思索の日記

美しいもの・よいものへの憧れを抱き続けるタケセンの思索の日記です。

「東大話法」と「東大病」をめぐっての四者会談―安冨歩さんらと。

2012-04-16 | 社会思想
撮影・大野裕子さん

昨日、東大話法と東大病をめぐり、四人で座談会をしました。
明石書店・会議室で、午後2時から7時まで休みなし。その後食事会でまた続きを(笑)
安冨歩著『原発危機と東大話法』(明石書店刊)


わたしは、
明治の近代天皇制による国家運営の基盤(欧米の強さの秘密をキリスト教=一神教に見た明治政府は、擬似的な一神教=『天皇教』をつくり、その新宗教の総本山として東京招魂社=10年後に『靖国神社』と改名を創設)について話し、それを支える大学として『東大』をつくり、特に法学部をその中心として「主権者としての天皇」を支える官吏とした・・・・・・・・
という話からはじめましたが、
この認識は、ほぼ参加者の共通理解となりました。

ちなみに、オウム真理教は、生きている人間を絶対者とする点で、天皇教(天皇現人神)と同じ構造をもつと話し、同意を得ました。

その歴史俯瞰的な話しから、
「東大話法」を生みだす「東大病」の話しになり、日本人の「東大信仰」は、多くの人々に共通するが、知的営みをパターン知と丸暗記に置く歪み(ヒステリー:一元的価値観)が、社会の歪みをもたらす深因であること、
現代社会の特徴は、「知」による支配であり、それが単なる「事実学」の所有者による支配を許す結果になること(「事実学は事実人しかつくらない」フッサール)。この意味論や本質論(○○とは何か?の探求)のない情報処理に過ぎない勉学は、全体を捉えられない人間しか生まないこと・・・などを話しました。

したがって、現代社会の病根を断つためには、【知】の捉え方を根本的にかえること(「客観知」は知の手段であり目的ではない・知の目的は「主観性の知」の拡大・深化にある)と、【教育】の改革(読み書き計算の他に、「考え・対話し・決める」ことを中心にすえる)が必要であること。これは絶対的条件。
と話を続けました。

安冨さんは、わたしの話しを受けて、
自分を含めて、東大生や東大教授(「エリート」と目される人)の多くに、何らかの広義の自閉症的あるいは仕事依存症的性格があり、そういう人物が、大きな権限を振るうのは社会にとって駄目だ、と考えている。判断はもっと健全な人がしないといけないと思う、と語りました。

その後もさまざまな話が交わされ、また、他の参加者からの貴重な発言も多々ありましたが、ここでは、個人ブログの性質上、内容には触れません。また、わたしは参議院行政監視委員会の客員調査員を務めていましたので、それに関連する話もしましたが、これも今はカットです。


ともあれ、人間の知的能力を、客観知(学)に閉じ込め、その暗記勉強に特定すれば、健全な精神が養われないのは火を見るより明らかです。受験知崇拝の社会では、数々の体験(自然体験・実験体験、文学体験・音楽体験・美術体験・・・)に基づくほんとうの知=健康な知は育ちようがありません。知と教育に対する見方・考え方(価値評価)の変更は喫緊の課題であり、これなくしては何をしても砂上の楼閣です。

最後に、
明石書店社長の石井昭男さんは、スケールの大きなとても面白い方で、食事会は大いに楽しめました。感射です。新刊本もたくさん頂いてしまいました。貴重な資料(F.アベトの写真集)もありますので、『白樺教育館』の書棚に置きます。




武田康弘


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わたしの愛聴盤・ペライアの弾く「ヘンデル&スカルラッティ」は、豊かな名盤。

2012-04-07 | 趣味

1997年に発売されてから15年間、折に触れ聴き続けてきたマレイ・ペライアの弾く「ヘンデルのクラヴィーア組曲・スカルラッティのソナタ集」は、聴くたびに心豊かになります。

わたしが、よく使う「豊かな」という形容詞のイメージは、ペライアの弾くピアノと重なります。自由闊達でかつ上品な音楽が、確かな技術により確固として現れます。ほんとうに「豊か」な世界が広がります。貴族趣味の退廃や、差別的な優越とは無縁な、健康な生活世界から立ち昇る品位の高い豊かさです。

とっても素敵な名盤ですので、ぜひ、どうぞ。
録音も演奏とピタリとあったふくよかな美しさに溢れています。

日本盤

輸入盤US

武田康弘
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『全身の細胞で考える』 ー惰性態から脱するソクラテス的対話の36年

2012-04-04 | 恋知(哲学)

企業向けの季刊誌『環境会議』2012年春号に所載の
『全身の細胞で考える・知の冒険を始めよう』 ー惰性態から脱するソクラテス対話は、
昨年11月に宣伝会議(株)から依頼されて書いたものです。

「生きた哲学」の特集をするので、36年間にわたる『白樺教育館』の考え方・活動内容・歴史を書いてほしいとのことでしたので、分明・簡潔に書きました。

『白樺教育館』ホームにpdfファイルを公開しました。ぜひ、お読みになってください。歴史的な(笑)写真もあります。


武田康弘
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英国王や天皇などの存在に普遍性はありませんーソクラテスや釈迦の考えがほんとうです。

