漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

一色海岸

2006年09月29日 | 三浦半島・湘南逍遥


 今日は久々に平日の休み。
 それで、夏の喧騒が過ぎ去った葉山に、一人で出かけることにした。
 夏は、喧騒と、交通渋滞で、ちょっと近寄る気になれない場所だが、秋には本当に素敵な場所だ。

 森戸海岸から長者ヶ埼まで歩く。
 写真は、一色海岸。
 おそらく、三浦半島で最も美しく、ゆったりとした砂浜。
 陽が傾き、空の青さが次第に深くなってくる時間には、郷愁に包まれて、ちょっとこみ上げてくるものがあるほど。

 ここで、ちょっと泳いだ。



 写真が、一色海岸と長者ヶ埼海岸の間にある岩礁の辺りで撮影したもの。これで、沖合い50メートルくらい。
 もっといろいろと撮るものもあっただろうという感じなのだが、曇っていたこともあって、いや、本当は腕が悪いせいなのだろうが、あんまりよい写真が撮れなかった。海鳥がいっぱいいて、何かを探している感じだったので、期待したのだけれど、実際は、まあ、それほどいろいろある感じでもなかった。フグがやたらと多くて、行灯くらげも結構出ていた(後でちょっと入ってみた長者ヶ埼などは、かなり大量発生していたようだ。壁のように立ちはだかる行灯クラゲの群れに、避けるのが面倒になって、すぐに止めてしまった)。あと、警官が、ずっと見ていたしね。ちょっと落ち着かなかったせいもあるかもしれない、と言い訳。

日本怪奇小説傑作集

2006年09月28日 | 読書録
 「日本怪奇小説傑作集」 創元推理文庫
  
 の第2集と第3集を、相次いで読了しました。

 感想なのですが、
 第一集に比べると、多少読み応えに欠ける部分はありましたが、アンソロジーとしては、一応の決定版なのではないかという気がします。

 もう少し、詳しく感想を書きます。

 第二集の方は、全体にどれも似たような作品ばかりで、珍しくもなく、残念ながら、これという作品が殆どありませんでした。もし僕が選者なら、外しただろう作品が大半です。
 ただ、中では三島由紀夫の「復讐」が、頭ひとつ飛びぬけていました。僕は三島由紀夫の作品は、殆ど読まないので、こういう機会でもなければ、この作品を読むこともなかったでしょう。そういう意味では、よい機会でした。後は、幸田露伴は定番として、山田風太郎の喜劇的な悪趣味はやはり目立つし、山本周五郎も悪くありませんでした。

 代わって、第三集の方は、どれもまさに定番の名に相応しい名品揃いでした。ただ、それだけに、この中に収録されている作品の三分の二くらいは、実は僕は既読なんですよね。それでも、再読して、改めてよい作品だという確認が出来たのは、良かった。
 久々に再読して、改めてすごい小説だと思ったのは、星新一の「門のある家」。これはちょっとすごいですよね。小松左京の「くだんのはは」も、再読でしたが、以前は気にしなかった部分に感心したりして、新たな発見がありました。
 あと、今回初めて知った作家なのですが、荒木良一という作家の「名笛秘曲」は、例えばマルケスの「百年の孤独」のような、クロニクルの形式をとる長大な小説の中の一挿話として出てきそうな作品でしたが、その淡々とした筆致がよいと思いました。
 第二集の方は、怪奇小説の入門編としては勧めかねますが、第三集は、現代の怪奇小説のアンソロジーとしては、とてもよいと思います。

僕は天使ぢゃないよ

2006年09月27日 | 雑記


 青梅で、あがた森魚監督作品「僕は天使ぢゃないよ」の看板を見つけました。



 サイン入りです。

 でも、僕はこの映画、見てないんですよね。
 いつか見ようとおもいつつ、今まで来てしまっています。
 でも、「オートバイ少女」なら、見ました。
 あまり面白くなかった けど。

