漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

ポスター

2005年08月31日 | 青を摘む
 以前、カテゴリー「美しい小説」で紹介した長編小説「より大きな希望」の著者、イルゼ・アイヒンガー女史による幻想的な短編集「縛られた男」。ここで紹介する「ポスター」は、その短編集に収められている一編である。
 この短編集が素晴らしい一冊であることは間違いない。元の短編がどれも素晴らしいことに加えて、翻訳者が、どうしてもこの本を訳出したかったという気持ちが伝わってくる。ひっそりとした本だが、良い本だと思う。
 「ポスター」は、まるで坂口尚の描く漫画のような短編だ。海辺の駅で起こった悲劇を、ほんの一瞬の幻想のように描き出すアイヒンガー女史の筆は、冴え渡っていて言葉が無い。「より大きな希望」でエレンが求めていた「青一色の世界」と、この短編の色彩が、重なり合う。セルリアンブルーとピーコックブルーの彼方。例えばそうした、青い色彩である。

ブレーメンのおんがくたい

2005年08月30日 | 記憶の扉
 今僕が持っている本の中で、一番昔から持ちつづけている本は、いずみ書房から出ていたポケット絵本の中の一冊、「ブレーメンのおんがくたい」だ。幼稚園の頃から、ずっと持っている。
 このシリーズは、当時、毎月数冊づつのセットとして配本されるというものだった。定期的に届くこの絵本を、楽しみにしていたのを憶えている。
 この「ブレーメンのおんがくたい」は、中でも、どういうわけか一番のお気に入りだった。
 この本の絵が好きだった。例えば、このような絵。
画家の名前は「くぼたたけお」さん。どういう方なのか、情報がないから、全くわからない。インターネットで調べても、全くヒットしないのだから、出版社にでも聞くしか知る方法はないのだろう。だが、この本の絵から僕が受けた影響は、相当大きいと思う。なにせ、いまだに宝物のように持ちつづけているのだから。
こんなふうに、まるで無名の人の書いた絵や文章、奏でた音楽などが、どうしても記憶に残ってしまって、忘れられないということが、誰でもあるのではないかと思う。そういうものを、大切にしたいですね。
 ついでに、もう一枚。

真鶴半島 2

2005年08月29日 | 三浦半島・湘南逍遥
 
真鶴の地質は、海底が隆起して出来た三浦半島の地層とは違って、火山の噴火による溶岩が主であるようだ。三ツ石付近の、特に相模湾方面を見ると、特にそれがよくわかる。ごつごつとした溶岩質の岩盤が、海に吸い込まれてゆく様は、ダイナミックだ。写真を撮るセンスがないので、適当に撮影した中から一枚載せてみたが、なんとなくでもわかるだろうか。多分、この辺りでダイビングをしたら、海底でもっと面白い地形が見れるだろうと思う。
 相模湾を挟んで、片方は深い深海から隆起して出来たもので、片方は箱根火山の噴火によって流れ出た溶岩が海へ向かって出来たものというのは、戦国時代の三浦氏と北条氏を思い起こさせる部分があったりして、面白い気がする。そういえば、多分日本史で最も有能な政治家の一人であっただろう源頼朝は、真鶴にもゆかりがあった。考えていると、湘南・三浦は、興味がつきない。ちなみに、相模湾は小さな湾であるが、一番深いところでは1000メートル以上になる。
 ところで、三ツ石付近の海底には、どう考えてもどこかから崩れて沈んだとしか思えない大きな岩がごろごろしているのだが、これは第二次大戦中、この岩を爆撃訓練に使っていたらしいということと、何か関係があるのだろうか?