2012-03-30 | 恋知(哲学)

一人ひとりの人間の【対等性と自由】という原則が打ち立てられている現代においてなお、英国王(女王)や天皇などの特別者が存在することは、なんとも奇妙な話です。

どこも変らぬ同じ人間の男であり女でありながら、生まれながらにして特別の敬語で遇するような人をつくり、その家族の生活費全額をわたしやあなたのお金(税金)で養う。日本の天皇家の場合は、一年間の生活費6億円。宮内庁などの経費を合計すれば170億円以上。

なぜ、そういう存在に頭を下げる理由があるのか?わたしは、小学生以来50年間いくら考えても合点がいきません。ただし、わたしは天皇家やイギリス王室に生まれた人々になんの敵意も羨む心もありません。むしろ、とっくに存在理由を失った「王」という時代錯誤のシステム内で生きることを宿命づけられた彼ら彼女らに対しては、気の毒だなと思っています。

いつまでこのような愚かな制度を続けるのか?
二千数百年前に、インドの釈迦(ゴータマ・ブッダ)は、王と泥棒は同じようなものであるーどちらも人の物を盗む。泥棒は非合法的に、王は合法的にと言いました。また、ソクラテスは、誰にも何にも犯されることのない恋知=哲学の生を貫きました。逃げずに敢えて毒盃を飲み干すことで自己の思想を守ったのです。
ソクラテスや釈迦は、【すべての人間存在の対等性】を前提に思考しましたので、その思想は、時代と国と地域を超えて普遍的なものになったのです。釈迦の場合は、人間以外の生命も。

日本では、いまだに古代国家の制度である王の死で時代の名称まで変える「元号」制度を続けていますが、これは「異常」としか言えません。時間・時代の区切りまで天皇と呼ばれる人間の生死で決まるのですから、なんともおかしな話しです。
特別な存在を前提とする社会=人間の対等性が失われている社会では、未来は開けようがありません。「民主的倫理」の確立がなければ、自分からはじまる人生に誇りと悦びをもつ人間にはなれませんし、或る特定の一家に頭を下げるような非民主的な精神風土の中では、真の人間的豊かさ=個々人から立ち昇る魅力、輝き・ツヤは得られないのです。

ほんらい、わたしとあなたの存在の中に宿る「よきもの」の上には何もありません。一人ひとりが「天上天下唯我独尊」なのです。それが釈迦=仏教の教えです。英国王や天皇というものは、人類社会の前史(人民主権社会の成立以前)の象徴であり、その名残に過ぎないのです。


武田康弘



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橋下市長に「教師生命かけ反対」…国歌起立せず--ほんものの人間=背骨ある教師にエールを送ります。

2012-03-22 | 社会批評

橋下市長に「教師生命かけ反対」…国歌起立せず
(読売新聞 - 03月22日 07:45)

チェックする(542) つぶやく(3905) 日記を書く日記を読む(1044)
 大阪市教委は21日、市立小計298校で同日行われた卒業式で、大領小(住吉区)の女性教諭(55)が国歌斉唱時に起立しなかったと発表した。

 市教委は、起立斉唱を求める校長の職務命令に違反したとして処分を検討する。市立学校の卒業式で起立しなかった教員は、中学校を含め今春3人目。

 発表では、女性教諭は校長から事前に職務命令を受けた際、「橋下徹市長による急激な改革で教育の破壊が進んでおり、反対の意思を示すため教師生命をかけて座る」と述べたという。

 大阪府内ではこのほか、高槻、茨木、豊中各市の小中学校の卒業式でも教諭各1人が起立しなかったことも判明した。

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戦前のような国家主義や天皇主義が再び大手を振るい、明治天皇(天皇現人神)に捧げられた「君が代」を国歌として全国民に強制するというおぞましい世の中になりました。
上位者、権力者に従うだけの背骨のない日本人ばかりの中で、職をかけ(命がけ)で自分の信念を貫く教師がいることは、とても心強いことです。わたしは、彼ら、彼女らにエールを贈ります。

よしくんぱっとさんの提案ですが、
「君が代」を、「民が代」に変えて大声で歌うという案もあり、なかなか面白いと思いました。
民(たみ)の代(時代)は、千代に八千代に〜〜〜、というわけです。主権者は、われわれ市民・国民なのであり、天皇とは儀礼をつかさどるに過ぎないことを明確にするという大原則がぼやければ(天皇を元首にするという自民党など保守主義者の憲法改正案)、主権在民の民主主義は幻となり、政治家や官僚による「エリート」支配に行き着きます。

勇気ある教師のみなさん、橋下市長などの国家主義者に「非暴力不服従」の闘いを挑み、一人ひとりの自由と人権を守る闘いを拡げて下さい。 『東大話法』の安冨教授の言い方を借りれば、「ショッカー」と闘う自由の守り手「仮面ライダー」となって。

武田康弘

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コメント

条例制定者は、根源悪 (川瀬優子+武田康弘)
2012-03-22 21:58:10

川瀬 優子

魔女狩りのようです…決め事だから??