GOOD MORNING TOKYO

2006年09月26日 | 消え行くもの
 J-WAVEの朝の番組、「GOOD MORNING TOKYO」のパーソナリティ、ジョン・カビラさんが、今週をもって降板し、長い旅に出るという。この番組だけではなく、全てのレギュラー番組を降板するらしい。
 途中、一年間ほど番組を離れていたことはあったものの、長い間にわたっての早朝の番組は、大変だっただろう。僕にしても、もう十年以上も聞いている番組だったから、来月からあの異様なテンションが聴けなくなると思うと、寂しい。
 十年ほど前の、阪神淡路大震災のときも、ラジオに釘付けになって、聴いていた。それから結婚し、子供が生まれ、いろいろあったけれど、毎朝聞きつづけていた番組だ。
 どうしてなのだろうと思う。ラジオのパーソナリティが降板すると聞くと、とても寂しくなる。ラジオは、大抵、片手間に聴いている。それだからこそ、聞いていた時の状況や気持ちが、拭いがたく染み付いてしまうのだろうか。学生の頃、ラジオの深夜放送を聴きながら、夜明けなんて来なけりゃいいのにと思っていた頃のことを思い出す。真夜中の、ひんやりとした空気を思い出す。
 柔らかい寂しさのせいだろうか、どこかへ行かなければという気分になる。僕も、ここからどこかへ。そんな気分が、ふと襲ってくる。

猫かいぐり公園

2006年09月24日 | 

 青梅に出かけてました。
 青梅は、たまに行くのですが、街全体が昭和レトロを演出していて、なかなか楽しめる場所です。駅から少し歩くだけで、山も川もあるし、一日遊べます。
 
 写真は、青梅駅から東へ少し歩いたところにある、
 「猫かいぐり公園」。
 とてもちいさな、可愛い公園で、よく見ると、細かい芸が満載です。



 猫かいぐり公園の、塀の上の針金猫。

 この公園の周辺も、同じ人の手による、というか、プロデュース?による看板などが多数あります。
 この場所から、北の方へ少し歩いた場所に喫茶店があるのですが、なかなか個性的な店で、名前は「夏への扉」。当然、ハインラインの小説からとったものと思われます。そう、あの小説の中には「ピート」という猫が、重要な登場猫でしたね。
 喫茶店は、ギャラリーのようなこともやっているようなので、「猫かいぐり公園」は、ここのオーナーの手によるものなのかもしれません。あるいは、知り合いとか。



 喫茶店の、看板のひとつです。

給水塔

2006年09月23日 | 記憶の扉

 子供の頃から、給水塔に目を惹かれる。
 僕の記憶の中には、いくつもの給水塔がある気がする。

 写真は、近所の団地の給水塔。
 古くなって、錆が浮いていて、下の方では補強もされている。
 
 給水塔は、物言わずじっと佇んでいる、「古の巨人のようなもの」のようだ。

背骨のない階段

2006年09月21日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
背骨のない階段をのぼってゆく
背骨のない階段は揺れる
背骨のない階段はしなる
ゆれてしなって静かになる
元に戻ったのかどうかはわからないけれど

背骨のない階段をのぼる
階段が揺れるたびに
のぼっているのか降りているのかわからなくなる
それとも左へむかっているのか
あるいは右へ向かっているのか

丸い灯りが灯っている
そちらが多分上だろう
そう思うのだが
灯りは階段から伸びていて
まったく何の目安にもなりはしない

背骨のない階段は生暖かい
そして柔らかいが
滑らせた指が時々絡まる
どこかから
薄紫色の匂いがする

真鶴の海中

2006年09月20日 | 三浦半島・湘南逍遥

 真鶴の海中。
 本当は、もっと懐の深い海なのですが、先日はこれが撮影できる精一杯でした。
 これで、だいたい、水深5メートルくらいかな。
 もう少し沖のほうにゆくと、急に深くなって、その辺りでは大型の魚や、ウツボなどが沢山いました。
 次は、体調を整えて、もっと深い場所から撮影したいですね。

クリムト

2006年09月19日 | 雑記
 先日、駅などにあるフリーペーパーで、近く「クリムト」という映画が、ジョン・マルコヴィッチ主演で公開されるということを知った。
 何故今クリムトなのかはわからないけれど、先日seedsbookさんのブログでクノップフの話題などが出ていたので、印象に残った。
 僕は、クノップフなどのベルギー象徴派の展覧会に出かけたとき、クノップフの風景画はいいなと思ったものの、他の作家の作品があまりに少女趣味に見えて、肩透かしをくらったのだが、ことさらそう感じたのは、多分、ベルギー象徴派に、クリムトのレベルを期待していたせいだと思う。クリムトは、それほど強烈だった。
 クリムトの絵の実物を初めて観たのは、クリムトとシーレを中心としたフランス世紀末絵画の展覧会だったのだが、その時、僕は本当はシーレの作品が目的で足を運んだのだ。だが、実際に展覧会を見て、強烈な印象を残したのは、クリムトの方だった。
 勿論、クリムトの絵は、印刷物で何度も目にしている。だが、実物の迫力は全く次元が違った。
 まずサイズに驚いたし、何より、画面の後ろにある何かが、透けて見えてくるようで、恐ろしかった。ただ耽美と言ってしまうには言葉が足りないような、何と言うか、薄気味悪さと、女性の体臭まで漂ってくるようなリアリティに、言葉が無かった。一言で言えば、得体が知れなかった。
 僕はクリムトの生涯について、殆ど何も知らない。だけど、こんな絵を描くのだから、多分、目の前のものを全て飲み込まずにはいられない人だったのだろうということは見当がつく。映画、観てみたいと思う。

