漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

航路

2017年03月09日 | 読書録

「航路」(上・下) コニー・ウィリス著 大森望訳
ハヤカワ文庫 早川書房刊

を読む。

 臨死体験(NDE)を扱った作品。とはいえ、オカルトではなく、れっきとしたSF作品。
 臨死体験といえばこういうものだというイメージは、たいていの人は持っているはず。日本人である我々にとってそれは、例えば、三途の川の向こうで祖母が手招きしている、一面のお花畑がある、長いトンネルがある、など。そうした、なぜか様々な人の共有される経験がなぜ生まれるのかを研究しているのが、この作品の主人公であるジョアンナ。彼女は、オカルトには惑わされずに、NDEのメカニズムについて、科学者的な立場から突き止めようとしています。物語全体を通じて、彼女はずっと走り回っている印象があり、まるで時間と戦っているですが、それには理由があります。実はジョアンナは、彼女が研究の拠点としている病院に入院している、心臓疾患のある9歳の少女メイジーをなんとしてでも救いたいと思っていて、NDEの秘密さえ突き止めることができれば、あるいはメイジーを死の淵から呼び戻すことができるかもしれないと考えているのです。
 この極めて聡明で、まるで自分の死への心構えをするかのように、過去の悲惨な事故の詳細を収集することを何よりの趣味にしているメイジーが、実は影の主人公と言えるかもしれません。物語は三部に分かれていますが、第三部に至っては、ついに物語の最前面に出てきて、病室からほとんど出ることもできないというのに、物語を結末まで引っ張ってゆきます。
 ジョアンナと並んで、物語全体の主人公がリチャード。彼はジョアンナよりさらに徹底した科学者的立場からNDEを解明しようとしています。ジョアンナが、実際に臨死体験をした人に根気よく話を聞くことでNDEの秘密を解明しようとしているのに対し、リチャードは、臨死体験中の人の脳にどんな化学物質が分泌されているのかを調べることでNDEの秘密を突き止めようとしています。彼は、ふとした偶然から、リチャードはある薬物を使用することで、人工的に臨死体験を経験させることに成功しているのです。そして、その実験の精度をより高めるため、実際に臨死体験者に多く接してきた、経験の豊富なジョアンナに協力を仰ぎます。
 二人は共同で様々な被験者を使い、NDEの謎に取り組みますが、一癖もふた癖もある被験者たちに振り回され、どうもうまくゆきません。最終的には、ジョアンナが自ら被験者となることになります。そしてジョアンナは臨死を体験をするのですが、彼女がその実験の中で訪れた場所は、なんと沈没しつつあるタイタニック号の中なのです。
 ジョアンナは、なぜ自分が臨死体験するたびに同じタイタニック号の中で目覚めるのかを考えます。それに、他の人々のNDEも、タイタニック号での出来事のように思えてきます。しかし、なぜタイタニックなのか。そこには絶対に、何か理由があるはずであり、その理由がわかれば、臨死体験の秘密がわかるに違いないと。やがて彼女は、高校時代のひとりの先生のことを思い出します。その先生は、何かにつけてタイタニックのことを引き合いに出して話す先生でした。ジョアンナは、高校時代にその恩師から聞いた言葉にこそ、秘密の鍵が隠されているに違いないと確信するに至ります。……

 という感じで、上下巻合わせて1200ページを遥かに超える分量で物語は迫ってきますが、面白いので、うんざりすることはないと思います。ぼくは3日で読み切りました。物語は全部で三部に分かれていると書きましたが、その第二部の最後で物語は急転直下、予想もしていなかった展開を見せます。長い間昏睡状態にあった患者が意識を取り戻し、彼から臨死体験を聞かされるのですが、それをヒントに、ジョアンナはようやくNDEの真実を掴みます。しかし、そのことをリチャードに知らせようとした、その矢先に……。
 解説にもあるように、ここまで読んでしまったら、後は一気に読んでしまうと思います。
 リチャードはかなりハンサムで、ジョアンナも美人のようですが、ラブストーリー的な要素はほとんどなく(それどころか、明言はされないけれども、ジョアンナはもしかしたらレズビアンかもしれない)、ひたすらNDE解明のために駆けずり回る人々の姿が描かれているわけですが、最後にはぐっとくる感動が訪れます。それは、様々な登場人物たちから慕われるジョアンナの、人に対する誠実で真摯な愛が、その強い意志のちからで、(決してオカルトではなく)時空を超えて伝わる感動であり、また、様々な災害の中で、多くの、自分を犠牲にしてでも誰かの命を救った人々に対する、深い尊敬の念なのです。