決められた事が正しいんだと信じていたけど違うこともあるってことをタケセンから学んでま〜す!!魔女狩りに負けず頑張って欲しい!!
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武田 康弘

優子さん、コメントありがとう〜〜。

日本国憲法が定めている基本的人権(主権者である私たち市民が互いに交わした約束)、その核は19条の思想及び良心の自由ですが、これは、多数決で制限することのできない根源ルール(通常の法律の土台となるルール)です。

従って、個人の「思想及び良心の自由」を制限するルール(条例や法律など)を多数決で決めることはできません。平常時の人権制限はすべて無効である、という思想が、近代民主主義の大原則なのです。

それにより、根源ルールに反する法律や条例に対して市民は従わない権利をもちます。ガンディーの「非暴力不服従」(悪法に従わない非暴力の闘い)の根拠は、ここにあります。

橋下大阪市長と維新の会、及び、それに同調した政党は、この権限ルールを破る悪を犯したのです。それに対する教師の抵抗は、人権と民主主義の原理を守るもので、正義(人権思想という根源ルール)の闘いです。悪は、条例を制定した側にあるのです。
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警察と検察の構造悪は、民主主義を潰します。警察官の証言

2012-03-21 | 社会批評

以下は、山崎康彦さんの市民連帯mlへの投稿で、元警察官の仙波敏郎氏の報告です。
以前に警察の裏金の実態をTV(テレビ朝日)でも詳しく報じていましたが、どうしてここまで腐ってしまうのでしょうか。良心のかけらもない人々が直接の権力を行使する公務員であるとは、背筋が凍る恐怖ですし、許し難いことです。警察と検察を監視する第三者機関(オンブズマン)の設置が急がれます。

武田康弘



仙波敏郎氏が「緊急日曜勉強会」で話されたポイント

(1)日本の警察は年間3兆2000億円の予算を持ち、500名のキャリアー
が30万人のノンキャリア警察官と一般職員を支配している。

(2)キャリアが一年間に横領する「裏金」は、自分の告発以前は400億円、
現在は年間200億円。膨大な偽領収書の作成に全警察官が駆り出され てい
る。領収書の平均金額を5000円とすると、偽領収書の数は400億円で
800万枚、200億円だと400万枚となる。

(3)「警察の裏金」の大部分はキャリーアが取り、次に准キャリーアが取り、
残りをノンキャリアと一般職員が取るようになっている。警察組織全体が共犯
関係となり内部告発を許さないようにしている。

(4)2004年暮れ頃、自分が近々実名告発する事を県議員の密告で知った愛
媛県警本部の幹部は自分を呼んで「特進させてやる。好きな部署につけてやる」
という「買収工作」を行った。自分は断って退出したが、その帰り道自分を逮捕しよう
として追尾して来た自動車2台とカーチェイスを展開、上手くまくことができた。

(5)ある時、県警本部の幹部が「仙波をやれ」と部下に命令したが、自分と同期の
出世頭の幹部が「仙波を逮捕したりすれば彼は徹底的に抵抗し死者が出ます」と諌言
したため中止された。「もしも相手が私の体に触ってきたら、柔道、剣道、空手計8段、
握力65kgの私は少なくとも一人は道連れにし て自分も死ぬ覚悟だった」

(6)現職の警官は自分との接触は禁止されているが、すれ違いざまに「感謝」
の言葉を言われる場合が多い。警察官は真面目な人間が多く、彼らは 「裏金」
の存在を疎ましいと思っていて内部告発した自分に対して表立っての支持はでき
ないが共感してくれている人が多い。

(7)ヤクザからも「感謝」されたり丁寧な挨拶を受ける場合が多い。彼らは違
法行為で生計をたてる犯罪者が多いが、少なくとも刑罰を受けて服役し てい
る。一方警察は莫大な金額の公金を横領し、公文書偽造し、脱税行為をしている
のに何の刑罰も受けていない。ヤクザが自分を応援する気持ちはよ くわかる。

(8)自分の著書【現職警察官「裏金」内部告発】(講談社)は全警察官に購読
禁止令が出されているが、数万部売れてベストセラーとなっている。

(9)米国には「キーダム法」という法律があり、内部告発のお陰で公金の出費が
抑えられた場合、内部告発者に節約された税金の1/3が報奨金として支払われ
る制度があるとのこと。もしも自分告発が米国でなされたなら「警察の 裏金」
が400億円から200億円に減ったので差額の200億円の1/3約68億円が
支払われることになる。

(10)鹿児島地検は鹿児島県阿久根市前翅長竹原信一氏を追い落とす為に本気
で逮捕・起訴しようとしていた。竹原前市長は「逮捕されても留置場か ら市長
の職務を果たす」と覚悟を決めていたが、竹原市長から副市長に任命された自分
は担当の鹿児島地検3席の検事に会い「もしも竹原市長を逮捕す れば、鹿児島
地検が300万円の裏金で飲食していた事を暴露する」と言ってその動きを止めた。