いせや

2006年09月15日 | 雑記
 吉祥寺の老舗焼き鳥屋「いせや総本店」が、改装されることになりました。
 「吉祥寺の守り神」的存在だった同店は、今月中には閉店して、跡地にはビルが建つようです。もちろんその中には「いせや」は入るのですが、やはり残念な気がしますね。改装されるのは、当面は吉祥寺通りに面した本店だけですが、いずれは井の頭公園口店も改装されるとか。
 写真は、公園口店。
 今日、この話題がラジオJ-WAVEの朝番組「ブームタウン」でちょっと取り上げられていて、思わず帰りに寄ってきました。

 「いせや」本店といえば、以前もとりあげた吾妻ひでおさんの「うつうつひでお日記」に、この店はアル中の間では鬼門として有名だということが載っていました。何でも、「いせや」が、断酒会の会合場所である教会に行く途中にあるせいだとか。以下にその部分を少し引用。

あまたのアル中がこの店に引っかかり、焼き鳥とウーロン茶を頼もうとして、
『ネギマとレバーとウーロン・・・・ハイ』
って飲んじゃって、次々と沈没してゆくのだった。
アル中仲間の間では、『いせやスリップ』と言い伝えられ有名だった。

 なるほど、いい匂いだものねえ。前を通りかかったら、確かに寄りたくなりますよね。

 

マイライフ・アズ・ア・ドッグ

2006年09月13日 | 映画
 先月から、今月いっぱいまで、宇宙飛行士の野口聡一さんのブログが、J-WAVEの特設ブログとして開設されています。
 サイトはこちら
 本当は先月だけの限定だったのですが、野口さんが結構乗り気になってきたらしく、一ヶ月延長ということになりました。
 先日のスペースシャトルの打ち上げなども、詳しく実況してくれていたりして、好きな人にはたまらないブログになっています。
 このブログの中で、「いぬのせいかつ」と題して、旧ソ連での宇宙飛行実験に使われてたライカ犬について、解説がありました。
 くわしくは読んでいただくとして、この記事を読んで僕が思い出したのは、昔、日比谷で見た映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」。
 この映画が僕は大好きで、今でも好きな映画を挙げるなら、多分、五本の指に入ります。
 あの映画の中で、主人公は何度も「僕はあのライカ犬よりは幸せだ」と呟くのですが、そうか、ちゃんと帰ってきたライカ犬もいたんですね。初めて知りました。

