資料室に見えた方からのご質問で、栗谷遺跡から奈良・平安時代の竪穴住居跡55軒が発掘されているということで、平安時代にも竪穴式住居があったのかというおたずねでしたが、京や諸国の国府の寺社・官庁・貴族の邸宅などの大規模な建造物がある一方で、庶民の多くは縄文時代以来の竪穴式住居で生活していました。北上市の「みちのく民俗村」には、平安中期の遺跡をもとに復元した、平安期型の竪穴式住居が復元されています。東北地方では、室町時代まで竪穴式住居が残り、こちらも再現されています。一般に、庶民の住居が高床式に移行したのは平安時代中期ごろからと考えられています。
(青柳)