(11)警察内でのセクハラは酷いものだ。警察幹部が一般職の女性をレイプし
てさんざんおもちゃにしても表沙汰にはならない。

(12)警察庁国松長官の狙撃事件が発生した時、彼が愛人か恋人かはわからないが、
「家族がいる住居ではないマンションから朝出てきた所を狙撃された」と書いた報道は
皆無だった。自分はこの事件は犯人が捕まらず時効となる、と予想したがそのとおりになった。
警察長長官の年収2000万円で8000万円の自宅マンションと8000万円の愛人か恋人かわからないが家族の住居以外のマンションをどうして買えるのか?裏金で買ったのだ。
そのマンションは一週間後に所有者名義が変更された。

(13)自分は、2004年に「警察の裏金」を実名告発した元北海道道警原田
信ニ釧路方面本部長から一度お会いしたいとの申し出を断ったことがある。何
故ならば、原田さんは警察をやめて8年間の時効が終わってから告発したのであ
り、准キャリアとして裏金にどっぷり使ってきた人だ、との思いがあったから
だった。しかし松山まで来ていただきお会いした途端「自分は何とスケールに小さい人間
だった」と痛感した。原田さんの大きな人間性に感銘し今では一緒に戦っている。

(14)松山東高校の先輩には「検察の裏金」を告発した元大阪高検公安部長の
三井環氏がいる。大先輩には正岡子規や「坂の上の雲」の秋山兄弟がいる。

(15))松山東高校の同期で「仙波敏郎さんを支える会」を結成し代表を努め
てくれ、国賠闘争や全国での講演会活動を全面的に支えてくれた盟友の 元産経
新聞記者東玲治がいる。今自分があるのは彼のおかげだと思っているが、東玲治
は2008年10月21日自宅で倒れ59歳の若さで帰らぬ人と なった。自分
は現場に立ち会ったが、便所の窓ガラスが割れている不審な状況にも拘わらず警
察官は若い研修医に「死因は狭心症だ」と強制するような 断定的な口調で言
い結局不審死扱いされず検視もされなかった。

(16)法務省は実質検察官が支配している。課長職以上のキャリアは60名。
そのうち約30名が検察官出身、10名が判事出身、20名が赤レンガ 組(法
務省生え抜き)。

(17)税関は外国人密入国や麻薬・覚せい剤密輸の捜査権がないので、捜査を
委託する検察官に猛烈な官官接待を行なっている。

▲ 仙波氏の街頭演説

同じ日(3月18日)午後に渋谷駅前で開催された「小沢一郎は無罪!街頭演説
会」で仙波氏がマイクを持って話された内容をブロガーの日々坦々さん がアッ
プしてくれましたので以下に転載させて頂きます。

http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1441.html

(以下転載)

元愛媛県警の仙波です。警察見張り番をしております。

今、日本の警察は大変なところに入っています。

検察庁も同じであります

無実の人が冤罪で刑務所に入っています。

それは全て警察の裏金が原因であります。

自分が冤罪で逮捕されて初めて警察の酷いことを知るわけです。

今、日本の警察官は約30万人、国家予算3兆2000億円です。

そのうち200億円は、管理職の懐に入っています。

皆さんの税金をねこばばしているのは日本の警察であります。

特に最近の警察官の不祥事は毎日のようにあります。

東京警視庁だけでも、王子警察署で警察官が会社の金を平気で盗んでいます。

湾岸警察のお巡りさんは、落し物のお金160万円をねこばばしております。

犯罪を検挙する捜査する日本の警察は自らが犯罪組織になっています。

そういう意味で、この小沢一郎さんの件も、全く捜査してもおかしな捜査をして
います。

証拠に基づかない捜査をしています。

現に検察庁は起訴を断念しています。

それに対して世論を煽って、記者クラブを利用して、検察審査会をあたかも正し
い組織のように欺いています。

警察の捜査に対して、もっと厳しい目で見ましょう。

自分が冤罪の被害にあって痛い目にあってからでは遅いんです。

今、私は警察見張り番をしておりますが、その中でいろいろな利権に絡むことが
世の中まかり通っています。

原発のガレキの処理もそうです

阪神大震災では1トンあたり2万円で処理できました。

東北大震災では6万円のお金が動いています。

放射能に汚染されたものを各地で処理をする。全て利権絡みです。

皆さん、この世の中のこの動きを、もっと厳しく見なければ、皆さんが被害にあ
います。

どうか、警察の数々の不祥事を見過ごすことなく、厳しい目で監視をしなければ
なりません。

これからもいろいろ厳しいことがありますけれども、どうか皆さん、警察の不正
な捜査に対して、

それをまた、当たり前のように報道する記者クラブの記事に対して、それを全て
真実と思わないでください。

日本の警察は、もう大変なところまで落ちてしまっています。

その中にいた当人が言うんですから、

本当に裏金にどっぷり浸かってしまった警察組織に対して、皆さんがNO、ダメだ
と言わなければいつまでも続きます。

警察の実体をもっと皆さん知りましょう。

そして、ほんとに正しい者が認められるような、そういう社会を作っていきたい
と思って、警察見張り番を立ち上げました。

どうか皆さん、警察の動き、検察の動きを他人事のように思わないでください。

明日は我が身です。

突然、犯人に仕立て上げられて刑務所に行く可能性もほんとに沢山あります。

先日の放火殺人の事件も、証拠捏造の可能性がたくさんあります。

世の中ではたくさん、捏造で無理に罪を着せられて、刑務所に行った方も沢山い
ます。

どうか、警察の動きに対して厳しい目を向けていただくようお願い致します。

よろしくお願い致します。

(転載終わり)