真鶴半島

2005年08月28日 | 三浦半島・湘南逍遥

 真鶴半島へ行って来た。
 相模湾を抱く西の腕なので、以前から気になっていたのだが、行くのは初めてだった。
 真鶴駅から、延々と4㎞歩いて、真鶴岬の先端へ。途中、「魚つき保安林」という原生林の中を歩くコースがあるものの、道中は大半が車道の脇を歩くだけで、退屈。
 半島の先端、三ツ石は、さすがにちょっといい眺めだったが、辺りは人が多く、しかもゴロタの海岸。癒される場所といった雰囲気ではなかった。番場浦海岸も同様。
 ただ、水の中に入ると、印象は一転。「しばらくゆくと突然深くなる」どころか、はじめから岬の周りはいきなり深いのだが、魚影が本当に濃い。種類も多い。三浦半島では、どこでもこんなに魚影が濃い場所はなかったから、嬉しくなって、随分長くスキンダイビングを楽しんだ。この深さも、潜りがいがあって、楽しい。
 というわけで、陸上はあまりよい印象はなかったけれど、水中はかなり好印象でした。

車道から外れて

2005年08月25日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 車道から外れて沢に降り、川に沿って歩き始めたのは、昨日の午後だった。
 夕べは川辺で眠った。朝の光とともにまた川に沿って歩き始め、それからもう随分経つ。腕時計を見ると、もう午後二時になろうとしている。昨日から、もう一昼夜、川と共にいるというわけだ。
 河原を歩き続けるというのは、容易いことではない。川幅は、少しづつ広がっているようだが、どこまで行っても同じような石の河原が続いている。散々流れに洗われた石ばかりのようで、色や大きさは様々だが、どれをとっても丸い石だ。私はかがんで、足元にあった黒く丸い石を拾い上げた。手に取ると、しっくりと手の中に収まるような感触があった。
 石を手にしたまま、私はその場でしゃがみ込んでしまった。疲れていたし、空腹でもあった。それに、喉も渇いていた。石の上に座り込んだまま、空を見上げると、川を覆うような木々の向こうに、セルリアンブルーの真っ青な空が見えた。空には、薄い、千切れた雲が漂っていた。
 どのくらいそうして空を見ていただろう。空の青い色が、不思議に揺れていると感じるまで、空をぼんやりと見ていたようだ。だが、ふと我に返ると、猛烈な喉の渇きを覚えた。私は這うようにして川に向かって歩き、川から手で水をすくって飲んだ。空腹は癒されないが、喉の渇きが癒えただけでも、幸せなような気がした。
 遠くから、小さな鉄砲の音が聞こえた。どこかで狩りでもやっているのだろうか。それとも、威嚇のための空砲だろうか。どちらにせよ、比較的近い場所に人がいるということだ。それなら、このあてどない川下りも、もう終りが近いはず。そう思って、私はしっかりと立ち上がった。
 だが、再び歩き始めようとした時、川の上流から何かがゆっくりと流れてくるのに気が付いた。
 それは、黒くて丸い仮面だった。大きさは、ポリバケツの蓋くらいだろうか。奇妙な文様に彩られた仮面で、目のところに細長い穴が空いている。それが、こちらを見詰めて、くるくると回りながら、流れてくる。
 よく見ると、その仮面はこちらを見詰めながら笑っているように見える。まるで哄笑するように、くるくると、その笑いを投げかけてくる。それはまるで、「おまえは出れないよ」と言っているように思える。見詰めていると、腹が立ってくる。
 私は持っていた石を投げた。石は、音を立てて、見事に仮面に命中した。仮面は、ぐらりと格好を崩して、水の中に倒れた。
 だが、仮面はぐるりと回って、何事もなかったかのように、また川を流れ始めた。違うのは、仮面が裏を向いたことで、絵柄が、表とは随分違っていた。
 仮面の裏側の顔は、泣いている絵だった。哀しげに、あるいは空虚に、仮面は涙を流していた。
 見詰めていると、哀しくなった。そして、不安になってきた。私は耐え切れなくなって、また足元から石を拾い上げ、力いっぱい仮面に向かって投げつけた。石は仮面に命中し、仮面はまた表をこちらに向けて、笑い始めた。
 私は川に沿って、仮面を追いかけて歩き始めた。そして、石を拾い上げては投げつけた。仮面はそのたびに、泣いたり笑ったりするのだった。