七枚綴りの絵/六枚目の絵/土手での邂逅・1

2006年09月12日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 土手の上の長い道を、涙を堪えながら歩いていた。けれども、歩くにつれて次第に我慢が出来なくなって、涙が流れてきた。涙は頬を伝って、顎から粒になって滴った。それでも、口から静かに息をしながら、声を出さないように懸命に堪えて、歩いた。右手の方で、川の光が、時々ちらちらと揺れた。目の端で捉えたその光が、とても瑞々しくて、頬を伝って流れている涙のようだった。
 遠くから音が聞こえていた。祭囃子の音だった。鎮守の杜の、秋祭りの音。賑やかで、儚くて、近いのに遠いような音。僕はその音を背中に聞きながら、たった一人で、土手の道をずっと歩いていた。
 さっきまで僕はあの祭りの環の中にいたのだ、と思った。でも、こうして一人で泣きながら歩いていると、それが信じられないくらいに遠いことのように思えた。軌道からはぐれた惑星のように、どこまでも孤独になったように感じた。川の向こうに見える明かりを見詰めながら、「あれは星、あれは星、あれも星」と、頭の中で呟いた。それから、僕も星なのだと思った。僕たちは離れて行くばかりで、交わることはないのだと思った。どこか遠くから、祭囃子の音に混じって、ゆっくりと揺れるような低い音がしているような気がした。その音に耳を傾けているうちに、また涙が溢れてきた。
 「どうしてお兄ちゃんらしく振舞えないの!」という母の怒声が耳の奥でまだ鳴っていた。そしてそれ以上に、その母の言葉に思わず弟を強く押して倒してしまった時の、弟の引き裂かれたような鳴き声が、耳に響いていた。
 母は僕を平手で叩き、弟を抱き起こした。でも、これは絶対に弟の方が悪い、と僕は思った。僕は年上だから、何度も譲歩した。でも、弟は僕が何て言っても、聞き入れやしなかった。だから、こんなことになったんだ。悔しかった。そのことを汲み取ってくれなかった母に対して、腹立たしかった。悔しくて悲しくて、それで、こみ上げてくるものを飼いならすために、その場から走り去った。心のどこかで、母が後を追いかけて来てくれることを望んでいたが、母は動かなかった。僕は人々に逆らって走り、土手に向かった。時々、僕のことをじっと目で追っている人もいた。恥ずかしくて、僕は殆ど顔を上げずに、人気の無い方を選んで走った。そして、気が付いた時には僕は土手を歩いていた。
 この土手に沿って、いや、この川に沿って、何処までも歩いて行けば、いつかは海に辿り着くんだろうなと思った。どれだけの距離があるのかわからないけれど、それでも川は海に向かっているのだから、それは絶対なんだと思った。昔、叔父さんがそんな話をしてくれたことがある。もし山で遭難したら、川に沿って歩くといい。川はいつかは郷へ向かうから。そして川は、そのままずっと先では海へ注ぎ込むんだと。歩きながら、僕は川を覗き込んだ。川の水は黒くて、緩やかに翻る生き物のようだった。
 虫の声がしていた。澄んだ響きが、辺りで跳ねていた。まだ、宵になっても、歩いていると汗ばむほど暑いのに、確実に夏が終わって秋になってきているんだと思った。チリリチリリという、虫の音を聞きながら、僕はどこまでも歩いて行こうと思った。不安で悲しい気持ちになんて、負けたくなかったから。
 そうしてどのくらい歩いただろう。星の光が空で瞬いていて、虫の声が跳ねていて、川の向こうでは少しづつ街の灯りが移り変わっていった。気が付くと、僕の歩く速さは、少しづつ遅くなっていた。不安と怒りと寂しさで、張り裂けそうだった。自分でもどうしたらよいのか、わからなかった。それでも、足を止めることは出来なかった。誰かが追いかけてきてくれないか。悔しいからそんな気持ちが沸き起こるたびに、頭を振って、打ち消した。そして、僕はこの場所から遠く離れた場所で、たったひとりで大きくなるんだと、自分に言い聞かせた。そしてしばらくは勢いよく歩くのだが、気が付くとまた歩みはゆっくりになっているのだった。
 そうしたことを繰り返しているうちに、僕はついに足を止めてしまった。涙が溢れてきて、止めようがなかった。土手を降りて、川の側に行った。そして、川の水を見詰めながら、声を上げて泣いた。遠くで、電車の音が聞こえた。

 「ねえ、あなた、どうかしましたか」
 誰かが僕に声をかけるのを聞いた。
 僕は少しだけ顔を上げた。目に入ったのは、一人の痩せた老人の顔だった。僕は慌ててまた顔を腕の中にうずめた。泣き腫らした顔を見られるのが、嫌だったからだ。
 「そうですか」
 その老人は僕の答えも聞かず、そう言った。そして、草を掻き分けて隣に座る気配がした。僕は少し顔をそちらに向けて、ちらりと見た。老人は、じっと前を見たまま、そこに座っている。まるで土から生えてきたみたいだった。
 長い間、老人はじっと黙ったまま座っていたが、ぽつりと、「今日は風がありませんね」と言った。それから、「風がないから、虫の音も、川のせせらぎも、電車の音も、とても良く聞こえますね」と言った。
 僕は顔を伏せたまま、耳を澄ませた。澄んだ音が、辺りに響いていた。転がるような音が、心地よかった。僕はしばらくはさまざまな寂しさを忘れて、その音に耳を傾けていた。
 やがて老人が、どこか遠くで囁くような声で、きっぱりとこう言った。
 「こんな夜でした」
 その言葉に、全ては息を顰めた。

初めての水中写真

2006年09月10日 | 三浦半島・湘南逍遥


 今日は真鶴で、初めて水中写真に挑戦してみました。



 もっとぶれた写真ばかりになっているかとおもったけれど、意外と綺麗にとれていました。
 ただ、今日僕は持病の頭痛がちょっと出ていて、そんなに長くは波に揺られていられなかったし、深くも潜れなかったので、それほど沢山の写真は撮る事ができなかったのが残念でしたが。