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うーん、この差は・・わが小沢征爾とシャルル・ミンシュのベルリオーズ

2012-03-18 | 趣味

わたしは、高校生2年生の頃から40年以上にわたってベルリオーズの音楽を愛聴してきました。MIXIに『ベルリオーズの世界』というコミュをつくってもいます。

わたしは、高校生のころから若き小沢征爾のファンで、彼の書いた『ぼくの音楽武者修行』(音楽の友社刊・現在は新潮文庫)は、わたしの私塾『白樺教育館・ソクラテス教室』(当時の名称は『我孫子児童教室』)で、教材として使っていました。30年以上前のことですが。

斉藤秀雄にほとんどマンツーマンで指導された小沢征爾については、今では(小沢を徹底的に排除してきたNHKが、小沢とサイトウキネンの実力と名声に屈し、放映するようになって十数年以上経ちますので)一般にもよく知られるようになりましたが、若き小沢が最も尊敬していたのが、シャルル・ミンシュです。彼はフランス人で、大きく豊かで艶と迫力のある演奏をし、ボストン交響楽団の黄金時代を築いた指揮者です。

シャルル・ミンシュは、ベルリオーズ(ロマン溢れる想像力そのもののような曲をつくったフランスの天才作曲家)演奏の大家でしたが、小沢も師と同じくベルリオーズを得意とし、ベルリオーズの全集録音にも取り組みました(レコード会社の都合で完成には至りませんでしたが)。わたしも「幻想交響曲」の1回目の録音からLPを買い、聴いてきました。ロメオとジュリエット、ファウストの劫罰、レクイエム、ベンヴェヌート・チェッリーニ、生演奏ではテデウムなども。

確かに小沢のベルリオーズの演奏は、西洋の音楽家とは違い、独特の美質(繊細さ・正確さ・清い迫力)を持つもので、それなりに優れたものとは感じていましたが、ほんとうに感動するというレベルにはなく、小沢を応援しつつも不満でした。もちろん、指揮者・音楽家としての小沢の優秀さは(ベルリーズの演奏に限定された話ではなく)現在よくマスコミに登場する佐渡裕(芸術というより部活のようなノリの音楽)とは比較になりません。また、彼の率いるサイトウキネンオーメストラは、色気も覇気もないNHK交響楽団とは比べ物にならぬほど優れています。

――――――――

この度、小沢の得意とするベルリオーズの幻想交響曲(2010年のカーネギーホールのライブ)を購入しました。小沢の新録音を聴くのは久しぶりです。
どんなかな?楽しみ〜〜。
オケは、サイトウキネンで、ニューヨークで大絶賛された演奏です。一楽章から気合十分。弦楽器の絹のような美しさも彼らならではのもので、終楽章の盛り上げも見事でしたが、しかし、ミンシュ(ボストン響、パリ管のCD)やクリュイタンス(1964年の東京公演のCD)の演奏を聴いているわたしは、正直、落胆しました。以前と同じ演奏です。

ミンシュやクリュイタンスではなく、いまの指揮者のものと比べればよいほうではあるので、比較する相手が悪いと言えばそれまでなのですが、どうにも、色がありません。整っていますし、上手ですし、一糸乱れぬ演奏ですが、艶が不足で色がない。豊かさに乏しく、感動が浅いのです。なにしろ決定的なのは、ベルリオーズなのに、依然として線としての表現で、面としての広がりがありません。うむーー。

もしかしてわたしの思い違いかな、と思い、
ミンシュボストン響の1962年のスタジオ録音盤を聴いて見ました。うーーん、これは違いすぎ、差があり過ぎ、音楽の豊かさがケタ違い。ミンシュの演奏で聴くと、美しい色が空間(部屋)いっぱいに広がり、艶やか。よい香りが充満します。美しく大きな壁画を見るようで、心と感覚が大満足。もう呆れるほどの違いです。

この差は、わたしにいろいろなことを感じさせ、考えさせました。

ほんとうに豊かで充実した生のためには何が必要なのか。
頭と心と身体の全体を有機的に連関させるためにはどうするか。
世界を「色づかせる」ための条件はなにか。


武田康弘
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『君が代』を歌わない日本人は、非国民=反道徳者=悪人。国家が個人を統制するのは当然だ!?