隣の部屋

2005年08月24日 | 記憶の扉
 22日の分で、最後に台無しになる夢の話を再録したが、今度は実際にあった、ちょっとぞっとする話をひとつ。

 中学校に入ったばかりの頃の話だ。
 その頃、僕達の家族は、神戸の文化住宅(いわゆるアパート)に住んでいた。間取りは、六畳、四畳半、台所、それからトイレと風呂。広いベランダもあった。古い建物だったが、住み心地は悪くなかった。住民の間では毎日行き来があって、集まっては楽しくやっていた。だから、まるで長屋のような情緒があった。
 だからといって、もちろん全ての住民の間で行き来があったという訳ではない。
 僕達の隣の部屋の住人も、そうした一人だった。
 若い男性で、教師をやっているということだったから、それも当然だろう。おばさんたちの環に入って来るはずはない。

 季節は、梅雨の頃だったと思う。
 隣の部屋が、突然空き部屋になった。
 引越したのだと、僕は思った。
 それで、ドライバーを使って鍵を開け、隣の部屋に忍び込んだ。部屋には簡単に入る事が出来た。それからしばらくの期間、僕はその部屋を隠れ家にしていた。近所の友人達を誘い込んで、遊んでいた。がらんとした部屋の、畳の匂いと、梁の存在感を、いまでも覚えている。雨の日には、特にその部屋が不思議な空気に包まれていた。

 一月ほど経った頃だっただろうか。隣の部屋の先生は、隣の部屋の梁で首を縊ったのだと聞かされたのは。ノイローゼで、しばらく学校を休んでいたという。

 もちろん、それから僕は隣の部屋に忍び込むことはやめた。だが、あの部屋の湿った空気と、梁の妙な存在感は、今でも忘れられない。

デパートの夢

2005年08月22日 | 記憶の扉
 夢のはなしを、ひとつ。ただし、以前自サイトの中のエッセイとして書いたものの、再録である(やや手直しした)。高校の頃に見た夢だ。

