なあむ

やどかり和尚の考えたこと

不整脈

2013年01月27日 23時13分07秒 | ふと、考えた

心房細動、いわゆる不整脈が時折起こるようになりました。

それほど疲れているわけではないのに、それほど深酒したわけではないのに。夜中にふと動悸がすることがあります。

嫌な感じです。

不整脈があるからといってそれで心臓がすぐにどうなるというわけではなさそうです。

ただ、不整脈のままにしておくと、心臓からきれいに血液が送られず、よどんでしまって、一部固まった血液が脳などに詰まる、という危険性があるようです。

忙しいのは嫌いではないので、このまま好きなことをして過ごすのもいいのですが、ゆっくり旅でもしてみたい、という欲求も出てきているのです。

全てを捨てて、何の目的もない時間に身をゆだねるというようなことは贅沢ですかね。

病気になれば必然的にそのような状態になるのかもしれませんが、それは家族の手を煩わせるということでもあるので、望みではありません。

どうしてこんな道を歩んでしまったのか、もっと楽な生き方もあっただろうに、でも、それを楽しいと思えなかったのですから仕方ないです。

電話相談の方から、「あなたは最低の人間です!」と怒られてしまいました。

対応が悪かったようです。というよりは、声に気持ちがこもっていなかったのでしょう。

電話は、こちらの状況にかかわらずかかってきますから、難しいですね。


麻雀と人生

2013年01月15日 21時14分19秒 | ふと、考えた

正直申し上げて、実はネット麻雀というやつにはまっています。

特に冬になって暇になってからは、空いた時間を見つけてはポン、チーを繰り返している。

だから暇は罪だなとかつぶやきながら。

麻雀に限らず賭け事というのは、おおむねそうなのかと思いますが、ツキというのがあります。

何もしなくとも次から次へといい手が来て、苦労せずにアガリが続いたり、危ない捨て牌もあたらなかったり、バカヅキと言われる時があります。

方や、何をやってもうまくいかない、何を切ってもあたるような時もあります。

そんなとき、うまい人は、負けを最小限して、ツキを待つことができる打ち方をするのだろうと思われます。なかなかそれができないから負けてばかりのヘタクソ麻雀になってしまっています。

ふと考えて、人生も同じかも知れないと思いました。

何をやってもうまくいかない時、調子のいい時、どちらもあります。自分のせいだけでなく、巡り合わせが善い悪いというのがあるのじゃないでしょうか。

そんな時、人生の達人という人は、悪くても焦らず、諦めず、エイッヤーと一か八かに賭けたりせず、これ以上悪くならないように着実に切り回し、善い巡り合わせをジッと待つことができる人なのかもしれません。


父の血

2013年01月13日 22時41分25秒 | 師匠の遷化

幼くして父親を亡くした父の幼少期は、筆舌に尽くしがたい苦労の中にあったと聞いています。

貧しさはもちろんのこと、その故のみじめさ、残酷さは、その時代の必然とは言え、他人には計り知れないものがあったのでしょう。

その後、まさに仏縁によって寺の住職となり、後半生は人並みの穏やかな日暮らしができたものと思います。

しかし、子どもの頃の体験がそうさせたものでしょうか、高学歴や裕福な相手に対しては、卑屈なぐらいに低姿勢になる父の姿がありました。

反面、貧しい暮らしの家に行くと、気を許してその場にいるように子どもの目には映りました。

30歳から39年間民生児童委員を務められたのも、単に暇だからというわけではなく、貧しさや困難な生活の人の苦しみが我が事として感じられたからではなかったかと思われます。

そんなことを今ひるがえって考えてみて、自分がボランティアなどの関係に身を置いているのは、実は父のDNDから来るものかと思われたことでした。

あれほど嫌いな父でしたが、その血が自分の体の中に間違いなく流れているのだと感じられます。

今では嫌いであったことすら忘れてしまいそうです。

父が亡くなって、今更になっていろんな事が考えられます。

生きていた頃よりも、死んでからの方がずっと素直に父のことが受けとめられます。


アップ、アップ

2013年01月12日 18時13分44秒 | ふと、考えた

ついぞご無沙汰しておりました。にもかかわらず、チェックしてくださっている方がいらっしゃるようで申し訳なくも有り難く思っております。

そろそろアップしないと忘れ去られてしまうのではと、重い腰を上げたところです。

今年も雪がすごいのです。

すでに屋根の雪を下ろし、周囲の雪投げをしてもらいました。

黙々と除雪するのは、それはそれで、何も考える必要がなく、心地よい疲れもあり、晩酌などして早めに寝るという、正しい冬の過ごし方ができるので、悪くはないと思います。

今一つ考えがありまして、進めているところですが、これまでアップしたブログの記事をまとめて活字にしようかと思っています。

10月の行持の記念品に間に合うようにと進めています。

活字にしてもよさそうなものと選っているのですが、それでもかなりのページになるもようです。

カテゴリーごとにまとめているのですが、大震災関係はそれだけで大部になるので、これはこれで別に考えようと思います。

ネットで読むのと、活字で読むのはまた印象が違って、じっくり手にとって読んでもらえればと期待を込めています。

「なあむ」は元々月刊の寺報として書いてきたものですが、次第に発刊が滞りがちになり、同じ記事をブログにアップしていたものが、だんだん逆転して、今では完全にブログだけになりました。

今年もできるだけアップしていきたいと思いますので、どうぞ時々のぞいていただければ幸いです。