞金支給の最終確認と実施の立ち会い、2,天童4中生徒のボランティア受け入れについて、3,漁師が作るハンモックの調査、という目的でした。

見舞金は、気仙沼市内で約8000世帯への現金支給ですから、被災者にとっては大きな支援となります。

今日は本吉地区が中心でしたが、明日、明後日は市街地がメインなので、相当な混雑が予想されます。スムーズに支給が行われることを祈ります。

支給額は、建物の全壊、半壊にかかわらず、震災当時1人暮らしの人に3万円、2~3人に5万円、それ以上には7万円が支給されます。

会場で聞いた話ですが、名簿には2人暮らしとなっていたので5万円支給したら、受け取った方が、「1人暮らしです、と言って、わざわざ2万円を返しに来られた」と、台湾の方が驚いていました。

「まけない!タオル」に続く、新たな支援活動を始めたいと思います。

題して「漁師のハンモック」。

船を失った漁師さんたちが、仕事の再会に向けて動き出しました。

漁網を編む技術を使ってハンモックを作り始めたのです。

是非これを広めて、多くの方に買ってもらっていくらかでも収入につなげたいと思います。

まだ試作段階、本決まりではありませんが、チラシも試作してみました。

予告として受け止めてください。


大震災73 「被災地から見えたもの」

2011年07月27日 22時23分53秒 | 東日本大震災

今更なのですが、曹洞宗の檀信徒向け月刊誌「禅の友」の依頼で寄せた震災関係の文章です。4月末頃締切の記事ですから随分初期のものですが、総括的に書いています。よろしければお読みください。

禅の友 7月号 震災特集

「東日本大震災 被災地から見えたもの」

今まで経験したことのない災害

 私はこれまで、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、宮城県沖地震の被災現場に立ってきましたが、この度の東日本大震災の現場は、これまでとは全く違った様相を呈していました。

 地震による被害だけであれば、家屋が倒壊したとしても家はその場所にあり、衣類や貴重品、思い出の品を掘り起こすことができます。

 ところが、今回の災害では、日本最大の地震の後に過去最大級の津波が押し寄せたことにより、家屋は根こそぎさらわれてしまいました。

 さらわれ、奪われたのは家だけではありません。車、船、財産、思い出、仕事、町そのものが奪われたと言っても過言ではありません。そして、多くの方々が犠牲となられ、多くの方々は、ご家族のご遺体そのものを奪い去られてしまいました。

 その被災地が、北東北から関東までという非常に広範囲にわたっている点、更に、福島原発の放射能被害も加わった点において、この国がこれまで経験したことのない、未曾有の大災害となりました。

 私は、発災から4日後の315日に被災地に入り、気仙沼、陸前高田、南三陸、釜石、大槌の現場を歩きました。瓦礫でふさがった道路を自衛隊が復旧作業にあたっていました。その傍らで、消防隊員や地元の消防団のはっぴを着た人たちが各々手に長い棒を持ち、数人ずつのグループになって捜索活動を行っていました。

 瓦礫の原野と変わり果てた海岸沿いは、ここに人が住む町があったことすら想像ができないぐらい破壊し尽くされていました。そんな瓦礫の中から、家族の消息と思い出の品を探す被災者の姿に胸が締め付けられました。「ご先祖の位牌を探している」というご家族がいました。本堂が流され、住職さんが流されたお寺もありました。

そんな中、被害を免れた寺院では、大勢の地域の人々の避難所になり、遺体安置所になり、また、炊き出しや物資の集積所となったりして活躍されておりました。お寺が地域の中にしっかりと位置づけられ、地域の拠り所として機能していることを感じました。

善意はしぼみやすい

 全国から、あるいは国外からも多くの善意が寄せられ、励ましの声が届いています。人々の優しさと暖かさ、連帯感を強く感じさせられました。特に、これまで被災された、阪神淡路の人々、中越の人々、更には、インドネシア、ニュージーランドなど、同じ経験をした人々からの支援がいち早く届けられたことは、痛みの分かる人々の心が通じ合う結果かと感じられました。

 よその国の人々から驚かれたのは、避難所で行列を作って炊き出しや物資の配布を待つ被災者の秩序と忍耐力でした。それと、地域ごとに被災者を受け止め、共同生活をする、共に生きる助け合いの心という地域力でした。岩手県大槌町の吉里吉里地区では、線路の下の地区が壊滅し、上の地区の人々がそれぞれの住宅に分散して共同生活をしていました。