 光化学スモッグが出ているのだろうか。少しオレンジじみた、鈍い陽射しの空がある。辺りは、風の通らない嫌な暑さだ。僕は駅から出て、煤けた色の、油じみたアスファルトを、駅に沿って歩いている。頭上には高架道路が走っている。
 大きな駅である。駅の周辺は、オフィス街なのだろうか、どこか黒っぽくくすんだ色のビルが、ずらりと並んでいる。それが、妙に暗く見える。人がいるのか、それともいないのか。おそらくは、いるのだろう。ただ、気配を感じないだけだ。人通りは多くは無いが、全く無いというわけでもない。実際、目の前をどこか疲れたような浮浪者が歩いて行くので、こちらも妙に埃っぽい気分になっている。くしゃくしゃになった新聞が、道路の端で時々揺れている。それがビル風のせいなのか、それともその下の通風孔から吹き上げてくる風のせいなのか、分からない。新聞の端が濡れて、地面に貼り付いているから、どこかへ飛んでも行かない。
 歩きながら、僕はふと、ベルトをしていなかったことに気が付く。ベルトをしていないからといって、別にズボンがずってくるというわけではない。普段からベルトをしなければならないと考えているわけでもない。でも、どういうわけかどうしてもベルトをしたいと思った。そう思い始めると、落ち着かなくなる。どこかで、なんとかして手にいれなければと思う。そう考えて、ふと見ると、近くに少し古いが、大きなデパートがあった。デパートにゆけば、当然ベルトくらいは売っているだろう。僕はデパートに向かった。
 デパートの入り口は、それほど大きくはない。デパートというよりも、例えばどこかの商工会議所のようだ。入り口を入るとすぐに階段があって、地下と二階へ伸びている。つまり一階がないわけだ。二階へ向かう階段を登ると、すぐ左手にエスカレーターがある。ベルトの売り場を探していると、どこからともなく売り子が側にやってきた。細くて、まるでまだ少女のような売り子である。彼女の髪は、サイドは肩くらいまであるのだが、後ろが妙に短い。僕はベルトの売り場を尋ねた。彼女は、それなら13階ですと言う。13階?このデパートはそんなに高かっただろうかといぶかしんだが、実際エスカレータの側の表示を見ると、確かに13階はあるということになっている。それにしても、ベルトの売り場がそんなに上の階にあるというのは、考えてもいなかった。それでも、ともかく仕方ないのでエスカレーターに乗り込む。
 そうして、デパートを登って行くのだが、8階を越えた辺りから、妙に寂しくなってくる。人もほとんどいないし、照明もどこか暗い。売っているものも、重厚な家具のようなものばかりである。売り場というよりも、まるで倉庫のようだ。そうした雰囲気は、階を上がるごとに強くなって行く。やがて13階に到着したのだが、そこはまさに家具売り場で、僕以外には誰の姿も無い。エスカレータの音ばかりが響いている。いくらなんでもこんなところにベルトが売っている訳がない。ここは家具の売り場か、さもなくば倉庫だ。僕は下りのエスカレータに向かおうとした。
  突然、声をかけられた。「何かお探しですか」
 振り返ると、そこには殆ど何の個性も無い、眼鏡をかけた痩せた男が立っている。僕はベルトを探しているのだけれど、と伝える。それならばこちらです、と彼は言う。そして指し示した場所には、沢山のベルトがある。驚いたが、まあとりあえずよかったと、僕がベルトを選んでいると、男は「このデパートには、さらに上があるのです」と言う。そう男に言われると、僕はなぜか逆らえない。この上に行かなければならないという気分になる。男が指し示したのは、フロアの隅の鉄の扉で、彼はここから上に向かうようにと僕に言った。僕は扉を開いた。そして振り返ると、当然のように男の姿は無い。
 扉の中は、一畳ほどの広さしかなく、しかもそこは和式のトイレになっている。トイレの脇に、白い鉄の螺旋階段が、ずっと上まで伸びているのだ。一応、明り取りの窓はあるのだが、見上げても、上のほうは暗くてよくわからない。僕は扉を閉じて、階段を登り始めた。
  カンカンと音を響かせながら、どのくらい登ったかわからない。相当の距離を登ったと思う。見下ろしても、出発点となったトイレはもう分からない。と、不意に、階段が終わった。そして、目の前には また、そっけない白いペンキを塗った鉄の扉が現れた。僕はノブに手をかけて、重い扉を開いた。
 そこは重厚な雰囲気の、どこか高級なホテルの客室フロアだった。広い廊下に、立派な絨毯が敷かれてある。ホテルの客室のドアも、大きくて立派なものばかりだ。重厚な、少し緑がかった木で出来ている。余りの落差に驚いたが、ふと気配を感じて振り返ると、そこにはこのデパートに入ったときに案内してくれた、あの少女のような売り子の姿があった。一体どこからここまで上がってきたのだろう。僕がそう思う間もなく、彼女は言った。「もう一階だけ、上があるのよ」
  僕は彼女の指し示す方向を見る。確かに、そこにはまたこのフロアとは似つかない、古ぼけた階段があった。階段は広かったが、油を吸い込んでいて、黒っぽく見えた。僕は憑かれたように、階段をゆっくりと上がっていった。
  その上に広がっていた光景は、窓ガラスの割れた広い部屋で、沢山の老人たちが、一心に碁を打っている姿だった。窓ガラスの向こうには、煤けた街の展望が、一面に広がっていた。

霧が出てくると

2005年08月19日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 これまで「散文的文体演習」として書いていた戯言を、以降、「汀の画帳」というカテゴリー名に変えることにしました。





