エロース(恋愛)の神が象徴する〈善美への憧れ〉こそがすべての動力源という古代アテネのソクラテスからは大きな翼が、
一切は縁によりつくられるという自覚に基づき自身と法(ダルマ)とに帰依せよという古代インドのブッダからは深い教えが、
女性原理につき水のようなしなやかさと強さに象徴される無為自然を説く古代中国の老子からは自由なる意思が、やってくる。
それは、現代の「他者承認に怯えて牙を抜かれた脆弱な思想」に基づく生からの脱却をもたらします。
こう生きるぞ!というイデー・理念をつくり、それを育てつつ生きなければ、私から発する価値ある生は始まりようがなく、外的価値(知識や履歴や財産の所有)に縛られたツマラナイ人間として一生を終えるほかありません。所有の量ではなく存在の魅力こそが核心です。
イデー・理念の欠如は、人間としてよく生きることを不可能にし、周りに合わせて生きる集団同調人(単なる「事実人」)となりますが、20世紀後半に流行った哲学(西洋哲学書の読解を哲学だとする人やグループ)は、驚くことにみなこの「理念」を嫌い、「他者承認」を神としたのですから、呆れます。
強く豊かな「理念」を生み育てる努力がなければ、人間は、「私」という一人の人間としての生を歩めません。古代の根源的な実存思想から、大きな翼と、深い教えと、自由なる意志をもらおうではありませんか。「恋知」という発想がなければ、一人の人間としての生と公共人としての生は共に始まりようがないのです。
☆「ソクラテス・ブッダ・老子の実存思想と恋知」
武田康弘