 そういう意味では、今回の災害は、日本人の底力、人間力のようなものを見直し、確認する機会になったといえるかもしれません。

 しかし、被災地では、まだまだ多くの支援が必要とされています。忘れないでいただきたいと思います。

 善意はしぼみやすく、続きにくいものです。一度、物資支援や募金活動に参加すると、次第に善意の熱は冷めてしまうものだと感じています。善意だけでは足りないのです。

 善意の発火点には「かわいそう」という感情が強くあると思います。でも、感情は繰り返されることによって慣れてくるものです。「かわいそう」ではなく、「困っている」からという視点で見ると、困らなくなるまで支援は必要だと気づくことができるでしょう。

「慈悲」と「智慧」

 3月11日以来、テレビの報道を見て、皆さんは何度涙を流したでしょうか。見ず知らずの人の幸せをどれほど祈ったでしょうか。

 ひとの悲しみに涙し、ひとの喜びに感動し、ひとの幸せを願う、それが他の動物とは違う人間の特長というものでしょう。その心を仏教では「慈悲」と呼ぶのだと理解しています。この心をなくさないでいきたい。人間として生きていきたい、と思います。

 そして、「慈悲」を持続させる力としてもう一つ必要なのが「智慧」です。何が必要かを見極め、一時の感情ではなく、どのように継続させていくか、どういう行動が役に立つのかを考える冷静な判断、「慈悲」が車のエンジンだとすれば、「智慧」はハンドルともいえるでしょう。エンジンだけでは方向が定まらず暴走するかもしれません。しかし、ハンドルだけではいつまでたっても車は動きません。エンジンとハンドルがうまく機能して、有効な支援が行われると考えます。

この度の災害は、かなりの長期にわたって支援が必要になると思われます。

 災害に遭わなかった地域の人々は「ここは幸せだね」と思ったことでしょう。だとしたら、その幸せの何割かを被災された方々と分け合うようなお気持ちで、この災害と向き合っていただきたいと願います。

 「分け合う悲しみは半分の悲しみ、分け合う喜びは2倍の喜び」という言葉があるように、喜びや幸せは、分け合うと減るのではなく、分けた分だけ増えるものだと実感しています。「豊かさ」とはその心を指すのではないでしょうか。

 慈悲と智慧の両輪を回して支援にあたってまいりましょう。

(一部改訂)


金澤翔子 書の世界

2011年07月27日 17時18分57秒 | 今日のありがとう

友人からの情報で、寒河江八幡宮に「金澤翔子書品展」を見てきました。

昭和60年、翔子さんはダウン症をもって生まれました。

母である書家の泰子さんの指導を受け、5歳から書道を始められた翔子さんは、その才能を発揮し、力強くもあたたかな書は多くの人の心を惹きつけています。

震災後に書かれたという「共に生きる」と「希望」は、とても迫力がありました。

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因みに、写真は、会場にいた宮司さんが、「どうぞ、どうぞお撮りください。シャッター押しましょうか」と記念撮影まで勧めていたものです。決して隠し撮りではありません。

更に、Tシャツも販売していたので、迷わず買い求めました。

見たら八幡宮の制作でした。やるな、宮司さん。

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金澤翔子さんに関しては、以下をご覧ください。

http://noritake777.jp/kanazawa/shouko-index.html


大震災72 むくむくと動き出し

2011年07月26日 13時21分47秒 | 東日本大震災

昨日は「何もしたくない病」でした。

朝起きられず、一日何もないことをいいことに、昼まで半日寝て、午後からぼんやりテレビを見たり、パソコンのゲームをしたり、夕ご飯を食べて水泳を見て、ブログは見るだけにして、そのまま寝ました。

危惧していたとおり、一端休むと、なかなか動き出せなくなり、気力も萎えてきます。

今日は法事が一件と小学校PTAの講演があり、タオルの発送もしなければならず、仕方なくむくむくと起き出しました。

動いてしまえばこっちのもんです。慣性の法則で止まらずに動き続けます。

まけない!タオルは25000枚を配りきり、残りの5000枚の到着を待つ状態です。

タオルの広がりはまだまだ続いています。

ある程度の予感はあったのですが、何が良かったのか、いわゆる「はまった」ということでしょうか、多くの方の共感と賛同をいただき、その輪は広がり続けています。

ただし、このタオルは、支援者の手元に届けられることよりも、被災地に届けることが第一義なので、そのバランスを崩さないようにと心を配っています。

支援者の中には、「自分の分はいらないので被災地に届けてください」とのコメントを添えてくださる方がいます。そのお気持ちを無駄にすることなくお届けしたいと思っています。