2012-03-13 | 社会思想

国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェック

読売新聞 3月13日(火)7時52分配信

 大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかった。

 口が動いていなかった教員のうち、1人が歌わなかったと認め、府教委が処分を検討している。国歌起立条例を提案した地域政党・大阪維新の会代表、橋下徹・大阪市長は「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛。しかし、その徹底ぶりに反発もある。

 同条例の成立を受け、府教委は府立学校全教職員に、起立斉唱を求める職務命令を出していた。和泉高の中原徹校長によると、今月2日の卒業式では、教頭らが教職員約60人の国歌斉唱時の口の動きをチェック。その結果、3人の口が動いていないとして、個別に校長室に呼び、1人が「起立だけでいいと思った」と不斉唱を認めたという。 最終更新:3月13日(火)7時52分


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日本の伝統、明治の偉大な天皇陛下に捧げられた「君が代」は、いま、法律で「国歌」として定められている。したがって、これを歌わない人を監視し、取り締まるのは当然である。

日本が国家である限り、日本に住む人は、国旗である「日の丸」に敬礼し、国歌である「君が代」をしっかり歌なければならない。これは、全国民に課せられた責務である。それを果たさない者は、まさに非国民であり、日本人ではない。

以上の日本国家の思想に反する考えを持つ者には、再教育が必要である。再教育でも直らない場合は、職を奪い、非国民として扱う。これによって、日本人としての絆を深め、強め、「心正しき日本人」と「美しい日本、強い日本」をつくる。そのためには、学校教育の場で「正しい思想」を教えなくてはならない。日本の【伝統】は天皇制であるから、天皇を敬うことは、教育者の絶対条件である。教員採用にあたっては、その点を最も重視しなければならない。組合をつくるような教員は、教員失格であり、直ちに辞めさせる。

日本国家あっての個人であり、日本に対しての義務を果たさない者は、道徳に反する者である。お国のため=天皇陛下のおられるこの国の悠久の歴史のために散っていった特攻隊員たちの意思を知り、それに報いる気持ちのない者であってはならない。「君が代」を歌わない反道徳教師=日教組は、日本と日本人の敵である。彼らを根絶やしにするために、全国民は一つになろう。

「日の丸」の旗に敬礼しない者・「君が代」の歌を歌わない者は、【日本人失格】(「売国奴」)であり、罰が与えられる。信教の自由、思想の自由、良心の自由とは、「君が代」を歌う者だけに与えられる権利である。歌わない人間に人権はない。

ということのようです。クワバラくわばら、橋下さんが通る。安倍さんが通る。

いよいよわが日本も北朝鮮の仲間入りのようですね。
天皇陛下万歳!君が代万歳!日本チャチャチャ。


武田康弘


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コメント

誰のための天皇制 (はりやー)
2012-03-15 11:23:29

今の天皇が「「(教育現場において、国旗・国歌は)強制になるというようなことでないほうが望ましい」と米長都教育委員長に言ったのをメディアも政治家も忘れちゃったんでしょうね

先日の被災者慰霊式での天皇の言葉の中で福島原発に関する部分を
生放送では流したがNHKや民法はその後のニュースで流さなかったそうです

天皇陛下とローマ法王の脱原発発言
http://tanakaryusaku.jp/2012/03/0003879

天皇制は固持するけど
天皇の言葉を聞こうとしない
今の政府や政治家、メディア
誰の為の天皇制なんでしょうね‥と思います

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天皇制は足かせになっています。 (武田康弘)
2012-03-15 14:34:46

はりやーさん
コメントありがとう。

歴史的には、時々の権力を聖化するのが、【天皇】という存在の意味であったわけですが、主権在民の社会になったいま、権力はわれわれ市民・国民のものなので、天皇が政府を聖化するというのは、おかしな話で意味不明です。
日本は「一神教」の国ではなく、知恵の宗教である仏教国ですから、儀式が必要ならば、各自の対等性と自由に基づく水平的・ネット的なものとすべきですね。
「世俗を超越した存在の下に」、という思考・方法は、わが国の民の伝統とは逆のもので、日本には適しませんし、未来の世界を拓くためにも有害です。
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「心から出て、心に還る」 斎藤秀雄

2012-03-09 | メール・往復書簡

以下は、ある方への手紙(メール)の一部です。



小沢征爾らの先生の斉藤秀雄(彼を記念して結成されたのがサイトウキネンオーケストラ)は、
いつもいつも「心で歌え!心で歌え!」と生徒たちに言い、
音楽も人生も、「心から出て心に還る」、と話したとのことです。

確かに、
カタチー形式ではなく、
内容―心の豊かさ・深さが
人の生きる価値であり、ほんらいの人生というものです。

勝ち負けや外見的な美や世間的評価(有名か無名)に従う人生は、人生の「内容が貧しい」としか言えません。
真善美に憧れつつ生きるというのが「よき生・優れた生」であることは、哲学の実践的な勉強会に長年通われている○○さんは、よく御存じのことと思います。

