漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

羊と鋼の森

2017年11月04日 | 読書録
「羊と鋼の森」 宮下奈都著 文藝春秋刊

を読む。

 本屋大賞受賞作。ピアノが趣味の妻が、「わたしは結構面白かった」と言うので、読んでみた。
 「羊と鋼の森」というのは、ピアノのことである。正確に言えば、ピアノの内部。鋼はピアノ線、羊は、そのピアノ線を打つハンマーのこと。森というのは、ピアノの内部を包み込む、ボディのこと。ピアノという楽器にさほど興味のない人はあまり考えたことがないかもしれないが、ピアノという楽器は、打楽器(正確には打弦楽器)。簡単に言えば、張られたピアノ線を、羊毛の張られたハンマーが打って、それが響板に反響して大きな音が鳴るわけである。音を増幅する響板は換えのきかない心臓部だが、いわば消耗品であるピアノ線とハンマーは音色を決める大事な部分であり、定期的な調律が必要になる。この小説は、そのピアノの調律を行う、調律師の物語である。
 物語のあらすじは、だいたい次のようなもの。
 主人公の外村は、高校生のとき、偶然体育館兼講堂の片隅にあったピアノの調律にやってきた天才的な調律師、板鳥の仕事を見て、感銘を受ける。戸村は、ピアノの中に羊と鋼の森を感じたのだ。それはどこか彼の育った北海道の森にも似ていた。高校を出た彼は、調律師になるための勉強を始め、板鳥の職場に就職をする。そこで彼は、様々な人やピアノと出会い、成長してゆく。
 特に目新しいものでもないけれども、爽やかで面白かったし、なにより日本語が丁寧だという印象を受けた。最近、かなり読みにくい翻訳書ばかりを読んでいたから(翻訳が下手という意味ではありません)、余計にそう思ったのかもしれない。
 それにしても、調律でそれほど大きな違いが出るものなのだろうか。妻に聞いてみると、「お気に入りの調律師がいる演奏家はいくらでもいるし、ここに書かれているほど繊細なことまではわからないけれど、人によって当たり外れがあるのは確か」ということ。例えば以前に妻が弾いていたアップライトのピアノは、調律師が変わって、「このピアノはこんないい音が出るんだ」と驚くほど変わったという。この物語に出てくるような、天才的な調律師というものが存在するのかどうか、それはわからないけれど、やはりどの世界にも、いい仕事をする人とそうでない人はいるということは確かなのだろう。
 妻は、このタイトルを見ただけで、すぐにピアノのことだとわかったらしい。すごく良くわかる、と言う。ぼくは、ピアノといえば、学校にあったグランドピアノの内部を思い出す。ぼくはそこに、羊と鋼の森は見なかった。ものすごくメカニックなものを感じた。同時に、ところどころに色がついていて、ちょっと人体模型のようだとも思った。