まだ届いていない被災地に、届けてくださる方がいらっしゃれば、必要枚数をお渡ししますのでご連絡いただきたいと思います。


大震災71 対談の件

2011年07月22日 10時29分27秒 | 東日本大震災

予告通り、昨日は上田紀行先生との対談でしたが、少し事情があり、詳しくは報告できない状況です。

これまでの見聞き、体験したことはほとんど話しさせていただいたと思います。

『週刊金曜日』、8月5日発売号のようですので、もし目に留まりましたらお手にとっていただければと思います。

曹洞宗の東北管区テレビCMも完成しました。

こちらは7月30日から8月10日までの期間、それぞれの県で一日4~5回、放映される予定です。

15秒の非常に短いCMですので、見過ごすかもしれませんが、何度か繰り返すうちにご覧になれると思います。

バックに使われているBGMは、やなせななさんの『街の灯』です。


大震災69 29年ぶりに

2011年07月20日 20時49分35秒 | 東日本大震災

今日は仙台で、東北管区の曹洞宗テレビCM制作の会議でした。

震災前に放映していた分が、震災で使えなくなり、震災後のメッセージとして作り直そうということになったわけです。

今日は最終確認でしたが、若干手直しが必要な箇所もあり、完成までには至りませんでした。

お盆前に放送されることになると思いますが、詳しくは確定してからお知らせします。

「まけないタオル」の作詞者、早坂文明さんからメールがきました。

東北新幹線が仙台まで開通するときに、JRが募集したテーマソングの歌詞に、早坂さん作詞のものが採用され、郷ひろみが歌っている『故郷は僕に微笑む』が、被災地の人たちに聞いていただきたいということで29年ぶりにインターネットに流れているという内容でした。

早速聞いてみますと、「まけないタオル」に通じる思いが感じられました。歌詞にも重なるところがあるように思われます。

是非一度お聞き比べください。

『故郷は僕に微笑む』http://www.caleta2.com/video/-/z0CA9Tc2Vh8/

『まけないタオル』「makenai_mixs4ht_02.mp3」をダウンロード


大震災68 森に翻る大漁旗

2011年07月20日 11時26分46秒 | 東日本大震災

少し時間が空いてしまいました。

16~18日のいわゆる連休は、法事があり葬儀があり、御詠歌の定例の講習会があったりして、住職、みたいな日々を過ごしていました。

17日は、気仙沼から「大谷大漁唄い込み保存会」の皆様が最上町前森高原にやってきて、唄と踊りを披露してくれました。

この企画は、私の姉のグループ「majare」が主催し、最上町が協賛し、息子が実行委員長になって実施したイベントで、迎える山形からは、上山の津軽三味線「流れ星」と、「黒沢餅つき唄保存会」の皆様がパフォーマンスを披露してくれました。

私は河北町で夕方の法事があって参加できないのが残念でしたが、大変盛会だったようですし、打ち上げでは、被災地の皆さんも心から発散してくれたようで、何よりだったと喜んでいます。

気仙沼市本吉地区からは、温泉プロジェクトでも何度かおいでいただいているので、これからも長いおつきあいができるのではないかと思います。

顔の分かる関係ができれば、非常時でも、平常時でも互いに気にかかる存在になるわけで、いざというときの大きな力になるといえます。Rimg0302

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暑中お見舞い申し上げます。

2011年07月16日 12時03分10秒 | 今日のありがとう

今日は山形も朝から暑いです。日陰の部屋でも30度を超えています。

同志のやなせななさんも、家内も夏風邪をひいたらしく、喉を痛めています。

体調を崩しやすい気候ですので、皆様お気をつけください。

私は意外と元気です。暑さにも鈍感です。

疲れてはいるのですが、ここで休んでしまうと寝込んでしまうような恐怖感があるので、動いています。止まると死ぬという魚がいましたが、マグロや鰹のような高級魚ではなく、ボラぐらいでしょうか。

今日から3連休というありがたくないカレンダーなので寺の仕事がたくさん入っています。

これからお葬式もあります。

全ての時間を自主的に、自分の時間として使い切りたいと目指しています。

それぞれ、夏の暑さにもまけず!乗り切っていきましょう。

暑中お見舞い申し上げます。