人間の生は、真善美に憧れつつ生きるという次元と、
現実的な次元(利害・得失)をもちますが、
それは、平面的にふたつが並んでいるのではなく、立体的なものです。

人が生きる目的は、よろこびの世界を拓き享受すること=ロマン的・理念的世界の開発(真善美への憧れに基づく)ですが、
それを支える手段としての現実次元をもち、
この両者が立体的に一体化してはじめて人間の「人間としての生」は成立するのですね。

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武田康弘
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刷り込まれた「倣欧侵亜」(金泰昌)的な発想

2012-03-08 | 社会思想

 「現在も大多数の日本人が何かのきっかけがあるたびに、アジア差別的な言辞を弄しながらもそれがもたらす精神的・身体的傷口や苦痛に対しては、ほとんど無頓着・非関与であるというのも、「倣欧侵亜」(欧米にものまねならったうえでのアジアへの侵略)的なメンタリティが未だに清算されていないから、というのがわたしの生活体験的実感です。日本人の意識内在的な原風景には、常にはるか遠くて高い彼方に実在する他者としてのヨーロッパへとアメリカへの憧憬と従属、そして時代と状況の成り行きに応じて、勝手に同化したり排斥したりする都合上の他者でしかないアジアに対する横柄と傲慢が同居しています。」(金泰昌キムテチャン著『公共哲学を語り合う』東京大学出版会刊)

わたしは、【公共】についての考え方で金泰昌さんとは厳しく論議を交わした者であり、彼の「公共哲学」にはまったく与しませんが、上記の横柄と傲慢という日本人のメンタリティの指摘は、まことに正しいと思います。われわれ日本人は、長い間に刷り込まれている「倣欧侵亜」的な発想(それは身体化されてしまっている)を自覚し、深く反省しなければ、未来は開けないでしょう。対等で内容的な相互性が希薄で、他者を利用可能性として見る人であっては、友情も愛情もみな見せかけだけのウソに過ぎません。ぞっとするほどイヤラシイことです。


武田康弘
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「人間の貧困」   外的価値の支配=生きている意味がない

2012-03-07 | 恋知(哲学)

遠くを見る、沈思する習慣を持てない人は、
即物的な現実主義(勝負・金銭・外的価値が目的)に陥り、
眼の前の現実をよく見、深く知ることができない。

心=内面世界が希薄となり、「人間の貧困」となる。

ただ、技術(やり方)と情報があるばかりだと
勝ち負け主義に陥り、
上位者か下位者か、有名か無名か、を評価基準とするしかない哀れな人生となる。
人間が昆虫化していく。

本質的に愚かで
豊かな愛の発露がなく
内的世界が希薄であっては
悦び、輝き、艶のない人にしかなれない。

それでは、生きている意味が消えてしまう。


武田康弘
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『18枚の写真でみる白樺教育館』をアップ

2012-02-28 | 恋知(哲学)

白樺教育館のホームページに、『18枚の写真でみる白樺教育館』をアップしましたので、ぜひご覧ください。

なお、pdfファイルでご覧になると、とても綺麗です。

外面的な美・金満的な豪華ではなく、
内側からのよさと美しさ、人間味豊かなよさと美しさ、という意味でのお洒落な空間を、
安全性の高い堅ろうな建造物としてつくる。
それがわたしの根本理念でした。

受験主義というツマラナイ勉学(頭が悪くなる)ではなく、意味をつかむ有用な勉学、内発的で豊かな人間力を目がける『白樺教育館』の営みを、視覚的にも感じられるようにと思い、18枚の写真集としました。

武田康弘











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国家主義(天皇尊敬)の教育を進めるために「維新の会」と安倍元首相が連携。

2012-02-27 | 社会批評

いよいよ、元首相の安倍氏は、大阪の『維新の会』と連携し、【天皇中心思想に基づく国家主義教育】を目指すとのニュースが流れました。

以下は、安倍氏の主張ですが、山県有朋らの明治の保守政治家がつくった「近代天皇制=国体思想」の焼き直しです。

「日本の歴史は、天皇を縦糸として織られてきた長大なタスペトリーだ。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。・・一つの家系が千年以上の長きにわたって続いてきたのは、奇跡的としかいいようがない。・・特攻隊の若者たちは、自らの死を意味あるものとし、自らの生を永遠のものにしようとする意思もあった。それを可能とするものが大義に殉ずることではなかったか。彼らは「公」の場で発言する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。」(安倍晋三著『美しい国へ』)

そして、彼の思想に合うように教育を改革するために、教科書を変える、と主張します。

安倍氏のこの本(文春新書)は、『靖国神社』の売店に平積で売られていたのですが、同じく売店の一番前にうず高く積まれていたパンフレット『靖国神社を考える』(小堀桂一郎=東京大学名誉教授)には、以下のように記載されています。

 「『私』というものを『公』に捧げて、遂には命までも捧げて『公』を守るという精神、これが『忠』の意味です。この『忠』という精神こそが、日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力にあたるものだろうと思います。ですから、『私』という存在を『公』の為に捧げて働き、遂に命までも捧げて『公』を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場でから考えますと、やはり天皇の為に忠義を尽くして斃れた人々の霊であるということでよいと思います。
 出征する兵士たちにとっては、自分たちがたとえ戦死してもあのお社(靖国神社)にまつっていただける。あのお社は天皇陛下も御神拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったというだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。・・・国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。」(小堀桂一郎)


