ビリジャンという色の名前を始めて聞いた時の奇妙な感じは忘れられない、と彼はビリジャンの2オンスチューブを手にして言った。あれは幼稚園の時だった。十二色入りの水彩絵具を開いて、一つ一つの色の名前を確認した。あの頃はまだチューブがアルミだったな。何度も使っていると、次第に劣化して、絵具が横から出てきたりした。今では大抵、ラミネートのチューブだから、そういうこともなくなったが。
絵具は、白がひとつだけ大きくて、後は小さなチューブだった。大抵の色の名前は、なんとなく理解できたのだが、ひとつだけ、どうしても不思議だった色の名前があった。それがビリジャンだ。子供の目には、ただの緑にしか映らなかった。どうしても緑とかグリーンじゃだめで、ビリジャンなのか、理解できなかった。だから余計に、ビリジャンという色が強く印象付けられたんだろう。だが、実際ビリジャンという色は、緑色の基本となる色だ。混じりけのない、深く冷たい緑。だが、この色をそのまま使うことは難しい。緑という色彩は、とても複雑な色彩だからだ。
あれは初めてビリジャンという色彩の名前を知ってから、それほど経っていない頃だったと思う。僕は一人で山道を歩いていた。山道とは言っても、近所の山で、高いわけでも深いわけでもない。ただ、やたらと鬱蒼とした林があるだけだ。春先には、おじいさんらに連れられて、山菜を採りに出かけたこともあった。そういう山だ。
山道は、その先の町へと続いていた。だから、子供一人で歩いているといっても、それほど不思議なことじゃない。ただ、それほど人の通らない道なので、寂しく、好んで通ろうとはしない道だというだけだ。道はいつもしっとりと濡れているようだったし、苔の匂いも辺りには満ちていた。空を見上げても、高い樹の向こうにしか空は見えない。歩いていて、足首を羊歯が撫でるのも、ちょっと気味が悪く感じたものだった。
ともかくその時僕はその道を歩いていたのだ。どうしてそんな道を歩いていたのか、僕は思い出せないのだが、ちょっとした冒険気分だったのかもしれない。初夏がもうすぐやってくるという時期で、新緑が瑞々しかった。
あれは山道の中ほどに差し掛かった頃だったか、小さな唸るような声を耳にして僕は足を止めた。全身の毛が逆立つような感じがしたのを覚えている。それでも目を凝らして前を見詰めると、樹の根元辺りに人影を見た。心臓が大きく打ったが、足がすくんで動けない。だが、すぐ次の瞬間、その人影は女性であることがわかった。見たことのない人だったが、まだ若い女性で、樹にもたれかかって小さく唸っている。息が荒い。どうしたのだろうと僕はそっと近づいていった。まだわずかに警戒をしていたのだ。だが、すぐ近くに寄ったとき、その女性は僕を見て、言った。
ああ、ぼく、お願いしたいんだけど、どうか誰か大人の人を呼んできてくれないかしら。子供が生まれそうなの。
僕は驚いてじっと彼女を見た。確かに彼女のお腹が、ぷっくりと膨らんでいる。僕は頷くと、急いで走った。よく分からないながらも、一刻を争うんだと、真剣に思ったんだ。
森を抜けて、僕は最初に目にした人にそのことを話した。それからどうなったのか、僕は知らない。多分、無事だっただろうと思う。ほんの小さな出来事かもしれないが、忘れられない出来事だった。
だが、今でも忘れられないのは、膨らんだ女性の腹と、あのときの森の、鮮やかなビリジャンで塗られたような色彩と、そして鼻を突くような青い匂いなのだ。