 霧が出てくると、海から生暖かい匂いが漂い始める。
 いつでも、というわけではない。だが、今日のように、霧が急速走り始め、それから回り始める時には、大抵。
 そのあとに生暖かい匂いが追ってくる。そして辺りがもう見通せないほど白くなってしまうと、その霧に乗って、海から、白い魚がやってくる。
 白い魚は、這うようにして、海から浜へ上がってくる。一匹や二匹ではなく、群れといっていい数だ。まるで雨音のような動きで、そろそろと浜へ乗り上げると、軽く身体を翻し、すっと霧に乗る。後から後から、海からやってくる白い魚達は、そうして、霧に乗って内陸へ向かって泳ぎはじめるのだ。
 浜へ上がってくるまでの白い魚たちの動きは、優雅とはいえない。まるで白子が転がるような、憂鬱な動きである。だが、一度跳ねて、霧に乗ってしまうと、見違えるようにスマートな動きになる。泳ぐというよりも、滑ってゆくというようだ。スイスイッと、霧の中を、高台に向かって滑ってゆく。
 霧が出始めたとき、私は高台へと向かう急な坂道へ向かっていた。私の住む町は山坂が多く、特にいま向かっている坂道は急勾配で知られている。これだけ霧が濃いと見えないが、普段は下から見上げると、垂直にさえみえるほどの坂道である。
 歩いている私の傍を、魚達はスイスイッと霧の中を滑ってゆく。そして、坂道へ向かう。白い霧にまぎれて、魚たちの姿は殆ど捕らえる事はできない。だが、つい先ほど私の頬を翳めるようにして滑っていった細長く白い魚は、その長い睫の向こうから、ちらりと私を見たように思えた。
 魚達がどこへ向かおうとしているのか、私は知らない。誰も知っている人はいないという。この坂道を滑走路にして、空へ行くのだという人は多いが、誰も確証を持っているというわけではない。白い霧にまぎれて、見えなくなってしまうのだから、わかるはずはない。
 霧が晴れると、魚たちの姿はもうどこにもない。それはいつものことで、どういうわけか、不思議にさえ感じないのだ。

サヨナラCOLOR

2005年08月16日 | 記憶の扉
 Super Butter Dogというバンドの曲に、「サヨナラCOLOR」というのがあって、初めて聴いた時から心に沁みまくっていたのだが、最近、その曲を「原作」とした、映画が出来たようだ。監督は竹中直人さんで、主演もしている。同じようにこの曲に惚れ込んで、映画を作り上げる事を決意したという。オフィシャルサイトもある。
 だが、僕はまだ映画は見ていないし、いまこうして取り上げているのは、そのことについての感想を書きたいからではない。

 実は最近、ラジオから「サヨナラCOLOR」が流れてくるのを聴いた。
 それは、この曲の作曲者であり、現在「ハナレグミ」で活動している永積タカシさんが、新たに歌いなおしたバージョンだった。
 驚いた事に、その「ハナレグミ」バージョンの「サヨナラCOLOR」の、バックコーラスを、忌野清志郎さんがやっていた。
 聴いているうちに、なんだか感無量な気分になった。
 初めてRCサクセションを聴いた時から、もう30年近く経つ。
 清志郎さんの、後ろから叫ぶ声を聴いているうちに、様々なことを走馬灯のように思い出した。そうだ、忌野清志郎とは、こういうアーティストなんだと、そう思った。忘れてはいけない記憶。あるいは、しみったれた記憶。そうしたものが、まるで沈む太陽の光のように、後ろから照らしている気がした。

呟き

2005年08月13日 | 雑記
 実は今、家に一人きりなのです。
 皆、山梨にある妻の親戚の家に遊びに行っていて、数日、帰ってきません。
 僕は、仕事があって、行けなかったため、取り残されたという訳でした。
 でも、本当に久々に家に一人きりということで、こんなに静かなものだったかと、つくづく感じているところです。本来なら、それなら普段なかなか出来ない創作活動でもすればいいようなものですが、ちょっとビールを飲んでいたら、だれてしまいました。で、ちびちびとビールを飲みながら、こうして書いてます。
 先ほどから、突然また雨が激しく降り始めました。雨の、地面を叩く音が強く聞こえてきます。空気も、少ししっとりとしたひややかさを帯びてきたでしょうか。
 明日は、朝からどこかへ一人でふらりと出かけるつもりですが、この雨次第になるかもしれません。もうしばらくは、だらりと、最近はサボっていたので、何かを書いて、過去に向かって更新するかもしれません。

花火

2005年08月10日 | 雑記
六日の日に行われた、江戸川の花火大会にて。

見やすくて、とてもよい花火大会でした。
ただ、デジカメで花火を撮るのは、難しい。古いデジカメなので、余計に。
こうなると、まるで爆発ですね。。。!