また、安倍氏のブレーンの中心者である八木秀次氏は、ちくま新書の『反「人権」宣言』で次のように書いています。

 「人権の概念に本来的に欠けている、歴史・伝統・宗教・共同体といった要素、に目を向けて、それらに照らし合わせて自己の主張の妥当性を検証してみなければならない。・・わたしたちは、道徳教育なき「人権」教育に邁進してきた。そのために今日、社会が荒廃し、液状化を招いたのだと気付くべきではないだろうか。
 私たちはもう「人権」という言葉に怯える必要はない、・・「人権」という言葉に惑わされることなく、それぞれの主張の妥当性を歴史や伝統に根差した知恵、我々の社会の道徳や倫理、共同体における相互の人間関係、これらを総合化したものという意味での『国民の常識』に照らし合わせて個々具体的に判断すればよいのである。
 本書がその書名を「反『人権』宣言」としたのは、そのような意味で今日の私たちが「人権」の呪縛から解放され、【国民の常識】に還るべきことを説くためである。」(八木秀次)



上記の彼らの思想(国体主義)を知れば、彼らが、明治天皇に捧げられた『君が代』を歌うことを執拗に強制する理由がよく分かります。わたしたちふつうの市民は、彼らのアナクロニズムの国家主義を終わらせ、「一人ひとりの人間存在の対等性」と「一人ひとりの自由と責任」を前提とする【人権思想】を深める教育を進めるために、【非暴力不服従の闘い】を開始しようではありませんか。わたしは、「愚か者」たちによる支配を許さないために、断固として不退転で闘います。


武田康弘
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どうして天皇だけが特別?人間は誰もが対等な存在であるはずです。

2012-02-23 | 恋知(哲学)

わたしは、天皇制には明確に反対です。
千代田区に生まれ育ったわたしは、日本人として、よき日本をつくるために、天皇制はだんだん弱めていくべきだ、という考えを少年時代からずっと持ち続けてきました。

したがって、明治天皇(現人神)に捧げられた『君が代』は、主権者が国民に変った日本の国歌としては適さないと確信していますので、歌いません。(国歌は「さくら」か「故郷」がよい)
半世紀前ですが、わたしの通った小学校(越境入学で文京区の誠之小学校)でも、『君が代』は歌いませんでした。民主主義の考えとあわないから、という説明がありましたが、小学生のわたしは、深く納得して、その通りと思いました。

生まれながらにして特別な敬語で遇される存在が正当だというならば、人間は生まれながらにして対等で自由な存在である、という人類がつくった最良の思想と制度=人権思想を絶対の基盤とする民主主義は影が薄くなり、ボヤケテしまいます。

わたしは、一人の人間としての天皇や皇室の人々に対してイヤな感情をもってはいません。みなの税金(天皇家の生活費は年6億円)で生活している一家は、個人の自由がなく、気の毒だな、と同情しています。ダメだ、と確信しているのは、天皇制という制度=精神風土です。

わたしにとっての至高の価値は、【哲学でいう「自己の良心」であり、釈迦の言う「自己帰依・法帰依」】です。外にある制度や他人ではありません。外なる価値を絶対化する精神風土こそが、個人としての人間を幸せにしない元凶なのです。


武田康弘
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「一神教」でも「世俗主義」でもなく、「恋知(納得)の生」こそが価値です。

2012-02-21 | 恋知(哲学)

1.キリスト教やイスラム教のような唯一絶対の神へ帰依をする「一神教」。
オウム教や天皇教のように生きている人間を神格化する「歪んだ一神教」
に基づく生き方。

2.世俗の価値意識―外的価値(東大信仰に象徴される「東大病」―知識量・財産量・履歴量を競うことが人生だとする所有主義)に基づく人生。

どちらもよくないな〜〜〜、と昔からわたしは思ってきました。というより、ずっと【確信】してきました。


他者に従うのではなく、【私】の内奥に深い納得がもたらされる考えと生き方をしたい、それが少年時代からのわたしの思いでした。それを「恋知(哲学)の生」と呼びます。わたしは、その生き方・考え方には、深く大きな普遍性がある、という不動の確信を持ち続けてきました。

わたしは、教育を仕事とする哲学者ですが、その理念は、一人ひとりが自分自身の座標軸をもてるように=みなが恋知者(哲学者)になれるように、というものです。すでに35年が経ちました。

知歴財の【所有】競争から、【存在】のよさ(魅力)を価値とする生き方への転換ーー
ーーこれは、日本のみならず、これからの人類が最も必要とする考え方=生き方であるはずです。
われわれ人類の生き方・価値観のコペルニクス的転回が求められるはず、それがわたしの確信です。

権力や権威という外的価値に頼る人間は、害毒をまき散らす存在でしかなく、それらを必要とする【「私」=内面世界の乏しい人間】には、存在のよさ(魅力)がありません。


武田康弘
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